子守

WRO局長室。
今日も今日とて会議やら出張やらに追われていた局長は、全てのスケジュールを熟してデスクに戻ってきた。
俺はその斜め後ろ、いつもの定位置に立つ。

「これで今日は終わりですよね、局長」
「まあそうですね。お疲れ様です、レギオン」
「お疲れさまでーす。・・・ってあんた何カード取り出してるんですか」

スケジュールを映し出すモニターを見ていた局長は、徐に懐から掌サイズの箱を取り出した。
中身はこいつがいつも占いに使っているカードだ。
そして、局長は厳かに答えた。

「・・・明日の天気でも占おうかと思いまして」
「天気かよ!?明日って・・・ああ、アイシクルエリアでしたっけ。
確かにあそこ天候が荒れるとヘリ飛ばねえよなあ・・・」
「ええ。荒れそうであれば前もって会議時間をずらしたほうがいいですしね」

局長は慣れた手つきでカードを繰り出した。
俺はそれをひょいと覗き込む。

「あんたの占いって、えらく当たりますよね」

うんうん、と俺は一人頷く。
何せ前に俺が占ってもらった時は天候だけでなく頭上からの落石を見事当てて見せた。
他にもシャルア統括の危機を事前に察知し、ヴィンセントさんを送り込んだり。
更には誰が自分に用があるのか、といったことさえ、占えるらしい。

・・・最早『占い』、というよりも『予知』に近いかもしれない。

局長は僅かに苦笑してカードを3つの山に分けた。

「まあ・・・。ですが母に教わった頃はまともに当たらなかったんですよね・・・」
「お。じゃあ練習とかしてあたるようになったんですか?」
「・・・うーん・・・」
「何ですか、その謎の『うーん』は」
「・・・よく、分からないんですよ」
「は?」
「ある時期から急に当たるようになったんです。
でも、そのあたりの記憶が完全に途切れてるんですよね・・・」

さらりと流すには大問題の内容に、俺は全力で突込みを入れた。

「はあああ!?あんたそれ大事じゃないですか!!!」

対する局長はへらっと笑う。

「でもまあ、当たるようになったからいいんじゃないですか?」

相変わらず自身のことはザルな相手に、俺はいつもどおり脱力した。

「あーもう・・・。適当だな、あんた」
「・・・うーん。何だったんでしょうねえ・・・?」
「それ、いつの話です?」
「確か、私が神羅に入社して5年ほど経った頃なんですが・・・」

*   *

「あの、ご説明したいことがありまして・・・」
「今忙しいんだ、後にしてくれよ」
「ですが、完成予定日を考えますと、今のうちに修正を・・・!」

書類の束を抱え、リーブは白衣の男を必死に追いかけていた。
神羅カンパニー科学部門研究所は、リーブのいる都市開発部門と関わることは少ない。
しかし今回のように別拠点に研究所を新設するとなると話は別だった。
パソコンが並ぶ部屋を通り抜け、白衣の男は研究所の奥へと進んでいく。
その姿を慌てて追いかける。
薬品やアンプル、試験管と測定装置の合間を縫って、白衣の男を追う。

「待ってください!話を・・・!」
「しつこいな君は!ここは関係者以外立ち入り禁止だ!!!」
「ですが、装置を追加するとなると排気に問題が・・・!」
「そんなもの設備を強化すればいいだけだろう!」
「ですが、何の薬品を使われるかによっては設備の種類が変わりますし・・・!!」

言い争いながらもしつこく追いかければ、白衣の男はリーブを無視して端末を取り出した。
相手はどうやら上司らしい。

「は、はい。宝条博士。今連れて行きます」

通話を終えた男はリーブを見向きもせず、足早に奥の扉の電子鍵を開いた。
男を追ってリーブも部屋に入り、そして絶句した。
白い殺風景な小部屋に意志の強そうな女性と、その女性そっくりの女の子がいた。
女の子は女性のスカートに隠れていた。

・・・何故、こんなところに?

混乱するリーブを余所に、白衣の男は抑揚のない声で女性に命じた。

「来い。時間だ」
「・・・はい」
「お母さん!!!お母さん、連れて行っちゃ駄目!!!」
「エアリス、いい子だから、待ってて?すぐ終わるわ」
「やだ!!!」
「大人しくしろ!」

必死になって女性、母親にしがみつく女の子に苛立ったのか、
白衣の男が妖しげなアンプルを取り出した。
それを女の子へ刺そうとするのを見て、リーブは咄嗟に間に入った。

「何をしてるんや!こんな幼い子に・・・!」
「煩い!」
「っつ・・・!?・・・ぁ・・・」

代わりに注射を食らったらしい。
麻酔だったらしく、意識が途切れた。

*   *

「あ!気が付いた!」

幼い声が嬉しそうに響き、リーブはゆっくりと目を開く。
まだ霞のかかる視界に、小さな影が覗き込んでいた。

「お兄ちゃん大丈夫?」
「え・・・えっと・・・あれ?」

よくわからないが、自分は床に転がっていたらしい。
ぱちぱちと瞬き、覗き込む人物へ焦点を合わせる。

ピンクのワンピースを着て、茶色の髪は軽くウェーブがかかっている。
ぱっちりとした目が印象的な5歳くらいの可愛らしい女の子だった。

リーブはよいしょ、と起き上がって床に座り、女の子に向き直る。

「・・・ええと、大丈夫ですよ。ありがとう」

といってから、はたと見渡す。
正方形の白い部屋。広さは5平方mだろうか。
殺風景な部屋に白いベッドが一つ、テーブルのセットが一つ。
こんなところで寝ていた自分は何をやっていたのか、とふと考え込み、
そういえば研究員を追って、妙なアンプルを打たれたのだったと思い出す。
女の子が不思議そうに首を傾げた。

