逃走

※ゴーシュがハチノスで目覚め、迎えに来たロダと共にハチノスを出て行く・・・という流れです。
 

散歩にでも行くような気軽さで、僕は言った。

「行きましょうか、ロダ」

ラグには、ちょっと夜想道を見てきます、と言ってあったので、格好は着の身着のまま。
言葉通り夜想道を歩く。少女は無表情のまま僕の後を付いてきた。

「いいのですか」

僕は振り返る。黄昏色の町に、少女の長い影が頼りなさそうに揺れる。

「何がですか?」

少し躊躇ったような素振りを見せ、少女はもう一度問うた。

「・・・あそこに戻らなくてもいいのですか」

思わず苦笑が漏れた。
彼女が指す、『あそこ』が、リバースでないことは確実だった。
僕は少女を、正確にはその背後を見遣る。

丸い大きなステンドグラスを中央に掲げる、夜想道13番地のBEE-HIVE。
通称、ハチノス。
ゴーシュ・スエードが何度と無く通い詰め、アカツキへと旅だった場所でもある。
その眩しい過去に、目を細めた。

「・・・いいんです」

視線を少女に戻す。

「もう、いいんですよ」

意識的に笑みを浮かべる。
何も知らず、誇りを持って配達に全てを注いでいたあの頃の自分には戻れない。
それに。

「もう、僕がいなくても大丈夫ですよ」

ハチノスも、シルベットも。
ハチノスに戻ってきて初めて気付いた。
昔は何も出来ない妹を守れるのは自分だけだと、ずっと妹を第一優先で生きてきた。
そして、それが妹のためだと。
だが。

シルベットはもう、小さな少女ではなかった。
己の腕と、人形作り、そしてアリア、ゴベーニといった沢山の理解者に支えられ、生きていくことができていた。
もう、兄など必要ないだろう。

そして、思いがけず再会した小さな友人も。
皆の話では立派にテガミバチとして働いているという。そしてその一部を家賃としてシルベットに払ってくれているらしい。

シルベットは家と食事を提供し、ラグは家賃を支払う。そして、それ以上の絆が出来ている。
ゴーシュとしてこれ以上の頼れる関係はなかった。

だから、『あそこ』は、もう僕がいなくても大丈夫だと。

「それよりも、今は首都の方が問題ですからね」
「・・・」

年下の少女に笑いかけた。
彼女は無表情ながらも少し瞳が揺れている。
政府は、人工精霊を作ろうと、哀れな心を実験に用いているという。そして、彼女もその犠牲者だった。

「・・・リバースも、あの方法が正しいとは、今の僕には思えません」
「・・・」

目を閉じれば、己が目覚めさせたカバルネと、奴が心を喰う場面が思い出された。
ラグが叫んでいた。

『これの何処が世界を救うんだ!?』

その通りだった。
哀れな心を食い物にしたのは、自分たちだった。

「・・・僕はリバースにとって反逆者となるでしょう。
それでも・・・ついてきてくれますか?」

ロダは一度ゆっくりと瞬く。
自分の中の何かを確認するように。
じっと見つめてくる瞳に、もう迷いはなかった。

「私は貴方の相棒です」
「・・・ありがとう、ロダ」
「そこまでだ、ゴーシュ・スエード」

割り込んだ声に、ゆっくりと振り返る。
帽子に瞳の見えない黒いサングラスの男と同じく帽子に長身の大男。

「どちら様ですか?」

隙を見せないように両者を見返しながら静かに尋ねる。
隣でロダが短剣を構えていた。

「首都から来た、監査のガラードだ」
「・・・相棒のバレンタインじゃ」

首都、監査・・・。
ふうと、内心でため息をつく。

「・・・それで、僕に何か御用ですか?」
「『元・国家公務員ゴーシュ・スエードを首都へ回収する』のが仕事だ」

全く感情の読みとれない口調。
氷のように冷めた瞳が有無をいわさず実行に移すと雄弁に語っていた。

「・・・目的は何ですか?」
「反政府組織リバースに関する情報および一連の事件の究明だ」
「そうですか」

じりっと一歩詰め寄る。
手の中で心弾銃がガシャリと金属音を放つ。

「刃向かう気か?己の立場がわかってないようだな、スエード」
「・・・そうかもしれません」

今だって、自分がゴーシュなのかノワールなのか、それとも別のものなのかも分からない。
でも。
一瞬、相棒と視線を交わす。
己の持てる最高速度で駆け出す。
迎え打つような二人の脇を一気に駆け抜ける。
勿論、ロダも身軽に二人の間をすり抜けている。

「なにいっ!?」
「ヘイズル、追いかけろ!」

狼狽える二人を後目に、僕らは勝手知ったる夜想道の脇へ反れ、とある店に寄る。

「おお!!スエードじゃないか!!!久しぶりだな!!」
「お久しぶりです、ゴベーニさん。裏口、お借りしてよいですか?」
「また追われているのか、スエード」
「そうみたいですね」
「じゃあこれに乗っていけ、次に寄るときまで返さなくていいぞ」
「・・・これは」
「鉄の馬の改良版さ。今のあんたなら、きっと使える筈だ。俺は無理だがな」
「ありがとう、ございます」

ぺこりと深く一礼する。隣でロダも僅かに頭を下げていた。

鉄の馬に乗り込み、ロダを後ろに乗せる。

「気をつけろよ、スエード。俺もシルベットもシーイングも、あんたをずっと待ってるんだからな」
「・・・はい」

思い切りエンジンをかけると、嘗ての同僚が乗るものと同じ、どっどっどっという音が響いた。

「行ってこい!」

アクセルをいっぱいに回した鉄の馬は、追いついた二人を引き離し、やがて消えていった。

fin.