奇妙すぎる、と俺は眉を一ミリあげた。
眼下にはウータイの町並みが広がっている。
その山道を登っていくのは、2人の男と、1人の女。
恐らく、目撃した者は
只管黙々と登っていく妙な雰囲気に目を見張ったことだろう。
・・・あのトップは一体何を考えている?
* *
数日前。
俺は親友であり、今は上司である男に呼び出された。
食堂で奴はカフェオレを頼んでいたらしい。
しかもアイスで。
寒くないのか、と内心突っ込みつつ、取り敢えず席に着く。
「・・・話とは何だ、レギオン隊長殿」
「げえ!ちょっと待てよ、『隊長殿』って、おい!!!」
焦りだした親友をひたと見据える。
「・・・肩書はあっていた筈だが?」
「いや、そーだけどよ。・・・どしたの?ミトラス」
「別に」
「あー・・・その、情報部門はどうだ」
「・・・」
「げ、地雷だったか・・・?」
俺は取り敢えずコーヒーを頼んだ。
やっちまった、という顔の親友に、俺は苦い顔で答えた。
「嵌められた」
「へ?えっと・・・情報部門の誰かに?」
「いや、トップに」
「・・・って。局長?」
「他に誰がいるんだ・・・」
「・・・あちゃあ。あいつ、仕掛けるの早すぎねえ・・・?」
「・・・お前は知っていたのか」
「知るわけないだろう!?俺なんていつも嵌められてるんだからな!!!」
「・・・そこは、断言するところじゃないだろう」
「うっ。そ、そうなんだけどなあ・・・」
肩を落とした親友は、どうも局長にいつも負けているらしい。
確かにこの親友はからかうには面白いが。
親友はわざとらしく咳払いをして、本題を切り出した。
曰く、ウータイで対象を護衛してほしい、とのこと。
俺はコーヒーを受け取り、一口流し込む。
「・・・護衛?局長の、ではないのか」
「そ。研究所から護衛貸してくれって要望があったって」
「・・・レンタル護衛か」
「あはは。その通り」
「対象は」
「ん?優秀な植物学者、だってよ。将来有望だってさ」
* *
「そこ、右から上って、3M上を探して採取してちょうだい。ああ、あんたは左から、その洞窟の天井から抜けた先を見て。花弁が4つのピンクの花よ。根が深いから無暗に傷つけないで。いいわね?」
「「・・・」」
ダチャオ像を横目にして目的地点に到着した途端、護衛対象の女性が矢継ぎ早に指示を飛ばす。
その手には植物図鑑があった。写真には砂礫に可憐に咲く淡いピンク色の花が載っていた。
指示された案内役の男はぽかんと彼女を見返すだけ。
仕方なく俺が口を挟んだ。
「・・・一つ、いいか」
「何よ。貴方、ピンクも分からないの?」
「いや、そうじゃない。・・・俺はあんたの護衛として来たんだが」
「護衛?そんなのいらないわ。時間がないから、さっさと行ってちょうだい」
さくっと返されて、大いに納得してしまった。
確かに彼女なら護衛などいらないだろう。
昔、この女性は全人類から恐れられていたのだから。
俺は改めて、護衛対象の女性を確認する。
赤い長髪、赤い瞳。
俺は、この女性をある戦乱時に調査したためによく知っている。
加えて足元がピンヒールなら確実だ。
嘗て、この世界の全ての人々を抹殺すると宣言し、圧倒的な強さで殺していったDGSの一人。
朱のロッソ。
だが、今の彼女は、ポケットの多い作業服にスパイクの登山靴。
日焼けを気にしているのか、白い鍔の広い帽子を被っている。
手には厚手の軍手をはめ、勇ましく図鑑とスコップを掴んでいる。
・・・何の冗談だ、と俺は頭を抱えた。
* *
「ふうん。まずます集まったようね」
指示通りに花を持ってきた俺たちに、彼女は気のないような言い方をしながらも
渡された花を一株一株丁寧に透明なアンプルに仕舞っていた。
嘗て数えきれないほどの命を刈っただろうその手が、繊細に植物に触れるのがどうにも奇妙に映る。
それとも、彼女はあのDGSとは別人なのだろうか、とつい思ってしまうくらいだ。
花を仕舞い終わった彼女は、くるっと俺たちに向き直った。
「じゃ、次はこの白い花ね」
「・・・まだ、あるのか」
「当然よ。ウータイは特殊な環境だから貴重種が多いのよ。ほら、さっさと行きなさいよ」
こうして俺と案内役は、チャダオ像付近の貴重らしい植物の採取をする羽目に陥った。
レンタル護衛か案内の仕事の筈が、ロッソは俺たちを部下か手伝い人のようにしか思ってないらしい。
これがウータイの民を殲滅するとかDGSらしい命令ならば、迷わずロッソとの戦闘を選んだだろうが、
彼女の命令はどう聞いても不穏さとは無縁な内容で、特に逆らう理由も見つからなかった。
・・・体力的には全く問題ないが、何となく精神的に疲れるのは、気のせいではないだろう。