「お兄ちゃんはだあれ?」
「あ・・・リーブといいます。君は?」
「エアリス!」
「エアリスちゃん、ですね。どうして、ここにいるのですか?」
「私のおうちだもん」
「え・・・?ここが、家?君の?」
「うん」

もう一度部屋を見渡す。
白い壁は無地で、ベッドもテーブルも何もかも白い空間。
清潔といえば聞こえがいいが、どうみても居心地のいい空間ではない。
まるで病室のような・・・。

病室、と連想して白衣の男に連れていかれた女性を思い出した。
彼女はエアリスの母親だった。

・・・彼女は科学部門で治療を受けているのだろうか?

「お母さんは、その、ご病気なんですか?」
「ううん、違うよ」
「え?でもさっき連れて行かれたのは・・・」
「お母さん、具合が悪いの」

少し俯いた彼女はとても悲し気で。
何と声をかけていいか分からなくなった。

「そう、ですか・・・」
「でもね、連れて行かれたから具合が悪くなったの」
「・・・え?」

エアリスの意味深な言葉に、思わず息を呑む。

母親が科学者に連れていかれてから体調が崩れた。
白衣の男と母親の遣り取りから、日常的に母親は白衣の男に連れていかれている。
つまり、以前から母親は治療なのか、或は何らかの検査を受けさせられている。

・・・それは、人体実験ではないのか?

「・・・お兄ちゃん?」

余程深刻な顔をしていたのか。
心配そうなエアリスが見上げていた。
この幼い娘に聞かせてよい内容ではなかったので慌てて誤魔化す。

「あ・・・いえ、何でも、」
「その子から離れて!!!」

血を吐く様な叫びにはっと振り返る。
扉が開き、無表情の白衣の男と母親が戻ってきていた。
きっと睨みつける母親が娘を庇うようにリーブの傍から引き離す。
その行動に、漸く自分が誤解を受けたらしいと理解した。

「あ、すみません・・・」

母親にとっては自分は神羅の人間でしかない。
とすれば、白衣の男と同類と思われても仕方ないだろう。

恐らく、
娘を庇って神羅の検査を受け入れているのに、
神羅はその娘にまで危害を加えようとしているのではないかと。

「お兄ちゃんは違うよ」
「え?」

母親の背に庇われたエアリスがにこっと笑ってくれた。
驚いた母親がリーブとエアリスを見比べる。
そして、無表情の科学者が割り込んだ。

「さっきの間抜けな奴か。さっさと帰れ」
「・・・」

無言で床に散らばった書類を拾い集め、部屋を出る、
その直前に。

「お兄ちゃん!」

呼び止められた。
振り返れば、母親の隣で手を振っているエアリスがいた。

「ありがとう!」
「え・・・。いえ、・・・」

無垢な笑顔に、咄嗟に返せず足早に部屋を後にした。
扉が閉まると背後でピーと無機質な電子音が響く。
唯一の出入り口がロックされる無情な音。

かっと頭に血が上るのが分かった。
手にした書類の件がすっ飛ぶくらいの激情に駆られるまま、前をいく科学者に詰め寄る。

「・・・一体、あの母娘に何をしているんですか!!!」
「貴様には関係ない」
「幽閉と人体実験など、そんな人道に悖る行為など・・・!!!」
「これはわが社の決定だ。それに、これは極秘プロジェクトだ。
貴様が誰かに漏らせばどうなるか・・・分かっているな?」

淡々と返された冷酷な目が恐ろしい。
あの母娘をすぐにでも助けなければならない・・・が。

最早この世界を制しているといっても過言ではない神羅カンパニーの決定だという。
だとすれば、ここで彼女たちを逃がしたところで、すぐに捕まってしまうのではないだろうか。
そして本当の意味で彼女たちを救うことは、果たしてできるのだろうか・・・。

「貴様ごときにどうこうできる話ではないよ」

せせら笑うような白衣の男に何も言い返せなかった。
代わりに絞り出すような声で、何とか問い質す。

「・・・いつもあの娘に麻酔を打っているんですか」
「あのガキが煩いから、仕方ない」
「あんな小さな子供に何をしているんですか!」
「我が研究が最優先だ。お前には関係ない」
「しかし・・・!!」

しつこく食い下がる自分に呆れたのか、白衣の男が薄く笑った。

「そんなに拘るなら、お前があのがきを黙らせろ」
「・・・え?」
「明日は16時から母親の定期検査だ。
お前が間に合うなら、あのガキを黙らせろ。
来ないなら、いつもどおりこれを打つだけだ」
「・・・分かりました」

*   *

「お兄ちゃんの馬鹿!!大っ嫌い!!!」

白く静かな部屋にエアリスの罵倒がびりびりと響いた。
丸まった小さな背中が全力で自分を拒絶している。

「・・・」

何と声を掛けていいのか分からない。
ただ突っ立って途方に暮れていた。

リーブは昨日白衣の男に言われた通り、16時前に研究所を訪れていた。
書類の件での代案となる設計図を携えて一通り説明し、煩そうな白衣の男がこの白い部屋に入るのに同行した。
そして、定期検査とやらのために白衣の男が母親を連れ出す間、
母親を引き止めようと暴れるエアリスを、小さな身体を抱き締めて阻止したのだが・・・。
矢張りというか当然のことながら、エアリスに完全に嫌われた。

