救出

衝撃が収まったのを見計らい、数分前までは扉のあった箇所から何とか這い出る。

「っ痛・・・ここは・・・」

見上げると、遠くに上層が消えた高層ビルがそびえ立つ。
嘗ての神羅ビル。
廃墟と化したミッドガルに、レギオンは立っていた。

そして、先程まで乗っていた残骸を覗き込む。
同じように這い出ようとしているのは。

「局長!!おい!大丈夫か!?」
「・・・え、ええ・・・何とか」

手を貸し、リーブをヘリの残骸から引っ張り出す。
リーブはありがとうございます、と礼を言いながら立ち上がった。
自分が何処にいるのか瞬時に分かったらしく、一瞬顔を強張らせ、ため息をつく。

「・・・レギオンは大丈夫ですか?」

レギオンは軽く首と肩を回す。

「勿論です」
「他の隊員は・・・」
「気を失ってはいましたが、命に別状はないです」
「・・・そうですか・・・」

ほっとリーブは安堵の息をつく。
それから顎に手を当て、ある一点を見据えたままじっと動かなかった。
その真剣な表情に、レギオンは僅かに眉を寄せる。

「・・・何を、考えてるんですか」
「・・・レギオン」
「何ですか」

リーブは顔を上げ、レギオンの目をしっかりと捉える。

「ここは、任せます」
「・・・それは、どういう、意味ですか」

リーブの言葉に、レギオンは身構えた。
そして、素早く置かれている状況を整理する。

・・・緊急事態だというのは間違いない。

今やこの星の治安維持を担う組織の最高責任者が乗っていたヘリが、何者かによって撃ち落されたのだから。

幸いなことに、このトップが持ち歩いていた防御用のマテリアで人命を失うことはなかったが、
何しろ落とされた先が廃墟と化したミッドガル。
DGとの戦闘で更に荒れ果てた地に、敵が潜んでいることは間違いなかったのだから。

目の前のトップはいつもの親しみやすい表情ではなく、WRO局長として威厳を纏っている。

漆黒の瞳に、鋼のような強い意志。

レギオンはもう一度リーブの言葉を反芻する。

リーブの言う「任せる」対象が、リーブ自身の身の安全ならば問題はない。
元々レギオンはリーブ専属の護衛隊長だ。

だが。

レギオンはぎりっと奥歯を噛み締める。

リーブと長くいたために、性格もよく理解している。
この緊急事態に、ただ護衛に自分を守ってください、などと言うわけがない。
寧ろ、前線に出て自ら事態の収拾に乗り出すタイプだ。

・・・なら、俺に何を任せるつもりだ?

睨みつけるような護衛の視線を平然と受け止めたリーブは、素早く唱える。

「スリプル」

同時にレギオンは緑色の光に包まれ、強烈な睡魔が襲い掛かる。がくんと膝をつく。

「・・・!?ちくしょ・・・う・・・」

呻いて倒れた護衛へと、リーブは静かな表情で告げた。

「・・・すみません、レギオン。どうやら時間がないようです」

トップはくるりと踵を返す。
だがその歩みは、小さな背後の声によって引き止められた。

「・・・待て、よ・・・」

リーブははっと振り返る。

「・・・レギオン?」

レギオンは地面にうつ伏せに倒れながらも、上半身を何とか起こそうとしていた。
その手には割れたガラスの破片を握りしめていた。赤い血が滴る。

「何処へ、行く、つもりなんです・・・?」

痛覚をもって強制的な催眠をどうにか防いでいる部下に、リーブはふわりと微笑む。

「・・・強くなりましたね、レギオン」

瞼を無理矢理開けている状態で、レギオンは呻いた。

「・・・二度も、同じ轍を、踏むわけには、いかないですから・・・」

ぐっと破片を握りしめる。

「それで、何処へ、行くんですか・・・」

声は掠れていたものの、その眼光は強い。
リーブはそれを真っ直ぐに受け入れる。
そして問いかけた。

「・・・部下を捨てる上司に、それを聞いてどうするのですか?」
「・・・違う・・・」
「・・・?」
「・・・俺たちを捨てるなら、何故、そのマテリアを出してるんですか・・・」

レギオンの視線の先。
リーブは右手に緑のマテリアを持っていた。

「それは、トード、ですよ、ね・・・」

リーブは沈黙を保った。
レギオンは何とか笑って見せた。

「・・・それをパイロット達にもかけて、何処か安全な場所に、隠すつもりだったんでしょ・・・」

リーブは僅かに肩をすくめる。

「・・・それは、どうでしょうね」
「・・・でも、俺には、利きません、から・・・」
「・・・本当に利きませんか?」
「え?」

にっこりと笑って、リーブはレギオンからその破片をさりげなく奪い取った。
そして血塗れの手に別のマテリアを翳す。

「ケアルラ」
「・・!?くそっ・・・」

ガラス破片による傷がみるみる治っていく。
同時に痛みという刺激を奪われ、意識が混濁していく・・・。

「・・・待・・・て・・・!
・・・一人で・・・行く、な・・・!」

小さく呻いて、彼はとうとうどう、と倒れ込む。
リーブはあっさりとホワイトケープを取り去る。

「・・・トード」

後に残されたのは、一匹の眠っている蛙。

「・・・お疲れさまです、レギオン。暫く休んでください」

リーブは蛙をそっと掌に乗せる。

「・・・後でまた怒られますかね?」

くすりと笑う。
そういえば、レギオンが護衛隊長などする羽目になったのも、きっかけは彼を蛙にしたことだった。

・・・今度は呆れて、護衛など辞めるかもしれませんね。

普段飄々としているが、強靭な肉体と精神の持ち主。
嘗ての神羅でソルジャー2ndまで上り詰め、1stになるのも時間の問題だっただろう。
今リーブの護衛などしているのも、気まぐれに近い。

・・・まあ、彼が辞めるにせよ、彼らが無事に救出されてからの話、ですが。

ヘリの残骸へと近づく。
同乗していた隊員達はまだ気絶していたが、同じように催眠魔法をかけて蛙に変えていく。
素早く周囲を見渡し、背伸びして崩れた壁と壁の僅かな隙間へ隠す。

彼らを中心とした防御魔法をかける。

「・・・私を含めてだと、時間切れの可能性が高いですからね」

敵の狙いはWRO局長の命。
WROに攻撃を仕掛けたなら、相手もそれなりの戦力を集めている筈。
ヘリ墜落地点をぐるりと囲むように、四方から近づく気配はどう考えても味方のものではない。

