邂逅

島には、ちゃんとした医師が必要だった。
今まで本土から何人も何人も医師を呼んだが、誰もここに残ってはくれなかった。
俺は、島のみんなの命を預けられる人を、ずっと探していた。

「離島医師?うちにはそんな手が合いている医者はおらんよ」

数え切れないほどの病院に電話をし、直接訪問し、医者を探し続けた。
志木那島に行くなど酔狂だと思われているのは、よく知っていた。
それでも比較的大きな病院へ医者を捜し続けたのは、どんな病状でも診断の出来る医者が必要だったからだ。

前の医者が去ってしまってから、いつの間にか1年も経ってしまった。
それでも俺は、探し続けた。

   *   *

「お願いです!どうか、医者を紹介していただけないでしょうか!!!」

電話越しに聞こえる感情の読めない相手に、俺は見えないとわかっていて思わず頭を下げていた。

「・・・私の大学病院に、離島に行く暇がある医師などない。だが・・・」

え?と顔を上げた。
何か、続きそうだった。

「・・・一人だけ、うちを辞める医師がいる。奴をもし説得できるなら、連れていけばいい」
「ほ、本当ですか!!!!」
「ああ。医療ミスでうちを辞める医師でもよければ、だがな」

思わず絶句してしまった。
そうだ。
名誉ある大学病院を辞めるなら、何か訳があるに決まっている。
こちらの沈黙を予想していたかのように、教授からの声は続く。

「・・・正確に言えば、奴は何もミスはしていない。
緊急の患者が2人重なって、片方が時間切れだった。それだけだ」
「それだけって・・・」

人の命を、まるで統計上の数字のように扱う教授は冷酷にしか聞こえない。

「不満なら、他を探せばいい。・・・どうするかね?」

ぐっと詰まる。
医療ミスを起こした医者。
島に相応しいかは、わからない。だけど。

「・・・その、先生の腕は・・・」
「ん?ああ、奴は誰よりも優秀な医師だったよ」

気のない返事は、何処まで信用していいものかわからない。
この教授はもう、その医師を過去のものと扱っている。
それでも、医者は、必要だった。

「・・・わかりました。一度、その人と、お会いできませんか?」

   *   *

俺は、迷っていた。
島には医者が必要だった。
大学病院に勤めていた医師だ、あの教授の言葉が嘘だったとしても、それなりの腕はあるはずだった。
しかし、医療ミスとは・・・。

俺は、その医師のことを調べることにした。
週刊誌に大きく取り上げられていた記事には、医療関係者を優先しただの、あとで金を受け取っただの、女子高生を見殺しにしただの、散々な言われようだった。

本当なのか?

わからないが、一人の命が失われた事実は、変わらないようだった。

「ここでお待ち下さい」

若い看護士に案内され、狭い応接間に通された。
一組のソファとテーブルが置いてあるだけの、殺風景な部屋。
俺は片方に座り、待つことにした。

待ち時間は、案外短かった。

「失礼します」

コンコン、とノックの後に聞こえた声は、とても若い。
扉が開いて、スーツ姿の青年が入ってきた。
俺は慌てて立ち上がった。

「あ、どうもすいません。私、志木那島で離島医師を捜しています、星野と申します」
「御丁寧にありがとうございます。僕は、五島健助です」

ぺこりと頭を下げる青年は、一見するとこの大学病院に勤めていた医師とは思えなかった。

第一印象は、誠実そのもの、だった。

権威に満ちた大病院の威厳ある態度も、見下すような視線も、全く感じない。
こんな先生が大学病院にいたのかと、逆に驚いてしまった。

私は、志木那島の紹介と、医師がいない現実を出来うる限り詳細に説明した。
先生は真摯に耳を傾け、疑問点はその都度訊いて下さった。
優しげな表情、丁寧な口調。
説明しながら、俺は、疑問に思った。
本当に、こんな先生が医療ミスなど起こしたのだろうか?

俺の疑問を見抜いたかのように、先生は口を開いた。

「・・・あの、一つ訊いてもいいですか?」
「は、はい、何なりと」
「僕の、事件のことは・・・ご存じですよね」
「そ、それは・・・、はい」

言い澱んだのは、何故か悪いような気がしたのだ。

「どうして、あんな事件を起こした僕に、声をかけてくださるんですか?」

医療ミス。確かに、最初俺は迷っていた。
島に、相応しいのかどうか。
けれど、実際にお会いして、俺は確信を持った。
大きな病院の医者なら誰でもいいと思っていた昨日が嘘のようだ。
俺は、先生の顔をじっと凝視した。

「・・・先生。私はこれまで沢山のお医者様にお会いしました。
お医者様としての腕は私にはさっぱりわかりません。ですが」

事件を口にしたときの先生の表情は、人を数字としてカウントしていた教授とは違う。
命と真摯に向き合っていたからこその、痛みを滲ませた悲しい瞳。
この人なら。

「目の前の先生が、信頼できる人かどうかは、わかるんです」

この人に、是非、来てもらいたい。

「・・・え?」

思いがけない言葉だったのか、先生はきょとんとしていた。

「正直、私は・・・どんなお医者様でも、島に来てくださるなら、と受け入れていた時期もありました。
でも、それじゃあ、駄目なんです」

まともな医療設備もない離島で、島全員の健康を守ってくれる医者。
そのためには、命を尊ぶという、当たり前のことを当たり前のようにしてくれる人でなければならない。

「島のみんなが安心して暮らせるように、ちゃんとしたお医者様が必要なんです!
救える命を諦めないためにも・・・!!」
「でしたら、尚更僕では・・・」

何処までも謙虚な先生に、俺は叫んだ。

「お願いします!一週間、考えてみていただけないでしょうか!!!」

一生のお願い、に近いほどの気持ちを、俺は、頭を下げることでしか表現できなかった。

「そ、そんな・・・星野さん、顔を上げてください」
「考えて、いただけますか?」
「・・・わかりました。考えさせてください」

   *   *

あれから一週間。
俺はただ、祈っていた。

そして、もう一度先生に会えることになった。
先生がどうされるかは分からないけれど、俺は単純にまた会えることが嬉しかった。
大学病院の医師に対する偏見を払拭してくれた年若い医師に。

「あの、返事なんですが・・・」
「・・・はい」
「・・・お受けしようと、思います」
「・・・本当ですか!!!」
「はい」
「あ、ありがとうございます!!!ありがとうございます、先生!!!」

きっぱりと断言してくれた先生に、
俺は盆と正月がいっぺんに来たくらいに大喜びした。
医者が来る!!
本当の医者が、遂に島に来てくれる!!!!

思わず先生の手をとって思い切り握手をしていたが、先生は神妙な顔で、尋ねた。

「最後に、もう一度だけ、訊かせてください」
「はい」
「・・・本当に、僕でも、いいんですか?」

念を押してくる先生は、本当に腰が低い。
何かを怖れているようにも見えた。
でも、俺は決めていた。

「・・・先生がいくら嫌だと撤回されても、私は無理矢理でもお連れいたします」
「え、いえ、そうではなくて、その、本当に・・・いいのですか?」
「島を、みんなをお願いします、先生」

こんな先生だからこそ、島のみんなをきっと守ってくれる。

「・・・僕の方こそ、よろしくお願いします」

   *   *

島には、ちゃんとした医師が必要だった。
今まで本土から何人も何人も医師を呼んだが、誰もここに残ってはくれなかった。けれど。

本土だろうが、離島だろうが、人の命を重んじてくれるこの先生ならきっと。

俺は、胸を張って島に戻ることが出来た。

fin.