真意

己の中のその感情に気付いたとき、
苦笑したのを今でもはっきりと覚えている。

自分らしいというか。

叶わない想いだと分かっていた。
また、許されないことも承知していたから。

気付いた瞬間に、封印した。

二度と、そんな想いに気付かないように。

   *   *

彼女の目的ははっきりしていて。
憎悪をぶつける相手として、兎に角自分が忘れられることはないだろうと。

だから、彼女には幸せになって貰いたかった。

彼女が自分の命と呼ぶ存在に再び会えたとき、これで彼女は報われると心底喜んだ。
ヴィンセントなら、彼女の大切な存在を助け出せる。
後は、この戦いさえ乗り切れば。だが。

油断。

死んだと思っていた敵が蘇り、本部はほぼ壊滅に追い込まれ、集ってくれていた仲間も大半を喪った。
そして、敵から妹を守ろうとして、彼女は・・・命こそあれ、意識が戻らなくなってしまった。

喪失に打ちのめされていた自分に、彼は告げた。

ーお前はここで止まるつもりか。

ー時を止めた私に前を進むことを教えたのは、お前たちだったんだがな。

立ち止まっているわけにはいかないと思い知らされた。
沢山の犠牲の上に、今自分は存在しているのだから。

彼や仲間たちの力を借り、漸く戦いを乗り切り。
敵と呼んでいた集団を、できうる限り保護した。

いつか、彼らが自らの意志で幸せを追うことができるように。

   *   *

ー何故、生かすのですか。処分してください。

感情を抑えた少女。

ー大丈夫ですよ。
ー何がですか。
ーお姉さんはきっと、目を覚ましますよ。
ー・・・。

そうして2年。
あのとき無理矢理保護した彼らは、ある者は職を手に着け。ある者はWROに居座り。
思い思いの道を歩みだした。そして。
彼女が、目を覚ました。
奇跡だと思った。でも、きっと少女の存在が、彼女を目覚めさせたのだと確信していた。

彼女が大切な命と呼べる妹を連れて、WROを去る、という選択肢もあっただろうに、彼女はそうしなかった。
これまでどおり、WROにいてくれた。

それで、十分だと思った。

   *   *

だけど、あの日。
偶然、みてしまった。
彼女が何気なく放り捨てた紙が、ラブレターだと知った。

絶対に会うべきだと、一方的に主張した。
彼女を幸せにしてくれる人だと思ったから。

・・・封印した筈の胸の奥の痛みなど、
存在から消去した。

やがて、彼女と彼の噂が広まった。
これでよかったと・・・ため息を一つこぼした。

   *   *

夜中に新たな書類の山を処理していると、彼女がまたひょっこりと現れた。
恋人がいるのに、別の男を夜中に訪問するとはどういうことか、
と半ば投げやりのような気持ちで言葉をたたきつけたが。

彼女は彼の想いを断ったと、とんでもない事実をさらりと告げた。

それはどういうことか、と問いつめたくなったけれど、
問いつめてどうなるものでもなく。
代わりに訪問の目的を聞いた。

一刻も早く、この話題を切り上げたかった。
・・・のだが。

「あたしは、あんたが好きだ」

時が凍った。

聞こえてきた言語が正しいのかどうか。
彼女は、誰に向かって言ったのか。

理解できない、理解しようのない内容に
封印があっさり解けそうになって。

慌てて3重にも4重にも鍵をかけた。
なかったことにして、ただ、答えは返さなければいかなかった。

心の中で、大きく深呼吸を繰り返す。
絶対に、これから先の言葉に揺らぎがあってはいけない。

「・・・受け入れられません」

それは確かに自分の中の真実だった。
彼女のレーザーのように心中を見透かせそうな隻眼を見つめ返す。
絶対に読まれてはいけないと、強く言い聞かせて。

「・・・分かった」

思わず安堵の息が漏れた。
そして同時に・・・何かが永久に失われたと感じた。

それは自分の最後の感情かもしれない。

壊れてしまった想いは戻らない。
彼女は離れるだろう。
それでいい。それでなければならない。
これで、終わったのだから。

「・・・あんたの気が変わったら、また教えてくれ」

耳を疑うとはこのことだろうか。
言葉を理解するのを、暫く拒絶していたらしい。

「・・・なっ・・・何、ですって?」

呆気なく動揺する。
揺らぎを見せないはずが、
・・・いや、今はそれどころではない。

「あたしの気は変わらないから、いつでも構わない」
「ちょ、ちょっと待ってください!!ですから、私は受け入れられないと・・・!!!」

狼狽にも頓着せず、普段と変わらぬ口調と態度の彼女は
自分が言った意味を分かっているのか?