・・・自分がここを離れれば、彼らはきっと間に合う。

相手は敢えてここに落としたのだろう。
恐らく嘗ての都市の末路と共に葬ることでWROの根底を揺さぶるということだろう。が。

ふと笑みが零れた。ただ、自嘲気味なものだったが。

・・・ここを創ったのが私だという事実を、ちゃんと分かっていないようですね。

隠した部下たちの座標をケット・シーに伝える。

近づいてくる気配と目の前の光景から、目的地までの経路を割り出す。
正規のルートではなく、設計士しか分からないルートを。

すっと動き出した。

   *   *

WRO本部。
緊急会議に集まった幹部たちへと、ケット・シーが状況を説明していた。

「・・・ヘリはミッドガルに落ちとる。が、なんとかみんな無事らしいわ。
瓦礫に隠れてるらしいから、はよ迎えにいくしかないな」
「了解!!」

応じる声も、ぴりっと緊張感があった。
何しろランチャーでヘリを打ち落とすという無謀さを持ち合わせた敵だ。
見つかれば、命はないのだろう。

   *   *

会議室の様子は、ケット・シーを通じて逐一、ミッドガルにいるリーブに伝わっていた。

『今本部を出たさかい、あと30分生き延びてや』
「・・・努力しますよ」

くすり、とリーブは笑う。
30分。
このまま逃げ回れば、部下たちは間に合うだろう。

列車墓場の隙間を通り、道の途切れた伍番街を身を隠しながら移動する。
確かに響く追っ手の気配から逃れるように、ゲート前のマンホールから地下に降りる。

闇。

それでも僅かに残った蛍光灯が足下をぼんやりと照らす。
電力供給は絶っていた・・・筈なのに。

「・・・まさか」

通気口に体を滑り込ませ、彼方から集合しつつある足音から気配を殺す。
彼らの怒号から、部下たちもどうやらまだ見つかってないらしいことを知る。

・・・もう少し、時間を稼がなければ。

もう一つの視界に、ミッドガルのゲートの攻防戦が映し出される。
敵の組織との銃撃戦となっていた。
WRO隊員はその数と統制の採れた動きで、次第に入り口を制圧していく。
リーブはそっとため息をつく。

・・・負傷者が少なければ、よいのですが。

リーブが螺旋通路の通気口を這って進んで、どのくらい経ったのか。
ゲートからミッドガルへと入り込んだ隊員達の捜索により、隠していた部下たちが映し出された。
リーブは安堵の息をつく。
救助が間に合ったのだ。

『・・・見つけたけどな。あんさんは何処や』

目の前には螺旋の通路。
もう一つの視界には、WRO隊員たちによって蛙から元に戻された部下たち。
催眠魔法が効いたのか、まだ眠っているらしい。

・・・無事でよかった。

梯子を登る。

『見つかりそうになったので、ちょっと逃亡中です』
『さっさと座標をいわんかい』
『さあ・・・何処でしょうね?』
『・・・何や企んどるな・・・?』
『何のことでしょうね?』

遠くから地下に響く足音は、ばらばらと乱れたもの。
恐らく敵が地下を捜索し始めた。
梯子を登り切り、上階に頭だけ出してそっと窺う。

・・・まだ、行けそうですね。

『局長!!!今どちらですか!!』

ケット・シーに向けて傍らの隊員が叫ぶ。
リーブはリンクを繋げた。

『そちらの状況はどうですか?』
『出口・・・6番ゲートを奪還しました!』
『・・・ご苦労様です。では、そちらに向かうことにします』
『危険です!!我々が助けにいきますから、何か目印はありませんか!?』

必死に問いかけてくる表情に少し心が痛んだが、ふるっとケット・シーの首を振るう。

『どうやら数は彼らの方が上のようですね。
ここに迷い込んで一網打尽にされるよりは、私一人で抜け出す方がいいでしょう。
みなさんは引き続き、他の出口の奪還をお願いします』
『局長!!!』

リーブは目を閉じて、リンクを切る。
しかし。

『・・・座標がわからん、ちゅーのは嘘やな』
『おや。この闇で場所を把握できるとでも?』
『ボクを欺くのは諦めや。
リーブはんがミッドガル全ての構造と座標を覚えとるのは知っとるからな』
『・・・』

周囲に敵の気配がないことを確認する。

『数が勝るっちゅーのはどうゆうことや』

頭の中の設計図を広げ、螺旋通路の先にある非常扉までそっと移動する。

『・・・出口を押さえ、尚且つ地上部隊と地下部隊に裂くだけの数を保有しているわけですからね』
『WRO隊員全て呼んだろか』
『本部が手薄になるのは危険すぎます』
『ここであんさんを失う方が危険やろ!』

きい、と扉が軋んだ音を立てる。どうやら錆びていたらしい。
素早く中へ入るが、先程よりも、足音が近づいてくる。

『私は大丈夫ですよ。・・・ここがミッドガルならば、彼らよりも地理の利がありますから』
『一人でどないかなるわけないやろ!!』
『ケット、隊員を出口奪還に回してくださいね』

   *   *

ミッドガル、ヘリ墜落地点。
WRO隊員と共にゲートから辿り着いたケット・シーはリーブとの会話に訝しげに首を傾げた。

「・・・何考えとるんや・・・」

傍らで呼びかけた隊員は心配そうに見守る。

「局長は・・・?」

ケット・シーはひょいと顔を上げて、生真面目な隊員を見上げた。

「こっちの声は全部聞いとる。やけど、・・・多分素直に出口に向かう気はなさそうやな」
「え!?ど、どういうことですか!?」
「多分やけど、」

言いかけて、とっさに上空を見上げる。新たなヘリの爆音。
と、そこから急速に落下くるのは。

「・・・ヴィンセントはん!!!」

赤いマントを靡かせ、ヴィンセントはパラシュートも付けずに着地する。
そして、すぐさま立ち上がる。

「・・・リーブは何処だ?」
「来てくれはったんか・・・!!!」

何処か感動したようなケット・シーに、ヴィンセントは迷惑そうに一言返す。

「・・・騒々しい留守電をいれたのはお前だ」
「助かるわ、ボクらだけではお手上げやったんや」

ケット・シーは両の掌を上に向けて、お手上げ、のポーズをしてみせた。序でに大袈裟に首を振ってみる。
ヴィンセントが微かに眉を顰めた。

「・・・どういう意味だ」
「・・・リーブはんは今、ミッドガルの地下に逃げとる」
「座標は」
「分かっとるのに口を割らん」
「・・・どういうことだ」
「・・・出口を奪還したことは伝えたんやけど・・・。多分、ただ逃げてるんやないと思う」
「狙いがあるのか」

ケット・シーは大きく頷く。

「・・・何処か行こうと思とるみたいや」

   *   *

「ヴィンセントが来ましたか・・・」

リーブは緊急用の梯子を降り、周囲を素早く警戒する。
目的の扉を開けば、幹部専用の非常通路に出られた。

「・・・相変わらず、廃墟と化していますね」

見上げると、上階を失ったままの本社が辛うじて残っていた。
足元を見れば、割れた窓ガラスの破片が散らばる。

リーブは破片を避けて、嘗て栄華を誇った中心地へと侵入する。
朽ちた階段を注意深く上り、あの日彼が通ったルートを進んでいく。
隠された通路を抜け、幹部の・・・
恐らくプレジデント神羅や宝条、ハイデッガーしか知らないエレベーターホールにたどり着いた。

