砂の街

気がつけば、あたしは浜辺に立っていた。
自分が持っていないはずの白い水着姿で、かつ右脇に大きな水玉模様のビーチボールを抱えている。
足元をみれば、裸足にビーチサンダル。赤いリボンが場違いなようで、この上なく合っているようで。
穏やかな波の音が聞こえる。

これは、夢だな。

あたしは結論づけた。
しかしあたしに豪遊願望でもあったのか?

空は快晴で、温暖な気候。泳ぐにはすこし早いかもしれない。

周囲を見渡すと、波打ち際にひとかたまりの集団がいた。何やら喋りながら作業をしているらしい。兎も角近寄ってみると、彼らはあたしの家族だと分かった。シェルクは紺のスクール水着。リーブは黒の海パン。ケット・シーは流石に水着ではないが・・・いつもの王冠ではなく頭にハイビスカスの花を指していた。どうやら、あたし以上にバカンス仕様らしい。

更に近づくと、彼らはしゃがんで盛り土を幾つも作り上げていた。

「ここはパン屋にしましょうか。毎朝5時開店で、作りたての食パンを売っているんですよ」
「隣にケーキ屋さんを作ります。ここのイチゴパフェは街一番の評判です」
「んじゃボクはここに新聞屋でも作ろかー」
「住宅街はここ、区画を区切って町内会があるんですよ」
「学校はこのあたりですね」

3人が手のひらサイズの盛り土を幾つも作り上げて並べている。

「・・・街、か?」

あたしは呆れたように呟いた。
何も夢の中まで建築士をやってなくてもいいんじゃないか、と思いながら、いやこいつは根っからの建築士だから当然か、とも納得した。

あたしの声に反応して、3人が嬉しそうに顔を上げた。

「シャルアさん」
「お姉ちゃん!遅かったね」
「いやー待ちくたびれたで」
「・・・待たれていたのか、あたしは」
「ええ、集合時間はとっくに過ぎていますよ?」

何の集合だ、と思いながら、あたしはリーブの隣にしゃがみ込む。
大通り、と思われる一本の太い直線が砂の上に書かれ、それに沿って小さな盛り土が並んでいる。直線から分岐した細い線もいくつも書かれ、さながら街の俯瞰図となっていた。

「でかい街だな」
「そうでしょう?」
「待て」

その場にいなかった人物の声に振り返れば、海パン姿の少年・・・ハンスが大きなバケツを抱えて立っていた。
彼は「ふはははは!」と謎の笑い声をあげて、空きスペースにバケツを引っくり返す。
少し経って彼がバケツをあげると、それはそれは大きな盛り土ができあがっていた。
リーブが感心したようにハンスを見上げる。

「これはこれは・・・随分と大きな建物ですね。これは何ですか、ハンス」
「ふん。書庫に決まっているだろう!」
「いえ。この大きさはありえません」
「シェルク!?」

得意そうなハンスをきっぱりと否定した妹にあたしは耳を疑った。
妹は言い切った。

「これからは電子書籍の時代です。この大きさは必要ありません」
「ふん、これだから近頃のデジタル慣れしたお子様は困る。いいか、紙には紙にしかない良さがある!ハードカバーの表紙、頁を捲る手触り。ましてや古典の名作や貴重な資料は、電子化されていないものばかりだ!貴様のデジタル思考も困ったものだがな!」
「私がすべてネットワークに上げてみせます」
「ほほう?やれるものならお手並み拝見といこうか!」
「いいでしょう。一晩で変換してみせます」

何を熱くなっているのだか。
一触即発な二人に割って入ったのは、やはりリーブだった。

「まあまあ二人とも。ほら、まだまだ土地は余っていますよ?いいんですか、全部私が埋めちゃいますよ?」
「む。貴様に任せると娯楽施設が乱立するだろう。俺が阻止してやる」
「いえ、ネットワーク構築の設備が必要です。私が埋めます」
「いやー楽しそうで何よりや」
「・・・まあ、な」

