半日の休暇

「飲め」

中央のデスクに、モニターを遮るように置かれたそれを、リーブは戸惑ったように指さした。

「あの、一体これは何ですか?」
「紅茶だ」

素っ気なく応じるのは、これを唐突に置いた人物。
口調が些か乱暴なのはいつものことで、彼女の機嫌が悪いわけでは決して、ない。
ない、のだが。
彼女の肩書きと相まって、この『紅茶』が普通の飲み物と思えなかった。

・・・はっきりいって、得体が知れない。

「はい。それは分かるのですが、先ほど、何か加えていませんでしたか?」
「加える?」
「ええ。白衣のポケットからアンプルを出していましたよね?」

彼女はちっと舌打ちをした。
・・・やっぱり入れていたんですか。
何となく力が抜ける。

「ああ。それがどうした」

彼女はあっさりと認めた。
・・・あの、開き直られても困るんですが。
言っても無駄だろう、と分かっているが、言わずにはいられない。

「・・・その上で、これを飲まなければなりませんか?」
「そういうことだ」

予想通りの返事。

「・・・」

リーブは仕方なく視線を『紅茶』に戻す。
カップの水面が、ゆらりと揺れていた。

   *   *

「・・・シャルア」
「ヴィンセントか。早かったな」
「・・・で。どうなってる?」
「見ての通りだ」
「・・・」

藍衣のままソファで眠っているリーブ。
その前にWRO隊員が二人、直立不動の体制で佇んでいた。
一応護衛らしい。

「最初は麻酔銃にしようと思ったのだが、局長も銃を使う。長期戦になる可能性が高いので諦めた」

WROの最高階にて、局長と科学部門責任者の銃撃戦。
(局長は防戦一方かもしれないが。)
・・・事情を知らなければ、組織の内部崩壊とも思われかねない。

「・・・少しは手段を選べ」

目的のためには手段は選ばない。
リーブは人使いが荒いが、目的は必ず果たす。
シャルアは乱暴でも最短の手段を選ぶ。
頑固で似たもの同士の二人に、ヴィンセントはため息をついた。

そもそも「至急局長の護衛が必要だ。局長室に来い」とだけ電話で伝えられたヴィンセントはたまったものではない。これが悪戯電話であれば無視するが、電話してきた相手はシャルアである。
無視できなかった。

