リング

WRO本部の最上階にて。
リーブがいつものように書類に向かっていると、隊員が書類と共に駈け込んで来た。

「局長!聞きましたか!?」
「何をです?」

噂好きの隊員にのんびりと聞き返す。
いつだって彼の噂話は大げさなのだ。

「シャルア統括が、婚約されたんですよ!!!」

ぷつりと思考の糸が切れた。
序でに意識も飛んでいた気がする。
リーブは半角のkばかり連続で打たれた書類を取り敢えず消しつつ、もう一度聞いた。

「・・・誰が、何ですって?」
「シャルア統括が、婚約ですよ!!」

取り敢えず当たり障りのない返事をしてみた。

「・・・そんな報告は聞いておりませんが」
「だって、今日からですよ!!!」
「ええと、何がでしょう?」
「婚約指輪!!!」

隊員は力一杯報告してくれた。

「・・・婚約指輪?」
「そうです!!左の薬指に銀の指輪ですよー!!!」

成程、とリーブは痺れた思考で状況把握した。
シャルアが今日から薬指に銀の指輪を填めてきた。そのため、この隊員はシャルアが婚約したと報告したのだ。

「・・・シャルアさんは、何か言っていましたか?」
「何度聞いても、虫避けだとしか答えてくれないんですよ。
でもどう考えても、あれは!婚約指輪です!!!」
「・・・結婚指輪ではないのですか」
「ああ!その可能性もありますね!!でも一体相手は誰でしょうね!!!」
「・・・」

一頻り騒いだ隊員を見送った後、リーブは首を捻った。
シャルアが銀の指輪をしたのは間違いないらしい。
と、すると、やはり誰かと・・・結婚の予定がある、らしい。
もうしているかもしれないが。

「・・・早かったですね・・・」

自分と彼女の間には何もない。
だから、いつか彼女が他の誰かを愛することも十分あり得るだろうし、
その方が彼女の幸せになるのではと思ったことも事実。

さて、これは・・・元々諦めていたけれど、
本格的に部下という認識だけにしなければいけないということですね・・・。

   *   *

シャルアの指輪。
気にならない、わけではないが
仕事中のため、リーブは頭を切り替えて、その日の業務をこなしていた。
いつものように慌ただしく出張など終えて、局長室に帰ってきたのは深夜だったのだが。

「局長」

急に呼びかけられて、顔を上げた先の人物にリーブは思わず声を上げていた。

「うわ、ってシャルアさん・・・どうしていつも唐突に現れるんですか」
「名乗る前に開ける奴が悪い」
「私じゃありませんよ」
「あんたみたいなものだろう」

じろっとシャルアが足下に視線をやるとにやにやしているケット・シーがいた。

「・・・ケット」
「別に問題あらへんやろ」
「大いにありますが」
「で、だ」
「勝手に会話を切らないでください」

大きなため息を一つ。

「ほれ」

ぴん、と彼女が右手で何かを弾いた。
それは綺麗な弧を描いてリーブの手に収まる。
掌に乗ったものを確認して、リーブの思考は再び停止した。

「・・・え?」
「じゃあな」
「ま、待ってください!!」

あっさりと出ていこうとした彼女を慌てて呼び止める。

「・・・なんだ?」

何故呼び止められたのか分からん、といった顔をして振り返ったシャルアに
リーブは内心ため息をついた。

「いや、なんだ、じゃないでしょう」
「あたしの用事は終わった」

低く、唸るような声でリーブは何とか問いかける。

「説明してください・・・」
「ん?」
「これは、貴女が指に填めていたものではないのですか?」

リーブの手の中にある、銀の輪。
今朝部下が散々騒いでいた、シャルアの指輪に違いない。
それを何故、リーブに渡すのか、全く理解できなかった。
シャルアは端的に答えた。