母親が扉の向こうに連れ出された途端、
エアリスは両腕でリーブを押しのけて部屋の隅に逃げ込んでしまったのだ。
完全にこちらに背中を向けて。

リーブが部屋に入った時は笑顔を見せてくれたけれども、
これではもう二度と笑いかけてくれないだろう。

小さな背中をぼんやりと見遣り、自分は何をやっているんだろうと思う。

この母娘を救えないと分かっているのに、
中途半端に娘を助けようとしたから、エアリスを徒に傷つけてしまった。
考えてみれば、自分がエアリスに麻酔が打たれ続ける事実に耐えられなかっただけで
完全に自己満足の行為だったのだと。

ふう、と小さくため息をつく。

明日は、もう諦めた方がいいだろう。
何も出来ない自分が関わったところで、彼女たちの迷惑にしかならないのだから。
エアリスが麻酔を打たれ続ける事実は・・・もう母親に説得してもらうしかない。

緩く首を振るって唯一の扉へ向かう。
取っ手に手を掛けたけれども、扉はびくとも動かない。
そういえばここは母親が帰ってくるまで鍵がかかっていたのだった。

仕方なく取ってから手を放し、気まずい思いで扉の前でただ立ち尽くすしかなかった。
彼女に背を向けた状態で。

「・・・何か、お話して?」
「え?」

聞き間違いかと思うくらい微かな声に振り返る。
小さな背中は相変わらず丸まっていたけれど、その声は続いていた。

「エアリスのお母さんは、色々お話してくれるの。
お兄ちゃんも、何かお話して?」
「お話、ですか・・・」

自分に背を向け続けるエアリスが、けれども全身を耳にしてこちらを伺っていることが分かった。
ここでエアリスが楽しんでくれるような話ができれば、少しは傷つけたことの謝罪になるだろうか。
けれど。

・・・何を話せばええんやろ?

科学者に押し付けてきた書類を思い出す。
数種類の代案を面倒くさそうに受け取った白衣の男が浮かんだ。
そして、いやいや違うやろ、と首を振るう。

・・・仕事の話してどないするんや。

エアリスくらいの子供が楽しめるような話。
幼い頃、自分も親に聞かされた童謡があった筈。
昔、家の庭で花に水をやり過ぎて母親に注意されたことを何故か思い出した。

・・・そういえば、そんなこともあった。

もう何年も会っていない母親の姿を懐かしく思い、そしてまたしても首を振るう。

・・・いやいや、だから。
エアリスが笑顔になってくれるような話はなんや?

「・・・ええと・・・」

挽回のチャンスを与えてもらったというのに、なかなかの難題だと思い知る。
自分も嘗て親に読み聞かされた絵本もあった筈なのに。
春、庭に出て母親の育てた満開の花園に歓声を上げていた自分。
誕生日プレゼントに渡されたあれは花の図鑑だったか。

・・・いやいや、図鑑やと話にならへんやろ。

あれも違う、これも違うと腕組みをしてうんうん唸っていると。

軽やかな笑い声が上がった。

「え?」

顔を上げれば、こちらを向いて笑っているエアリスがいた。

「リーブお兄ちゃん、すっごく百面相してたよ?」
「えっ・・・そ、そないなこと、」
「してたもん!!!!」

くすくすと楽しそうに笑っている彼女をみて、ほとほと困ったように笑い返すしかなかった。
情けないやら、まあエアリスが笑顔になったからええか、と結論付ける。
そしてエアリスは悪戯っぽく笑って宣言した。

「じゃあ、私がお話決めてあげるね!!!」
「・・・そ、そうしてください・・・」

何だかこの小さな女の子にはリーブの不器用さなど御見通しのようで。
完敗した気分でリーブは両手を挙げた。
エアリスはすくっと立ち上がり、大袈裟に顎に手を当てて思案した。

「じゃあねえ・・・」

てくてく、とこちらに歩み寄ってくる姿は、とても可愛らしい。
こてん、と首を傾げてリーブの前までやってきた彼女は、
何か思いついたのかぱああと花が開く様に笑った。

「リーブのお母さんの話!!!」

つい先程思い浮かべた母の姿さえも見破られたようで、リーブは暫し固まった。

「・・・はい?」

反応の鈍い自分に業を煮やしたのか、エアリスはぴっと小さな人差し指でリーブを指さした。

「リーブのお母さんの話をすること!!!」
「・・・わ、分かりました・・・」

押し切られる形で何とか返事を返したものの。
この子はとても頭がいいんやろうなあ、と妙に感心した。
彼女は興味津々、といった顔でリーブを見上げた。

「ね、リーブのお母さんって、どんな人?」
「どんな人と、いいますと・・・」

然程身長は高くないけれど、覇気に満ちていつも元気に家を仕切っていた母を思い出す。
そんな母の後ろにくっついて掃除の真似をしていた。
隅まできっちり掃くもんや!と母に怒られた声まではっきりと耳に蘇ってきて、思わず笑う。

・・・そういや、掃除も花の世話もよく注意されたもんやったな。

「・・・掃除と花の世話に煩い人でしたね。
家の庭に母の花園がありまして、そこに咲く花を見るのが私も好きでしたね・・・」
「お花知ってるよ!!エアリスのお母さんも、お花を見るのが好きだって言ってた!」

