完売

最悪だ。
今日この日のためにバイトしてお金を貯めて、当日の回る順序も全部計算済みで、新しいスケッチブックも買って、めいいっぱい目当てのサークルさん作品を確保するって決めていたのに。
JR人身事故。
はた迷惑な停止があって、他の交通手段、ローカル線も影響で満員電車、仕方なくタクシーとか使っていたら、お金が見事に飛んで行って確保していた金額の半額になってしまっていた。
それでも3時間の遅刻は免れず、しかもその間に・・・。

「完売だ」
「ええっ・・・!!?」

本命にしていたサークルさん。
そこの行列の最前列で、あたしは呆然と立ち尽くしていた。
因みにあたしだけではなく後ろにいた子たちも泣きそうな顔になっている。

サークル名・無名、HN・アンデルセン。

ここ数ヶ月前に初めて同人誌に登場したその人の作風は、童話とも見間違えるほどの優しく美麗な文章でけれども決して王道ではないストーリーと美しい世界に・・・あたしだけではなく多くのファンを魅了している。ぶっちゃけ、プロの作家よりもずっとファンがいるのではないか。
彼の作品数はまだ少ないながらも、サイトに販売の知らせがでれば即完売の重版待ちが当たり前。
だから、このコミケにすべてをかけていたのに。
ううっと嘆きながら顔を上げると、そこで漸く売り子と目が合った。

「・・・なんだ?」

じろり、と睨んでくるのは、こういったところで手伝うには年齢的に幼すぎないかと思ってしまうほどの少年・・・しかも外国人の美少年。
水色の髪は細く軽やかに揺れて、白磁のような滑らかな肌に大きくて澄んだ蒼い瞳。
まるで精巧に作られた人形のように整っていて。
あたしはつい状況も忘れて見とれてしまった。
ぽかんと言葉をなくしたあたしに、少年が畳みかける。

「在庫はない。とっとと別のところに行け」
「ううっ・・・」

見かけによらず低い声、その口から飛び出すのは結構辛辣な言葉たち。
でも、買うものが売り切れていたら仕方ないよね。
買えないなら!!!

「あ、あの!」
「・・・なんだ?まだ用か?」
「あ、アンデルセンさんってどんな方ですか!?」

思い切って目の前の少年に尋ねる。
そうアンデルセンさん自身のプロフィールはすべて謎だったのだ。
前回のコミケの売り手の人も本人ではなかったらしく、みんな彼がどんな人なのか知りたくてたまらなかったのだ。
この子が売り子をやっている以上、アンデルセンさんと知り合いなのは間違いない筈。
買えるものがないなら、せめて大好きな作家さんの情報くらいは・・・!!!

「・・・はあ?」

売り子の少年が心底呆れかえっていた。
だ、だって知りたいんだもの!どんな人なのか!!!
と力説したところ。

「くだらん。作品と作家は別物だ。そんなものを知ったところで作品が変わるとでも?そもそもその作家に知るだけの価値はない。どうぜ勝手に想像して勝手に幻滅するだけだ。時間の無駄だ、さっさと帰れ」

ぐっと手を握りしめる。
作品と作家は別物。そうかもしれない。
作品はその作家が書きたいものを表しているのであって作家本人とはほど遠いのかもしれない。
けれども、『その作家に知る価値はない』、というのはかちんときた。

「・・・あ、貴方に何が解るんですか!!!」
「・・・は?」
「あ、アンデルセンさんはすごい作家さんです!!
文章が流れるように美しくて、読んでいたら止まらなくなって、感動して・・・!!!
あたしだって、初めてコミケに乗り込んだくらいです!!」

売り子の少年に訴えたところでどうなる、と解っていても止められなかった。
こんなにのめり込んで読んだのは初めてだったのだ。
だから新作を手に入れたいと思った。どうしても欲しかったのだ。
あたしの後ろにいる子たちも同意してくれていた。

