瞬きの日

瞬きの日。
それは人工太陽が消え、世界に闇が訪れた日。
調査のために飛んでいた飛行船が墜落し、
多くの命が失われたと言われている。

311日目。

今年もあと数日で、その日が訪れようとしていた。

   *   *

「はあ・・・」

カシオピイア・ランプの路地のとある家。
主であるゴーシュ・スエードは、独り自室に籠もり、がっくりと肩を落としていた。

妹は買い物に行き、友人はその相棒とともに配達に出かけている。
小さな机の前に座り込んだまま、もう一度ため息をつく。ため息は静かな部屋に殊更空しく響いた。

彼が、五年振りにこの家に戻ったのが数十日前。

彼を連れ帰った恩人と、妹は狂喜乱舞し
盛大なお祝いが開催され、懐かしい人々との再会を喜んだ。
解雇されていた仕事も、館長のお陰でどうにか復帰できた。

こころを無くす前の当たり前の日常が戻りつつあり、彼にとっては頗る順調と言えたが・・・どうにも戻らない物があった。

「・・・困りました・・・」
「何がですか」

急に声をかけられ、ゴーシュははっと振り返った。
いつの間にか背後に少女が立っていた。

「ロダ、いたのですか?」
「私は貴方の相棒です」

全く表情を変えることなく返った答えに、ゴーシュはそうでしたね、と頷いた。
記憶が正しければ、彼女は確かに自分の相棒だった。
・・・但し、その頃は犬だったが。
いつの間にか、頼れる相棒は少女になっていた。
彼女は『ある実験体だった』と説明するものの、詳しいことは分からない。
分からないが、ゴーシュには犬だった頃のロダと、少女のロダが同一人物だと確信している。

「それで、何を困っているのですか」

主を気遣ってくれたのか、彼女はずばり聞いてくる。
単調な口調に苦笑しながら、ゴーシュはため息の根本的な原因を呟いた。

「実は・・・僕、今リンがないんです・・・」

   *   *

心を無くす前は、BEEとして働いていたため人よりは稼いでいた筈だった。
しかし、心を無くしてからここに戻るまでは、完全に収入はなかった。
反政府組織にいたころは衣食住は勝手に保証されていたために全く気にもせず、こころがなかったものだからリンという概念もなかった。

だが。

家に戻ってすぐ、ゴーシュはラグとシルベットの出会いの話を聞いた。
その日は寒かったため、三人とも家の中心にある暖炉を囲って談笑していた。

「シルベットにはすぐ会えたのですね?」
「うん、あの日は吃驚したよ!シルベットが僕にノクターンを突きつけて、『今作っている人形と服を納めれば、先月のリンは返せます!!黙って月末まで待ちなさい、このボケナス!!』って・・・あ」

楽しげに喋っていたラグだったが、異変を察して口を噤んだ。
傍らから不穏な空気が立ちこめていた。

「ラ~~~~グ~~~~?」

シルベットの笑顔は、背筋が凍るほどの怒気を含んでいた。
ラグは余りの迫力にたじろいだ。

「え、あ!!ご、ごめん、シルベット・・・ってあれ?ゴーシュ?」
「・・・」

一方のゴーシュは改めて気付かされた衝撃の事実に色を失っていた。

「ゴーシュ?」
「お兄ちゃん?」
「・・・そうですよね。僕がいないということは収入も無かったはず・・・。すまない、シルベット・・・」
「お、お兄ちゃん」

残された妹がどれほど苦しい生活をしていたのか目の当たりし、暫くゴーシュは顔を上げることさえできなかった。

   *   *

そうして、やっと。
やっとBEEとして働けるようになったのだから、今度こそ妹のために稼ぎまくらなければ。
・・・しかし。

「・・・スエード。顔色が悪いぞ」
「博士。いえ、大丈夫です」
「・・・ほう。何なら中を解剖して調べて・・・」
「結構です」

長期の配達後に、ハチノスで博士に会ったのが運の尽きだったらしい。
博士からラグへ、ラグからシルベットへ。
いつの間にか強力で厄介な情報網が出来上がっていた。
ゴーシュの顔色が悪い→また無理をしている→こころをまた無くすのではないか?
・・・と心配されてしまったらしい。