キラキラと輝く目でエアリスが答える。
けれど、花を『知っている』、という言い方にリーブは思わず顔が強張りそうになった。

・・・花さえ、見たことないんやろか。
ずっと、この病室のような部屋に閉じ込められたこの子は。

そしてこんな環境でも心健やかに育っているエアリスは奇跡だと思う。
屹度彼女の母親が細心の注意を払ってこの子を守って来たのだろう。

「・・・お兄ちゃん?」

相手の心情に敏感なエアリスが不思議そうに見返している。
慌てて笑顔で取り繕う。

「い、いえ、何でもありませんよ」
「ふうん。・・・ね、お花の世話って、何をするの?」
「えっ?花の世話、ですか?」
「うん!」
「そう、ですね・・・。花の種類によっても変わりますが・・・
気を付ける点は、日の当たり具合、水、寒さに強いかどうか、そして土ですかね」
「ええっ!そんなにあるの?何か難しそう・・・」

途端にしょげてしまったエアリスに慌てて跪き、目線を合わせる。

「いえ、丈夫な花ならばそこまで気にしなくても大丈夫ですよ。
そうですね、初心者ならば・・・」

母に最初に教えられた花を思い起こす。
小さな花が集まって一つの花に見える花。
土壌の環境によって色が赤から青に変化する雨の似合う花の名は。

「・・・紫陽花、とかですかね」
「アジサイ??」

頭の上に疑問符が見えそうな彼女に微笑む。
そして手帳の上に簡単な紫陽花の絵を描いてみせる。
黒いペンで書かれたモノクロの花でしかなかったが、
手帳を覗き込むエアリスはうわあ!と嬉しそうに歓声を上げた。

「これが『アジサイ』、だね!綺麗だろうなあ・・・!」
「紫陽花は日当たりがまあ良い場所で、
極端に水を切らすことさえなければ育ちますからね。お勧めですよ」

そこまで言って、はたと気づく。
彼女に紫陽花を育てる機会が果たして訪れてくれるのだろうか、と。
少し沈んだ表情を読み取ったのか、エアリスはにこおと笑った。

「大丈夫!絶対に育てて見せるから!」
「エアリスちゃん・・・」
「ね、他にお勧めのお花ってなあに?」
「そうですね、他には・・・」

結局その日は促されるまま、何枚も花の絵を描き、
その生育方法も纏めて書いた切れ端を彼女に渡す間に時間切れとなり。
終いには、明日も教えてくれないと絶交だからね!!!と念を押されてしまった。

*   *

「ね?他にリーブのお母さんが得意なことってなあに?」

ベッドに凭れて床に座るリーブの隣には、興味津々といった表情でリーブを見上げる愛らしい少女。
エアリスと名付けられた茶色い髪の女の子と出会って、4日が過ぎようとしていた。
始めはエアリスには嫌われ、その母親にも警戒されたものだったが
今やリーブが部屋を訪れるとエアリスが駆けてくるくらいには懐かれ、
科学者に連れていかれる母親にはぺこりと一礼されるくらいには親しくなった。

「他、ですか・・・」

うーんと無意味にのっぺらな天井を見上げて、その先に母の姿を映す。
ある時は、母は花のために肥料を撒いていた。
ある時は、母は箒で部屋を隅々まで掃き、そして。
ある時は、母は向かいのテーブルに座った幼い自分の前でカードを配っていた。
自分はそれをわくわくしながら、母の口から告げられる『結果』を待っていたのではないか。

「・・・占い、ですかね・・・」
「ウラナイってなあに??」

紫陽花を教えた時のように不思議そうに問う彼女に、さてどう説明したものかと思考を巡らせる。
花ならばその外観を描いて見せればよかったものだが、流石に『占い』には外観はないようなものだ。

「どうしても知りたいことや、どうしたらいいのか、といった判断をしたいときに
使う手段の一つと言いますか・・・まあ、『予知』みたいなものですかね・・・」
「凄いね!でも、予知って出来るの?」
「母は、割と当てて・・・つまり、その占いという手段でもって
未来のことを知ることに成功していた気がしますね・・・」
「私もウラナイしたい!」
「それは・・・その・・・」

言い淀む自分をエアリスが不思議そうに見つめてくる。
その大きな目に促されるように、苦笑しながら続きを口にした。

「・・・私では、当たらないんですよね・・・」
「ええ!?」

リーブは苦笑したまま、視線を白い壁から更に遠くへと飛ばす。

ミディールにあった実家で母から教わった占いは、
数字と記号の書かれたカード、トランプを用いたものだった。
カードの繰り方、並べ方、結果の読み取り方といった手法は覚えられても
リーブが読み取った結果は見当違いばかりで当たらなかった。
けれども、何となくその理由はリーブ自身にあるような気がした。
性根が真っ直ぐな、母のような人でなければ正しい答えを引きだせないのでは、と。

・・・あの頃から捻くれてたんやろなあ・・・。

そして、素直に反応を返してくれる傍らの少女を見て、ふと思う。

・・・エアリスやったら、もしかしたら出来るかもしれへんな。

「・・・やってみますか?」
「え?」
「きっと、エアリスちゃんなら出来ますよ」

確信を込めて頷けば、小さな少女はじいっとリーブをみて、
そして何か気付いたように、にこおっと笑った。

「うん!でもね、きっとリーブお兄ちゃんも出来ると思うよ?」
「え??」

自分以上に確信があるような、自信たっぷりな少女をぽかんと見返す。
少女は、大きな緑色の瞳に神秘的な光を湛えて静かに微笑む。

「きっとね、その占いって、星の声を聞くことと同じだと思うの」

それはこの年代の少女では持ちえない筈の、大人びた笑みで。
真理さえ見透かしてしまいそうな瞳に、リーブは動けなくなった。

・・・この少女は・・・。

「うん。お兄ちゃんなら、星の声が、きっと届くから」

・・・もしかして、とんでもなく『特別な』女の子なんやろか?

