不在

ーおやすみなさい、ケット・シー。

それが、眠る前に見た、最後の笑顔。

   *   *

「・・・ん?」

ぱちっと起動する。
そこは、スリープモード前にいたWRO局長室の奥ではなかった。
ざらざらの地面。コンクリートは風化して、ところどころ砂埃が激しく舞っていて。

「なんで外におるんや・・・?」

ボクは座った状態から立ち上がる。
ちょっとふらつくのが気になった。

「・・・メンテナンスしてもろてたのに、どないしたんや?」

そして、きょろきょろと周囲を見渡す。
巨大な柱にぐるぐると巻き付く蔓。
地面には雑草がこれでもかと蔓延っている。

「・・・ボク、どっかから落ちたんやろか」

メンテナンスしていたのは、WRO本部でも最上階の局長室。
そこから一気に地面に落ちるなんて、瞬間移動でもしない限りあり得ない。
取り敢えず、わけの分からない状況は、訊くに限る。

ボクの、たった一人の主に。

『・・・リーブはん』

声を届けて、返答を待つ。けれど。

『・・・リーブはん?聞こえてないんか?』

ボクはもう一度呼びかけたけれど、何も聞こえない。
不思議に思ったけれど、返事がないことは珍しいことでもない。
例えばリーブが寝ている場合。
ボクの声も聞こえない。ただ。

ボクはコンクリートの間から空を見上げる。
青い、青い、澄んだ空。風も柔らかく、穏やかな陽気。
時刻はわからないが、朝から昼の間だろう。
何度か試してみたが、ネットワークは繋がらない。

・・・こんな時間帯に返答が返ってこうへんなら。
まーた何かやらかして、シャルアはんあたりに眠らされてるんやろか。

やれやれ、とボクは首を振るった。
仕方ない、自力で周囲を探索するしかない。

ボクはてこてことコンクリートと緑の建物をうろつく。
偶に鉄骨らしきものが埋まっていたり、ガラスの破片が転がっていたりもしたけれど。
概ね植物に覆われているから、随分長い間放置されたのだろう。

ボクは周囲を解析しながら首を傾げた。
このコンクリートの構造は、とある場所に非常に酷似している。

・・・嘗ての都市、ミッドガルに。

ボクは首を捻る。
もし、ここがミッドガルなら。

・・・いつの間に緑が戻ったんやろか?

ミッドガルは、コンクリートで覆われた都市。
植物など特別な場所でなければ存在しない。
そして、メテオ戦役後崩壊の可能性があるという理由で
立ち入り禁止地区に指定されている。
常に監視しているわけではないが、シェルクからそんな報告は聞いていない。

でも。
もしも、あの神聖な泉が絡んどるなら、どうやろ?

ミッドガルで唯一花の咲き乱れる特別な場所で、星痕さえ治してしまったあの泉。
かの場所が原因なら、一気に植物が広がっても不思議ではない。

WRO本部に帰る前に、ボクはその場所に寄ってみることにした。

   *   *

きいっと朽ちた扉が音を立てる。
天井が空いたままの教会にも、泉を中心に緑の絨毯が広がっていて、
色とりどりの花が光を浴びて輝いていた。

ひょこ、と顔を覗かせると、教会の奥に人がいた。
長い黒髪に赤いマントを纏った男は、壁に凭れて座っていて。
その隣に寄り添うように伏せているのは赤い獣。
間違いなく、かけがえのない仲間だった。
何故ここに彼らがいるかは二の次。

「ナナキはん、ヴィンセントはん!!!」

ボクは気軽に声をかけて、彼らに駆け寄った。
けれど、こちらを向いた彼らの顔が・・・凍り付いた。
まるで、幽霊でも見たかのような、驚愕の表情で。

「な、なんやその顔。どないしたんや」
「・・・ケット・シー・・・だよ、ね?」

ナナキが恐る恐る訊いてくる。

「当たり前やんか。ボク以外にこーんなかっこええ猫はおらんで?」

いつも通りふざけて返したけれど、彼らの表情は晴れない。
その事実が、良くない何かを示しているようで。

「生きてたの!?」
「・・・は?」
「・・・まさか、な・・・」

ナナキだけでなく、ヴィンセントまで僅かに目を見開いている。
余程驚くべきことらしい。

「どういう、こと、や・・・?」

流石のボクにも緊張が走る。
例えば、つい先ほど前のボクがやられていたとか。

・・・それでも、なんやおかしいで?

ケット・シーはリーブの異能力で動く分身。
つまり、前のケット・シーが例え死んだとしても、
ボディさえあればすぐ次のケット・シーが現れても何の不思議ではない。
そんなこと、黒マテリア入手の時にこの二人も知っている筈なのに。

その疑問に答えてくれたのは、ナナキだった。

「ケット・シー、ずっと行方不明だったんだよ。
リーブが死んじゃってから・・・」

言われた言葉が、一瞬処理できなかった。
ゆっくりと再生して。

「・・・なん・・・や・・・って?・・・リーブはん、が・・・」

その先を言いたくなくて、ボクは口を噤んだ。
ボクは音声の解析エラーかもしれないと、もう一度再生してみたけれど。
ナナキの台詞は変わらなかった。

・・・死んだ・・・?