「それは今のあんただろう?この先の返事が同じとは限らない。そうだろう?」
「同じです!」
「何故分かる?」

デスクを挟んだ彼女は相変わらず鋭い。
瞬時に切り返せないほどに。

「それ、は・・・」

耐えきれず、視線を外す。
もう十分だから、とは言えなかった。
自分の真意は伝えられない。
言葉に出来るのは、ただ一つ。

「なんだ?」
「・・・貴女にお応えすることはないからです」
「理由になってないぞ、局長」
「・・・」

彼女の強い視線は変わらない。
もとよりこの程度の押し問答では、彼女の追求を逃れることはできない。
・・・わかっているのに、割り切ることが出来なかった。

「理由を言え。気を変えるかどうかは、その理由次第だ」
「・・・分かりました・・・」

覚悟を決めなければ。
これだけは、自分の中の真実だから。

「・・・私には必要ありません。それだけです」

切り捨てなければいけない。

「・・・ほう?
あんたはどうしてもあたしを振りたいらしいが、何故はっきり言わない?」
「・・・どう・・・いう、こと、ですか」

まさか、気付いているのだろうか。
危惧するあまり、言葉が頼りなく揺れる。

「はっきり言えばいい。あたしなど嫌いだと。
それなら女を振る理由として最も分かりやすいじゃないか」
「そんなことっ・・・!!!」

予想外の言葉に、考えるよりも先に叫んでしまった。
直後はっと口を閉ざす。
だが、遅い。
きっと聡い彼女は、わかってしまう。

「・・・ほう。別に嫌ってるわけじゃないのか」
「・・・嫌うわけないじゃないですか。みなさん、私の大切な仲間ですから」

何とか応酬するが、
彼女と対峙する言葉としては足りない。

「誤魔化すな。
あたしが訊きたいのは、あんたがあたしをどう思ってるか、だ。他の人は関係ない」
「っ・・・!!!」

分かっている。
彼女の指摘は正しいことも。
だからこそ・・・これは最後まで隠さなければ。

「で。あんたがあたしを嫌いなら、確かに受け入れられない理由としては尤もだ。
まああたしの気が変わるかは別問題だがな」

相手が嫌っていても、こちらはその気を変えないとはどういうことだろうか。

「・・・あの、少しは考慮しても・・・」
「ああ。あんたがあたしを本気で嫌っているなら
考えてみてもよかったが。
あんたの反応を見る限り、理由は別にある。
・・・違うか?」
「・・・」

やはり、見抜かれてしまった。

「ああそうだ。他に女がいるという理由も効果的だな」
「・・・どうして女性からその言葉が出るんでしょうね・・・」
「あんたが白状しないからだ。で?いるのか?」
「・・・いるわけないでしょう・・・」

がっくりと椅子に深く腰掛けた。
余りにも余りな彼女の推量にも、
普段の自分らしくない動揺にも、
どうしていいか分からなくなる。

「じゃあなんだ?」
「・・・」

俯いて言葉を探す。

いつもなら食えない、と称される笑顔のまま
本意を悟られないように幾らでも思い付く筈の言葉が
何一つ浮かばない。

これ以上追求を逃れることは不可能だった。

「・・・もし、貴女の好意を受け入れたらどうなるか、貴女は分かっていますか?」
「どうなる、とは?」
「・・・貴女は確実に狙われるでしょう。私を脅すための手段として」
「そんなもの、統括になった時点で狙われてるじゃないか」
「その比では無くなります。
今の貴女は科学部門。
それに私個人やWROに対する恨みまで背負わせるわけにはいかないんですよ・・・」

敵は見えず、数え切れないほどいて。
自分の暗殺を企てる者がいなくなることはないだろう。
それに、誰かを巻き込むわけにはいかなかった。

彼女だけは、どうしても。

「結構なことじゃないか」
「・・・えっ?」

反射的に顔を上げる。
世界から命を狙われるかもしれない、
と伝えたはずの相手は表情一つ変えていなかった。

「あんたが狙われる分が減るんだろう?
その分あんたが動けばいいだけじゃないか」
「貴女はっ・・!!!それがどんなに危険なことか、分かっているのですか!?」

デスクを乱暴に叩いて立ち上がる。

彼女が謂われのない悪意に晒され、ある日突然命を奪われるかもしれない。
それは、それだけは、耐えられそうになかった。

「そうだな。局員があんたを心配するくらいには、分かってるよ」
「そうではありません!
私に対することは私の自業自得です、貴女には関係ないことです!!」
「WROに居る時点で関係あるじゃないか」
「とにかく危険です、受け入れられません!」
「じゃあ、あたしが死にそうもないくらい強ければいいのか?」
「馬鹿なこと言わないでください・・・!!
もしも、私のせいで、貴女に何かあったら・・・!!」
「あったら?」