開閉ボタンは点灯していた。

リーブはそっと下へのボタンを押し、光の扉を開けた。

   *   *

WRO隊員によって、敵組織に占拠されていたミッドガルは
少しずつWRO管理下に戻されていく。
ヘリに同乗していた隊員は全て救助できたものの、未だリーブは見つかっていない。
状況を把握したヴィンセントは分身へと鋭く尋ねた。

「・・・あいつは何処へ向かっている?」
「分からへんけど・・・でも、もしかしたら・・。っつ・・・!!!」

唐突にケット・シーが胸あたりを押さえた。

「・・・どうした」
「・・・痛いんや・・・」

ヴィンセントは訝しげに僅かに眉を寄せる。
その様子にケット・シーは苦笑交じりに答えた。

「ああ、勿論外傷やないで。ボクはロボットやさかい。やけど、・・・これは、間違いないわ。
リーブはんの心、感情が流れて来とる」
「リーブが心を痛めている、ということか」
「急に流れてきたっちゅうことは、多分目的地についたんやな・・・」
「何処かは見えないのか?」

ヴィンセントの問いに、ケット・シーは肩を落とし、ゆっくりと首を振るった。

「ボクとリーブはんは確かに繋がっとる。やけど、あくまでマスターはリーブはんなんや。
つまり、ボクの行動は全てリーブはんに伝わるけど、リーブはんの行動は殆どボクには分からへん。
・・・その代わり、感情だけは、流れてくるんや。
なんせボクは、リーブはんの感情が込められて動いとるんやから」

ヴィンセントは沈黙を保つ。
納得したわけではないが、反論する材料もなかったためである。

「で、リーブはんがついてここまで心を痛めるっちゅうことは・・・、間違いないわ、ディープグラウンドや」
「・・・何だと?!」

それまで静かな態度を保っていたヴィンセントが、がらりと雰囲気を変える。
ケット・シーは低く唸るように続けた。

「・・・確かに今の敵は追ってこられへん。やけどっ・・・!!」

焦るケット・シーへと、ヴィンセントは冷静にその先を補う。

「・・・モンスターの住処だ」
「っ・・!!!」

   *   *

『早くそこから戻ってきいや!!!』
『・・・』
『聞こえとるくせに、返事せえっ!!!』

ケット・シーの叫びが頭に響く。
しかしそれも何故か・・・遠くに感じるのは、目の前の光景に釘付けになっているからだろうか。

張り巡らされたパイプ。
僅かな足場を、ケット・シーの辿った軌跡を元に進んでいく。

・・・あの日と同じ。けれど、今は逆転してますね。

身を潜めながら、数メートル先を飛んでいる飛行型のモンスターの行路を計る。
死角になる瞬間を狙い、できるだけ音を立てないように次の柱へと移動する。

取り出した銃は決して遠距離に向いたものではない。
弾数も限られているため、無駄にはできない。

『リーブ!!!』

そういえば、いつもなら叫んでいるのはケットではなく自分だった。

危険な潜入捜査。

だからこそケット・シーを派遣しているのだが、
その全てが見えているため、ケット・シーが絶命する瞬間までわかってしまう。

叫んでも意味のないことだとわかっている。
まして、自分は安全地帯で情報を受け取っている身分だ。
叫ぶ資格などないとわかっているのだが。

『・・・不思議ですね』
『な、何がや』
『自分で潜入した方が、余程気が楽だと分かりました』
『っ・・・!!!そんな阿呆なことゆうとる場合かっ!!
ボクはっ、ボクらはリーブはんさえ生きていればまた新しいボクに生まれ変われる、
やけどリーブはんはそれが出来へんのやで!?』
『ケット・シーは、・・・生まれ変わるのではないんだと思います』
『何がや!!!』
『・・・今まで勝手に創って、殺して・・・すみませんでした』
『何ゆうてるんや!!!』
『本当はもっと早く訪れる予定だったんですけど・・・』
『危険やゆうとるやろ!!!WROを投げ出す気なんか!!!』
『大丈夫ですよ。死ぬ気はありませんから』
『ならさっさと戻らんかいっ!!!』

   *   *

WRO隊員たちの働きによって、ミッドガルの戦闘は収束していく。
そもそも、敵の狙いはWROトップを葬り、統制の崩れたWROを潰すことだったのだが
肝心の局長を取り逃がしたことが大きな誤算だったらしい。

「リーブはんを甘くみるからそうなるんや」

とは、現在ヴィンセントに抱えられ飛ぶように移動するケット・シーの言。
しかし問題は。

「なんでよりによってDGに行くんや・・・」
「・・・先に止めろ」
「無茶ゆわんといてえな!ボクが気づく前にリーブはん、勝手に行っとったわ!!!」

   *   *

そして勝手に行ったリーブは、DGの更に地下へ進んでいく。
ドラム缶の影を移動し、モンスターに見つかる前に次の柱に身を隠す。
滑り込んだ排気口を抜ければ、神秘的なライフストリームが広がる。

リーブはきゅっと唇を噛む。

・・・ここは、確か。

脳裏に浮かぶのは、ここへ侵入した分身がみた「最悪のもの」。
ライフストリームに無情にも放り込まれる人々と、悲痛な悲鳴。

『なっ・・・なんちゅうことを!!!』

そう叫んだ彼は、背後に現れた漆黒の闇・・・DGSのネロに殺された。
DGSとの戦闘が終わったときは、別のケット・シーがここでモーグリの縫いぐるみを見つけた。
だが、リーブ自身が直に訪れたのは、これが初めてだった。

「ここ・・・だったのですね・・・」

静かに目を閉じ、哀悼の祈りを捧げる。
最も、その資格が自分にあるのかは、リーブには分からなかった。
彼らを守れなかったのは、彼をここへ行かせたのは、自分だったから。

そして、振り切るように首を振るう。

・・・どうしても、確かめたいことがあった。

封鎖したはずのミッドガル地下通路の灯り、そして稼働していたエレベーター。
それが示すことは・・・
踵を返したその時だった。

「まあ。まだ生きた人間がいるなんて。幸運だったわ」

声は、リーブの真上から響く。
見上げるよりも早く、声の主は身軽にリーブの前に飛び降りた。

「貴女は・・・!」
「本当はヴィンセントの方が殺し甲斐があるのだけど。ねえ、何処に行ったか知らない?」

コロコロと笑ってみせる女性には残忍な笑みが浮かんでいた。
赤いストレートの髪。長い爪。妖艶な笑みで風のように素早く殺していくDGS。
リーブはその名を無意識に呟いていた。

