待機

わしは、待っとった。
診療所の屋上で、ずっと、待っとった。
誰かは分からん。
分からんが、必ず来ると、信じとった。

   *   *

島に、大きな異変が起こっとった。
コトー先生が島を出ていったのだ。

課長は寝込み、そして吐血してしまった。
彩佳さんは、らしくないくらい動揺し、弱々しくなった。
重さんは殊更明るい声を出しとったが、いつもの笑いの冴えはなく、
漁師達は何処か沈んどった。
店を開けとる茉莉子さんも気落ちしたようで、客はおらん。
剛利さんも、剛洋も、何や深く考え込んどる顔をしとった。

医者がいない。
それくらいなら、半年前に戻っただけとも言えるはずやった。

やけど。

何故が、どうしようもなく、物悲しかった。
診療所の屋上にあるポールの先を辿っても、あの白い旗はない。

馬鹿なことをしたものだ、とわしは思った。
わしの知る限り、島の為に尽くしてくれとった初めての医者を追い出したのだ。

もう、暫く医者はこの島には来ないだろう。

医者を連れてくる筈の課長は、ちょっとやそっとではもう動こうとはせんと、容易に想像がつく。
もし、連れてきたとしても、みんながその医者とコトー先生を比較するのは目に見えとる。
そして、その度に痛感するんやろう。

どんだけ、コトー先生が、必要やったか。

   *   *

眩しいくらいに日の光を反射しとった海面が、ゆっくりとオレンジ色に染められていく。
わしは、それでも屋上に居続けた。

確かに、島の連中は、馬鹿なことをした。けど。
空は、徐々に暮れていく。
夕闇から紺色に変わり、星が瞬いていた。
ふと、顔を上げる。
音がする。
階段を上がってくる音。

やがてそれは足音となって、わしの後ろにやってきた。

「和田さん。ちょっといいか」

この島で一番医者を憎んどった筈の相手を認め、わしは笑った。

「・・・剛利さん。あんたやったか」

剛利さんは、単刀直入に切り出した。

「あいつの居場所を、教えてくれ」

わしは、一つ頷いた。

   *   *

わしらは診察室に移動した。
彩佳さんは病室の課長についているらしく、部屋には誰もおらんかった。
引き出しから数枚のメモを取りだして、渡す。

「これは」
「昭栄病院の電話番号と、こっからの行き方じゃ。半日以上かかる」

詳細な地図と時間、交通手段は、先生が出ていってすぐに調べあげた。
そして、悟った。

「・・・あんたは、行かないのか」
「駄目じゃ」
「は?」
「わしは、診療所の関係者。わしらが何と言っても、コトー先生を説得することはできん」

幾らわしらが先生を庇ったところで、あの人は動かん。
妙なところで頑固な先生やと、よお知っとる。
出ていけ、といったのは、島の連中。
だから、連れ戻せるのも、島の連中だけ。

剛利さんは、黙ってメモを見とった。
わしは診察室のベッドに腰掛けた。

「なあ、剛利さん。一つ、お願いがあるんじゃ」
「・・・なんだ」

真正面にある机。
今でも採血台は残されていた。

「・・・コトー先生は、病気のことはなんっでも分かるが、他のことはさっぱり分からない人じゃ」

特に、自分に向けられる好意にはさっぱりと疎い。

「きっと今も、島の連中は自分を恨んどると、あの人は思っとる」
「・・・」

この島を出ていけ、と言ったしげさんは、本当はやるせなかっただけだ。
コトー先生を信じてくて、でも信一君が後回しにされた津努さんの気持ちも放ってはおけなかった。
だから、今誰よりも後悔してるんじゃろう。
やけど、あの人はそれに気付いていない。

「だから、はっきりと言ってやって欲しいんじゃ。島の連中と、あんたの本心を」

じっと考え込んでいた島の漁師はしっかりと受け止めてくれた。

「・・・わかった」
「一人で、行くんか」
「いや、剛洋も連れていく。先に動いたのは、あいつだ」

成る程、とわしは納得した。
誰よりも先生に懐いとった剛洋が動かんわけはない。

「剛利さん。コトー先生を、頼む」
「ああ」

診療所を出ようとした剛利さんは、不意に振り返った。

「・・・あんたから、あいつに伝えることはないのか」

投げかけられた言葉に、わしはにやりと笑った。

「わしの分は、もう送っとる」
「は?」

わしは何もない空間で構え、シャッターを切った。

fin.