* *
太陽が傾きだした頃、彼女は徐に昼食にするわよ、とさっさと敷物を広げ、座り込んだ。
花柄のビニールシートの上で彼女は鞄から何やら3つの塊を取り出し。
うち2つを、突っ立っていた俺と案内役にそれぞれ投げた。
「・・・これは」
「何よ。毒なんて入ってないわよ」
憮然とした物言いだが、彼女が特に俺たちを嵌める理由も思いつかず、
俺は塊、アルミホイルに包まれたものを開けた。
ハムサラダのサンドイッチらしい。
「食べていいのか」
「経費削減よ」
端的に返された。つまり、昼食代を浮かせてくれるらしい。
その経費は俺の場合はWROの経費で、案内役だとウータイの経費じゃないのか。
そういえば、と俺は思い出した。
彼女の所属する研究所は資金が潤沢なわけでないらしい。何せ、本拠地が山小屋らしいから。
呆然とサンドイッチを見つめるだけの俺と案内役に、彼女は苛立ったらしい。
「まだ疑ってるの?毒殺なんて面倒な殺し方、あたしの性に合わないわ。
やっぱり直接身体を切り裂いて血が噴き出すのを見ないと意味がないじゃない」
「「・・・」」
さらりと言われた内容は、どう聞いてもDGSのもの。
彼女があの朱のロッソで間違いないらしい。
確かに彼女なら毒殺など必要ない。
俺は二口でサンドイッチを平らげた。
・・・意外と、美味しかった。
「それで?あんたは、なんて言われてここに来たのよ?」
「は?」
「護衛とかいってたわね?あたしのことは何か聞いてきたの?」
「・・・いや、優秀な植物学者の護衛をしろ、とだけ言われた」
「・・・。そう」
ふ、っと彼女は微かに微笑んだ、気がした。
それに驚いていると、今度は案内役の男に彼女は尋ねた。
「それで。あんたはどうして案内役の振りをしてるのよ」
指摘された案内役の男は、ただじっとロッソを見返していた。
痩せ形で何の特徴もない男。
思い返せば、この男はずっと寡黙だった。
必要最低限の案内だけして、あとはロッソの指示に大人しく従っていたのだが。
指示された先が崖の上だろうが洞窟の天井だろうが、一言の抗議もしなかった。
それだけでも不自然だったのだが。
このウータイに元DGSがやってくるならば、
あの狸振りで有名なウータイの統領が黙って見ているわけがない。
それなりの者、いざとなればDGSを止められる者を寄越すに決まっている。
「・・・何故分かったのだ」
「認めるのね?」
潔く認めた男に、ロッソの赤い目が鋭く光る。
男はその眼光に怯むことなく淡々と答えた。
「・・・今更否定したところで仕方あるまい」
「ふん。それで?あんたは誰の差し金なの?
ゴドー・キサラギ?それとも・・・リーブ・トゥエスティかしら」
男がはっと微動する。
俺もうっかり動揺を表しそうになったのを堪えたが・・・。
ウータイの統領の名前が挙がるのは当然だろう。だが。
何故、ここでWRO局長の名前が出るのか?
そう言いたげな俺たちの心中を見透かしたように、ロッソが妖艶に笑う。
「あんたの姿を二度も見たのよ。・・・WRO本部付近の山中で、ね」
男はゆるく首を振るう。
「・・・リーブ・トゥエスティの指図など受けぬ」
「そう。じゃあ、あんたがWRO本部にいたのは、あの男の監視?
それとも・・・暗殺のため、かしら?」
ロッソが余裕な笑みで畳み掛ける。
男はただ黙ってロッソを見返し・・・
返事の代わりに、手にしていたサンドイッチを一気に平らげた。
俺は考え込む。
この男は、ウータイから送られた恐らく腕の立つ忍で、WRO局長の刺客。
山奥のWRO本部付近に潜んでいたのは、局長が不穏な動きをしないか監視のため。
ならば、局長の動きを探る中で、元DGSがウータイに侵入する情報を得たのか。
それともウータイの統領から命令でも下ったのか。
いずれにせよ、俺以上にDGSに対して好意的でないに違いない。
つまり。
今ここにいるメンバーは
嘗て世界を滅ぼそうとした元DGSと、WRO潜入者と、ウータイからの刺客ということになる。
俺は他人事のようにため息をついた。
・・・なんという不審極まりない構成だ。
「・・・じゃ、あんたたち。さっきまでの2倍速で働きなさい」
シートを片付けながら、ロッソはさも当然のように命じた。
俺と案内役は何を言われたのか分からず、突っ立っているだけだった。
「「・・・は?」」
阿呆のように固まっている俺たちに苛立ったのか、ロッソは荷物を担ぎながらきっと睨みつけてきた。
「何のためにあんたたちの正体をばらしたと思ってるのよ」
「・・・何のためって、」
「あんたたちがずっと、ちんたら採集してるのが気に食わないって言ってるのよ!