「局長が半日休めない平和など必要ないからな」
「・・・そうだな」

じゃあ後は頼む、とシャルアはでていった。

   *   *

「・・・おや?」
「・・・起きたか」

ええ、と彼は半身を起こした。

「おはようございます。ヴィンセント。ところで・・・どうして私は寝ていたんでしょうか」
「覚えてないのか」

眉を寄せて考え込んだ局長は、やがて小さくため息をついた。

「・・・。思い出しました」
「身に覚えがあるなら、改善するんだな」
「何のことでしょう?」
「とぼけるのは勝手だが、紛らわしい電話で私を巻き込むな」

え?と驚いたような表情に、ヴィンセントは失言を悟る。
柔らかい笑顔を浮かべた相手の視線を外す。

「心配してくださったのですね。ありがとうございます」

にこにこ笑っている相手に、今更否定するのも面倒になった。

「・・・シャルアに、協力を頼むなら説明しろ、と伝えろ」
「分かりました」

さて、とリーブはソファから降りるとデスク前につき、PCを立ち上げる。

「・・・改善する気はないのか」

腕を組み、薄く目を開いた状態で、ヴィンセントは短く問う。

「随分休ませていただきましたから、大丈夫ですよ」
「・・・今日は、諦めるんだな」
「は?」

リーブが思わずヴィンセントを見返すのと、局長室のドアが前触れもなく開いたのが同時だった。

「よお、来てやったぜ!」
「お元気そうで何よりです、シド」
「おうよ!で、準備はOKなんだな?」
「何のことですか?」

言葉は先ほどと変わらないが、困惑したような表情に心当たりがないらしいと悟る。
シドがあん?と隣の口数の少ない戦友を振り返る。

「おい、ヴィンセント。まさか何も言ってねえのか?」
「どうせ行くのだろう。説明する手間が省ける」

シャルアには説明を求めたことを棚に上げ、ヴィンセントは無表情に答えた。

「まあそうだけどよ」
「・・・お二人とも、話が見えませんが」

置いてけぼりを食らった局長が割ってはいる。

「お。んじゃま、行くぜ!!!」
「どちらへ行かれるか知りませんが、私は行きませんよ」
「はあ?おめえが行かなかったら意味がねえじゃねえか」
「よく分かりませんが、私は仕事がありますし」
「俺だって仕事だ!」
「仕事ですか?・・・今日は飛空挺団への依頼はなかった筈ですが」
「ああ、おめえからの依頼じゃねえからな」
「・・・では、誰の」
「おめえを除くWRO隊員からの依頼だ。局長をセブンスヘブンに送迎しろってな」
「・・・え?」
「局長さんは今日休みらしいから、とっとと連れていけ、だってよ」
「・・・」

ぱちくり、と目を瞬いたリーブは、そのまま視線を隣のヴィンセントに移す。

「・・・そういうことだ」

   *   *
 
その、数日後。

「出張?」
「ええ。極めて優秀なエンジニアらしいので、話を聞いてきていただきたいのです」
「こっちに呼べばいいじゃないか」
「生憎、あちらでなければいけないそうです」
「・・・相手の名は?」
「・・・」
「言えないような相手なのか」
「そういうことです」
「・・・わかった」

客室の窓辺の椅子に、足を組んで座る。

夏らしい、何処までも高い青空。
ぽっかりと浮かんだ入道雲。
煌めく海面の光と、優しい波の音。
時折聞こえる歓声は、遊びに来た連中のものだろう。

シャルアはふん、と鼻を鳴らした。

「・・・似合わんな」

絵に描いたような海辺のリゾート地で、シャルアは人を待っていた。
護衛もついているのだが、シャルアが追い払ったため部屋の外で待機している。

一応出張だからとシャルアはいつもの格好に白衣を羽織ったままであり、
胸元にはWROの名札を付けていた。

腕時計に目を遣る。
約束の時間はとうに過ぎていたが、話を聞かなければ目的は果たせない。
かといって、このまま無為に時間を潰すのも性に合わない。

さて、帰るか。

勝手に結論づけて立ち上がったとき、遠慮がちなノックの音が響いた。

扉を自分で開けたのは、単なる気まぐれだった。
ずっと座っていたので、動きたくなっただけかもしれない。
扉の向こうには、意外な人物が立っていた。

「・・・シェルク?」
「お姉ちゃん?」

高級リゾート地で再会した姉妹は、そのまま黙って護衛のヴィンセントに視線を移した。

「・・・リーブから伝言だ。
たまには姉妹でじっくり話してこい、だそうだ」

極めて優秀なエンジニアの話を聞いてこい。

「・・・あいつめ」

してやられたな、とは思ったがさほど腹立たしくはなかった。

   *   *

ルーイ姉妹に強制的な休みを取らせた男は、相変わらず局長室にいた。
書類に目を通しながら、モニターの時間表示を確認する。

丁度ヴィンセントがシェルクをコルタ・デル・ソルに届けた頃。
姉妹共に統括を勤める彼らは、多忙すぎてゆっくり話す時間がない。
原因は間違いなく統括に指名した自分なのだから、たまには時間を作ってもいいだろうと思う。

先日、自分が強制的に休みを取らされたように。

それにしても、とリーブは考え込む。
もしもう一度シャルアに同じことをされて、うまく逃げられるかというと・・・自信がなかった。
なんせ、彼女は直球で現れ、目的を果たすまでは梃子でも動かないのだ。