ボクは突っ立ったまま、メモリをひっくり返す。
死ぬっていうことは、つまり、命を失うということ。
ケット・シーとしての死なら、幾度となく繰り返し、その全てのデータを継承してきた。

敵に見つかってバラバラにされたり。
古代神殿に押し潰されたり。
出口のない闇に飲み込まれたり。

確かに死は恐ろしいもので、できればもう二度と経験したくないもの。
けれど、次のケット・シーとなったとき、傍にはいつもリーブがいたものだから。
自分の前に沢山のケット・シーがいたけれど、彼らの最期の願いはいつも同じで。

・・・データを引き継いで、次のケット・シーが少しでもリーブの力になるように。

怖いけれど、死にたくないけれど、だけど、たった一つの希望となった。

だから、リーブがいなくなるなんてことは大前提が覆されることで、
ケット・シーにとっての存在理由がなくなるということ。

動けないケット・シーへと、元タークスが端的に事実を述べた。

「・・・あれから既に100年は経っている」
「は・・・?」
「・・・その間、仲間たちも死んだ」
「え・・・ちょちょっと、・・・冗談、や、ろ・・・?」

当たり前のようにあった全てが崩れていくようで。
ボクは狼狽えて二人を見比べることしかできなかった。

ナナキは、いつも艶やかだった毛並みが衰えて見えた。
彼はしゅん、と項垂れる。

「みんな、もう、いないんだよ・・・。
生き残ったのは、おいらと、ヴィンセント、そして・・・ケット・シーだけなんだ・・・」
「・・・そ・・・んな・・・」

ボクは後ろによろめいた。

「そ、そんなわけ、あらへんで・・・?
リーブはんが死んだなら、ボクが生きてるわけ、あらへん・・・」
「・・・その当たりは分からん。
だが、リーブはもうこの世にいない」

淡々とした低音が、赤い瞳が、冷酷に響いた。

「・・・嘘・・・や」
「嘘ではない。・・・墓を見たいか?」

畳みかけられる言葉が、
ボクの優秀な電子頭脳を打ち砕いていく。

「は・・・か・・・?」
「ヴィンセント!」
「ここで押し問答しても、ケット・シーは納得しない。
ならばさっさと現実を突きつけてやった方がいい」
「う・・・」
「行くぞ」

   *   *

連れて行かれたのは、ミディールに近い小高い丘。
白い花が一面に咲き乱れ、頂点に、岩が無造作に置かれ。
文字が刻まれていた。

ーWRO創設者、初代局長。
リーブ・トゥエスティ ここに眠る。

「・・そ、んな・・・」

ボクは墓標の前でがくっと膝をつく。
ナナキがそっと寄り添ってくれた。

「・・・リーブはね。最後まで職務を全うしたんだよ」
「・・・え・・・?」

「何度も命を狙われて、
途中でレギオンや沢山の護衛を喪って、
でも、次の局長に引き継ぐまで、ずっとずっと頑張ってたんだ。
そして、局長を引き継いだ後、故郷のミディールに隠居だって笑ってたんだけど・・・」

ヴィンセントがゆっくりと墓標に手を置いた。

「・・・強盗に襲われかけた少女を庇って、死んだ」
「・・・そん・・・な・・・」
「・・・リーブの遺言は、墓を作らないことだったんだ・・・」
「・・・」
「ううん、正確に言うと
『わざわざ墓にお金をかけることもないでしょう。
もし私が死ぬことがあっても、そのへんに棄て置いてください。絶対に、1ギルも使わないこと』
って・・・」
「・・・でも、ここは・・・」

ボクは優しいこの場所を見渡す。
一見無造作に咲いている花たちが、均一に植え付けられていることが分かったから。
そして、墓石も丁寧に掘られていたから。

「・・・うん。沢山の人が手を加えたんだ。
だけど、みんなボランティアだったんだ。
この花も、墓石も、無償で提供されて・・・」

きっと沢山の人がその死を悼んでくれたんだろう。
ボクはくしゃりとデフォルメの笑顔を崩した。

「・・・リーブはんらしいわ・・・」
「わかっただろう。リーブは、もういない」

感情の読めない、ただ事務的に事実を告げる声が死刑宣告のようで。
画素数の落ちたカメラアイは、ただ目の前の墓石の文字をモノクロで映し出すだけ。
何度解析しようとしても、彫られた名前は同じ。

