ぼんやりと目を開けたものの、視界には何も映らなかった。
いや、闇の世界。

「・・・え?」

リーブはゆっくり起きあがろうとして、ぽてっと失敗した。
背中から脳天に走った激痛に、ひっくり返る。

「・・・ええと・・・?」

感触では室内ではないだろう。
ごつごつした堅い感触から、冷たさが伝わる。
多少ぬるりと液体がこぼれている。
湿気の高い空間に、錆びた鉄のような臭い。
暫く耳を澄ましてみたが、聞こえるのは、微かに水滴の滴るようなものだけだった。

リーブはぽかんと横になったまま思い返す。
ここへ場所に来た記憶はない。
けれど、そこにつながりそうな手がかりは確かに覚えていた。

あのとき、唐突に足下が崩れた。
いや、消えた、という方が正しい。
そのまま体は重力に従って落下した。
・・・そう、落とされたのだ。

直前まで対応していた相手は、
薄く笑って素早く飛び上がり天井にぶら下がったが
リーブは余りに突然すぎて対処出来ず、真っ二つに開いた床から暗闇に落ちた。

そして、暫く気を失っていたらしい。

と、なると、背中の激痛も落ちた衝撃によるもの。
寧ろよく生きていた、と感心するところか。

ともかく何とか背広に隠していたマテリアを取りだそうとして・・・。
ぴたりと手が止まる。

「・・・ない、ですね」

落ちたときにどこかに無くしたのだろう。
端末だけは何とか上着のポケットにあったけれど、予想通り圏外。

つまり、これは。

「・・・まずい、かも・・・しれませんね・・・」

光もなく、マテリアもなく、連絡も取れない。
そしてどうやら背中だけでなく足も負傷している、らしい。
鈍痛と熱を持った体で思考がいつもより遅い。

「・・・やれやれ・・・」

迂闊な自分にため息を吐くしかない。
直前まで交渉していた相手は敵ではなかったのだが
どうやら相手にとっては自分は敵だったのだろう。

・・・にしても、見事な罠ですね。
ウータイのカラクリ屋敷に匹敵するんじゃないでしょうか。

誠意を見せるなら一対一にしろという相手に従ったのは自分で。
レギオンはかなり渋い顔をしていた、と思い出して
はたと気付く。

・・・レギオンは、どうしているんでしょう。

リーブはあの部屋を改めて思い起こす。
豪奢な部室は、当然のことながら防音だった筈。
となれば、部屋の異変に外にいた護衛が即座に気づく可能性は低い。

じれるような動きで、何とか右手の端末をみる。

電波は届かないが、時刻は何とか読みとれる。
あの男と対峙してから5時間は経過していた。

彼らにとっては敵対組織のトップを葬ったことになる。
その護衛も敵と見なされているに違いなかった。
それとも、あの相手なら・・・自分は先に戻ったとでも伝えているかもしれない。
しかし5時間も連絡を絶ったことは非常事態以外なく、
少なくとも異変は察知してくれる、筈。

・・・連絡。・・・ああ、そうだ。

リーブは苦笑する。
自分には、頼りになる分身がいる。

それに思い当たらなかったということは
余程意識が混濁していたのだろうか。

すっと目を閉じてリンクを辿る。

『・・・ケット・シー。・・・聞こえ・・・ますか?』
『っリーブ!?何処にいるんや!!!』

間髪入れず、返事が返った。
けれどいつものお調子者とは違う、切羽詰まった声音。
心配をかけていたらしいと苦笑するが、彼の望む答えは返せなかった。

『・・・何処・・・でしょう・・・?』
『何があったんや!?』
『・・・落とされたことは、覚えているんですが・・・』
『どういうことや!?』
『ええ、・・・部屋の床が抜けて、
対象者を落とす・・・仕掛けだったよう・・・ですね』
『あの会社はあやしいゆうたやろ!!!』
『そう、なんです・・・が・・・っ・・・!!』

背中からの激痛にふっと意識が遠のく。
この分だと、あまり考えたくないが背骨が折れていそうだ。
となると、残念ながら・・・周囲を探索する余裕はない。

『リーブ!?』

鬼気迫る分身の声に、同じように心配をかけていそうな護衛を思い出す。

『・・・レギオンは・・・どう、していますか・・・?』
『無事や!それより、リーブはん、どないしたんや!?』
『ちょっと・・・意識が、・・・っつ、途切れそうな、だけですよ・・・』
『ええか!今あんさんをWROが極秘で探しとる!
場所はあの組織で間違いないんか!?』
『・・・だと、思い・・・ま・・・』

いいかけて、背中からの激痛と足からの鈍痛が重なり、
呆気なく意識が飛んだ。

   *   *

次に目が覚めたとき、やはり場所は変わらなかった。
完全な暗闇。
聞こえるものはなく、時間の感覚もまるでない。

が、熱が上がってきているのは間違いなかった。
背中の液体がどうも増えている・・・。
端末で時刻を確認しようとしたが、力が入らずに、かつん、と音を立てて滑り落ちてしまった。

