※「島の医者」と同じです。和田さん視点。
わしにとっての勅命がくだされたんは、前の先生が出ていった1年後やった。
「新しい先生が一日でも長う島に留まっていただけるように、出来る限りのもてなしをする」
あの気を使いすぎの課長から言われたら、部下として従わざるを得ない。
が。
わしは、なるようにしかならん、と常に思っとる。
どんなもてなしをしようが、合わんものは合わん。
やから、まあどんな先生が来るのか、わしは半分人事のように見に行った。
* *
「あ。どうもどうも。事務長の和田です。」
「はあ・・・」
廃墟になっていた診療所から山羊のヨシエを追い出している途中で、課長の車に出くわした。
そして、新しい先生にもお目にかかった。
山羊が気になるのか、ぼけっとした表情だった。
若い。
課長から聞いてはいたが、わしより一回りは下じゃないか。
課長から先生に診療所を案内しろと言われていたため、ざっくりと見て貰った。
まあ、元々小さい診療所の紹介などすぐ終わってしもた。
わしは、先生に診療所の車の鍵を手渡した。
そこで、衝撃の事実が判明することになる。
なんと、この先生、運転できないらしい。
「あの、自転車って、どこかに売ってたりしませんか?」
相変わらずぼけっとした先生が唐突に言い出した。
まあ、免許がないなら、せめて自転車ってことだろう。
「自転車ですか?確か倉庫にあったと思います。壊れてますけど、直しましょうか?」
カメラをいじっているため、そういう修理などは慣れている。
「本当ですか!じゃあ、お願いします」
嬉しそうに頭を下げる先生は、やっぱり医者には見えなかった。
・・・なんちゅうか、威厳ちゅうものが、ない。
* *
倉庫からひっぱりだした自転車は、タイヤがはずれ取ったが、骨組み自体は壊れとらんかった。
ホイールにタイヤを這わせ、空気を入れる。
パンクはなさそうやった。
スパナを使い、ネジをぎゅっぎゅっと締める。
ペダルを回すと、きちんとタイヤが連動した。
サドルを取り付け、自転車の形を整える。
よし。
わしは満足して、診療所に入った。
「先生、自転車直りましたけど」
言いながら扉を開けたら、何やら微妙な空気が漂っていた。
受付の彩佳さんがそっぽ向いて沈黙している。
・・・この先生、来て早々、何やらやらかしたか?
「そうですか。ありがとうございます」
外へでた先生は修理の終わった自転車を嬉しそうに眺めた。
そのまま乗り込もうとして、先生は何か思いついたように
わしをみた。
「あの、地図とか、ないですか」
「地図、ですか」
「ほら僕、この島まだよく分かりませんし。折角自転車直してもらったので、確認したいんです」
「はあ。あ。でも島の観光ガイドは確か課長からお渡ししている筈ですが」
「いえ、そうではなくて・・・」
「・・・は?」
ぽかんと後ろ姿を見送って暫し後に、怪訝そうな彩佳さんが診療所からでてきた。
「和田さん。何やってるんです?」
「彩佳さん」
彩花さんはわしの隣に並んだ。
診療所からの下り道を呆れたようにみやった。
「もしかして、先生自転車乗ってどっかいっちゃったんですか。全く・・・2日目でもう嫌になっちゃったんですか」
「それは違う、彩佳さん」
「は?何がですか。だって診療所ほっといて観光しに行ったんでしょ。
そりゃあ患者さんなんて一人も来てないけど、だからといって、もうでていくなんて早すぎです」
口調がきついのは、彩花さんの医者に対する不満の表れやった。
やけど、わしはあの人の目的が何となくわかった。
「あの人は、観光に行ったんじゃないよ」
「え?だって」
「あの人は、住宅地図を、持っていったんだ」
彩佳さんが虚を突かれたように振り返った。
「・・・住宅地図?」
「確かに患者は誰もここへ来ない。
だから、あの人は自分から島民に会いに行ったんじゃないかと、わしは思う」
医者として、この島と、この島に住む人たちを知るために。
「あの人は、今自分に出来ることをしに行ったんじゃないか」
「出来る、こと」
診療所の前で、わしと彩佳さんは
もう見えない背中をじっと見送っておった。
* *
夜。
わしはのんびり写真を眺めておった。
今回の夕日はなかなかいい。
雲の位置が絶妙だった。
深夜に鳴る電話など、いいことはない。
「え?港にいきゃあいいんか?なんで?船?はあ?」
