眩暈

局長室へ続く本部最上階の廊下を行く。
朝からの出張と会議をこなし、書類整理のため一旦戻るつもりなのだが。

「局長!!!」

先ほどから何か言いたげな護衛を黙殺して、扉まで歩く。
手にしたPCと封筒のうち、封筒だけを彼に手渡す。

「次の会議は30分後ですね。
ああ、すみませんが、これをシェルクさんに渡してください」
「だからあんたっ・・・!!!っ分かりました!!!
俺が戻るまで、絶対に、局長室を出ないでくださいよ!!!」
「ええ」

にこりと微笑んで、レギオンが走り去るのを見送った。

   *   *

レギオンの姿が視界から消えてから、
殊更ゆっくりとした動作で局長室のロックを解除する。
一歩室内へ踏み出せば、扉が背後で静かに閉じた。

「っ・・・」

途端に張りつめた緊張の糸が撓むようだった。
ふらついた身体を咄嗟に背後のドアへと凭れさせる。
序でに視界が霞むのを、首を振るってやり過ごす。

・・・レギオンが戻るまで、後15分くらいでしょうか。
それまでに、執務机につけば、多分誤魔化せるけれど。

「・・・っは、・・・はあ、」

静まらない動悸に息が乱れた。
右手で胸を押さえたまま息を整える。

・・・情けない。

内心苦笑する。
そろそろ、歩き出さないと。
でなければ、あの心配性の護衛が勝手に大事にしかねない。
伏せていた顔を上げて、扉を離れる。
一歩、踏み出した。けれど。

「・・・え?」

すうっと意識が遠のく。
直後、全身に走る痛みに目を開ければ、斜めに傾いだ硬質な床が映った。

・・・床?ということは・・・。

ああ、とため息をつく。
支え損なった、らしい。
つまり、局長室に無様に倒れている状態。
左手から放れたノートパソコンが、離れたところにぽつんと転がっていた。

・・・データ、壊れてなければいいんですけど。

いつ戦闘に突入するか分からないWROトップのPCのため、少々の衝撃では壊れない丈夫な作りにはしている。
が、思い返せばうっかり落としてしまうことが多かった。
データのバックアップは常に取っているが、PCが壊れればまたセットアップしなければならない。
それは面倒ですね、とぼんやりと思う。

いや、この場合壊れているのは・・・自分だろうか。

動けないまま、ただ体力の回復を待つ。
視界に映るPCの輪郭が不意にぶれて、揺らいだ。

・・・いけない。
このままだと、意識が、保たない。
レギオンが戻ってくるまでには回復して、いつものようにデスクで彼を待ち構えないと。

突如、機械音が響いた。
局長室への訪問を乞う、インターフォン。
朦朧としていた意識がはっと引き戻される。

・・・まずい。

もうレギオンが戻ってきたのか、それとも新たな訪問者か。
兎も角上半身を起こそうとしたけれど、体が鉛のように重くて持ち上がらない。
両腕にまるで力が入らなかった。

・・・ああ、やっぱり鍛えておけばよかった。

何度も試したが、残念ながら自力では起き上がれそうもない。
ならば、訪問者には申し訳ないが居留守を使うしかない。
局長室に自分がいないことは、何も珍しいことではないから。

・・・レギオンだったら、ちょっと厄介ですけど。

『絶対に局長室にいること』。
そう念を押され、返事をしたのは自分だったから。
そしてレギオンは自分の予定を把握している。

・・・まあ、それでも緊急の場合はその範疇ではないんですけどね・・・。

『局長。いるんだろう?』

インターフォンから聞こえてきたのは、鋭いアルトの声だった。
予想外の人物に、思わず呻く。

・・・そう、来ましたか・・・。

科学部門統括を呼び出したのは、恐らく心配性の護衛。
時間稼ぎのために用事をいいつけたというのに、見抜かれていたのだろう。

・・・余計なところで鋭いのって困りますよね・・・。

レギオンがシャルアを呼んだのは、リーブの体調を確認するため、だろう。
ならば、リーブが局長室にいることもシャルアに伝えている筈。

・・・ただの居留守では
異変に気付かれてしまうかもしれませんね・・・。

何としても、彼女に返事をした上で誤魔化さなければならない。
インターフォンに応える為のボタンは執務机にある。
ここから声を張り上げたところで、防音仕様の局長室だから、彼女には届かない。

『・・・局長?』

返答がないことをやはり不審に思ったらしい。
訝しげな声に、焦りが募る。
問題ないことを伝えなければ、また大事にされる。
彼女を誤魔化すには、どうすればいいのか。

ふと、今胸部を圧迫している端末に気付いた。
インターフォンが届かないなら、端末で答えるしかない。
起きあがることは難しくても、端末を取り出すくらいならできるはず。
床に伏せていた体を、何とか仰向けに戻す。