その日、家に帰ったゴーシュを待っていたのは妹の尋問だった。

「お兄ちゃん!!また仕事しすぎなんでしょ!!」
「え?」
「もしまた休日返上して働こうとしたら・・・!!」
「したら・・・?」

先を聞くのは恐ろしかったが、聞かなければ困ることになるのは目に見えていた。

「一ヶ月!!!お兄ちゃんと口利かないから!!!」
「・・・っ!!!!」

妹と会話することを楽しみにしていた兄としては、堪えた。
更に・・・。

「お兄ちゃん、休日は外出禁止ね!!!」
「シ、シルベット、」
「禁止!!!!」

断言されてしまった。

休日が使えないとなると、BEEで稼ぐしかなくなる。
失踪していた間に妹が苦労して分を考えて、昔以上に家計にこっそり入れていたのだが、あっさりと妹にばれてしまった。

「お兄ちゃん!!!」
「シルベット」
「これは、お兄ちゃんの分だからね!!」
「シルベット、それは・・・」
「BEEの経費だっているのに、これでまた心をなくしたりなんかしたら許さないから!!!」
「う・・・」

そう言われてしまえば、反論は出来なかった。
諦めきれないゴーシュは、万が一を考えて、今度は別にシルベット用にお金を貯めていくことにした。
そんなことをしていたため、ゴーシュは自分用に使えるリンが殆ど残っていなかったのだ。

   *   *

「迂闊でした・・・」
「では私が働きます」
「いえ、ロダ。いいんです」
「何故ですか?私でもリンを稼ぐことはできます」
「ありがとうございます。ですが、これは僕自身が稼いだリンでなければ意味がないのですよ」
「何故ですか」
「・・・誕生日なんですよ」

小さく笑った。

「311日目は、シルベットとラグの誕生日なんです」

ゴーシュの妹である、シルベット・スエード。
ゴーシュの大切な友人である、ラグ・シーイング。
二人は偶然にも同じ日、瞬きの日に生まれていた。
彼らへの感謝も込めて、できうる限りの祝いをしてやりたいと思うのは当然だったのだが。

問題は、そのための先立つ物が全く、なかったのだ。

ゴーシュは深いため息をついた。

「・・・どうしたらいいんでしょうか」
「私に聞くなら、他の人にも聞いたらどうですか」
「あ・・・」

   *   *

翌朝。

「ちょっと!!ラグがいないのに何でうちで朝食を食べてるのよ!!!」
「俺、スープはパスね」
「シルベット、パンおかわり~」
「二人とも!!!人の話聞いてんの!?」

テーブルに早々と着いていたらしいラグのBEE仲間。
ザジは片手にサンドウィッチを確保し、コナーは両手にコッペパンとフォークで刺したハンバーグを豪快に食べていた。
お玉を持って憤慨しているのは、勿論シルベットである。
自室からダイニングへと入ってきたゴーシュは、相変わらずの光景に苦笑した。