「違う」
「何がですか」

シャルアは白衣のポケットに突っ込んでいた義手をあげてみせた。
その薬指には、銀に光る輪があった。

「・・・え?」

リーブは目を見開く。
固まったリーブに、シャルアはさらりと付け加えた。

「あたしのは、これだ。それは、あんたの分だ」
「え・・・ええ!?」
「じゃあな」

またもやあっさりと退出しようとする彼女に叫ぶ。

「シャルアさん!!」
「なんだ」

振り返るのは、変わらぬ真っ直ぐな視線。
リーブは耐えかねたように反らす。

「・・・これは、受け取れません」
「誰が受け取れと言った」
「・・・は?」
「あたしはそれをあんたにやりたかっただけだ。
あんたがそれを捨てようが売ろうが好きにすればいい」
「はあ!?」

ぽかん、と口を開けてしまった。
先程からシャルアの発言はリーブの想定外ばかりでさっぱり理解が追いつかない。
シャルアは淡々と続ける。

「あたしは虫避けに買っただけだ。そっちは好きにしてくれ」
「す、好きにって・・・」

リーブは内心頭を抱えていた。

曲がりなりにもこれは指輪であって、そんな軽々しく好きにできるものではないと思うのですが。
いや虫除けってありなんですか。
しかもどうして指輪を2つも買ってるんですか。
突っ込みどころが多すぎて、何一つまともに尋ねることができない。

ぐるぐる考えているリーブをみて、シャルアはふっと笑った。

「・・・あたしはあんたに決めたんだ。それ以外はどうでもいい。
例え、あんたが別の奴と結ばれても、だ」
「・・・」

とんでもない台詞に咄嗟に言葉が出ない。
何度か言いかけては、口を閉ざす、を繰り返す。

「あの、」
「ん?」
「その、ですね」
「はっきり言え」
「・・・普通、その、指輪というものは
男性が女性に贈るものではないのですか・・・」

手の中にある小さな銀の輪。
普通ならば男性が意中の女性にプロポーズするときに
使用されるアイテムではないのか。

彼女の答えは簡潔だった。

「あんたは特別なことができないんだろう?なら、あたしがやればいい」
「・・・」
「その指輪は好きにしてくれ。あたしはこっちがあれば十分だ」

   *   *

言うだけ言っていつものようにあっさり帰っていったシャルアをぽかんと見送り、
リーブはのろのろと手の中の輪をもう一度見遣る。

「・・・」

夢、ではなさそうだった。

未だに思考停止しているリーブの隣からマイペースな猫が宣った。

「流石シャルアはんやなあ。ボクらの予想の遙か斜め上をいっとる」
「・・・ケット・・・。のんびり感心している場合じゃないでしょう」
「なんでや?」
「・・・この指輪・・・。どうしたらいいんでしょう」

リーブは途方に暮れていた。
しかし相棒は事も無げに答えた。

「填めればいいやん」
「ば!馬鹿なこと言わないでください!」
「そやけど指輪やろ?填める以外にどないせいゆうねん」
「・・・」

ご尤も、な意見にリーブは口を噤む。

「ええやん、試しに一度くらい」

リーブは暫く固まっていたが、他に思いつかず恐る恐る、左の薬指に填めてみる。
あっさりとはまった輪をみて、苦笑する。

「・・・どうしてぴったりなんでしょうね」

ひとつ首を振って外す。

「なんで外すんや」
「・・・私が填めていい代物ではありませんよ」

ことん、とデスクに置く。
鈍く光を反射する輪がやけに輝いて見えた。
相棒は呆れたように主を見上げる。

「じゃあどないするん?捨てるんか?」
「そ、それは・・・」

リーブはうっとつまった。
猫は畳み掛ける。

「売るんか?」
「それもちょっと・・・」

心底困った顔の本体に
分身ははあ、と大袈裟にため息をついてみせた。

「じゃあどないするんや」

リーブは暫し沈黙し、青ざめた。

「・・・ど、どうしましょう」
「話戻っとるやんか」

こりゃあかんわ、と呟く猫の前で
リーブはオロオロと狼狽えていた。

fin.