リーブは冷静に自分の状態を整理した。
背中および足の骨折、高熱により単独での移動は不可能。
場所も特定できていないとなると・・・

・・・間に合わない可能性が高い。

けれど、今ある情報だけは伝えておかなければ。

『・・・ケット・・・シー・・・』
『リーブ!!!』
『・・・きっと彼らにとって・・・闇に葬れる・・・場所・・・
洞窟・・・。・・・』
『しっかりしいや!!!』

きっと、彼らは今までにもこうして人を消していたのだろうと容易に想像できた。
だとしたら、行方不明者のうちここで犠牲になったものも少なくない・・・筈。

『・・・行方・・・・不明・・・者・・・』
『リーブっ!!!』

   *   *

三度目に気がついたときは、もう身動きができなかった。
意識が朦朧とする。
何も映らない視界で、浅い息が自分のものだと、なんとか認識できただけで。

・・・死ぬ、んでしょうか・・・。

ケット・シーに連絡する気力すら残っていない。
高熱に浮かされ、凍えそうな寒さが体力を奪っていく。
背中の液体がどろりと広がっている。
そのときになって漸くそれが、己の血だろうと思い当たる。

一片の光さえない、闇の底。

夢でみたどのパターンとも違う死だけれど。
この場はきっと自分の最期に相応しいのだろう。

WROは自分がいなくても大丈夫だろう。
レギオンが自分を責めなければ、いいのだけど。
仲間たちが、激昂しなければ、いいのだけど。

・・・それから。

微かに笑みが浮かぶ。
脳裏に浮かぶ、美しい碧の隻眼。

・・・最期に・・・みた・・・かっ・・・。

ぷつりと意識が途切れた。

   *   *

ピッ・・・ピッ・・・ピッ・・・。

微かに聞こえる機械音。
身を包むのは、暖かくて柔らかい何か。
ふわりと漂うのは、恐らく花の甘い香り。
そっと、冷たいものが気遣うように額へと乗せられる。

ゆるゆると意識が浮上するけれど、
瞼は重くて開きそうもない。

・・・あれ・・・?

体全体が主人を裏切ったように動かない。
けれど、最後まで蝕んでいた高熱と激痛が消えている。

・・・助かった・・・んでしょうか・・・?

ぼんやりと思うことしかできない。
すっと、首筋に柔らかなものが触れた。

・・・誰かの、手。

血の通った暖かい、そして細い手。
暫くその手が触れていたから、きっと脈をとっているのだろう。

そして、ゆっくりと離れた。

なぜか、それを残念だと思った。
誰の手かはわからないけれど、とても安心したから。

けれど、その手は今度はそっと頬に触れた。
壊れものに触るように、繊細に。

・・・優しい手。

なんだか幸せだと思っていたら、
思考が止まった。

・・・え?

唇に、柔らかい何かが触れていった。

・・・えええ!?

体が動けば盛大に飛び上がっただろうが、
顔の表情筋すら、ぴくりとも動かなかった。
反応を返せないリーブへと、誰かのため息が降ってきた。

「・・・あんたというやつは・・・」

・・・あ。

リーブはその声に出来るなら微笑み返しただろうと思った。
心地よいアルトは、間違いなく彼女のものだから。

「・・・いつまで昏倒している気だ?。
あんたをまた護れなかったと、
レギオンの奴は本拠地を単独で殲滅しかねなかったんだぞ?」

・・・げ。
リーブは内心で呻く。
でも、かねなかった、ということは。

「・・・まあWROの全勢力を持って壊滅させたが」

・・・なんですって?
リーブの思考がまたしても停止した。

「そして、レギオンは
あんたを見つけたあと、すぐさま
全ての首謀者を目にも留まらぬ早さで昏倒させていったぞ。
やつら、レギオンの殺気にあてられて暫く身動きとれないらしい」

・・・何やってるんですか、レギオン。

「あんたの仲間の殺気も凄かったがな。
WRO隊員が乗り込む前に、組織のやつら、殆ど失神していたからな」

・・・。
何をしでかしたのだろう、とリーブは内心頭を抱えていた。

「隊員たちは組織の全ての証拠を押さえた。
行方不明者24名はあんたが倒れていた場所で見つかった。が・・・」

彼女が言い淀んだその先を悟る。
リーブが倒れていたとき、周囲に生存者の気配はまるでなかったから。

「・・・あとは、あんただけなんだ」

少し、間が空いた。

「だから・・・目を開けてくれ・・・」

彼女らしからぬ、懇願に近い声音。
リーブは瞼をあけようとした・・・が、やはりぴくりとも動かない。
歯がゆくて、ただ彼女の気配を探ろうとして、ふと思い出す。

自分は、体が動かなくても、
意思を伝えることができるじゃないか。

『・・・ケット・シー』
『リーブはん!!!きいついたんか!!!』

間髪入れずに返ってくる声。
いつも聞いていた筈なのに、やけに鮮明に響いた。

『・・・気がついたのはいいんですが、ちょっとまだ体が動かなくて・・・』
『そりゃそうやろ!!』
『・・・だから、シャルアさんに伝えてください』
『なら、直接ゆうたらええやろ』
『・・・ケット?』

ケット・シーの見る景色が、とある部屋の前で止まる。
そして、扉が開かれる。

白い部屋、白いベッド。
それが自分が眠っている病室だと、気づく。
突然の侵入者に、傍らの白衣の女性が振り返る。

「ケット・シー?」

驚きの中に憔悴した表情。
折角の綺麗な瞳が陰りを帯びている・・・
それが自分のせいだと、リーブは心が痛んだ。

「・・・心配かけて、すみません」

困ったように笑うと、彼女ははっと目を見開く。

「リーブ!!」
「・・・ちょっとまだ動けないので、もう少し・・・時間をください」
「・・・ああ、わかった」

そういって、彼女はふいに口を噤む。
ケットの首を傾げた。

「・・・どうかしましたか?」
「・・・もう、勝手に危険なところへ行くな」
「え?」
「行くな・・・」
「・・・シャルアさん・・・」

デフォルメの笑顔に負けないように心を込めた。

「・・・ありがとうございます」

fin.