よお分からんままに、わしは車に飛び乗った。
夜の港は、ほんまに暗い。
その中で煌々と明るい一つの船で、剛利さんが、先生と言い争っとった。
「和田さん!乗って!!!」
こうして、わしは、あのしんどい夜に巻き込まれることになった。
真っ暗な夜の海。揺れる剛宝丸。
剛洋の容態は、はっきりいって悪かった。
呼吸が荒く、わしから見てもどんなに痛いか想像できるほどじゃった。
「先生!!!」
あんなにこの人を疑っていた彩佳さんですら、ついつい頼ってしまうくらいに、緊急事態だった。
やばいんやろうな。
わしは、医術はさっぱりわからんが、こういう光景を何度も見てきた。
危ないと分かっていても、わしらではもう手遅れで、どうすることもできん。
諦めるしかない。
が。
「和田さん、ちょっと」
先生は真剣な顔で・・・真面目な顔すると医者に見えるな、と心の中で思ったことは取り敢えず置いておく。
わしは呼ばれた。
「はい」
返事をして、先生の前に行くと何やら耳元で、ある指令が下った。
「・・・え?」
思わず先生の顔を見返すと、重々しく頷かれた。
「・・・わかりました」
そう決意されたなら、わしらはあんたに託すしかない。
* *
「剛利さんよお、あんた、やっぱり・・・この分からず屋!!!!」
話しかけようとして思わず本音が漏れた。
船の鍵を奪って、先生の前に投げる。
先生は素早く拾って、それを海に投げた。
それからは波乱だった。
剛利さんは先生を殺しかねない勢いで激怒した。
それは島の医者への恨みと、妻を喪った悲しみへと変わった。
そうだったな、と思い出す。
この人の妻は、島の医者に殺されたようなものやった。
「原さん。
剛洋君は必ず助けます。
亡くなった奥さんのようなことは決してしません。
・・・僕を、僕を信じてください」
真摯な言葉が、剛利さんに届いたかはわからない。
しかしもう船が動かん以上、この人に託すしかなかった。
急遽船上に作られた手術台で、剛洋の手術は始まった。
わしの照らす明かりの元で、メスが、剛洋君の腹を切る。
切られた箇所から、ピンク色の内蔵が覗く。
血。
視界がぐらっと揺れた。
「原さん!明かり!!」
「原さん大丈夫ですか!」
目眩を起こしたわしの明かりを、剛利さんが奪って照らす。
今は全員がこのオペに力を併せていた。
皆が剛洋くんを励ます。
誰よりも冷静な先生が、患部を切除した。
剛洋は、助かったのだ。
先生が頭を下げて、剛利さんに鍵を返した。
なんと、あのとき投げていたのは診療所の鍵だったらしい。
みんながほっと安堵したときに、美しい海の夜明けが見られた。
わしにとっては希望の陽に見えた。
* *
土の救急車に剛洋が乗せられ、剛利さんは付き添っていった。
彩佳さんが感謝を先生に伝えた。
わしも、おんなじ気持ちじゃった。
島に新しい医者がきた。
この先生は、ちゃんとした医者だった。
手術中とは違い、のんびりした雰囲気に戻った先生は
諦めたように呟いた。
「・・・帰りましょっか。あーあ、また6時間かあー」
「先生。ここからだと8時間になります」
船に弱い先生に、わしは残酷な事実を言い渡す。
潮の流れの関係上、更に時間がかかるのはどうしようもない。
そこから思わず吐いた先生を宥めて、わしたちは帰途についた。
なんとも長い一日だった。
* *
診療所に戻った先生は、すぐさまリストを作ったらしい。
そして、わしは渡されたリストの薬を金額に直そうとして・・・。
・・・止めた。
計算せんほうが、いいこともある。
呼ばれた課長がやはり渋る。そりゃあ結構な金額になる。
しかしそこは彩佳さんが味方に付いたようだった。
島民の健康がかかっとるんじゃ。
ちゃんと承認されることを祈った。
* *
わしにとっての勅命は、新しく来た先生に出来る限りのもてなしをすることやった。
課長のような細かい気配りはせん。
島を訪れ、やがて去っていく医者達を
何処か覚めた目で、観察してきた。
わしには、もてなすなんて器用なことはできん。
それでも、
もしも、この先生が必死に剛洋を助けてくれたように、
今後も島民を助けてくれるんやったら。
もてなすことは出来んが、協力することはできる。
先生を島に引き留めるためではなく、先生が医者として働けるように。
こりゃあ、面白くなってきた。
わしは、にんまり笑ってカメラを手にした。
fin.