「・・・うっ・・・、はあ、あ・・・」

気だるさに喘いだまま、上着のポケットを探る。

・・・あった。

慎重に持ち上げて、彼女の端末を呼び出す。
浅く、呼吸を整える。
程なく、インターフォンに加え、耳元に彼女の声が届いた。

『・・・局長?』
「・・・すみません、ちょっと取り込み中で・・・」
『何を隠している?』
「・・・隠していることは勿論以前からありますが・・・」
『いいから開けろ』
「・・・ですから、貴方には見せられない資料を広げていますから、
・・・ここを開けるわけにはいかないんですよ・・・」
『・・・見せられない資料、だと?』
「・・・ええ。そう、ですよ」

淡く微笑む。
シャルアに、WRO幹部にも見せられない資料は幾らでもある。
例えば、神羅時代のプレート落下による被害や犠牲者の資料だとか、
とある世界に借りを返したいと思う誰か、から受け取っている資金の流れ、など。

『それは、何だ』
「勿論、答えられませんよ。
・・・ですから、お引き取りください」

きっぱりと答えると、暫く沈黙が続いた。
恐らくリーブのいう状況がありうるのか、考え込んでいるのだろう。
そして、十分にあり得ると、鋭い頭脳を持つ彼女なら判断してくれる筈。

やがて、ちっと舌打ちが聞こえた。

『・・・わかった』

言うが早いか、彼女のヒールが鳴る。
どうやらそのまま科学部門に戻ってくれるようだ。

『だが、また来るからな』
「・・・ええ、分かっていますよ・・・」

・・・よかった。どうにか切り抜けられた。

安堵した途端、ふっと体中の力が抜けた。
端末を握る手の力さえ。

「・・・あ・・・」

端末が手から滑り落ちる。
かつん、と一際堅い音が響いた。

『っリーブ!?』

驚愕する声が、落ちた端末とインターフォンから響く。
どちらも通話を切っていなかったんですか、と苦笑してしまう。
手探りで床を探せば、何とか端末を見つけだせた。

「・・・すみ、ません。
・・・端末を床に落とした、だけ、ですから・・・」

耳元で鳴り響いていたヒールがぴたり、と止まった。

『・・・床?』
「・・・ええ・・・。それが、何か?」

穏やかに返せば、彼女の息を呑む気配が伝わる。

・・・どうしたのでしょう。

もはや思考が回らず、ただ彼女の答えを待つ。
返ってきたのは、先ほどの護衛と同じ緊迫した声だった。

『リーブ、あんた・・・!!!まさか、倒れてるのかっ!!?』
「・・・えっ・・・?」

見透かすような答えに、否定が遅れてしまった。

「・・・いえ、そんな、こと、は・・・」
『立っているにしろ、座っているにしろ、
端末を床に落としたなら、あんたの声が途切れてから端末の落下音までに時間差があるはずだ。
なのに、ほぼ同時だった。
となれば、・・・あんた自身が、床に近い状態でなければあり得ないんだ!!』

端末は耳元にあるのに、
彼女は叫んでいるのに、
声が、酷く、遠い。

「・・・それは・・・しゃがんでいた、だけ、で」
『いい加減にしろ!!』

ぶちっと通話を切られてしまった。
端末の代わりに、繋ぎっぱなしのインターフォンから彼女の怒声が響く。

『・・・あたしだ。
シェルク、いますぐ局長室の扉を開けてくれ!!!
・・・ああ、緊急事態だ、リーブが局長室で倒れている!!!』

「・・・あ・・・」

仰向けに転がったまま、間抜けな声が漏れた。
折角、誤魔化せたと思ったのに。

・・・ばれて、しまいましたね・・・。

薄れていく視界の向こう。
白衣の女性がいた、ような気がした。

   *   *

ふと目を覚ませば、辺りは薄暗くなっていた。
カーテンから少し漏れる光からすると、恐らく明け方頃。

・・・仮眠をとっていたんでしたっけ。

いつもの癖で、腕時計をつけたままの筈の腕を上げる。
手首にある筈の時計はなく、代わりに細い管が繋がっていた。
細い管を辿っていくと点滴があり、透明な薬液が一滴一滴、静かに落ちていく。

・・・あれ・・・?

点滴だけでなく、医療器具がベッドの傍に備え付けられていた。
規則的な機械音を出す装置は心電図をとっている。
どうやらここは局長室の仮眠スペースではなく、医務室に間違いないらしい。
しかし、何故医務室にいるのか。

ぼんやりと部屋を見渡した視線が、一点に止まる。
窓とは反対側の壁に凭れ、座り込んでいるのは、白衣を羽織った女性だった。

「・・・シャルア、さん・・・?」

彼女は片足を折り曲げ、もう片方を真っ直ぐ床に投げ出していた。
伏せた頭を前髪が覆い、顔がよく見えない。

「・・・シャルアさん?」

もう一度呼びかける。
けれど、彼女はぴくりとも動かない。
薄暗い室内では、彼女が息をしているのかも分からなくて。
眠っているだけ、だろうけれど。

・・・もし、そうではなかったら?

