島の医者

※多分、ドラマを見ていただいたほうがいいです。
2003年の、ドラマ第一話「そこに、人が生きている」を元にした、彩佳さん視点のお話です。
   

島の医者なんて大嫌いだった。

白衣を着て、ただ診療所に籠もってなんにもしてくれない。
ずっと飲んだくれていた人もいた。
いい加減な診断で、原さんの奥さんを死なせた人もいた。
台湾からの先生は、結局日本語を覚えたところで帰ってしまった。

みんなみんな、島の人たちを見捨てて帰ってしまう。

そんな、島の医者が大嫌いだった。

   *   *

何人も何人も医者が入れ替わって、また父が一年ぶりに島に医者を連れてきた。
私は看護士として、仕方なく父の車に同乗した。

今度の先生は随分若い。
30代と聞いていたけれど、ともすれば20代にも見える。
ぼーっとしてるし、なんか頼りない。
しかも原さんがいうには、船酔いでげろげろ吐いたらしい。
車の運転も出来ないし。
父は優秀な先生だっていってたけど、きっとまた病院に騙されたのだ。
経歴を偽って、いらない医者を押しつけられたんだろう。

そんな医者が診療所に初めて入ってきた。

「あの、緊急オペをすることになったらどうしたらいいんでしょうか?」

何を言っているんだろう。
初めての外科の先生だと聞いてはいたけれど、こんな設備もない診療所でオペなんて出来るわけがない。

   *   *

次の日に診療所にいくと、先生が採血台を作っていた。

「それが役に立つ日は、賭けてもいいけど絶対来ないと思いますけど」

無駄に張り切っている先生に釘を刺す。
どうせ最初だけだと知っているから。
どうせ裏切られるのだから。

   *   *

誰も来ない診療所。
診察室から出てきた先生に、現実をさっさと教えてあげた。

島の医療など、病名をはっきりさせて、本土の病院へいくべきかどうか判断するくらいが関の山なのだ。
それ以上を望むことは出来ないから。
誰もこんなところで診てもらいたくないのだから、と。

私にとっての、小さな親切だ。どうせ後で分かることだけど。
年若い先生は静かに問いかけてきた。

「星野さんはそのことをどう思っているんですか?」

しゃくだけど、思わず先生の顔を見てしまった。

「・・・今のままで、いいと思っているの?看護士としてこの島にいて、それでいいと?」

向かいの待合室に座っている先生の、のんびりした顔を見ていたら、何かがこみ上げていた。

「・・・思っているわけないじゃないですか・・・」

核心をつくようなことを言われて、黙っていられるわけがない。

「そんなこと思っているわけないじゃないですか!!!
初めて島にきた先生にそんなこと言われたくないです!!!
でも島には全然先生が居着いてくれないし。
父が苦労してつれてきても、一年も経たずに辞めてしまった先生もいます!」

今まできた先生が走馬燈のように頭をよぎる。
優しい先生も、怖い先生も、いろんな人がやってきては
帰ってしまう。

「どうしてですか先生!!
日本には溢れるほどお医者さんがいるのに、どうしてここには誰も来てくれないの!?」

思わず爆発した感情を思い切りぶつける。
八つ当たりだと分かっているけど、止められない。

「・・・どうせ先生もすぐいなくなっちゃうんでしょ。
島の人見捨てて出てっちゃうんでしょ。
だったらそんな・・・」

先生はそのことに何も言わず、和田さんが直した自転車を見に行った。

どうせ先生には他人事なのだ。
すぐに帰ってしまう先生に、この島の厳しい現実に
意見してほしくない。

   *   *

医者が間に合わず、看護しか出来なかった患者さんがまた、亡くなってしまった。
じいちゃんに貰った飴をただぼんやりと食べていたら自室に母親が入ってきた。

「彩佳!!剛洋君が大変らしいの!!!」

剛洋は、漁師の原さんの一人息子だ。
その剛洋が急病だという。
私は、母親が持ってきた先生からのメモにざっと目を通した。
これって。
・・・なにする気なのよ、あの先生。

茉莉子さんの車に乗って、診療所からメモにあるものをかき集めて港へ向かう。

   *   *

港には、原さんの船が停泊しており、原さんと先生が何か深刻そうに言い合っていた。
私をみるなり先生はすぐに駆け寄り、荷物をさっと持っていった。

「乗って!!!」

何だろう。昼間みた先生とは違う、必死な先生がいた。
和田さんが合流し、勝手に船に乗り込む。
島の医者を憎んでいる原さんの冷たい視線を受けながら、私たちの船上での戦いが始まった。

まずは先生が剛洋の触診をする。

「バイタル取ってください!」
「え?」
「早くバイタル取って下さい!!!」

せかされるまま、バイタルをとる。
すぐに次の指示が飛ぶ。
私が動いたのをみて、先生は原さんの説得にかかる。

「点滴だけでもさせてください」

その声を後ろで聞きながら、私は剛洋に針を刺そうとしていた。
でも深夜、大きく揺れる船での注射は困難だった。
そのとき。

「貸して!」

さっと戻ってきた先生が私から注射針を奪ってしまった。
驚いている間に、先生はあっさりと注射をしてしまった。

・・・この人、もしかして。

剛洋の容態が悪化する。
でも、本土に着くまでにまだ4時間以上かかってしまう。
看護士の私でも分かる。このままだと間に合わない!