・・・もう、リーブはんはいないんやと。

でも。
ボクは、やっぱり。

・・・受け入れられない。

「・・・嫌、や・・・」

いつの間にか、発声していた。

「ケット・シー・・・」

傍にいてくれるナナキが痛ましそうな目で見上げてくるけれど。
ボクは壊れた機械のように途切れながら言葉を続ける。

「ボクは、リーブはんの・・・分身、やで?
本体が、先にのうなってしまう、なんて・・・あり得、へん・・・」
「だが、もう」

冷酷なほど冷たく赤い瞳が遮るのを
上回る声量で打ち消すように、ボクは叫んだ。

「あり得へんのや!!!」
「・・・ケット・シー」
「ボク、は・・・」

何度も何度も呼びかける。
ボクだけのリンクを辿って。

『リーブ?嘘やろ?』

よろよろと墓石に近づく。

『これも、なんかの作戦とかちゃうんか?』

墓石の表面を両手で押してみる。
存外大きな石なのか、全く動かなくて。

『なあ、聞こえてるんやろ?』

両腕にかける握力を段階的にあげて、墓石を揺らせないか試す。

『答えてえな・・・』

墓石は、びくとも動かない。

『・・・頼むさかい、答えて・・・』

右手を握りしめて、墓石に殴り掛かった。

『「リーブ!!!!!」』

ぶつけた拳は、対象物を微動させることもできず、
硬質で冷たい表面に跳ね返されただけだった。
もはや動かせない事実だと・・・思い知らされるようで。

「リーブ・・・・」

ボクは拳を墓石に押し付けたまま、ずるずると座り込んだ。
項垂れるボクに、無感情な声が畳み掛けた。

「もう、いない」
「・・・もう、・・・いない・・・?」
「あいつは、先に逝ってしまった・・・」
「・・・でも、ボクは・・・」

ボクは。

「・・・リーブはんがおらんと、あかんのや・・・」
「ケット・シー・・・」
「・・・リーブ。
何で答えへんの?ボクのこと、忘れたわけちゃうやろ!??」

リンクからの返答がなくて、
ここに墓石があって、
信頼できる大切な仲間の中でも
冗談など口にしないヴィンセントから告げられたこと。

「ケット・シー・・・」
「・・・リーブ・・・。リーブっ!!!!!」

泣きたいのに泣けない。
そんな機能、ボクにはあらへんけど。
でも、泣きたかった。

会いたい。

たった一人の、ボクの大切な主に。

混乱するメモリを処理できず、何かが焼切れた。

「あ・・・あああああああああああああ!!!!!!」

   *   *

ー。

・・・ー!!!

「ケット・シー!!!」

はっと機動する。
明るい局長室奥のプレイベートスペース。
覗きこんでいるのは、会いたいのに会えないと、叫んだ名前。

「・・・リーブ・・・」
「どうしたんですか?スリープモードからなかなか戻らないから・・・」

リーブはボクの前にしゃがみ込んで、目線の高さを合わせていた。
心配そうな顔が、そこにある。
ボクはつい、手を伸ばして。
ぽふっとリーブの頬に触れた。

「・・・ケット?」

そのまま、ぽふぽふと叩く。
玩具の手だから、ダメージはないだろう。
墓石のような硬くすべてを拒絶するのものではなく、柔らかく押し返す人間の肌。
ちゃんと実体がここにあるから。
ボクは安心してへらっと笑った。

「・・・リーブはんや・・・」
「どう・・・したんですか?」

返してくれる言葉が嬉しかった。
にこおっと笑っていたら、リーブが妙に真剣な顔になった。

「ケット・シー・・・。
言えないようでしたら、『覗き』ましょうか・・・?」

『覗く』。
リーブしかできない、ボクのメモリを読みとる力。
リーブが本気になれば、ボクの経験は全てリーブが探ることができる。
スリープモードで見た、あの悪夢も。
でも。

ボクは首を振るった。

「・・・ええんや。リーブはんがおるんやったら、もう大丈夫や」

主は怪訝そうに首を捻っていたが、やがてふうと息を吐き出す。

「・・・分かりました。
ですが、もしその方がよければいつでも言ってくださいね・・・?」

じっとこちらを凝視する濃灰色の瞳。
いつもは食えないとか策士とか狸とか、散々揶揄されとる主やけど。

真っ直ぐに相手を思いやる慈愛の心。
・・・ほんま、かなうわけないやんか。

ボクは上機嫌で尻尾を振った。

「おおきに。そやったら、一つええやろか」
「なんですか?」
「・・・今日は、リーブはんにお供してええやろか」
「構いませんが・・・」

何故、と言いたげなリーブを遮って、とっておきの理由を答えた。

「久々にレギオンはんをからかおうと思て」

にやり、と人を食ったような笑顔を見せれば、納得したのか主も楽しそうに笑ってくれた。

「ええ、きっと彼も喜びますよ」
「そやな」
「・・・では、行きましょうか、ケット」
「はいな!」

fin.