彼女の様子を思い出し、モニター横に座っていたケット・シーに問いかける。

「・・・そういえば、あのときケットもいましたよね?」
「何のことでっしゃろ?」
「あの日、私が睡眠薬で寝ていたときですよ。何かありました?」

シャルアが訪れる一時間ほど前に、偵察を終えたケット・シーは部屋に待機していたのだ。
ただ、隣室でメンテナンスしていたために、シャルアが知らなかっただけで。

「な、なーんもあらへんって!
すーぐヴィンセントはんがきてくれはったくらいでっせ!」
「おや?ヴィンセントの前にシャルアと護衛の2名がいてくださったようですが」
「そ、そうや、先に護衛の二人が呼ばれたんや」
「・・・と、いうことはずっとシャルアはいたんですね?」
「・・・うっ」

何か後ろめたいことでもあるのか、ケット・シーはたじろぐ。

「と、いうことは」
「わわわ、リーブはん、それは思い出さんほうがっ・・・!!!」

リーブは軽く目を瞑った。
流れてくる映像は、自分が眠った後の、ケット・シーの記憶。

「・・・っ・・・!?」

思わず右手で口を押さえる。
動揺が足に来たらしく背後にふらつき、
左手で背後の椅子を探したが、うまく支えられず結局ひっくり返ってしまった。

「なっななななっ・・・!!!」

心なしか顔の赤いリーブを見下ろしてケット・シーが苦笑したようだった。

「だからゆったやないか。思い出さん方がええて」
「・・・ど、どうすればいいんでしょうか」
「シャルアはん、ちゃんと伝言してくれはったやろ?」
「・・・」

   *   *

広いデスクの上に腰掛け、シャルアは腕を組んだ。
行儀悪さを指摘するはずの上司をちらりと見遣ると、彼は椅子にもたれ掛かって目を閉じている。
耳を澄ませば穏やかな寝息が聞こえることだろう。

「・・・馬鹿め」

小さく呟く。
シャルアが一服盛った正体は、単なる睡眠薬ではなかった。
服用した人物の疲労の度合いに比例して強く作用するもの。
睡眠が足りているものは欠伸程度で済む薬だったのだ。

それが一口含むや否や昏倒するとは。

常人では倒れてもおかしくない程の疲労を、この男は気力だけで持たせていたことになる。
隊員達の心配も尤もなことだった。

さて、どうするか。

さっさと護衛を呼びつければいいものの、シャルアは少し勿体ないような気がしていた。
常に隙を見せない男が、無防備なのだ。
こんな機会は滅多にない。
何か優位に立てるような、あの胡散臭い笑顔を崩せるようなものはないか。

シャルアは徐にデスクを降りる。

間近でWROの局長の肩書きを背負う男の顔を覗き込む。
黒髪に面長の輪郭。
決して目立つ容姿ではない。
しかし、命に真摯に向き合うその姿勢は時に眩しく、人を惹きつけ、纏めあげるだけの内面の光を確かに持っている。

シャルアは試しに黒髪を引っ張ってみる。
・・・反応なし。
序でに食えない笑みを形作る頬を抓ってみた。
こちらも反応なし。

肘掛けに右手を置き、上半身を乗り出す。
触れる程度に唇を重ねてみる。

・・・反応なし。だが。

背後でがたん、と何かが倒れる音がした。
シャルアはゆっくりと振り返る。
小さな猫のロボットは尻餅を付いたらしい。

「・・・いたのか」
「・・・い、いてまへんから!!!
わ、わいは、なーんも見てまへん!!!」

ぴょこんと立ち上がり、後ずさりながら叫んだ。
いつも以上に手を振り回すオーバーリアクション。
どうみても慌てふためいている。

「・・・ほう」

シャルアがじろりと睨むと、ケット・シーはびくっと動きを止めた。
視線でケット・シーの動きを牽制しながら、シャルアは再び思考する。

他人に目撃されたのであれば、幾らでも口を塞ぐことが可能だ。しかし、ケット・シーは別だった。
ケット・シーが何も喋らなくても、本体が知りたいと探れば確実に伝わるのである。
それを止める術は、残念ながらシャルアにはない。
いや、何人足りとも不可能だ。

ならば、いっそのこと。

「・・・リーブに伝えておけ。もし今の行動の真意を知りたいなら、」
「し、知りたいなら・・・?」

シャルアは人を食ったような笑みを浮かべた。

「・・・独りでラボに来い。以上だ」

fin.