狐鶏鼠

「・・・隊長」
「・・・」
「余り思い詰めないでください。
シャルア統括も来たんです、絶対に助かります」
「・・・」
「ちゃんと食べてくださいね」

彼はそういって去っていった。
隊員が置いていったサンドイッチをぼんやりと見遣る。

あのとき。

何故この会場に子供がいたのか。
不審に思ったのに、あいつを止められなかった。
俺は割り込んででも止めるべきだったんだ。
なのに、・・・間に合わなかった。

何度目か分からない舌打ち。

「・・・助かってくれ・・・!」

俺は初めて何かに祈った。

*   *

そして。

誰の祈りが通じたのか、
それとも全員分でやっとこさ満ちたのか、
はたまた単なる偶然か。

シャルア統括が「助かった」と報告してくれた。
酷く窶れた顔色が、彼女の尽力を示していた。

「・・・統括」
「なんだ?」
「・・・ありがとう」
「・・・あたしは何もしてないさ。
あいつが、自力で戻ってきたんだろう」
「そうですね・・・」

俺はそれでもじっとその場を離れずにいた。

*   *

どのくらい経ったのだろうか。
俺の意識に元気な声が割り込んできた。

「あーー!!!いたいた!!!!暗いソルジャー!!!」

やけに明るい声は、俺とともに護衛として残った星を救った英雄の一人。

「元ソルジャーですってば。・・・俺に、何か用事ですか」
「リーブのおっちゃんが呼んでるよ?」

*   *

警護に当たっている部下に適当に挨拶をし、
普段よりは慎重に、俺はホテルの医務室に足を踏み入れた。

部屋の中央に置かれた白いベッドには、
まだ顔色が十分でないトップが半身を起こし、じっとこちらを伺っていた。

「・・・どうも」

俺は何となく近づくのがはばかられ、
真正面に突っ立ったまま、曖昧に声をかけた。
彼は真摯な表情で口を開いた。

「・・・私が何故貴方を呼びだしたか、分かりますか?」
「・・・いんや」

俺は正直に首を振った。

他の組織なら、護衛失格の隊長など解雇だろうが、
WROは余程の理由がない限り解雇処分はない。
しかし解雇以外の用事が思いつかなかった。

「・・・そうですか」

彼は静かに答えるだけだった。

「・・・」
「・・・」

暫し、気まずい空気が流れる。
先に沈黙を破ったのは彼だった。

「・・・一応先に言っておきますが、シャルアさんの許可は貰ってます」
「・・・は?何を・・・」

意味が分からず、俺は聞き返そうとしたが、
続く言葉に遮られた。

「小さき者、弱き者、死に急ぐ者 身を守る術を思い出せ・・・」
「へ?」
「・・・狐鶏鼠」
「え?」

彼が意味不明な言葉を言った途端、俺の体は不思議な光に包まれた。

・・・魔法なのか?

光がゆっくりと消えていった後、彼は穏やかな口調のまま、尋ねた。

「・・・どうですか?」
「・・・どうも、何も・・・」

俺は自分の体を素早くチェックしたが、特に異変はない。
直接攻撃ではないらしいが・・・。

「では・・・。狐鶏鼠」

再び光に包まれる。
しかし、外傷はない。
それを何度繰り返したことだろうか。

「一体何を・・・っ!?」

痺れを切らして聞き出そうとしたとき、異変に気付く。
俺はびくっと体を震わせた。
いや、それどころか、体の震えが止まらない。

「な、、何だって・・・」
「如何ですか?」

彼の口調は変わらない。
しかし俺の状態は激変していた。

「・・・っ!!!」

俺は、まるで戦場に初めて足を踏み入れた
ど素人のように怯えていた。
目の前にいる男が怖くて仕方がない。
いや、この男だけではなく、全てが恐ろしい。

俺はなけなしの根性で、ぎりっと奥歯を噛んだ。
全てを捨てて逃げ出したい衝動を抑えるのが精一杯だった。
何なんだ。この俺が、なんで、

恐怖でひきつりそうな声を何とか押さえて、俺は男を睨んだ。

「・・・何を、したんだ、あんた」
「・・・怖い、ですか?」
「・・・」

怖い、どころではないが
認めたくなくて、辛うじて沈黙を保ったが。

「では・・・」

もう一度唱えようとする男に俺はプライドをかなぐり捨てて叫んだ。

「わ、わかった!!怖い、怖いから何とかしてくれ!!」
「はい」

彼は解除の呪文を唱えた、らしい。
らしい、というのは
俺の中にあった恐怖がすっかり取り除かれたからである。

「・・・如何でしたか?」

俺は、ぜーはーと何度も息を切らしてやっとこさ普段の状態に戻した。
恨めしげに睨んでやる。

「・・・人生の中で指折りの、最悪な気分でしたよ」
「そうでしょうね。それで」

彼は殊更深い声音で尋ねた。

「・・・何か出来ましたか?」
「は?」
「最悪な気分なまま、立ち止まっていて何か変わりましたか?」

漆黒の静かな視線が俺を射抜く。

「・・・」

俺は漸くこのトップの意図が分かった。
盛大にため息をつく。

「・・・はいはい。
すんません、落ち込むだけ落ち込んで何にも出来ませんでしたよ」

潔く認める。
この部屋に入ってから先ほどまで、俺は酷く緊張していたことに気付いた。
そしてそれが、先ほどの術の解除で同時に解かれたことも。
こいつもそれを悟ったように、穏やかに笑ってみせた。

「わかっていただければ結構ですよ」

俺はやれやれ、とため息をつく。
確かに、やっといつもの調子を取り戻した気がする。

「・・・が、あんたを護れなかったのは事実だ。精進するよ」
「・・・今回は私に非があるんですけどね。
貴方が落ち込んだままよりは、いいでしょう」

*   *

全く使いものにならなかったであろう俺をあっさりと元に戻したこいつは、さらりと付け加えた。

「・・・それにしても、惜しいですね」

頗る残念そうな表情に、俺は嫌な予感がした。

「・・・何が、ですか」
「もう少しで鶏になれたんですが・・・」
「げっ!!!」

俺は思わず飛び上がった。

「ま、まさかさっきのは・・・!!!」

リーブは重々しく頷く。

「『狐鶏鼠』・・・
相手のBrave、つまり勇気を一時的に下げる効果のある術ですよ。
これをほぼ最低まで繰り返せば、
相手は鶏になって戦場を逃げ回るんです」
「・・・お、おっかねえ・・・!!!」

俺は戦慄の余り冷や汗を拭った。

「そ、そんなやばい術を俺に使ったのかよ・・・!!」
「いつまでも隊長がくすぶっていては志気に関わりますし。それに」

リーブはにっこりと笑ってみせた。
いつもの、こいつの食えない笑顔。

「蛙は、お嫌いなのでしょう?」
「・・・勘弁してください、局長」

俺は全面的に白旗を上げた。
そして、笑った。

「・・・あんたが助かってよかったよ」

fin.