闇の中で

※前提
・「別れ」の設定と同じく、ゴーシュとシルベット、ラグがハチノスでお泊りしたその後です。
・「別れ」の別バージョンだと思っていただければ。

『黒針!!!』

一面に光が溢れ、人の何十倍もある巨体が内側から破裂するように砕けて崩れ落ちる。
見届けた途端、がくんと膝をついた。
心配てくれた精悍な白い犬が寄り添う。

『大した威力だな、ゴーシュ・スエード』

視線を前方に移すと、逆光の中で黒いシルエットが浮かび上がっていた。

『首都へ栄転だそうだね。おめでとう、ゴーシュ。流石中央ハチノスのエースだ』

シルクハットに、手には長い杖を持つ黒い人物は確かにそう言った。
何故自分の名前を知っているのか、と問い返すと
その男は何年も自分を探っていたこと、そして我々の仲間にならないかと勧誘した。
興味はない、と立ち去ろうとしたとき、男は言い放った。

『君の大切な妹、シルベットの足が動かない理由を知っているとしたら・・・?』

驚愕のまま黒い男を見返した。
男は自分の前で、恐るべき事実を告げた・・・

・・・筈だった。

ぎりっと歯を噛みしめる。
傍らの少女が身じろぐ気配にはっと目を開けた。
幸い、少女はまた寝入っていた。

ふう、と安堵の息をつく。

反対側の少年はぐっすり眠っていて、起きる気配はないことを確認し、青年はそっとベッドから立ち上がる。
気配を殺したまま部屋を抜け出し、廊下に出た。

窓から映る景色は、黄昏色に染まった店が並んだいつものハチノス付近のものだった。
変わらないもの。
だが、自分は、変わってしまったことを青年は知っていた。
ゴーシュ・スエードとして生きていた時間と、ノワールとして生きていた時間。
前者は18年と長く、後者はたった5年と短いが、それは関係なかった。
ゴーシュは確かに組織を否定し、ノワールは確かに支持していた。

どちらが正しいのかー
いや、どちらが自分なのか。

ゴーシュ・スエードが組織を否定した理由は明確だった。
彼は、BEEとしての誇りを失うつもりはなかった。
だから、反政府組織の活動など興味がなかった。

では、ノワールは?

青年は目を閉じて記憶を辿る。

『世界は一つになる!闇の中で・・・!!』

格差社会を象徴するあの人工太陽を沈める。
それが目的だったはずだ。
いや、大きな目的は政府の恐るべき実体を明らかにすることだった。

では政府の恐るべき実体とはなんだ?

自分の相棒は、複数の心を融合することで人工的に精霊琥珀を作り出す実験の犠牲になったと言っていた。
他にも非人道的な実験が、首都を支えるためだけに行われている。

そして、自分たち兄妹もその犠牲者、と言われた。

そこまでは確かに覚えている。
いや、これはまだ、ゴーシュの記憶・・・。
ゴーシュに告げられたはずの事実。

『ーーー』

黒い男・・・ロレンスの姿は脳裏に浮かぶ。
口元が、ある形を作っていることも分かる。なのに。

『ーーー』

何も、思い出せない。
それさえ思い出せれば、自分がこころを失った原因も分かるはずなのに。
そこから先、ノワールとなるまでの己の行動が一切思い出せない。何一つ。

ゴーシュ・スエードとノワールとつなぐであろう、決定的な『何か』。

記憶をいくら辿っても、辿り着くのは深淵の闇だけ。
ぷっつりと途絶えてしまっていた。

思い出せないならば、もう一度、彼に聞くしかないのではないか。
例えもう二度と、ゴーシュ・スエードに戻れなくなるとしても・・・

「・・・ゴーシュ?」

はっと扉を振り返ると、眠たげに目を擦っている少年がいた。

「・・・」

とっさに返事が出来なかった。
いや、返事をしてもよいのか分からなかった。

「・・・どうしたの?そんなに怖い顔して・・・」

虚を突かれ、青年は目を瞬く。
そしてぎこちなく笑った。

「・・・何でも、ありませんよ、ラグ」
「ほんとに・・・?」
「ええ」

さっきよりはましに笑顔を作ることができた、と青年は思う。
少年は、『ゴーシュ』を呼んだ。
ならば、『ゴーシュ』として答えることが正しいと分かった。この場では。

「さ、ベッドに戻って下さい。明日も早いのでしょう?」

『ゴーシュ』としての思考を辿ることはた易い。
嘗ての、自分だから。
ラグの背中に手を添え、そっと扉へと導くと
ラグは不安そうに振り返った。

「ゴーシュ?ゴーシュはまだ寝ないの?」
「僕はもう少ししたら寝ますよ」

にっこりと笑みを返す。
少年が安心するように。
ラグは渋々扉に向かおうとしたものの、急にがしっと青年の両腕を掴んだ。

「ゴーシュ!!!」

余りの勢いに、青年は思わず後ずさった。
勿論、少年が手を離すことはなかったが。

「な、なんですか、ラグ」

狼狽えているのは『ゴーシュ』なのか、それとも素の自分なのか。
『ノワール』ではないだろうと妙に冷静な部分が認識する。
『ノワール』には大切な物など、狼狽するほどの存在などなかったから。

「やっぱり変だよゴーシュ!何かあったんでしょ!?」
「ラグ、声を落として下さい。シルベットが起きてしまいます」

『ゴーシュ』ならそう言うのだろう、と見当をつける。
効果的だったのか、ラグの興奮が少し収まったようだった。

「ご、ごめん」

ラグは少し俯くものの、また顔を上げて真っ直ぐに視線を合わせた。

「ラグ・・・?」

少年の大きな目は、自分と同じ暗褐色。
なのに、その輝きは純粋そのもので。
目映い光に満ちた視線が、全てを見透かすようだった。

「行かないで」

目を見開く。

「行っちゃやだよ、ゴーシュ」

大きな瞳に涙が溜まり出すのをただ見ていた。

「ゴーシュはゴーシュだよ!」
「ラグ・・・」

どうしてわかったのだろう。
自分がここを離れようと思っていたことを。
自分が、ゴーシュであるのかを疑っていたことを。

呆然としているのが悪かったのか。
ラグはぎゅっと抱きついてきた。

「ちゃんと休もうよ、ゴーシュ。そしたら、みんなでお祝いしよう?」
「お祝い・・・?」
「シルベットがね、ゴーシュが帰ってきたら凄いお祝いするって張り切っていたんだよ」

己を『ゴーシュ』だと信じきっている少年。
思わず言葉が零れた。

「・・・僕が、『ゴーシュ・スエード』でなくても、ですか?」
「え?」

少年、ラグが再び顔を上げる。
戸惑いの色は、瞬時に消え失せた。

「それはないよ!だって、ゴーシュだよ!!」
「『ノワール』だったらどうするのですか?」

ラグは思い切り首を振った。

「違うよ!今は、ゴーシュだもん!!」
「ですが、」
「分かるよ、だってゴーシュ、今は優しい目をしてるから」
「え?」

思わず聞き返すと、確信に満ちた笑顔を向けられた。

「僕が知っている、優しい目はゴーシュのものだから」

だから、とラグは嬉しそうに笑う。

「お帰り、ゴーシュ」

fin.