そうでなければ、神羅が躍起になってこの母娘を幽閉するわけがない。
白衣の男が言っていたことを思い出す。
『極秘プロジェクト』だと。
星の声、が一体何を指すのがリーブには分からない。
分からないが、神羅が欲しがっているのはその力なのかもしれない。

「ねえ、今できる?」

不思議な笑みから、悪戯っぽい少女の笑みに戻り、リーブははっと息を呑む。
そして慌てて答える。

「あ・・・いえ。今カードを持ってませんので・・・」
「カード???」
「私が占いをするときに使う道具です。記号と番号が書かれた紙の束で、トランプといいます。
でも、普通は遊びで使う人が多いでしょうねえ」
「遊べるの!?」

きらん、と少女の瞳が輝きだす。
母親と二人しかいないこの部屋では、遊び道具さえなさそうだった。
殺風景な部屋に、母親と二人きりであれば、
母親からの『お話』が唯一の娯楽であり教育なのだろう。

・・・本当に、この母娘を幽閉させたままでええんやろうか・・・。

確かに、神羅はこの世界を牛耳っているといっても過言でない会社だ。
そこから逃げ出したところで、すぐに捕まってしまう可能性が高い。
そして捕まったときには更なる苦痛が待ち受けているかもしれない。
だとしても。

・・・この少女が、花さえ知らないままでええんか?

「明日持ってきて!!!絶対だからね!!!」

無垢な笑顔が、リーブの中の何かを揺さぶっていた。

*   *

5日目。
無駄なものは何一つ置いていなかった部屋に、
テーブルの上に置かれたトランプの山と
それに向かい合って座るリーブとエアリスの姿があった。

「じゃあ、占いからだね!!!」
「ええ、まあ・・・」

初めて見るトランプとこれから披露される占いへの期待か、エアリスはいつも以上に上機嫌のようだった。
けれど、対するリーブの方は余り乗り気ではなかった。
何せ、リーブの占い的中率は極めて低い。
そのことは昨日エアリスに言ってあるけれども、彼女をがっかりさせるのは心苦しかった。

・・・まあ、その場合はトランプゲームでもやろかな。

「んーじゃあ、何を占うか決めなきゃね!!!」
「はい・・・」

ノリノリのエアリスは、リーブが苦笑気味であることも分かっているだろうに天真爛漫に宣言して。
それに押される形で、リーブもしぶしぶ頷く。

「ね、リーブの悩みって、何?」
「え?」
「だってリーブが占うんだよ?
リーブが困っていることを占わなきゃダメ!」
「はあ・・・」

リーブはため息と共に、考えてみる。
困っていること。
一番に思い浮かんだのは、この母娘の行く末だけれども。
ただでさえ不確かな占いに、もしも不幸な結果がでたら目も当てられない。
彼女にその不確かで不幸な結果を告げることは・・・できそうもなかったから。
無理矢理この問題を外した。

「・・・あ。」
「なあに?」

次にぽんと浮かんだのは、この部屋を訪れる切っ掛けとなった設計図だった。
新研究所の設備に関する代案を白衣の男に渡したというのに、どれが最適か彼は返事を寄越してこなかった。
これでも何度も急かしているというのに。
この問題であれば、リーブの占いでよくない結果がでてもエアリスが傷つくことはないだろう。

「・・・新しい研究所の設計ですかね・・・」
「セッケイ???」
「あ・・・。ええと、建物の作りを決めることですよ」
「建物作るの!?」
「え、いえ、私はどんな作りにするかを決めているだけで、
実際に作ってくれるのは別の人たちですが・・・」
「すごーい!!!リーブってそんなお仕事してるんだー!!!」
「そ、そんな大したことでは・・・」
「そんなことないよ!ね、じゃあこの部屋もリーブが作ったの!?」
「ここは私ではないですが・・・、作りを決めた図面は知って・・・」

言いかけて、はた、と気が付いた。
この神羅ビルを作ったのは自分ではないけれど。
都市開発部門の一員として、その設計図を見ることはできる。
そして、・・・意外と警備に関しては穴だらけだと思ったのではないか。
この母娘に何もできないと思い込んでいたけれど、
今この部屋に出入りできる唯一の都市開発部門社員として自分にしか出来ないことがあるのではないか。
つまり。

・・・僕でも、彼女たちを逃がすことはできるかもしれへんのか?