どくん、と心臓が嫌な音を立てる。

仲間たちも部下たちも、皆自分よりもずっと強いから
うっかり忘れそうになるけれど。
自分の周りには常に死が付きまとっている。
これまでどれほど沢山の人を巻き込み、死なせてしまったことか。

・・・もし、彼女に、何かあったとしたら?

「っつ・・・!?」

勢いよく上半身を起こしたために、強烈な眩暈に襲われる。
バランスを崩しかけ、首を振るう。
ベッドから転がるように降り、繋がっている邪魔な腕の管を掴んで乱暴に引き抜いた。
電極らしい端子も纏めて毟り取り、床を蹴る間も惜しいくらいに、縺れるように走る。

「シャルアさん!!!?」

身動き一つしない姿にただ焦燥に駆られる。
その細い両肩を力一杯掴んで、揺さぶる。

「シャルアさん!!起きてください!!!」

反応がない。

「シャルア!!!!」

思わず叫ぶと、うっすらとその隻眼が開く。
まだ半分くらいしか瞼は開いていなかったが澄んだ瞳が見返していた。

「・・・リーブ・・・?」
「シャルア、さん・・・!よかった・・・」

がっくりと膝をついた。
どうやら彼女は本当に眠っていただけらしい。
吃驚させないでくださいよ、と内心呟く。
まだぼんやりしている彼女へと微笑む。

「・・・シャルアさん、風邪を引きますよ。
ちゃんと部屋に戻って休んでください」

彼女の頭をそっと撫でながら覗き込むと、
ぼんやりしていた表情が、何か思い出したらしく、はっと覚醒して・・・
やがて目元が少し赤くなっていた。

・・・もしかして、照れてたりします?

いつもは男勝りで、抜群の行動力と決断力をみせ清々しいほど格好いい彼女が、
今は少し赤い顔を俯かせてじっと動かない。
とても可愛らしかった。
そのまま思わず撫でていたのだが、その手を静止させたのは、おどろおどろしい声だった。

「・・・ちょっと待て」
「はい?」
「あんた、・・・何やってんだ?」
「何、と、いいますと・・・?」

ばっと顔を上げた彼女は、・・・目が据わっていた。

「この・・・大馬鹿野郎っっっ!!!!」

至近距離から大音量で怒鳴られ、思わず両耳を塞いだ。

「ちょ、ちょっとシャルアさん、声を抑えてください!」
「やかましい!!!どうせこの病室は完全防音だ!!!」
「で、ですが、時間帯として、」
「煩い!!!あんた、その腕!!!」
「腕?・・・が、何か?」
「右腕を見ろ!!!!」

右腕?
耳を塞いでいた腕を下ろす。
右腕をみると、血が一筋流れていた。
どうやら点滴を抜いたときに、切ったらしい。

「・・・ええと。これが、何か?」

シャルアの隻眼が恐ろしいくらいに光った。

「何か?、じゃ、ないだろう!?
あんた倒れたばっかりじゃないか!!!
勝手に点滴を抜くな!!!さっさと寝ろ!!!」
「ええ!?」

矢継ぎ早に怒鳴られ、思考が追いつかない。

「倒れた・・・って・・・、あ。」

そういえば。
局長室でうっかり倒れたんでしたっけ。
そして、シャルアが異変に気付かないように誤魔化そうとして・・・
端末を落としたせいで、結局看破されたんでしたっけ。

・・・やはり、彼女を欺くのは困難ですよねえ。

のんびりと回想していたら、彼女は痺れを切らしたらしい。

「ったく!!!」

シャルアはすっと立ち上がり、リーブの左腕を掴んでベッドへと引きずる。

「あ、あの・・・」
「さっさと寝ろ!!!」

迫力に押され、しぶしぶベッドに戻る。
横たわると、頭上から彼女の舌打ちが降ってきた。
そして、素早く点滴やら電極やら諸々取り付けられてしまった。

「ったく、油断も隙もないな、あんたは!!!」
「・・・すみません」
「今日から3日間、ここから出られると思うなよ」
「・・・え?・・・3日、ですか?」
「3日だ」
「・・・せ、せめて半日・・・」
「5日にするぞ」

殺気さえ感じられる隻眼に、敗北を認めた。

「うっ・・・。わ、分かりました・・・」
「兎も角、あんたは休養することだけを考えろ。
・・・今度点滴を外しやがったら、どうなるか・・・わかっているな?」
「・・・うわあ」

ここまで最高責任者を脅せる幹部も珍しい。
逆に感心してしまった。
ぶつぶつと何か怒りながら部屋を出ていこうとする彼女を呼び止める。

「・・・シャルアさん」
「何だ!?」

自分を心配してくれた、心優しい女性へ向けて。
ふわりと微笑む。

「・・・おやすみなさい」
「・・・!!!ったく、いいからさっさと寝ろ!!!」

叫び返す彼女の顔が赤く見えて。
くすりと笑む。

「ええ」

fin.