「・・・朱の、ロッソ・・・」

「あら、私のこと知ってるの?折角見つけた獲物だもの、ゆっくりなぶり殺してあげるわ。
ただ・・・貴方だと貧弱すぎて楽しめなさそうね」

あっさりと見抜かれたリーブは苦笑する。

「・・・まあ、弱いことは認めますけどね」

しゅっ、と一瞬でロッソの姿が消え失せる。
リーブは咄嗟に避けようとしたが、同時に走った痛みに思わず左腕を押さえた。

押さえた箇所から鮮血が溢れて、滴っていく。

「・・・あら。案外素早いのね」

ゆっくりと背後を振り返ると、彼女は血の付いた指をぺろりと舐めているところだった。

『リーブ!?何があったんや!!』
「・・・」

神羅が作り上げたDGSという殺人兵器。
中でも朱の名に相応しい彼女は、完全にリーブを傷つけることを楽しんでいる。
リーブでは、銃は通用しない。

・・・魔法を使うしか・・・。

僅かな風を感じ取り、何とかその場から跳ぶ。
ざっくりと割れた右の頬から血が流れた。

「・・・ふふふ、一気に殺さないようにするって難しいものね・・・!!」

お気に入りの玩具を少しずつ壊すような響き。
リーブは少しずつ体力が削られていくのを感じながら口を開く。

「・・・生きて、いたんですね・・・」
「そうよ。死ぬつもりだったんだけど、生憎まだ死ねなかったみたい」
「・・・他の、DGSは・・・」
「知らないわ。見てないもの」
「そう、でしたか・・・っつ!!」

ひゅっと鋭い風が右足を貫く。
ぼたた、と新たな傷口から大量の血が吹き出す。

「いい具合に赤く染まってきたようね・・・」

目眩を堪え、リーブは女性を見据える。

「・・・他に、誰か、見ていませんか・・・?」
「何でそんなこと聞くのよ?」

不機嫌そうに腕を振るうと、
リーブの体に新たな傷が刻まれていく。
ふらりと傾ぎ、そのまま地に伏せる。
後を追うように、じわりと血溜まりが広がっていく。

その様子に彼女はふん、と鼻を鳴らす。

「つまらないわ。貴方。もっと楽しませてよ」
「・・・無理、ですよ・・・」

掠れた声は、浅い息で途切れていく。
もう視界も霞んで。

『・・・自業自得、ですね・・・』
『リーブ!!!!』

気配にゆっくりと目を開けると、目の前に真っ赤なヒールがあった。
彼女が手を振りあげる。
が、不意にぴたりと止めた。

「・・・何を笑ってるのよ」

リーブは微かに微笑んでいた。

・・・せめて。
もう一言だけ、彼女に届けられれば。

「・・・生きて、くださいね・・・」

   *   *

ロッソは気を失った男に対して、
珍しく止めを刺すべきか・・・迷っていた。

「・・・何よ・・・。なんなのよ・・・!!!」

彼女が殺してきた相手は、みなロッソに向けて恐怖か憎悪を向けてきた。
悲鳴を上げて、血しぶきを上げて、絶命していく。
その一瞬だけが、ロッソに生きていることを感じさせるときだったのに。

何故この男は穏やかな態度を崩さなかったのだろう?

何故自分を殺そうとしている相手に笑顔を向けたのだろう?

何故最後に・・・生きてほしいと告げたのだろう?

「・・・な、何とか言いなさいよっ!!!」

男を中心に広がっていく朱は、彼女が望んだ結果。
こぼれていく命は、もう僅かしか保たない。

放っておけば、死ぬ。

「っーーー!!!」

混乱の中でもう一度手を振り上げた。

「ロッソ!!!」

鋭い一喝が、彼女の動きを再度止めた。
ぎこちない動きで振り返る。

そこには、あの日初めて自分に敗北を与えた男が似つかわしくない小さな縫いぐるみを抱えていた。

「リーブっ!!!!」

異なる名前が、その縫いぐるみの絶叫となった。
一目散に駆けていくその縫いぐるみを壊す気には何故かなれず、
ぼんやりと行方を目で追う。

小さな猫は、伏した男の前で狂ったように魔法をかけていた。
間に合うのだろうか。そして不意に思い出す。

リーブ。

それは、嘗てDGが敵対していた組織のトップの名前ではなかったか。
ちらりと振り返ると、確かにあの日殲滅してやると睨んだ男と一致していた。

WROのトップが何故一人でDGに来ていたのか?

それに、何故、WROの隊員を残虐した自分に・・・
そう、この男は自分が何者か知っていたのだから・・・
生きることを望んだのだろう?

「・・・ロッソ」

殺すなら殺し甲斐のある男がいい、と先ほどなら喜んで殺し合いをしただろう相手に、ロッソは呟く。

「・・・馬鹿な男」
「・・・?」
「・・・悲鳴でも憎悪でもぶつければいいのに、どうして笑うのよ!!!」
「・・・リーブのことか」
「馬鹿じゃないの!?
殺そうとする相手に、『生きてください』なんて、ふざけてるのもいい加減にしなさいよ!!!」
「・・・」
「なんでっ・・・!!!」

それまで黙って聞いていたヴィンセントが一言だけ、問う。

「どうして泣いている」
「・・・はあ?」
「気付いてないのか」
「・・・え・・・?」

恐れるように、ロッソは酷く時間をかけて頬に触れる。
赤く染まったままの手に、透明な滴があった。

「・・・どう、して・・・」

混乱しているロッソの横を、ヴィンセントが通りすぎる。
そして血溜まりの中にいる男とその脇で懸命に魔法を使っている猫の前で膝をつく。

「どうだ」
「・・・何とか傷は治したけど、この出血や。早いこと輸血せんと・・・!!!」
「わかった」

ヴィンセントは目を閉じる。
体が光に包まれたと思うと、翼をもつ異形の姿に変わっていた。
無造作に血塗れの男を肩に担ぐ。

「・・・先にいく。いいな」

ケット・シーがこくん、と頷いた。

   *   *

ヴィンセントが飛び去るのを見送って
ケット・シーは隣で茫然自失なロッソを見上げる。

「・・・あんさんやろ。リーブはん傷つけたのは」
「・・・そうよ。それがどうしたのよ」

ロッソはふいっと目を逸らす。
ケット・シーはちら、と血溜まりへと視線を向けた。

「多分、リーブはんは・・・あんたを助けにきたかったんやろうな」
「何を言ってるのよ・・・!!!」

確かに苛立っている彼女へと、ケット・シーはやれやれと首を振るう。

「こうなることは分かってたやろうにな。ほんま、ボクから見ても阿呆やわ」
「・・・。ちょっとは止めなさいよ」

奇しくもヴィンセントと同じ台詞を言い放つ。
だが彼女はそれを知ることはなかった。
ケット・シーは縫いぐるみらしからぬため息を大きくついた。

「止めて聞くなら幾らでもゆうけどな。聞かへんし、曲げへんし、・・・ほんま大変や」

猫の外観に警戒が薄れてきたのか。ロッソがぽつりと呟く。

「・・・なんで、あたしを助けようとするのよ。敵じゃない」
「リーブはんからみたら、DGSは無理矢理敵になるようし向けられてた人さかい、もう敵やと思てへん」
「・・・何ですって?」