「・・・リーブ???」
「えっ・・・!」

時が止まったようなリーブの前で、エアリスがぱたぱたと右手を動かしていた。

「大丈夫?」
「え、ええ。すみません。ちょっと考えごとをしていただけで・・・」
「ふうん・・・」

向かい側に座りなおしたエアリスは、テーブルの上に両肘をついて掌に顎を乗せた。
つまり、頬を両手で挟んで、じいいっとリーブを見上げた。
上目使い、といえばそう表現できなくもないが、それにしては瞳は何処か不思議な色を秘めていて。
それは、昨日リーブなら占いができると断言してみせたときと酷似していた。
またしても何か見破られているようで、リーブは冷や汗をかく。

「・・・エ、エアリス、ちゃん?」

焦るリーブを一通り観察したのか、エアリスは徐に口を開く。

「リーブって・・・」
「はい?」
「気疲れしやすいタイプ?」

ごん、と音がした。

拍子抜けしたせいで、一気に脱力し序でに頭を打った。
テーブルに突っ伏したままリーブは小さく呻く。

・・・そこかいな。

しかしながら、この年で「気疲れ」という単語を知っているというのはどうなんや、と内心突っ込む。
リーブが推察する限りでは、エアリスは一度も外の世界に出たことがない。
ならば「気疲れ」という単語も、唯一彼女と接する母親から聞いたのだろうが・・・。

・・・ど、どんな会話してるんやろ、この母娘。

昨日のエアリスの様子から、彼女が普通ではない可能性があるとは思っていたが。
別の意味でもこの母娘は普通ではなさそうだった。

「図星だったんだー!!!」
「は、ははは・・・」

最早言い返す気力もなく、力なく笑うしかない。

「じゃ、気疲れを無くすためにもセッケイについて占いしようよ!」

リーブがのろのろと顔を上げると、向かい側の少女には期待に満ちた眼差しが戻ってきていた。
まあ、ええか、と開き直る。
ここであれこれ考えても仕方ないのは事実だった。
やるならば、もう一度神羅ビルの設計図を調べなければならないのだから。

「え、ええと、そうですね・・・。やり方は・・・」

気持ちを切り替えて、カードを手にした。

まずは、
一山に纏めていたカードをよくシャッフルして、山を3つに分ける。
分けた山を好きな順番で重ねて一つの山に戻す。
上から場の中央に1枚目、その上にクロスするように2枚目を置く。
1枚目の上下左右に1枚ずつ、3枚目、4枚目、5枚目、6枚目。
それから少し離して、下から、7枚目、8枚目、9枚目、10枚目と縦一列に4枚並べれば終了。

「・・・ここから一度に全てのカードを表に開いて占うのですが・・・」
「待って」
「え?」
鋭い制止の声に顔を上げれば、真正面の少女は真摯な眼差しだった。
大きな瞳に神秘的な色を湛えてリーブを見据える。

・・・これは、また。

動けないリーブへとエアリスが微笑む。

「まだ、星が応えてないの」
「え・・・?」
「だから、やり直しね♪」

悪戯っぽく笑った彼女は、小さな腕をこちら側にのばして
伏せられていた10枚のカードも、残りのカードも一緒くたに混ぜてしまった。

「ほら、リーブが交ぜるの!!!」
「は、はい」

ぐちゃぐちゃと、カードを乱暴にシャッフルする手を真似れば
満足そうにエアリスが笑った。

「知りたいことをずーっと念じて交ぜるの!」
「知りたいこと・・・」

手の中にあるカードたちを交ぜながら
あの設計図を思い浮かべた。

・・・どうすれば、科学者が望む設備を知ることができるのか。

白衣の男に渡した3つの案では足りないのか。
足りないならば、不足分をどうすれば知ることができるのか。
予算的なおとしどころは何処になるのか・・・

カードを交ぜながらつい考え込んでいると。

ふと、傍らに気配を感じた。

「え?」

思わず顔を上げる。
真正面のエアリスは動いてはいない。
ならば、この傍らの気配は一体・・・?

「・・・ほら、ね?」
「エアリスちゃん・・・?」

リーブの困惑が分かったように、エアリスはにこっと笑った。

「気配がするでしょ?
そしたら、もう一度、知りたいことを念じて」

・・・最適な設計図を知るためには、どうすればいいのか。

「それから、占ってみて?」

エアリスの言葉に導かれるように、不思議と手が動く。
交ぜていたカードを集めて一つの山に戻す。
その山を3つに分ける。自分の意志というよりは手がカードに呼ばれているように
真ん中、右、左の順に山を一つに戻す。

そうしてもう一度10枚を並べる。
上から場の中央に1枚目、その上にクロスするように2枚目を。
1枚目の上下左右に1枚ずつ、3枚目、4枚目、5枚目、6枚目。
それから少し離して、下から、7枚目、8枚目、9枚目、10枚目と縦一列になるように。

「うん、今度は大丈夫だね」

向かいの少女が深い色を帯びた目で頷いている。
何が大丈夫なのか、分からない筈なのにリーブにも分かるような気がした。
傍らにあった気配は、並べ終わった途端に消えていた。

「じゃあ、結果を教えて?」
「え、ええ・・・」

促されるまま、カードを表に開いていく。
10枚のカードにはそれぞれ意味がある。

1枚目。現状。
2枚目。今現状の問題。
3枚目。予測。
4枚目。潜在意識。
5枚目。過去の出来事。
6枚目。予測される出来事。
7枚目。相談する人の立場。
8枚目。周囲の目。
9枚目。変化。
10枚目。総合、つまり質問に対する答え。

