メール

ノートパソコンをスリープから起動させ、シャルアはよっとデスクについた。
科学部門統括の部屋は、それなりに広くはあったが、シャルアがそこにいることは少なかった。
何せデスクで書類整理するよりも、研究所でデータを取るほうが余程多いからだ。
まあ、書類整理が苦手というのも確かにあり、
更には報告書をチェックするのも書き上げるのも面倒がる性格のため、
唯一の上司にはしょっちゅう注意されているが、直らないものは直らない。

シャルアが深夜まで統括室に残っていたのは、
そろそろ報告書の束をチェックしないと上司にまた厳重注意をくらいそうだったからである。
正直、全くもってやる気がしない。
やる気がしないため、未読のメールでも先に目を通しておくか、とメールを立ち上げる。

「・・・ん?」

捌いても捌いても毎日数百件単位で未読が現れるメールの、一件目に目を留める。
送信日は、数分前。
件名は『急ぎではありませんので、後で構いませんよ』。
そして送り主を見て納得する。
リーブ・トゥエスティ。
シャルアにとって厳重注意をしてくる唯一の上司であり、WRO最高責任者であり、
そして、何度アタックしてもなかなか落ちない相手でもある。
他に気になる件名もあったが、最重要人物の一人からのメールを一番に開いた。

短いメールの中身を読み終えて、シャルアは暫し考え・・・。

「・・・はあ?」

立ち上がった。

*   *

「いるか?」

WRO最上階の局長室を突撃し、インターフォンを鳴らして名乗りもせず簡潔に聞く。
程なく、困ったような咎めるような低い声が返ってきた。

『あの・・・。どうして貴女はまた夜中に来るんですか』
「あんたが夜中にメールを出すのが悪い」
『え?』

ばっさりと答えると、相手が驚いたらしい。
その隙にシャルアは上司相手に命令した。

「さっさと開けろ」
『・・・』

無言で扉が開かれた。

*   *

局長室は科学部門統括の部屋よりも倍は広い。
広いのだが、あるのは来客用の応接セットや本棚、執務机といった最低限のもので
余り余計なものは置かれておらず、飾り気のなさが部屋の主らしいなとシャルアはいつも思う。
まあ落ち着いた部屋の中で、異質なのは金色の動植物くらいか。
件の金魚草は成長したために今はデスクの上ではなく、デスクの側で能天気に揺れている。
白衣を翻しながら真正面のデスクに向かう。
部屋の主は執務机からきょとんと見返していた。

「あの、もしかして先ほどのメールの件ですか?」
「ああ」
「ですが、急ぎでもありませんし、貴女が直接来ていただく必要は・・・」
「説明しろ」
「え?」

シャルアに届いたメールはたった一文。

(三半規管を鍛える方法をご存じないですか?)

「意味が分からん」

腕を組み吐き捨てるように言い放てば、上司は首を傾げた。

「そのままの意味ですが」
「目的は」
「・・・え。必要ですか?」
「言え」

シャルアがその隻眼で迫る。
その迫力に上司は苦笑して話し始めた。

曰く、ケット・シーの移動速度を上げたいらしい。

上司であるリーブ・トゥエスティは、無機物に命を吹き込むことができる異能力者である。
そうして創られたのがケット・シーという猫型歩行ロボットで、
リーブとケット・シーは能力によってつながっているらしく、
ケット・シーの視覚、聴覚を共有できるというとんでもない機能を持つ。
それを生かしてケット・シーはよく敵陣に潜入したり、
危険な事故現場の状況確認に赴くこともあったのだが、
その任務の過酷さ故に壊れる・・・いや、ここは死ぬ、が正確か・・・こともあった。
それを回避するため、これまでとは比べ物にならないくらい・・・流石に音速とはいかないが、
少しでも速く動けるようにしたい。
そうすれば、少しは逃げ足を早くし、ケット・シーの安全確保に役に立つのではと。