ロッソの声が裏返る。それほど、彼女にとっては予想外の返答だった。

「神羅のせいで、こんな暗い地下に閉じこめられて実験されたら、人格崩壊せんほうがおかしいわ。
で、多分オメガ戦役の後の捜索で、何人か遺体が見つからんのがおったんやろ」
「・・・それで、来たってわけ?」
「気にしいやしなあ」

むっつりと黙り込む彼女へ、猫が再度見上げる。

「・・・で、どないします?」
「・・・何よ」

今度はちらと、しかし確かに視線が合う。

「ここにおっても、確実に死にまっせ。どや?もういっぺん、地上にでてみいへんか?」
「・・・殺してこいってこと?」
「ちゃうちゃう。・・・気になってるんちゃうか?」
「何を」
「リーブはんや。派手に血い流したさかい、暫く目え覚まさへんやろうな」
「だ、誰があんな男っ!!!」
「聞きたいことあるんちゃうんか?」
「べ、別に」

ふいっと再び視線が逸らされる。

「んーまずはその血、なんとかせんとなあ」
「だからっ!!」
「一瞬でいいんや」

殊更静かな声音。

「?」
「リーブはんに、あんさんが生きとるって見せたってな。そのくらいええやろ?」
「・・・」

返答はない。
けれど、拒絶する様子もなかったから。
ケット・シーはにいっと笑った。

「ほんじゃ、いこか」
「・・・。待ちなさいよ」
「へ?」

ヤケクソのように、猫を小脇に抱える。

「・・・ロッソはん?」
「あんたの足じゃ、とろすぎるのよ!!!」

叫んで、彼女のもてる最速で飛び出した。

   *   *

「・・・で、この結果とこの面子か」
「はあ」

WRO本部、医務室。
慌ただしく輸血の対応を終えたシャルアはつい、と視線をケット・シーに移した。
血の気の引いたリーブはベッドに昏々と眠り続けており、
部屋の外には壁に寄りかかったヴィンセントと俯いたロッソという異例の組み合わせがいた。

「・・・そや、ヘリに乗ってた隊員はどないです?」
「あ?ああ、あいつらは既に手当を終えて、戻ってるさ。局長が意識不明と聞いて慌てふためいてたぞ」
「はは・・・」

乾いた笑いを漏らす黒猫に、シャルアは鋭い視線を刺す。

「おまけにあいつはロッソだな?」
「あれ?シャルアはん、ご存じで?」

大げさに首を体ごと傾ける猫に、シャルアは淡々と答えた。

「まあ、見かけたことがあってな。そこにいるヴィンセントとロッソが戦ったときに近くにいたからな」
「・・・あー。エッジでっか」
「ああ。それからヴィンセントを担いでWROに戻ってきたわけだが」

ケット・シーは深く頷く。

「・・・道理でヴィンセントはんがシャルアはんに頭あがらんわけやな」
「なんか言ったか?」
「いんや、なーんも」
「で」
「で?」
「何故ロッソがここにいる?」

じろり、と猫を睨み付ける。

「あー。リーブはんに聞いてや。ボクらが来たときにはもう、ロッソはんはあないな感じやったしな」

シャルアは軽く鼻を鳴らす。

「・・・ふん。どうせまた見境なく助けに行ったのだろう」
「・・・多分、そやろなあ」
「懲りない奴だな」
「全く持って、その通りでっせ」

うんうん、と猫は再び頷く。

「お前もな」
「ボクは違いまっせ」

全身を使って猫は首を振るった。

「ふん。分身のくせに何をいう」
「せやから、ボクはリーブはんの分身やけど性格まで移したわけやないで」
「そっくりなくせに」
「ボクは単なる傍観者でっせ」
「傍観者が渦中に飛び込むのか?」
「そりゃボクは諜報活動が本職やさかい」

間髪入れずに言葉の応酬が続く。
シャルアは思わず苦笑した。

「・・・本当にそっくりだな、お前たちは」
「そないに勝手に納得されても困るんやけどな。で、リーブはんは大丈夫なんやな?」

ああ、と頼もしい科学部門統括は答えた。

「傷はお前が治していたからな。出血量は危険値の一歩手前。数刻で意識くらいは戻るだろう」
「おおきに」

ケット・シーはほっと安堵したように笑う。
まるで人のようだな、とシャルアは思う。そして、ちらとベッドを見遣る。

「こいつは自分の立場を弁える気がなさそうだな」
「そやなあ」
「お前は立場を弁えている・・・というよりも、全て受け入れている感じだな」
「ボクは・・・」

   *   *

ミッドガルでの戦闘は、
並行して実施していた敵組織本部への侵攻とリーダーの捕獲という形で幕を下ろした。
捉えられたリーダーはWRO局長への呪詛を吐き捨て、蛙から復活した護衛隊長に無言で逆さ吊りにされたという。
殺しはしなかったと報告されていたが。

一方、WRO本部にて。

日が暮れて薄暗い廊下をシャルアは足音を極力殺し、病室へと向かう。
WRO最重要人物への警備などシャルアには関係ない。
隊員自ら道を譲るからだ。

静寂に満ちた部屋の中央に、ベッドが置かれていた。
意識不明で横たわる男の顔色は青白い。

当然だ、とため息をつく。

一方的に攻撃され、反撃もしなかったらしい。
血溜まりに沈んだ身体。
ヴィンセント達が間に合わなければ、あの世行きだった筈だ。

・・・死んだらどうするつもりだったのだ、こいつは。

今だって、こいつの腕から繋がる管を抜けば、死ぬ。
シャルアは細いその管に触れ、摘まんでみる。

男は目を覚まさない。

手を離す。

・・・馬鹿め。
あたしが敵だったら、あんたはとっくに墓の中だ。

代わりにそっと男の首筋に触れる。
頸動脈から弱々しいが、確かに伝わる脈動。

・・・生きている。

規則的な脈。
脈など何度も触れてきたものなのに、
何故、暖かく感じるのだろう。

・・・生きている証拠だからか?

目を閉じて、指先から伝わる生命の鼓動に集中する。
ゆっくりと己の気持ちも落ち着いてきたことに気付く。

・・・落ち着く?

今漸く平静になれたということは、その前は
尋常ではなかったということになる。

・・・不安だった、というのか?このあたしが。

たかが人一人の輸血の手配をしただけじゃないか。
なのに。

・・・今体温を感じているこの手を離しがたいと思うのは何故だ?