「・・・あ。」

最後の10枚目には、ダイヤの5が現れた。つまり。

「なあに?」
「よい協力者が現れる、みたいですね・・・」
「じゃあ、その人に相談したらいいんだね!」
「そう、みたいですね・・・」

協力者、が誰のことは分からないが、屹度、いや間違いなく現れるのだろう。
根拠はないけれど確信していた。
この結果は、今までの不確かな占いではないと。

「・・・では、次は・・・」
「何を占うの?」
「いえ、ゲーム、しましょうか?」

にっこりと笑ってみる。
エアリスが導いてくれたように、今なら未来を知ることが出来る気がした。
本当に占いたいこと、エアリスの未来をここで占ってもいいが
やはり彼女のいないところで結果に向き合いたい。
占いの結果によってリーブの行動も変わる筈だったから。

*   *

6日目は、エアリスの部屋に行くことは出来なかった。

ジェノンに務めている都市開発部門の先輩が出張に来ているということで、
占いの結果に従い、新研究所の設計図について相談してみたのだった。
先輩はあの白衣の男を知っていたらしく、問題点を指摘してくれた。
あの科学者は研究班のリーダー的な存在だが、実験結果については把握していても、経過は把握していない。
つまりは、実験に必要な設備やら装置については分かっておらず、
リーブが幾ら使用できる装置が制限されるといったところで、どの実験に影響するかが分かっていないらしい。
だから、設計図案をもらったところで、あの男には判断出来ないのだと。

・・・それでええんやろか?

呆れるやら脱力するやら、ともあれリーブは早速行動に移した。
白衣の男の部下に実験テーマと、必要な装置とその設備を聞き込む。
勿論詳細は教えてもらえなかったが、白衣の男に分かればいい範囲で整理した。
もう一度設計図と結びつく様に資料を作り直す。

資料を持って科学部門の白衣の男を訪れ、即座に案3で行くとの回答をもらってからは
都市開発部門に戻って上司への承認依頼と必要な資材と人員の手配、納期の確認。
遅れていた分を埋め合わせようと仕事に追われるうちに、あっという間に定時どころか残業に突入してしまっていた。

・・・今日は、エアリスちゃんに逢えへんかったな。

日の暮れた街並みを神羅ビルから見下ろす。
スモッグで曇った空に星は見えなかったが、地上にはビルや家々の灯りがぽつりぽつりと灯っていて。
その一つ一つに人々の暮らしがあるのだから、都市開発部門の社員としてもっと頑張らなければ、と思う。
明かりがもっと増えるように。人々が快適に過ごせるような都市を創れるように。
そう、エアリス母娘を含めたすべての人にとって、理想の都市を。

くるりと踵を返す。

資料室に入館時間などは存在しない。
都市開発部門の社員証さえあれば、リーブでも神羅ビルの設計図をみることは出来るのだから。

*   *

7日目は、どうにか時間に間に合い、エアリスに逢うことができた。

部屋に入った途端、エアリスに昨日行かなかったことを散々怒られた。
それでも占いの御蔭で設計図の件が上手くいきましたよ、と伝えると
エアリスは両手を腰に当ててご立腹のポーズのまま、よかったね、と喜んでくれた。

そして、仲直りの代わりにテーブルに向かい合ってトランプゲームをしているのだけど。
トランプでゲームができる、と教えたのは確かに自分で。
神経衰弱のルールを教えたのも自分だったのに。

じいっと手元の2枚のカードをみる。
右がジョーカーだ。
そして、向かいの少女をじっとみる。
彼女は一枚残ったカードをもち、慎重にこちらを伺っている。

そして、彼女の手がこちらのカードへ伸びる。
右のカードに向かっていた。
けれどカードを取る前に、少女はにこおっと楽しそうに笑った。

「え?」

面食らっている間に、彼女は左のカードを取ってしまった。
最後のペアを揃えた彼女のカードが、ぽいとテーブルに投げ出される。

「また勝ったーーーーーーーー!!!!」
「・・・。ま、参りました・・・」

0勝10敗。
子供相手に手加減した、というのでは決してない。
普通に、完敗だった。

「リーブ弱すぎー!!!」
「は、ははは・・・」

返す言葉もなく、苦笑するしかない。
ここまで強運の持ち主ならば、屹度上手くいくに違いない。
テーブルに散らばったトランプのカードを集めながら、昨日の占いの結果を思い出す。

エアリスがここを出られるかどうか。
その結果は、ハートのA。
幸運や成功を意味する最高のカードだ。

けれど、とリーブは僅かに眉を顰める。
もう一つ占った結果が、よくわからなった。

リーブが彼女たちを逃がすことが出来るかどうか。
その結果が、スペードの10。
不運を意味するカード。

・・・どういうことや・・・?

昨日都市開発部の資料室で神羅ビルの構造は大体把握することができた。
彼女たちを連れて走りまわることは危険な上、母親は躰が弱っていることから
空箱の中に彼女たちを隠して台車でこっそり逃がそうと計画はしていたけれど。

・・・僕の手引きでは捕まってしまう、てことやろか・・・。

迷っている間に、唯一の扉が開いた。
振り変えれば、母親と白衣の男が入ってくるところだった。
母親の顔色は悪く、今にも倒れてしまいそうだが、白衣の男は全く関心がないらしい。
いつもどおりリーブにさっさと出ろ、と命ずるだけで。