「先生!!」

縋ったところでどうしようもないと分かっているけど、やっぱり最後は医者に頼ってしまう。
私は看護士で、あくまでも治療をするのは医者なのだから。

そして視線の先では普段とはうってかわって
真剣な顔で的確な指示をしていた先生がじっと考え込んでいた。
和田さんを呼び、指示を下す。
その、内容は。

「・・・まさか先生」

先生は黙っていた。

「そんな!リスクが大きすぎます!!」
「星野さん。僕は、死亡診断書を書くためにこの島にきた訳じゃありません」

穏やかに、だけどきっぱりと断言する先生に
私は初めて、何かを感じ取った。

   *   *

和田さんは先生の指示通り、船の鍵を奪った。
その鍵を先生がとり、海へと投げてしまった・・・ように見えた。

原さんは勿論激怒した。

「原さん、覚悟を決めてください、
今、ここで手術しなければ剛洋君は助かりません」

先生は説得しようとするけれど、それで収まる訳がなかった。

「お前、殺してやる!!!!お前ら!俺から、剛洋まで取り上げる気か!!!」
「僕は剛洋君を死なせません!僕を、信じてください!!!」
「信じられるか!!!!」

原さんが先生の胸ぐらを掴む。
どちらも剛洋を助けたいのだ。
父親として、島の医者を信じられない原さんは本土へつれていきたかったのに、それが出来なくなった。
医者として、手術をしたい先生はただただ
原さんに信じてもらいたいと叫ぶ。

・・・こんなに一生懸命な先生、初めてみた。

どんなに原さんが怒鳴っても、もう船は動かせない。

「原さん。剛洋君は必ず助けます。
亡くなった奥さんのようなことには決してしません。
僕を・・・僕を、信じてください」

そして、先生は宣言した。

「手術を始めます。・・・いいですね」
「・・・もし剛洋に何かあったら、てめえを切り刻んで鮫の餌にしてやる!!!」

ぎろりと先生を睨みつけた原さんには本気の殺意が籠もっていた。

   *   *

手術が始まった。
腹をメスが走る。
思わず目眩を起こして倒れてしまった和田さんの代わりに
原さんがライトを照らす。

水が流れるように手術は進む。
ここが船上だと忘れてしまいそうだ。
剛洋君の呼吸が荒くなる。
先生が穏やかに話しかけた。

「剛洋君、聞こえるか?
洞窟に行って、石を取ってきたんだって?
すっごいなー。僕には絶対無理だよ」

・・・どうしてそんなことを知っているのだろう。
私は不思議に思ったけれど、剛洋に笑顔がすこし戻る。
そんな様子に原さんは驚いたようだった。

剛洋君が痛みを訴える。
その間も先生の動きに淀みはない。
集中して、無事に患部を切り取った。

手術は成功したのだ。
この、一見頼りない先生の見事なオペによって。

先生が原さんに船の鍵を返す。

「投げたのは診療所の鍵です。こうでもしないと、
手術できそうになかったので。・・・すいません」

たった今船上での手術という無謀なことをやってのけた人物は、そういって申し訳なさそうに頭を下げた。
・・・何処までも腰の低い人のようだ。
そして、緊張が解けたのか、また船酔いで吐き出した。

・・・全く情けない先生だ。けれど。

   *   *

本土で救急車に乗せられ、剛洋君は病院に搬送された。
原さんも同乗していた。
残された私たちはただ救急車を見送る。

「先生」

どうしても、伝えたかった。
この、新しくきた島の先生に。

「私、先生は医師として正しかったと思います。
ありがとうございます。剛洋を助けてくれて」

この人がいなかったら、剛洋は助からなかった。

「でももうこんな無茶は二度といやですけど!」

態と突っ慳貪に言って、でも最後は笑顔になった。
・・・嬉しかった。
この人は、ちゃんとした医者だと分かったから。
和田さんも笑顔で先生を見ていた。

この島に漸く来てくれた、本当の医者。

   *   *

島に戻ると、先生は最低限の手術ができるように、と
様々な薬をリストに挙げた。
和田さんはそれを換算しようとして・・・途中で止め、そのまま父に提出した。

「これを、全部ですか・・・!?」

流石に父も驚いたようだった。
看護士の私から見ても、相当な額になっていることは間違いない。
どうしようかと迷っていた父は、ちらりと先生をみる。
この先生を連れてきたのは父である。
だから、父は、先生に強くいうことは出来ないのだ。

「分かりました。でも、一辺に全ては・・・」
「課長。ここが腕のみせどころじゃないんですか」

渋る父に釘を指す。

「彩佳!お前・・・!・・・、すまん」

怒鳴りつけようとした父はすぐに謝った。
どちらが正しいのかは、明らかだから。

「東京の大学病院から外科医連れて来ちゃったのは課長なんですから」

更に念を押して、ちらっと先生をみる。
申し訳なさそうにこちらをみている先生に味方をしたのは、単に父に反抗したかったわけじゃない。

この人は、医者として、頼りになるのだ。
だから、島のみんなの為に、備えが必要だと。

   *   *

島の医者なんて大嫌いだった。

けれど、今度の医者は診療所を飛び出して、船上でも手術をしてしまう先生だった。
お酒は全然飲めないらしい。
一見頼りなくて、車の運転も出来ないし、船もすぐ酔っちゃう人だけど。

何だろう。

ずっと諦めていた何かを、もう一度信じたくなった。
何かが、少しずつ変わっていく。

この、五島健助という医師によって。

fin.