「・・・賑やかですね」
「いつも通りです」

すっぱりと切り捨てる少女。
あ、と振り返る3人。

「お兄ちゃん!ロダも!!おはよう!!!」
「あ、ゴーシュさん、おはようございます」
「おはよーございまーす」

3人にゴーシュもにっこりと笑顔を返す。

「おはようございます」
「・・・」

一方の相棒は無表情に立っているだけ。

「ロダ、」

主人に促され、少女は渋々答えた。

「・・・おはようございます」
「挨拶は大切ですよ、ロダ」

では座りましょうか、とザジの向かいに座るゴーシュ。
ロダはその隣に大人しく座った。

「・・・なんか、ラグとニッチの関係みたいだよな」
「そうだねー。ラグもゴーシュさんも礼儀正しいからねえ」

ゴーシュとロダの前にもパンやサラダが並べられる。
最後にシルベットは嬉しそうに特製スープを置いた。

「はい!!おかわりしてね!!」
「ありがとう、シルベット」
「・・・」

美味しそうにスープを飲むゴーシュ。
思わずじっと見てしまう少年二人。
ロダは手も付けなかったが。
視線に気付いて顔を上げるゴーシュ。

「どうかしましたか?」
「えっ・・・!?な、なんでもないっす」
「シルベットはいいお嫁さんになりそうですねえ」
「そうですね」

妹を誉められて嬉しそうにゴーシュは微笑んだ。
そのままおかわりを頼んでいた。

「・・・毎朝見るけど、やっぱ信じられねー」
「ゴーシュさん、美味しそうだねえ」

   *   *

「では、行ってくるよ、シルベット」
「「行ってきまーす」」
「・・・」
「行ってらっしゃい」

玄関まで見送ってくれたシルベットに挨拶し、4人はコナーが運転する馬車に乗り込んだ。

「ラグは、まだ戻ってないんすね」
「ラグはまだ、配達中です」
「あーそっか。あいつ、随分辺境の地に行ってたんだっけ」
「でももう、大分経つよねえ」
「ええ、予定では明日戻ってくる筈ですよ」

ラグにとっては初めてのヨダカ最東端の町への配達。
だからゴーシュの知りうる限りの地形や鎧虫、町中の様子などを教え、ラグは張り切って出かけていった。

「ザジ。コナー。君達なら、ラグの誕生日に何を贈りますか?」
「は?誕生日?」
「はい。311日目なんですが」
「ちょ・・・待てよ、後5日かよ!?」
「あー、そういえば、シルベットと同じ日でしたよねえ」
「そうです」
「くわあー誕生日か!!うっかりしてたぜ・・・。あいつ何にもいわねーんだもんな」
「言わなかったのですか?」
「そ。あーでもラグも忘れてたんじゃねーか?」
「誕生日を、ですか?何故?」
「着いたよ~」

馬車はハチノスの前に到着し、身軽にザジはヴァシュカと共に飛び降りた。
続いてゴーシュ、ロダが降りる。

「僕、馬車を停めてくるから、先に行って下さい~」
「コナー、ありがとうございます」

ぺこりと頭を下げるゴーシュ。
微かに頭を下げるロダ。
ゴーシュはザジを振り返った。

「それで、何故ラグは忘れてたんでしょうか」
「決まってんじゃねーか!!」

びしいっとザジはゴーシュを指さした。

「あんたが戻ってきたことが嬉しすぎて、自分のことなんてすっかり忘れてたんじゃねーか?」
「僕・・・ですか?」
「そうそう。あんたを取り戻すためにあいつ、侵入捜査で女装までしたんだからな」
「・・・女装?」

そんな話がありましたっけ?と首を傾げてみたが全くの初耳だった。

「ああ。・・・ってしまった!!ラグに口止めされてたんだった!!」

今のは忘れてくれ!!と叫びながら気のいいラグの同僚は走り去ってしまった。

「・・・行ってしまいましたね、ロダ」
「聞きそびれました」
「仕方ありませんね」

   *   *

ハチノスのホールでは、偶然階段から下りてきた幼なじみがいた。

「アリア・リンク!」

アリアはBEEの同僚でもあったが、ゴーシュがこころをなくしている間に、彼女は副館長となっていた。
アリアは努力屋さんだからな、とゴーシュは納得した。

「ゴーシュ!」

BEEとはまた違う、副館長の制服を着た女性はたたっと駆けて・・・
最後の一歩で派手に転んだ。

「きゃー!!!」
「おっと」

ひっくり返りそうになるのを、ゴーシュが軽々とだき抱える。
いわゆる、お姫様だっこである。
居合わせたBEEたちは(主に女性だが)、どよっとざわめいたものの。
ゴーシュは気づかないまま真顔で尋ねた。