ただ、暖かい。それが・・・。

相手が微動したのを感じ取り、瞬時に手を引く。
男の瞼がゆっくりと開かれた。
シャルアは内心を悟られないように、軽く声をかけた。

「ん?気がついたか」
「・・・シャルア、さん・・・?」

リーブはまだ意識がはっきりしないのか、ぼんやりした様子だった。
シャルアはさくっと釘を刺す。

「暴走も大概にしろ」

リーブは不思議そうに見つめ返すだけだった。まだ頭が回らないのだろう。
シャルアは畳み掛ける。

「まだ血液は足りてないだろうから、諦めて大人しく寝てろ」

意識も戻り、これで大丈夫だろうとシャルアは踵を返す。
扉をくぐる前に、いつもより小さな声が引き留めた。

「・・・シャルア、さん」
「なんだ」

シャルアは振り返る。
相手はうっすらと笑みを浮かべていた。

「・・・またお会いできて嬉しいですよ・・・」

シャルアは一瞬驚いたように肩を揺らし、そして大げさにため息をついてみせた。

「・・・寝言は寝て言え」

   *   *

翌朝。
リーブがベッドに横たわったままぼんやりと窓の方を眺めていると、
きい、と扉が開いた。入ってきた白衣の女性の名前を呟く。

「・・・シャルア、さん・・・?」
「寝てろ」

ベッドの傍らにやってきたシャルアは、手早く何かを取り替えていた。
透明の小さなパックに詰められた赤い液体は。

「・・・血液、ですね・・・」
「ああ。何処ぞの馬鹿が景気よく抜いたからな」
「・・・はは・・・」

中身を当てると、シャルアの鋭い声が降ってきたものだから、
思い当たる節のあるリーブとしては力なく笑うしかなかった。
シャルアはさり気なく続けた。

「募集かけたら長い列になったぞ」
「・・・?」

言われた意味が分からずシャルアを見返せば、彼女はにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。

「献血だ。局長の危機に血が足りない、と通知したら結構な数が集まった」

リーブはいつもより遅い思考で、漸く気づいた。
そんな募集をしたということは、何故献血が必要になったのかまで告知された筈で。

「・・・え・・・?皆さん・・・知って・・・」

何とか聞き返すと、射抜くような視線に詰問される。

「隠し通せると思ったか」
「・・・」

リーブは沈黙した。
隠し通せるというよりは知らせるつもりが全くなかった、というだけなのだが。

「まあ、十分な量は確保できた。それ以外は、在庫だな」
「・・・集まった方の・・・全員分、ですか」
「下手に献血車を止めるより遙かに効率がいい。これで少々何か起きてもストックは十分だ」
「・・・」

シャルアは、ふう、と息を吐き出し、改めてリーブへと体ごと向き直った。

「・・・あんた、わかっているのか?」

静かな問い。
リーブは、ぴんと張りつめた空気を壊さぬよう、そっと尋ね返す。

「・・・何を、ですか」

シャルアは淡々と告げた。

「ヴィンセントがケット・シーを無視していれば、あんたは死んでいた」
「・・・」
「血塗れのあんたをあたしが放置していれば、あんたは死んでいた」
「・・・そうですね」
「警備が無視したとしたらどうだ?
献血に誰も応じなかったとしたら?
ここにいるあたしがその管を抜いていたらどうだ?
・・・一つでも満たせば、あんたの死は確定だ」
「・・・」

怖いくらいに真剣な瞳を、ただ見返す。
そんなリーブへと、シャルアは低く、唸るように。

「・・・生かされてることを、忘れるな」

強い眼光を逸らすことなく、リーブは淡く微笑む。

「・・・はい。分かっていますよ・・・」

   *   *

シャルアが去った後、リーブはやっぱりベッドからぼんやりと窓を見上げていた。
すると、聴きなれた訛の猫がひょっこりと扉から現れた。

「生きてるみたいやね」
「・・・ケット」

猫型の分身はとことことベッドの傍まで寄って来た。

「ロッソはん、ご要望通りにWROまで引っ張ってきたさかい」

リーブはふっと笑みを浮かべた。

「・・・ええ。ありがとうございます。今は・・・どうされてますか・・・?」
「んー。不本意そうにしとるけど、ヴィンセントはんが監視しとるから、おとなしゅうしとるで」
「そうですか・・・」

リーブはふと視線を外し、無機質な天井を見上げる。
何となく、彼の姿を見たままでは言い出せないような気がしたから。

「・・・ケット・シー」
「なんや」
「・・・ずっと『ケット・シー』、という名前で呼んでましたけど・・・
名前・・・、変えた方がよかったでしょうか・・・」
「・・・はあああああ?今更何ゆうてはるんや??」

暫しかたまったらしい分身は、屹度呆れたのだろう、とリーブは感じ取る。

「・・・貴方の姿形は、私が同じように作ってますけど・・・。貴方の心は、貴方だけですから」
「・・・」

珍しく分身が黙り込む。
リーブは口元だけの小さな笑みを浮かべた。

「・・・お好きな名前があれば、変えますよ・・・」

リーブは天井ばかり見ていたものだから、ぺしっと頬を軽く叩かれたことに驚いた。
そして、もう一度ベッド脇に視線を戻す。
すると、何処かじと目で睨んでいる分身がいた。

「・・・何阿呆なことゆうてるんや」

傍らの分身は、もう一度ぺちっとリーブの頬を叩いた。

「名前っちゅーのはな。呼ぶ人がおるから、名前になるんや。
リーブはんや、クラウドはんたち、WROのみんながボクを『ケット・シー』って呼ぶ。
やから、ボクは『ケット・シー』以外の名前なんてありえへん。それ以外はお断りや」
「・・・そう、ですか・・・」

リーブは音もなく笑う。

「それにな、リーブはん」
「・・・?」
「ボクらは1号から繋がってるんやで?『ケット・シー』、は常に進化しとるんや!」

えへん、と猫は小さな胸を張った。

「・・・進化、ですか・・・」

リーブは呟く。
歴代のケット・シーの記憶はリーブによって繋がっている。
経験を積み重ね成長するというなら、確かにここにいる彼が一番の進化を遂げていると、言えなくはないけれど。

「そや。やから、『ケット・シー』以外の名前は有り得へんで!!」
「・・・ですが」
「何やねん」

幾分不満そうな分身へと、リーブはそっと目を伏せた。

「・・・もう失いたくないんですよ・・・」
「・・・」
「・・・DGに直接侵入して・・・やっと、貴方達の気持ちが分かった気がします・・・」

たっぷり沈黙した分身は、今度はベッドの足を軽く蹴った。
がたんとベッドが小さく揺れた。

「・・・ケット?」
「そやったら」
「・・・はい?」
「今回ボクらがどんだけ大変やったか、分かったやろ」

ケット・シーはもう一度ベッドの足を蹴った。

「・・・今回、ですか・・・?」
「あんさんが勝手にDG行って、WROのみんなやヴィンセントはんらがどれだけ心配したか、わかったやろ?」

げし。
駄目押しのように、分身は蹴る。
リーブは大人しく謝った。

「・・・すみません・・・」
「助けたいんやったら、みんなでやる。・・・それがWROちゃうんか」
「・・・そう、なんですが・・・」
「何や」

口答えした主へと、猫はぎろっと睨んできた。
リーブは苦笑した。

「・・・そうすると・・・私だけ行かせてもらえないじゃないですか・・・」
「・・・。リーブはん、懲りてないんちゃうか?」
「・・・十分身に染みてますよ・・・」
「何処がやねん」