ただの砂遊びだろうに異様なほど力の入っている彼らをぼんやりと眺める。全身が砂まみれになろうが一心不乱に盛り土を増やす彼らがなんだか羨ましかった。
永遠に街づくりに勤しんでいそうな彼らを取り敢えず見守っていると、ふと疑問が湧いた。

「そういや、この街の名前はあるのか?」
「ここはね、ミッドガルというんですよ」
「・・・なん、だと?」

間髪入れずに返ってきた答え。
思いがけない名称に顔を上げれば、にっこりと心底笑顔のリーブと目が合った。
彼の目には一切の陰りがない。

・・・そうか。

あたしは納得した。
このリーブは知らないのだ。
嘗て己が創り上げ、そして廃墟と化した大都市の末路を。
それとも、全てを忘れて・・・夢の中でもう一度やり直したいのか。

いずれにせよ、ここであたしがいえることは何もない。

「シャルアさん?」

僅かに曇っただろうあたしの表情を目敏く察したのか、心配げな黒い瞳がのぞき込んでくる。
その目に宿る穏やかな光はあたしがよく知るものと同じで、何処までも優しく。
あたしは小さく笑った。

「いい、名前だな」
「そうでしょう?」

自慢げに、誇らしげに笑うあいつを直視できない時がくるなんて。
いや、これは夢だったな。

あたしが内心で呟いたとき、急に空が荒れた。

真っ黒な雲が空を覆い、風が巻き上がり嵐となった。
荒れ狂う波が白い飛沫をまき散らし、空が避けるような雷鳴が轟く。
槍のような大雨が降る中、呆然とするあたしらにリーブが声を荒げた。

「逃げますよ!」

あたしらは兎に角走った。
浜辺から離れた建物の中まで避難して・・・そして見てしまった。
大波が浜辺を直撃し・・・彼らの作り上げた砂の街が呆気なく飲み込まれる様を。

・・・壊れたか。まあ、砂だから当然だな。

あたしは嘆息する。
所詮浜辺での砂遊び。
今例え大波に浚われずとも、いつかは崩れていくもの。

そう、思っていたのに。

隣で聞き慣れた声の、聞いたことのない泣き声がした。
慌てて振り返ると、妹が大粒の涙を流して泣いていて。

「シェルク!?」

あたしは駆け寄って小さな顔に向かい合う。

「ど、どうしたんだ?」
「折角、巧く作れるようになったのに・・・!」
「・・・え?」

ポロポロと止まることなく溢れる涙は、遠い記憶でも思い出せないくらいの大泣き振りで。
妹が本気で泣いていることに驚いていると、背後で「くっ」と何かを耐えるような声まで聞こえてきた。

「ハンス!?」

外見は子供でも中身はどんな大人よりもふてぶてしいといっても過言ではない彼が、悔しそうに顔を歪めて唇を噛みしめていた。

「な、なんだあんたたちは!」
「・・・ええ街・・・やったんやけどなあ・・・」

がっくりと項垂れているケット・シーまで視界に入れてしまい、あたしはいよいよ混乱した。

「ケット・シー、あんたもか!?」

単なる砂の街だろう!?
どうしてこんなにこいつらは落胆してるんだ!?

「ま、待て、落ち着けって!リーブ、あんたも何か言って・・・!」

思わずこの中で、いや世界で最も冷静なあたしの夫に縋りつこうとして・・・固まった。

リーブが、砂の街があった方向を見ながら無言で涙を流していた。
余りの衝撃にあたしは声を失った。
日々襲い掛かる如何なる困難にも取り乱すことなく、治安維持組織の長として対処する男が。

泣く、なんて。

嘗て創り上げた大都市が破壊されたときも、こいつは独りで泣いていたのだろうか。
それとも、・・・泣くことすらできなかったのか。

あたしまで熱いものが込み上げそうになって、慌てて首を振るう。
ただ嘆き泣き暮れる集団に埋もれそうになる。壊れた街を悼む心、嘗てそれを終ぞ表に出すことさえ出来なかっただろう男・・・悲しみの連鎖に巻き込まれそうだった。けれど。