「・・・全く愛読者というやつは・・・」

少年がそっぽを向いてぶつぶつ呟いている。
もう一押し!!と思ったところで、売り子側の奥から、背の高い男性がにこにこ笑いながらやってきた。

「お昼食べたよー!!交代するから君も行ってきたら?」

長い髪に何処か貴族を思わせる気品がある男性。
この人がアンデルセンさんなんだろうか?
そう期待を込めて、ただ会話を邪魔しないように見守る。
仲間だろうその人にも、少年はくってかかった。

「遅い!マリアがいたからってさっさと抜けるな。
ところで、シェイクスピアはどうした?」
「んー?なんか『我が輩はこの感動を筆に記さねばー!!』!とかいって走って行っちゃったよ?」
「全くどいつもこいつも・・・!」

少年が苛々と腕を組んだ。
こんなに愛らしい外見なのに勿体ないなと場違いなことを思った。
だって黙っていれば天使かと見間違うよ、この子。
少年の不機嫌な様子にも慣れっこなのか、男性は笑顔を崩さずにさらっと答えた。

「ごめんってば。でも君の本なんだから君が売りなよ、アンデルセン」

「「「えっ・・・。えええええええ!!!?」」」

爆弾発言というか、とてつもない衝撃にひっくり返りそうになった。

この、容赦ない毒舌の愛らしい少年が、作者様!??

凍り付いたあたしや後列のファンを放った会話は続く。

「売るも何も完売している、馬鹿者」
「だったらいいじゃない遅れても。
ってあれ?まだ彼女たち並んでるみたいだけどどうしたの?」
「読者様が作家を知りたいんだと。全く不毛なことこの上ないがな!!!」
「いいじゃない。芸術はパトロンがいないと成り立たないんだよ?
それに君、なんだかんだいって読者を大切にしているじゃない」

そうだった。
と、あたしはふと思い出した。
彼の作品を販売しているサイトには、コメント書く欄がある。
勿論マナーのない書き込みは速攻で消されていくものの、
純粋な書き込みには、何らかの答えが必ず返ってきていた。
それに惚れ込んだファンも多いとか。

「作品と俺は別物だ」
「でも読んでくれている人を直にみたいからって、前回もちゃんとくっついてきたじゃん」
「俺が読者を知る必要はあるが、読者が俺を知る必要はない」
「まあまあそういわずに。彼女たちだって、君の作品が欲しくてきてくれたのにもう売り切れちゃったんでしょ?
サインくらいしてあげたら?」

男性の提案に、あたしは別の衝撃にすっ飛びそうになった。
大ファンの作家様に会えただけでなく、サインももらえるかもしれない!!!
あたしも後方のファンたちも一斉に蒼い少年に頼み込む。

「はあ!??ちょ、ちょっと待て、俺は別に・・・!!!」

真っ赤になって困っている彼は、さきほどまでのこちらを突き放す人物ではなかった。
きっと照れていたのだ、すべて。

「いいじゃん、折角来てくれたんだから、
作品の代わりに記念くらいあげても」
「あの、お写真撮ってもいいですか!!?」

あたしのすぐ後ろに並んでいた女の子が興奮気味に携帯を取り出していた。
そうだ、作者ご本人に会えただけでなくこんな可愛らしい人だったなんて、写真撮ってネットで自慢しない手はない!!!

「あ、あたしもお願いします!!!」
「ま、待てお前たち暴走するな落ち着け俺は断固反対だ!!!」
「お昼はサンドイッチだから僕こっちに持ってくるねー。じゃあ頑張ってね、作者様?」
「くそっ!覚えていろアマデウス!!!」

終始楽しそうだったアマデウスと呼ばれた男性が去っていく。
あたしたちは期待を込めて少年、アンデルセンを見つめ続けて。
少年が重いため息を一つ。

「・・・仕方ない。サインはしてやる。だが写真は断る。
それも今並んでいるやつまでだ。俺は肉体労働が大嫌いだ」

ぼそりと答えた声が、非常に不本意ながらもファンに折れてくれた優しいひとだとわかってしまって。

「「「ありがとうございます!!!」」」

行列が歓喜にわいたことは言うまでもなかった。