ケット・シーはどがん、とベッドに跳び蹴りを食らわせた。

   *   *

数日後。

成り行きでWROに留まっていたロッソは、
監視役のヴィンセントに首根っこを掴まれ、廊下を引きずられていた。
彼らを先導しているのは、ケット・シーだったが。

病室の扉前には、白衣の女性が腕を組んだまま壁に凭れて待ち構えていた。
彼らを見るなり、軽く鼻を鳴らす。

「面会OKだ。但し、15分のみだな」

言い捨てて、扉を視線で指す。
ロッソは今更ながら抵抗した。

「な、なんで連れてこられるのよ!!!帰らせなさい!!!」

じたばたと逃れようとするがヴィンセントが面倒くさそうな顔で引きずる。

「さっさと行くぞ」

そんな彼らの遣り取りもさらりと流す猫は徐に扉を開ける。

「ほな、いきまっせー」
「離せっ!!!」

2人と1匹が中に入るのを見届け、白衣の女性、シャルアは呆れたように呟く。

「・・・やれやれ。騒がしいことだな」

   *   *

ベッドに横たわっている男がこちらをみて軽く目を見開く。

「・・・ロッソさん」

不本意ながら連れてこられたロッソはふいっと中央のベッドから目を反らす。
ヴィンセントは相変わらずロッソを背後から監視し、ケット・シーは傍で突っ立っていた。
ロッソは言い訳するように早口で捲し立てる。

「あたしは帰りたかったのよ。でもこいつが、」
「・・・すみません」

遮るように滑り込んだ謝罪の言葉に、ロッソは意味を取り損ねた。

「・・・は?」

うっかり視線を合わせてみれば、リーブはすまなさそうに苦笑していた。

「・・・ちゃんと、汲まなく調査できていれば、こんなに遅くなることもなかったんですが・・・」
「何のことよ?」

ロッソはイライラと聞き返す。

「・・・ずっとDGにいたんですよね・・・」
「当たり前じゃない」
「すぐに助けにいければよかったんですが・・・」
「何をいってるの。私は貴方を殺そうとしたのよ?」
「・・・お会いできたとき、ちゃんと説明できればよかったんですが・・・。
すぐに意識が飛んでしまいました。・・・体力不足ですね・・・」
「だから何を言って、」
「ずっと助け出せずにすみません。これからちゃんと、WROが責任を持って貴女を保護しますので」

そういって、リーブはふわりと柔らかく笑った。

「・・・はあ?」

今度こそロッソは絶句した。
リーブの言葉は、余りにもロッソには理解できいないことばかりだった。

「・・・ああ、WROに入れ、ということではありません。この地上での生活に慣れるまでの保護です。
手始めに、治安部隊の新入隊員に、人を殺さない方法を教えてもらえませんか?」
「・・・待ちなさい!」

ロッソはばっと手を振るう。
ギラギラと殺気を込めてリーブを睨みつけた。

「勝手に進めないで。第一あたしは人を殺さない方法なんて知らないわ」

苛立つロッソへ、それでもリーブは微笑んだままだった。

「・・・いえ。貴女はご存じですよ」
「そんなもの、知るわけ・・・」

リーブはにっこりと笑った。
彼独特の、食えない笑みで。

「私を、殺さなかったでしょう?」
「っ!」

ロッソは咄嗟に言い返せなかった。
殺さなかったのは成り行きで。
だけど殺せなかった、とはプライドが許さない。

『時間だ。出ろ』

ドアの外から、シャルアが命じる。
リーブは背後のヴィンセントへと、楽しげに言い放った。

「それではヴィンセント、後をお願いします」
「・・・おい、リーブ」

   *   *

こうして。
勝手に決められてしまったロッソは、
見事にとばっちりを食ったヴィンセントの監視の下
(といっても背後でぼおっと立っていただけだが)、仕方なく訓練所にてWRO隊員の相手をしていた。
ロッソは相手を殺してやろうかと思うこともあったが
その度に食えない笑顔が思い起こされ、やけになって相手を文字通り放り投げていた。

そんなある日、ロッソは再びリーブに呼び出され、
ヴィンセントに矢張り退路を断たれたまま、不承不承病室を訪れていた。

「何よ、なんか用事なの?」

苛立つロッソへと、リーブは上半身を起こす。

「隊員たちに聞きましたよ。かかってくるすべての隊員を特訓してくださっていると」
「特訓じゃないわよ、投げ飛ばしているだけよ」
「ええ、誰も殺すことなく、ですね」
「ふん、そのくらい出来るわよ!」
「ええ。知ってますよ・・・」
「・・・」

何となく癪で、ロッソはふいっと視線を外す。
そして窓際に置かれている瓶と一輪の白い何かを見つけた。

「・・・あれは何よ?」

ロッソの視線の先を辿り、リーブはにこりと笑った。

「花、ですよ」
「花・・・?へえ、こんなのがあるのね」

思わず、といった様子で窓際に歩み寄るロッソへ、リーブは僅かに首を傾げた。

「・・・気になるのですか?」
「な!べ、別に、こんなもの!」

そういいながらも、ロッソはちらちらと花を気にしていた。
リーブは何か思いついたように意味ありげに笑った。

「種類によっては、特有の地域にしかみられない品種もあるんですよ。
純白に金が一筋入ったものは、ニブルヘイムでも特に今の時期にしか咲かないそうです」
「へえ・・・」

ロッソは素直に感心していた。

「じゃあ、行きましょうか」
「は?」

振り返ったロッソの前で、リーブはよっとベッドから降りた。

「ニブルヘイムですよ。知り合いに特殊な花を専門に育てているものがいるんです」
「ま、待ちなさいよ」
「え?ああ、そうですね。一応確認しましょうか」

そういって、リーブは端末を取り出す。

「・・・リーブです。お久しぶりです。ええ、実はあの花ですが・・・。そうですか。ありがとうございます」

ぱちん、と端末を畳む。

「あるそうですよ。但し早く来なければ、最後の花の見頃を過ぎてしまうそうです。急ぎましょう」
「ちょっと、だから・・!」

   *   *

「・・・ということで、本日よりここで働くことになった、ロッソさんです」
「・・・はあ!?」

ニブルヘイムに広がる山々の中腹。
問答無用に建てられた小さな山小屋にて、ロッソは驚愕の余り叫んだ。

ぬけぬけと言い切ったのは勿論リーブ。
相変わらずの食えない笑みでにこにこと見守っている。
対する山小屋の主、筋肉むきむきの初老の男はカールと名乗り、ぺしっと自分の頭を叩いた。

