始まりの日

「島には、先生みたいな医師が必要なんです!!!」

医師としての生命線が途絶えそうだった僕を救ってくれたのは、離島からの助けを求める叫びだった。

   *   *

あの事件があって、僕は大学病院を辞めることになった。
辛うじて医師免許は残っていたけれど、先のことは何も決められなかった。

そんな僕に、教授から離島医師の話が持ちかけられた。
今無医村となっている島から、医者を捜している役場の方が来られているという。
君の好きにすればいい、と教授は言った。

指定された応接室のドアを遠慮がちに叩く。

「失礼します」

室内に入ると、ソファに座っていた男性がすぐに立ち上がった。

「どうもすいません。私、志木那島で離島医師を捜しています、星野と申します」

深々と頭を下げる姿に、僕はこの人がどれだけ苦労して来たのかを朧気ながら感じた。
引き受けるにしろ、断るにせよ、真剣に向き合わなければいけないと、改めて思った。

「御丁寧にありがとうございます。僕は、五島健助です」

星野さんは、僕にも分かるように離島の現状を詳しく説明して下さった。
志木那島。
本土から船で6時間はかかるという。
約1,800人もの島民が住み、主な産業は漁業である。
島に医者はいない。
何人もやってきては、本土に戻る。

理由は、やはり。

離島での治療では限界がある。
専門医が大勢待機しているわけでも、最新設備が整っているわけでもない。
たった一人の医師が、全ての症状に対応しなければならない。
聞けば、今までは内科の医師ばかりだったという。
なれば、診察は本土に行くべきか否か、くらいしかないだろう。

説明を聞くにつれ、離島医師の重圧が想像以上であることを理解した。
だからこそ、今、ここで僕は星野さんに会う前から聞きたかったことを
ゆっくりと口にした。

「・・・あの、一つ訊いてもいいですか?」
「は、はい、何なりと」

「僕の、事件のことは・・・ご存じですよね」

星野さんの表情が曇る。

「そ、それは・・・、はい」
「どうして、あんな事件を起こした僕に、声をかけてくださるんですか?」

医療ミス。
医師としての致命的なミスは、即ち人命に関わる。

それまで畏まっていた星野さんは、顔を上げてじっと僕をみた。
僕を取り巻いていた批判めいた視線ではなく、純粋に向けられた視線は余りに真っ直ぐで。
僕は目を逸らさないように耐えるのが精一杯だった。

「・・・先生。
私はこれまで沢山のお医者様にお会いしました。
素人の私には、お医者様としての腕は私にはわかりません。ですが」

星野さんは初めて笑顔を見せた。

「目の前の先生が、信頼できる人かどうかは、わかるんです」
「・・・え?」

言われたことが理解できなかった。

「正直、私は・・・どんなお医者様でも、島に来てくださるなら、と受け入れていた時期もありました。
でも、それじゃあ、駄目なんです」

苦痛に耐えるような表情は、それまでの苦労が忍ばれた。

「島のみんなが安心して、健康で暮らせるように、ちゃんとしたお医者様が必要なんです!
救える命を諦めないためにも・・・!!」
「・・・でしたら、尚更僕では・・・」
「お願いします!一週間、考えてみていただけないでしょうか!!!」

がばっと星野さんは頭を下げてしまった。
僕は慌てて駆け寄った。

「そ、そんな・・・星野さん、顔を上げてください」
「考えて、いただけますか?」

顔を上げないままの星野さんは、何処までも本気だった。
僕は、ただ頷くことしかできなかった。

「・・・わかりました。考えさせてください」

   *   *

一人暮らしの部屋で、僕は星野さんが持ってきてくれた島のパンフレットを見返していた。
島民全員の命を背負う、たった一人の医師。
それがどれほどの重圧になるのか・・・想像もつかなかった。けれど。

『救える命を諦めないためにも・・・!!』

このまま島に医者がいなければ、消えてしまう命がある。
それを僕は、看過していいのだろうか。

医者として、人として。
僕は、知らない振りができるのか。

もしもやり直すことができるのなら、これが最後の機会になるかもしれない。

   *   *

一週間後。

もう一度星野さんに会うことになった。
僕は、簡潔に島へ行くことを告げた。
星野さんは、こちらが恐縮するくらい、喜んでいた。
でも。

「最後に、もう一度だけ、訊かせてください」
「はい」
「・・・本当に、僕でも、いいんですか?」
「・・・先生がいくら嫌だと撤回されても、私は無理矢理でもお連れします」
「え、いえ、そうではなくて、その、本当に・・・いいのですか?」
「島を、みんなをお願いします、先生」

深々とお辞儀をされてしまった。
もう、後には引けなかった。
そこまで、必要としてくれるのなら。
医者として、僕を、必要としてくれているのなら。

「・・・僕の方こそ、よろしくお願いします」

   *   *

「島には、先生みたいな医師が必要なんです!!!」

医師としての生命線が途絶えそうだった僕を救ってくれたのは、離島の助けを求める叫びだった。

僕には、何ができるのだろう。

分からないけれど、ただ目の前の患者さんに全力を尽くす。
僕が医者として出来ることを、全てやりとおす為に。

志木那島は、もう目の前だった。

fin.