「・・・で、何故三半規管を鍛えることになる?」
「それがですねえ・・・酔いそうだな、と思いまして」
「は?」
「ケットは機械ですから、彼の映像解析速度を上げれば問題ありませんが
情報を受け取る私が・・・その、何せ身体機能が一般人レベルですからね・・・」

存外真面目な顔で締めくくった上司を、シャルアはまじまじと凝視した。
そして、堪えきれずに吹き出した。

「・・・あの・・・?」

困惑する上司を放置して、シャルアはくくっと笑い続けた。

余りにもこの男らしすぎる、というべきか。

ケット・シーとリーブはリンクし、その経験をリアルタイムで共有することができる。
リーブの懸念点は、リンク中にケット・シーが高速移動した場合、
その視界の目まぐるしい変化にリーブが酔ってしまう、ということらしい。
別にそれはリーブが酔うことで気分が悪くなることを回避したいということではなく
恐らく、一刻も早く正確な情報を受け取り、WROに、必要であれば世界に公開したい
そのためには酔っている場合ではない、ということだろうが。

「・・・ったくあんたという奴は・・・」

ケット・シーの安全確保、そして情報入手のための酔い対策、とは
目の付け所は悪くない。
悪くはないのだが。

「・・・あんた、何処まで天然なんだ?」
「は?」

そもそもケット・シーはロボットであり、悪く言えば替えのきく存在である。
やばくなれば見捨てて情報だけ活用すればいいのだが。
それをケット・シーが無事に帰還できるように、かつ情報は素早く入手したいと
・・・いや、もしかすると、ケット・シーが決死になって逃亡する際、
リンクを切らずに最後まで戦いたいと思っているのかもしれない。
恐らく、それが真実に近いのだろう。

リーブがこほん、と咳払いをする。

どうやら笑いすぎたらしい。
リーブの機嫌は分かりにくいが、このくらいで怒るほど短気ではない。
ないが、とっとと本題に移りたいのだろう。

「その、・・・それで、ご存知ですか?」

真っ直ぐに向けられる黒い瞳が、実直そのものに見えた。
だからこそか、シャルアは快活に笑った。

「ああ、知っているさ。だが、一つ答えろ」
「はい?」
「何徹目だ?」

鋭く睨み付けると、明らかに相手が狼狽えた。

「え・・・?えっと・・・」
「即答できない時点でアウトだ。
そもそも寝不足で三半規管が鍛えられるわけがないだろう」

視線を泳がせた男の目の下には濃い隈がくっきりと居座っているし、充血も見受けられる。
体躯の恵まれた男ではないが、また痩せたようだった。
そもそも、夜中にシャルアが突撃しかねないメールを送りつける時点で
いつものこいつらしからぬポカをしている証拠だ。

・・・まあ、仕事にはポカしない奴だが、うっかり気を抜いたのか。

気を抜いてもらえる程度には、こいつの懐に入り込めたとすれば、喜ばしい方向だ。
なんにせよ、シャルアがこの状態のリーブを見逃すわけがない。

「・・・三半規管を鍛えたいなら、まず寝不足を解消しろ」
「え?で、ですが今でなくとも・・・」
「今、だ」

懐に忍ばせていた麻酔銃を素早く構える。
視線の先で、両手を挙げた男はまだ抗議していたが気にせずぶちかます。
至近距離で狙いを外すわけもなく、リーブは呆気なく気を失った。
デスクに倒れこむ体を片手で支えて椅子に凭れさせれば、
規則正しい寝息が聞こえてほっと安堵する。
次に手早く端末を操作する。
相手はこいつの専属護衛隊長の元ソルジャーだ。
彼はシャルアの所業を責めるどころか大いに感謝し、すぐに戻ります!!!と力強く返事をしてくれた。

端末を仕舞い、シャルアは眠っているリーブを覗き込む。

「・・・さて、夜中に来てやったんだ。このくらいの褒美はあってもいいだろう?」

にやっと笑い、口づけを一つ落とした。

fin.