ため息を一つ、リーブは零す。
カードを纏めて上着に仕舞い、立ち上がった。

「リーブさん、でしたね」
「え?」

母親が伏せていた顔を上げていた。

「少し、話しませんか?」
「え??」
「おい、勝手なことをするな!」
「5分だけですから」
「ふん」

弱弱しい母親に何もできないと踏んだのか、白衣の男が面倒そうに腕を組む。

「リーブさん、座ってください。それから、エアリスはこっちへ」
「え?」
「うん!!!」

嬉しそうにエアリスが駆けだして、母親の足元に抱き着く。
母親が我が子の頭を優しく撫でた。
リーブはそれを見送りつつ、言われた通りにもう一度座る。
母親は静かな目でリーブを見ていた。
何かを待っているように。

「あの・・・?」

耐え切れずにリーブが話しかけようとしたとき。
扉の外から、別の研究員がやってきて白衣の男に何か伝える。
その途端、白衣の男が目に見えて蒼白になり、慌てて駆けだしていった。

扉を開け放したままで。

リーブは呆然と扉と母親を見比べていた。
彼女たちを閉じ込めていた部屋の唯一の扉が開いている。
白衣の男の様子から、すぐに戻ってくることはないだろう。
逃げるなら、今、だけれど。

リーブをひたと見据える母親の瞳に動けなくなっていた。
止まっている場合ではないのに、魅入られたように身動き一つ取れなかった。
エアリスの不思議な眼差しと同じだと、妙に納得する。

母親が柔らかく微笑む。

「今までエアリスがお世話になりました。
本当に・・・ありがとうございました」
「えっ・・・」

深々と頭を下げられ、ただ驚くしかできなかった。
母親の隣で、エアリスが真似するようにぺこっと頭を上げている。

「いえ、私は、何も、」
「ごめんなさい。それから・・・」

リーブの言葉を遮るように母親が顔を上げる。
そして、深い色を帯びた瞳でリーブを制した。

「・・・この星を、よろしくお願いします」
「・・・え・・・?」

意味を取り切れずただ目を見返すしかできないうちに。
母親はエアリスの手を引いて部屋を出ていき、バタンと扉を閉めた。

「・・・え???」

ピーと、電子鍵の閉まる音だけが後に残された。

「・・・ええと」

状況を把握しよう、とリーブは座ったまま考える。
白い部屋にはリーブ一人きり。
長い間閉じ込められていたあの母娘はここを出ていくことが出来た。

・・・それは、ええんやけど。

彼女たちが無事に神羅ビルを脱出できたのか、は分からない。
手助けしたいところだが、あの扉は内側から開く代物ではなかった。
リーブは完全に閉じ込められている。
何もできなかった。
と、すれば母親が最後に言っていた「ごめんなさい」は、
恐らくリーブをここに閉じ込めることを指しているだろうが、
同時にリーブが不利な立場にならないように配慮してくれたのだろう。

3人ともこの部屋を出ていれば、手引きをしたと真っ先に疑われるのはリーブなのだから。
実際、そのつもりで計画していたのだから、言い逃れはできない。

「・・・それでも、助けたかったんやけどな・・・」

はは、と力なく笑う。
これではどちらが助けられたのか分からない。

がちゃり、と扉が外側から開けられた。

戻ってきた白衣の男は、リーブしかいないことに驚愕し八つ当たりをしながら
逃げた母娘を捕らえるために手配をしていた。
リーブはここに閉じ込められていたという事実から疑われることはなかった。けれども。

科学部門を出る前に、のっそりと別の男がやってきた。
得体のしれない笑みを浮かべた眼鏡の男。

「クックックッ・・・。君か、エアリスの子守をしていたのは」
「え・・・」
「宝条博士!」

白衣の男の叫びで、相手が科学部門の統括だったと漸く思い出す。
だがそれ以上に男の存在と、彼がポケットから取り出したアンプルが不気味だった。

「君に色々と探られるのは面倒なのでね。さっさと忘れて貰おう」
「・・・忘れる?」
「取り押さえたまえ」

にたり、と蛇が獲物を捕らえるような笑みにぞっと背筋が凍る。
リーブは背後から男たちに押さえられ、無理矢理腕を捲られる。

「な、何を・・・!!!」

宝条博士とやらが、アンプルの針の先を刺し込む。
ぶつん、と意識が途切れた。

*   *

「・・・で、結局覚えてないんですか」
「覚えてないですねえ。滞っていた筈の設計図もいつの間にか解決して着工してましたし・・・」

さくっと答える上司に、俺はやっぱり大きなため息をついた。

「ちょっとは思い出そうとかしないんですかー?」
「さっぱり覚えてないものをどうやって思い出すんですか」
「うっ・・・」

きっぱりと断定されて、俺は反論できずに結局、局長の手元に視線を戻す。
3つに分けられていたカードの山が、1つに戻されていて。

上から場の中央に1枚目、その上にクロスするように2枚目を。
1枚目の上下左右に1枚ずつ、3枚目、4枚目、5枚目、6枚目。
それから少し離して、下から、7枚目、8枚目、9枚目、10枚目と縦一列になるように。

伏せていたカードを表に捲っていた局長の手が、最後の10枚目を開く。

ダイヤの7。

「おや、明日は晴れそうですね」
「お、まじですか局長!明日もよろしくお願いします!」

びしっとWRO略式の敬礼をすれば、ふわりと満足げな笑みが返ってきた。

「こちらこそ。よろしくお願いしますね、レギオン」

fin.

 

※ダイヤの7は、計画が成功する、新しい計画が順調に進むという意味です。
順調に進むならばヘリが遅れないということで、晴れそうだとリーブさんは読み取っています。