ぐっと詰まったまま、低く唸るように答えた。

「・・・もう、勘弁して下さい。
とにかく、貴女を巻き込むわけにはいかないんですよ」
「そんな理由じゃ、とてもあたしの気は変わらんな」
「・・・それだけでは、ありません」
「ほう?何がある?
今更隠し子がいるとか言うなよ。見てみたいが」
「いませんよ・・・」

はあ、ため息をつく。

「・・・私は、何も返せないんです」
「は?」
「貴女の想いに見合うようなことを、
何一つすることはできません。
私は局長として、この星を、WROを第一に考える義務があります。
貴女個人の幸せのために返すことは、何も・・・」

・・・何も、できない。
WROの局長として、この星の全ての人を守りきることも
出来ていない。
そして、ただ一人の女性の幸せのために
与えることも出来ない。

神羅という組織が消滅して、
今度こそ人々を守るための組織を作り上げようと決意したはずなのに、
・・・それなのに、あの頃以上の無力さを感じるのは何故だろう。

知らず落ちていく視線。

「何をいってんだあんたは。
あたしはあんたに借りばっかり増えてるんだ」
「・・・えっ?」

借り?
彼女は少し呆れたようだった。

「・・・あんたは人に与えてばかりだ」
「いいえ、奪ってしまったもののほうが大きい・・・」
「神羅のことを言ってるのか?」
「・・・いえ。
それだけではありません。
WROの沢山の命も、守れなかった住民たちも・・・」
「それはあんただけの責務じゃないだろう」
「いえ。私の責務ですから」

受け止めなければならない事実に代わりはない。

「・・・相変わらず頑固だな」
「勿論ですよ」
「ならあたしが頑固なのも分かってる筈だ。
あたしが気を変える必要はなさそうだ」

とんでもないことを言い放つ彼女に
慌てて口を挟みこむ。

「は!?い、いえ、そこは変えていただかないと・・・!!」
「それにあんた、結局肝心なことを答えてないじゃないか」
「え?」
「あんたは、あたしをどう思ってるんだ?」
「・・・」

最後まで隠し通す筈だった本心。
何重もの壁を作っていたのに、
呆気なく彼女の視線の前に崩れさった。

観念したように力なく笑った。

「・・・好きですよ。これで、いいんですか?」

完敗だった。

あの日消去した筈の想いは、
認めてしまえばずっとそこにあったのだと思い知らされた。

何も出来ないけれど、
何も叶えられないけれど、

彼女が好きなのだと。

「全く・・・。その一言だけに時間をかけすぎじゃないか?」

有り得ないはずの告白の返事は、
何故か抗議の内容だった。

「貴女がさっさと気を変えてくださらないからじゃないですか・・・」

咎めるように彼女を見れば、
いつもと変わらず、強い瞳でそこにいた。

切り替えるように、ゆっくりと首を振る。

「・・・兎に角、私は今まで通り、貴女に対して特別なことはできませんし、
変えるつもりもありません」
「特別なこと、か。それこそいつもやってそうだがな」
「は?」
「あたしやみんなにWROという働きがいのある職場を提供してるじゃないか。
これは、あんたしかできない特別なことだろう?」
「そんな、特別なことでは・・・」
「あんたが認識してようがいまいが、
あたしにとっても、みんなにとっても特別なことだ。
これは、変わらない」

言い切った彼女は確信しているようだった。

「で、あたしは今まで通り、単なる科学部門統括。
それで、いいんだな?」
「単なる、ではありませんが・・・。
はい、そういうことです」

視線を受け止め、頷く。

「じゃ、単なる科学部門統括としてあんたの月一健康診断の法案でも起草するか」

話が思わぬ方向に飛び火した。

「えっ!?な、何故月一なんですかっ!半年に一回で十分・・・」
「あんたの場合は半年では少なすぎる。
局員が見かねて強制休養とらせたのが
一体どのくらいか分かってるか?」
「皆さんが心配性なだけです」
「へえ?無理矢理測った体温が40℃越えていたことがあってもか?」
「平熱です」

