拒否権

あれから1週間。

リーブはいつも通り多忙な日々を送り、
シャルアに会うことも殆どなく、
偶に会ったときのやり取りも局長と幹部のものであった。
何も変わらない。
それを望んだのはリーブ自身だったのだが、ふと思う。

・・・あれは、幻だったんでしょうか。

局長室で日付の変わったモニターをぼんやりと眺め、ため息をつく。

自分の記憶力は問題ないはずだが、
こうも何もなく、あの日のやり取りがどうも現実離れし過ぎていたために・・・・。

・・・記憶の捏造だったらどうしましょうか。

どうにもならないけれど。
その場合は、やはり彼女と年下の恋人が上手くいったままなのだろうか。

・・・益々聞けませんね。

リーブは苦笑した。
失恋して、一度それが勘違いで
しかも何故か彼女が自分を想ってくれた・・・
としていたのだが、それもまた勘違いだったとすると。
同じ人に二度も失恋したことになる。

「・・・流石にショックですね・・・」

くすっと笑う。

いつもどおりデスクに山積みの書類に手を伸ばした途端、扉が開いた。

   *   *

「・・・シャルアさん」

彼女はつかつかとデスクに近寄ってくる。
扉を開けた覚えはない、とちらりと脇を見ると
にやりと意味ありげな笑みを浮かべた分身が
ひらひらと手を振っていた。

「・・・ケット。勝手に扉を開けないでください」
「ええやんか。シャルアはんやし」
「あたしは無視か?」

デスクの前で仁王立ちしたシャルアにリーブは殊更穏やかな笑みを浮かべた。

「・・・何か、ご用ですか?」
「さっさと署名しろ」
「何を・・・」

ばん、とデスクの真正面に置かれた一枚の書類。
書かれた文字を追っていたリーブは、ぽかんと口を開けた。

「・・・これ、まさか」
「何がまさかだ」
「・・・本気、だったんですか?」
「当たり前だ」
「・・・しかもいつの間に会議開いてたんですか」
「あんたがいない間に」
「署名も何も・・・既にこれ、成立してませんか?」

局長の許可なしには重大な書類は効力がない。
しかし、例外があり、
局長の許可がどうしても得られないとき・・・
局長が不在でも急務の場合や、局長に対する不信任案などでは
幹部全員の承諾と、全WRO職員の3/4の署名があれば成立するのだ。

が。

「よく集めましたね・・・」
「いや。3日で揃ったぞ」
「え。それもどうなんでしょうか・・・」
「議題が議題だったからな」
「・・・」

リーブは改めて書類の一行目に書かれた文字を追った。

『局長に対する月一健康検診に関して』

「・・・。つまり」
「そういうことだ」
「・・・」

リーブは絶句した。
健康診断の回数が増えることに対してもそうだが、
シャルアがそれを起案すると宣言したのは、確か。

「・・・言っただろう。
あたしはあんたに生きてほしいだけだと」

はっと顔を上げる。

「そして、これに署名した奴らも、それを願っている」
「・・・」
「つまり、あんたに拒否権はない」
「・・・まあ、成立してますからね・・・」

ふう、とリーブは息を吐き出す。

「・・・分かりました。大人しく従いますよ・・・」
「じゃあ今日の午後を空けろ」

当然のように続けられた内容に、リーブは反射的に叫んでいた。

「ちょっと、早すぎですよ!今日は既に予定が詰まってますから」
「キャンセルしろ」
「そんな無茶を言わないでください」

幾らなんでも急すぎる、と首を振るが
シャルアは淡々言い放つ。

「どうせまた解熱剤でも服用したんだろう」
「違いますよ!」
「じゃあ胃薬か」
「っ!」

咄嗟に言い返せず、その反応をみてシャルアは呆れ顔で腕を組んだ。

「潰瘍の疑い、か」
「いえ、気のせいですよ」
「気のせいか判断するのはあんたじゃない、医者だ」
「大丈夫ですから」
「さっき大人しく従うと言ったのは誰だ?
それとも組織の長のくせに、取り決めを破る気か?」
「・・・シャルアさん・・・」

がっくりと肩を落とす。
仕事関係ならば、舌戦で負けなしのリーブだったが
如何せんプライベートが絡むとどうしてこうも言い負かされるのか。

「さっきも言ったが、あんたに拒否権はない」
「・・・そうみたいですね・・・」

リーブは撃沈した。
項垂れていた頭をほんの少し上げ、相手を伺う。

「・・・キャンセル、しないといけませんか?」
「1時間はいるな」

シャルアの答えは簡潔だった。
リーブはモニターに素早く予定を呼び出し、一頻り唸る。
往復の移動時間を考慮してみると。

「・・・仕方ありません・・・。
出張を電話会議に変更するしかないですね・・・」

呟くと、頭上から淡々とした声が降ってきた。

「・・・懲りないやつだな」
「仕事ですから」

彼女はふん、と鼻を鳴らす。

「あたしも仕事だ。それから、」
「・・・それから?」

言葉につられるように見上げると、
彼女は柔らかい瞳で微笑んでいた。

「大切なものは奪われたくないんだ。もう二度とな」

fin.