「待ってたぜ、姉ちゃん。どうも俺だけでは最近採りに行くのがきつくてなあ」
「ええ、よろしくお願いします」

リーブは勝手に答える。
さくさく話を進める二人へとロッソは慌てて抗議した。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!説明しなさい!」

エキサイティングしているロッソへリーブはきょとんと振り向く。

「・・・何を、でしょう?」
「花を見に来ただけじゃないの!」
「ええ。ですから、花を見るためには採取してこなければならないんですよ。ですから、それをお願いします」

にっこり笑顔を向けられ、ロッソはぶんっと音がしそうなほど顔を背けた。

「知らないわ。勝手にすれば」

だがリーブは動じない。
しんみりとした口調で続けた。

「あの花は滅多にみれないそうです。しかも年々数が減ってきている・・・。
来年はもう見れないかもしれません」
「・・・」

カールも畳みかける。

「そうだぜ。俺だってやっとこさ見つけたんだ。が、崖の上じゃなあ・・・。
あの高さじゃあ、俺は採ってこれねえ」
「私も無理ですね」
「・・・」
「・・・」
「・・・・・・・」

山小屋に何とも言えない沈黙が落ちる。
リーブもカールも口を開こうとはしなかった。
ただ、じいっとロッソを見ているだけで。

耐え切れなくなったのは、やはりロッソだった。

「・・・。もう、分かったわよ!採ればいいんでしょ、採れば!!!!」

   *   *

結局根負けしたロッソだったが、
花の採取の前にやれ植物の構造を知っておけだの、
やれ道具の使い方を覚えろだの
(といってもシャベル程度なので大したことはないが)
根も土もついたまま採ってこい!だの
やたらと注文を付けられたが、持ち前の素早さであっという間に目的の花を手に入れた。

山小屋に戻ってきたロッソの持つ植木鉢に、百合に似た可憐な花が揺れている。
純白の花弁に一筋の金色が美しかった。

リーブは柔らかく微笑み、ロッソを労わった。

「・・・お疲れさまです、ロッソさん」
「・・・ふん」
「・・・綺麗ですね・・・」

カールも満足そうに花を眺めていた。

「ああ。ここ一帯にしか咲かない、貴重な種だ。大事に増やさねえとな」
「・・・え?」

ロッソが思わずカールを見上げた。
リーブが穏やかに訊ねる。

「どうしました?」
「増やす、ですって?」

リーブは力強く頷く。

「ええ。ここは植物の絶滅危惧種を専門に保護し、増やす研究所なんですよ」
「ま、研究所っていっても山小屋だけどなあ」

ロッソは二人を見比べた。

「・・・じゃあ、うまく行けば、この花を一面に咲かせることもできるの?」
「ええ、勿論ですよ」
「姉ちゃんが手伝ってくれるってんなら作業も捗るな!」

何処となく嬉しそうな二人に、ロッソは仕方ない、といった表情で、承諾した。

「・・・。・・・分かったわよ」

   *   *

「・・・ってな具合で、ロッソの奴は花屋に転職したんだと」

所変わって、エッジにあるセブンスヘブン。
シエラ号館長は嘗て敵として対峙した女性の近況を上機嫌で報告していた。
暫し沈黙したリーダーは、徐に感想を呟く。

「・・・。随分と思い切った転職だな」
「ねえねえ!そしたらお花が沢山増えるのかなあ!」
「花なんて教会にも咲いてるだろ」
「違うの!もっと種類の違うお花!」

軽く言い合う子供たちを見守り、女店主は微笑んだ。

「貴重な種ばかり扱ってるんでしょ?ちょっと店のアクセントに交渉できないかしら」

   *   *

「ちょ、ちょっと貴方!張り切るのはやめてちょうだい!
またぎっくり腰になったら、面倒なのよ!」
「いやいや、まだまだあの崖の向こうくらいは・・・!」
「諦めなさい!年ぐらい考えなさいよ!!
ああもう、あたしが採りに行くからおとなしくしたらどうなの!!」

ニブルヘイムの山奥。
初老の男性と若い女性という凸凹コンビが目撃されるようになった。
毎日ギャアギャア言い合いながらも互いに協力し、貴重な植物の保護に日々取り組んでいたため
町の住民に温かく見守られているという。

そして、今日、噂のコンビをこっそり見に来た、2つの影があった。

「・・・思いの外、いいコンビになったようですね」
「局長ー。これで安く花を仕入れられるとか思ってるでしょ」
「おや。ばれましたか」
「まーしかし、あの朱のロッソがねえ」

影のうちの片方、護衛隊長は嘗ての殺気に満ちた女性の姿を思い返し、しみじみと呟いた。

「感受性が豊かですからね。きっと美しい花を見事に咲かせてくれるでしょう」

もう片方の影、局長は当然と言わんばかりに微笑む。

「・・・。だろーな」

護衛隊長は穏やかに遠くのコンビを見遣り・・・
急に傍らの局長を振り返ると、意地悪そうににやあ、と笑った。

「で。覚悟は出来てるんでしょうね?」
「・・・覚悟?はて、何のことでしょう?」

局長はわざとらしく、首を傾げた。

「俺を含めて3人分。蛙にしてくれたお礼がまだでしたよねえ、局長?」
「おや?そんなに蛙がお好きでしたか」
「それからシャルア統括からのお礼もあるんですけど」
「おやおや。珍しく人気ですねえ」
「そうしてとぼけてられるのも、今のうちです」
「では帰りましょうか」
「さくっと無視しないでくださいよ」

話をさらりと流そうとする局長。
護衛隊長はさっと銃を構えて見せた。
狙いは勿論。

「おや。レギオンが銃を持つなんて初めて見ましたよ」
「じゃあ、そういうことで」

護衛隊長はにやにや笑いながら銃をぶっ放す。
局長は何とか避けた。

「・・・ちょっと。危ないじゃないですか」
「ちょっと。避けないでくださいよ、局長」
「いえ、普通避けるでしょう」
「ふふふ。何処までもつでしょうかねえ、局長?」
「・・・本気ですか」
「4人分のお礼ですから!!!」

嬉々として護衛隊長は銃を撃ち、局長は逃げ回った。
山を舞台とした緊張感のない鬼ごっこが続いたが、そこは二人の戦闘能力の差。
局長はあっさりと崖っぷちまで追いつめられた。

「ええと、あの・・・レギオン?」

一応両手を挙げて降参を示したが、パンっと妙に小気味のいい銃声が響く。

「・・・これ、は・・・、・・・麻酔・・・銃・・・?」

局長はぱったりと倒れ、その体を支えた護衛隊長は、やれやれ、と首を振った。

「・・・全く。
完治してないくせに勝手に抜け出さないでくださいよ、局長。
・・・俺たちがどんだけ焦ったか、分かってるんですかねえ?」

fin.