早く動けるんだから時間の無駄じゃない」
「「・・・」」
・・・そうきたか。
俺は音もなく呻いた。
確かに俺は、手を抜いていた。
それは別に正体を隠すとかではなく、単に彼女の本心が読めなかったことと、植物採集など馬鹿馬鹿しいと思っていたためであるが。
案内役も文句は言わなかったものの、俺と同じように適当に動いていたのだろう。
「・・・いいわね?何としても今日中に終わらせるのよ!!!」
* *
昼食の時間の筈が、ロッソに正体を見破られた俺たちは・・・といっても俺はもとよりただの護衛だが・・・
鬼のように働かされるようになった。
「ちょっと、ちゃんと道案内しなさいよ!!」
「チャダオ像は一部修復中だ・・・」
「知ってるわよ。それで、別のルートは?」
「・・・ないわけではないが・・・」
「あるのね?」
「・・・チャダオ像の掌から2M上の枝を伝い、あの崖を上れば」
「あらそう。じゃあお先に」
「あ・・・」
「あんたたちはその下をさっさと探す!」
「「・・・」」
ウータイの山を全征服するつもりなのだろうか、と危惧するくらいに
俺たちは目的の花々を探すため、山中を徹底的に攻略した。
ロッソに追い立てられつつ、ピンク、白、黄色、水色と様々な花が揃っていく。
花など興味ない俺には何の花だかさっぱりだが、それでも・・・達成感があるのは何故だろう。
流石に空が暗くなってきた頃、ロッソが叫んだ。
「全く!!!日没すぎちゃったじゃない!!!宿泊費、経費で落ちないんだから!!」
本気で憤慨している相手に、俺は思わず呟いていた。
「・・・それが、時間がない理由か・・・?」
「何よ、文句あるの?」
「・・・ない」
「そう、なら黙って。」
* *
「おや。お帰りなさい、ミトラス」
「・・・」
「どうしました?」
任務完了後、俺はWRO局長室に押し掛けた。
新人がトップの部屋を訪れるなど拒否されるかと思ったが、何故かすんなり通された。
にこにこ、と楽しげに、けれど内心は読み取れないトップを半目で見返す。
「・・・。全ての元凶は、局長、貴方ですか」
「全て、ですか?ふふ、そこまではまだ仕込めてないんですけど。
ロッソさんはお元気でしたか?」
「・・・。ええ、まあ護衛などいらないくらいでしたが」
俺はため息と共に思い出す。
本日解散間際の、元DGSの言葉を。
* *
「これで、調査は完了よ。まあ、あんたたちのお陰で一応終わったわ」
「・・・では、これで」
「・・・。お疲れ」
日が暮れた、を通り越してそろそろ深夜残業じゃないかという頃。
気力体力ともにごっそりと奪われたような顔の刺客に、俺は思わずぽんとその肩を叩いた。
刺客を疲弊させた張本人は、荷物を纏めてつられたようにため息をついた。
「疲れて当然よ。
・・・大体、あの男が援助序でに
『次はどんな花を見せていただけるんでしょうね?』
っていうのが悪いのよ!!そんなにぽこぽこ出せるもんじゃないわ!!!」
男二人は思わず振り返った。
「・・・それってまさか、WRO局長のことか」
「他に誰がいるのよ?」
あっさりと返されてしまう。
俺たちがロッソを見る目が、疑わしいものから同情へと変わった。
「・・・あんたも、局長に巻き込まれたのか・・・」
「そ、それはっ!!
あ、あたしは、自主的に花を取っただけよ!!
あんたらとは違うわ!!!」
「・・・お主もか・・・」
「ちょっと案内!!勝手に納得しないで!!!」
* *
俺を、ロッソを、そしておそらくはあの案内役も纏めて嵌めたみせた男は、軽やかに笑った。
「それで、如何でした?初任務は」
「・・・」
俺は、とんでもない今日を改めて回想する。
嘗て世界を滅ぼそうとしたDGSの指示で、
ウータイからの刺客とともに植物を観察し、採取する。
利害関係も、対立もない、とてつもなくバカバカしく、そして途方もなく奇跡的な時間。
・・・成程。
この男が目指しているものが、少し見えたようだ。
「・・・まあ、悪くはなかったです。が、人を巻き込むのも大概にしてください」
「おやおや。まあ検討しますよ。ああ、旅費精算と出張報告書の提出、お願いしますね」
「・・・了解です、局長」
fin.