平静を装うことには年期が入っている、と我ながら思う。
実際、熱が上がっているのは珍しいことでもないので
平熱といえなくもない。

「あんたが意地を張りたいのは分からなくはないが、
あんたはこのWROの代表だ。
あんたに何かあったら困るんだ」

淡々とした口調に込められた気遣いに、知らず微笑み返すことができた。

「ですから、大丈夫です」
「あんたは建築士だろう?」
「ええ、そうですが」
「あんた自身では、判断できない病が山ほどあるんだ」
「っ・・・!
そ、それは自分で調べますから」
「論点を変えるな。
あんたが調べたところで、あんたに出来る対処なんて限られてる」
「・・・」
「せいぜい薬を飲むのが関の山だ。
だが、薬で治るものはほんの一握り。
仮にあんたがそれに気づいて対処したとしても、
あんたのことだ、手遅れの可能性が高い」
「どういう意味ですか・・・」
「・・・あんた。
世界の情勢やら他人のことには恐ろしいくらい敏感なくせに、
自己認識は限りなくゼロに近いからな」
「そんなことは・・・」
「なかったら、こんな提案はしない。
会議でも一言の元に却下されるだろうよ」
「・・・」
「WROはあんたが作った組織だ。
だが今や世界を支える礎になってるんだ。
あんたに倒れられちゃ、世界が崩れるんだ」
「大げさですよ」
「事実だ」

すぱんと断言され、苦笑するしかなかった。
まあ自分が倒れたところでイコール世界の崩壊とはならないだろうが、
彼女が少なくとも自分を気遣ってくれていることはわかった。

のだが。

「・・・あたしはあんたに生きてほしいだけだ」

思わず仰け反った。

何も出来ない、と伝えたはずの相手の望みは、
どうやら自分の想像の遙か上をいっていたらしい。
いや、上というよりも。

「シャルア、さん・・・。それ、凄い殺し文句ですね・・・」

生きていること。
そのくらいなら、何とか出来るかも知れない。

「あんたが何も受け取らないからだ。
財も休む暇も拒絶するなら、せめて好意くらい受けとっておけ」
「・・・貴女という人は・・・。
分かりました。私の負けです」
「ふん。最初からそう言え」
「ですが、ひとつだけ」
「何だ?」

どうしても伝えなければならない言葉があった。
最後まで真意を聞き出そうとしてくれた彼女に。

「・・・ありがとうございます。
私は今、誰よりも幸せですよ」
「そうか」
「・・・ですから、貴女も生きてくださいね」

口に出してから、気付く。
自身の願いも、最初から変わらず
シャルアが存在していることだったと。

「当たり前だろう」
「はは・・・。頼もしいですね」
「ああ、序でにもうひとつ受けとっとけ」
「何でしょう?」

尋ねてみると、彼女はずいっと距離を縮めた。

「シャ、シャルア、さん?」

間近に迫った距離に、知らず緊張してしまう。
後ずさりたくとも、顎を捕らえられてしまった。

隻眼を縁取る長い睫が陰を創る。
整った瞼はくっきりと二重で、
ガラス越しの瞳は澄んだ碧色。

あの日、心を奪われた光。

うっかりと見惚れていたら、
あっさりと唇を奪われた。

「っ・・・!!!」
「・・・よし。ああ、浮気をするなら先に言え。
あたしが選定してやる」
「・・・何の話ですか・・・」

始終ペースを奪っていた彼女は、満足そうに帰っていった。

   *   *

がっくりと両手をデスクについていたら、ぽんと背中を叩かれた。
いや、背中というよりも腰のあたりだが。

「結局、らぶらぶやんか」
「・・・ケット・・・。いたんですか・・・」

恨めしげに振り返ったが、彼は飄々と応えた。

「いんくても、あんだけ動揺してたら伝わらんわけないやろ」
「はは・・・」

ケット・シーはリーブの分身。
隠しようのない相手に、リーブは力なく笑うしかなかった。

「・・・よかったやんか」
「・・・」

完全に見透かす相手に、最早言葉を返す気力さえなかった。

「消せるわけないやんか。
あんたの中心にある想いなんやから」
「・・・」

沈黙するリーブに、分身が覗き込む。

「・・・泣きたいんか?」

ふう、とため息をついてリーブは天井を見上げた。

「・・・自分でも分かりませんよ・・・」

fin.