別れ

※ゴーシュが昏睡状態から目覚めた後のパラレルです。
ラグとシルベットはゴーシュと一緒にハチノスでお泊りした、その深夜。

音も立てずに、扉がゆっくりと開いていく。
慎重な仕草で隙間に体を滑り込ませ、その人物は廊下に出た。

ふうとため息。

ちらりと視線を背後に戻し、前方を見据え直す。
・・・ここから先は、僕だけで行動しなければ。
さもなくば、犠牲が出る。

踏みだそうとしたときだった。

「・・・何処へ行く気だ、スエード。まだ体力が戻っていない筈だ」

静かな声にはっと振り返る。

「・・・博士」

白衣姿の医者は呆れたように彼を見ていた。

「さっさと部屋へ戻るんだ。あの二人を見捨てる気か?」

ぐっと唇を噛む。
見捨てる。
そうだ、僕は彼らを見捨てようとしている。

「・・・何のことでしょうか。僕はただ外に出たかっただけです」
「ほう。ただ外へ出るのに心弾銃がいるのか?」

やはり、見透かされている。ゴーシュは微笑んだ。

「・・・何が起こるか、分かりませんから」
「スエード」
「・・・気づいて下さって助かりました、博士。僕の代わりに、あの二人を見守ってもらえませんか?」

今ここを離れれば二度と戻れない。
それは自分が一番よく分かっている。

「リバースに戻る気か?」
「そうですね」

沈黙。
はあ、と大きなため息が静寂に響く。

「・・・確かにお前はノワールだった。しかしスエードとしての記憶の一部も戻っているはずだ」
「はい」
「・・・リバースに戻ってどうする気だ。まだ人工太陽を沈めるのか?」
「・・・いえ、」

軽く首を振る。
ノワールの記憶のみの自分なら、そうしただろう。
だが、今はそれが正しいとは言えないことを知っている。
ゴーシュ・スエードとしての自分が、人柱の存在を拒否している。

少し驚いた様子のサンダーランドにゴーシュはきっぱりと言い放つ。

「・・僕は、BEEとして許されない罪を犯しました。その償いをしなければ」
「今はBEEじゃないだろう」
「ええ。ですが、僕は、自分が許せない」

覚えている。
ノワールとして見ていたのだから。
沢山の人が、あの天使の丘で、鎧虫に心を喰われていくのを、一部始終、全て。

キイイインと、耳の奥に響いたままの悲しい音。
目を開けているのに、何も映し出さないガラス玉のような瞳を。

「・・・だから、僕は清算しなければ」

リバースの一員だった頃に見たことを、していたことを。
そして、彼らのしようとしていることを止められるのも、きっと今の自分しかいない。

「スエード、」
「僕を治療して下さってありがとうございました。僕は、僕にしかできないことをしに、戻ります」
「駄目だ」
「後は、よろしくお願いします、博士」

数少ない理解者へと最後の笑みを浮かべる。
これでいい。
僕は、ノワールと戦わなければならない。
そして、シルベットの足が動かない理由も、ラグの母親の居場所も必ず突き止めなければ。

・・・それが、二人を置いていく自分にできる、せめてもの償いの一つになるから。

踵を返す。

「おい!スエード!!」

振り向かない。
そう、決めたのだからーーー

「ゴーシュ!!!!」

はっと再び足を止めてしまう。
辛うじて、振り向くことだけは堪えた。
しかし、その間に声の主は駆け込んでゴーシュの前に回り込んだ。

「ゴーシュ!!まだ動いちゃ駄目だよ!!ベッドに戻ろうよ!!」

服を両手で掴み、必死で見上げている瞳は既に心配のせいか潤んでいた。

「・・・ラ、グ・・・」
「シルベットも待っているから、戻ろう?」

思わず手を握る。
シルベット。
誰よりも幸せにしてやらなければならない、最愛の名前。

「・・・ラグ」
「ゴーシュ、何?」

不安げに見上げてくる目に静かに銃を向ける。

「・・・ゴー・・・シュ・・・?」
「スエード!!」

信じられない、といった瞳は、あの日と同じ。
そうか、と思い直す。
自分はもうとっくに、戻れないところへ来ていたのだと。

「・・ラグ。シルベットをお願いします」

静かに告げると同時に心弾を撃つ。
ジムノペディから放たれた光が優しくラグを包む。

「ゴー・・・シュ・・・」

意識を失い、崩れる小さな体を抱き止め、そっと床に寝かした。

「スエード!!何をしている!!」

振り向きざま、白衣の彼にも銃を向ける。

「・・・ありがとう、ございました」
「スエード!!」

自分を気遣う声が嬉しくて、悲しかった。
もう、自分はこの声に答えるだけの価値がない。

「さようなら」

ドン、と無機質な音が響いて。

「くっ・・・そ・・・」

膝をついた博士を支える。

「・・行く、な・・・スエー・・・ド・・・」

白衣の体をそっと床に置く。
近くの部屋から借りてきた毛布を二人分かける。
ふっと微笑む。
立ち上がり、ここを出る最短距離を駆け抜け、彼の姿は闇に消えた。

二度と、振り返らなかった。

fin.