こんなときこそ、あたしが叱咤しないと。
あたしは、いつもの生き生きとしたこいつらじゃないと駄目なんだ。

「あんたら、何をしょぼくれてんだ!!砂の街だろう!?」

「だってお姉ちゃん・・・」
「俺の、俺の書庫が・・・」
「線路までつくったんやけどな・・・」
「・・・ミッドガル、が・・・」

未だにショックから立ち直れない連中に、あたしは叫んだ。

「ったく!確かに街は壊れただろう!だがあんたらは無事だろうが!また、作り直せばいいだけだろう!?」

そう、現実世界で彼らが今も続けているように。
形あるものはいつかは失われる。けれども、作り手が生きているのならまた創りだせばいい。
いや、前よりもよりよいものを創りだせる筈だから。

4人がはた、と気づいたように止まる。
彼らの中心で、リーブがまだ涙の残る瞳で微笑んだ。

「・・・そう、でしたね。私たちは無事ですから、もう一度やり直せばいいんでしたね」
「ああ。そうだ。・・・あんたらが無事なら、あたしは何度でもやり直せる」

あたしは聖人じゃない。
10年間、『命』を取り戻すという目的のためだけに我武者羅に戦い、敵対した者を多く傷つけてきた。だから、『見も知らぬ誰かのために』、なんて綺麗事ではあたしは動けない。でも。

あたしの大切なこいつらが無事なら。
序でに他の奴も助けるくらいの力は、幾らでも沸いてでるだろう。

リーブが眩しそうに目を細める。

「・・・貴女は矢張り・・・強い人ですね、シャルアさん」
「当たり前だ。やっと全てを手に入れたんだからな!」

あたしは不敵に笑った。

『命』である妹・シェルクと。
『心』である夫・リーブ。
そしてリーブにくっついてきた曲者のケット・シーとハンス。

この全てを手に入れたんだから、強いに決まっている。
あたしは世界で一番の幸せものだから。

断言したら、曇天が割れて日差しが差し込んできた。
徐々に嵐は収まり、嘘のように晴れ渡る空。
あたしらはまた浜辺に戻ることにした。こいつらが創った砂の街は綺麗さっぱり無くなってはいたけれど。

「さあ、好きなように作り直すがいいさ」
「その前に・・・」
「ん?」

リーブがにっこりと笑った。

「ビーチバレーでもしますか?」
「へ?」

リーブが指さした先に、何故かずっと小脇に抱えていたビーチボールがあった。

「え!?いや、別に、あたしは・・・!」

全く意識していなかった。が、そういえば一度も手放さなかった気がする。
何でだ!?と混乱するあたしの手を、シェルクがきゅっと掴んだ。

「シェルク!?」
「お姉ちゃん、ビーチバレーがしたかったんだね。ごめんなさい、ずっと砂遊びしてて・・・」
「いや、そういうわけじゃ・・・!」
「御大層にそいつを抱えている時点で、言い訳は見苦しいぞシャルア!」
「あんたは黙ってくれ、ハンス!」
「ボク、トスできるんやでー」
「あんたの身長で足りるのか?」

家族に次々と畳みかけられて気恥ずかしく、でも悪くないような気持ちになった。
そして、誰よりも見透かす男が止めを刺す。

「じゃあ始めましょうか?」

にこにこと、彼はあたしに聞いてくる。
残りの3人も楽しそうに、意地悪そうに、脳天気にあたしを見ている。

「っつ・・・!分かった、あたしの負けだ!ビーチバレーでもなんでもやればいいんだろう!?」

あたしがやけになって認めれば、歓声が上がって。

なんだ、結局はこうなるのか。
そう思いつつも、あたしは口元が緩むのを確かに感じていた。

fin.