「大丈夫?」
「う、うん」
「やっぱり、アリアは相変わらずだな」
「ご、ごめん」

そっとゴーシュがアリアを下ろすと、周りからは黄色い声が上がっていた。
不思議そうに見回すゴーシュ。

「・・・?アリア、今日は何かあったのかい?」
「え、な、何にも、ないと、思うけど・・・」
「・・・相談が、あるんだ」

   *   *

人目が気になる、という理由で
ゴーシュたちはハチノスの一室に移動した。

「どうしたの?そんな怖い顔して」

ため息をつきながら、ゴーシュは幼馴染に打ち明ける。

「・・・もうすぐ、シルベットとラグの誕生日なんだ・・・」
「え・・あ、そうか。あの二人、瞬きの日に生まれたんだったわね」

うんうん、と頷くアリア。

「それで、どうしてそんな顔してるの?」
「・・・プレゼント、なんだけど。僕、今リンがないくて・・・
一体何をあげればいいのか・・・」

途方にくれてがっくりと肩を落とす。
そんなゴーシュにアリアはぽんっと肩を叩いた。

「プレゼントは、リンがかかるものとは限らないでしょ?」

彼女は魅力的な笑顔で、ぱちんとウィンクした。

「え?」
「ゴーシュにしかあげられないもの、いっぱいあるじゃない」
「例えば・・・」

   *   *

「シルベット。ラグ。おめでとう」
「ありがとう。お兄ちゃん!!」
「ありがとう、ゴーシュ!!!」
「大変申し訳ないのですが、その、僕は今手持ちが殆どないので、代わりに・・・」

ゴーシュはすっとラグの前に白い封筒を置く。
封筒に書かれた文字は、『ラグへ』
同じく、シルベットの前にも差し出す。
こちらには『シルベットへ』

同時に顔を見合わせる二人。

「これって・・・」
「手紙?」

きょとんとしていラグとシルベットに
ゴーシュは穏やかに頷いた。

「はい。シルベットには本当に苦労をかけてしまいましたし、ラグにはこころを取り戻してもらいました。
その感謝を形に示したかったので」

本当は、妹には動ける足を
小さな友人にはBEEとして役立つ物をあげたかったんですけど、と心の中で呟く。

「それに、ラグには手紙を貰いましたから」
「あっ・・・!!」

ラグが思わず声を上げる。
ゴーシュに宛てた、たった一言の、手紙弾。

『ゴーシュに会いたい』
「流石に照れますので・・・僕がいないところで読んで下さい」

困ったように笑うゴーシュ。
うるうると感動で瞳を潤わせる二人。

「ゴーシュ・・・!!!!」
「お兄ちゃん・・・!!!!」

二人はゴーシュにぎゅっと抱きついた。

「ゴーシュ・・・!!!ありがとう!!!」
「お兄ちゃん、大切にするね!!!」
「あの、そんなに喜んで貰うような代物ではないのですが・・・」

   *   *

ラグは自室に戻り、静かに椅子に座る。
大事に持っていた白い封筒を取り出す。
ゴーシュがラグに宛ててくれた、手紙。
ラグは丁寧に封筒を開けた。
中には、白い便箋が綺麗に畳まれていた。

ゆっくりと開ける。

『拝啓 ラグ・シーイング様

ラグ、誕生日おめでとう。

キャンベル・リートゥスへの旅から、もう5年になるのですね。
別れの時に君が言ってくれたように、君は立派なテガミバチになっていました。

そして、こころを無くしていた僕を戻してくれました。
本当に、ありがとう。

君には、純粋に相手を思いやる素晴らしい心があります。
テガミの重みを知る君は、テガミバチとして更なる成長ができると僕は確信しています。

これからも共に戦う同志として、
テガミを届けていきましょう。

敬具

ゴーシュ・スエード』

   *   *

ゴーシュは自室で明日の配達のルートを確認していた。
こんこん、とノックの音。
扉を開けると、勢いよく小さな体が抱きついてきた。

「ゴーシュ!!!!」
「ラグ。どうしましたか?」
「ありがとう・・・!!!」

fin.