英霊召喚2

その日、リーブは一日中上機嫌だった。
余り人に自分の内面を悟らせないタイプではあるけれど、今日はどうやら分かりやすいほど浮かれていたらしい。
どの会議にでても、「局長、何かいいことでもあったのですか?」と尋ねられ、「実はですねえ・・・」と冒頭の5分程はハンスの紹介と自慢で費やすことになった。部下たちの反応は大抵「よくわかりませんけど局長らしいですね」と言われた。どういう意味でしょうね?

そしていつも通りの会議の梯子を終え、午後10時頃にWRO局長室に戻ってきたらすぐにレギオンがやってきた。

「きょーくーちょー!!!」

レギオンはご機嫌斜めらしい。執務机まで早足でやってきたと思えば、座っているリーブへとずいっと顔を近づけた。

「どうしました、レギオン?ハンスへの案内は無事終わりましたか?」
「終わりましたよ!!!」
「ありがとうございました。お疲れ様です。今日はもう休んでいいですよ?」
「だーかーらー!!!」

ああもう!!!とレギオンは消化不良の感情でもあるのか唸っていた。面白いので放置していれば、やがて彼はだはあ、と大きなため息をついてリーブの前に小さなヴォイスレコーダを置いた。それはこれまでレギオンがケット・シーのファンクラブから依頼され、何度となくリーブとレギオンの何気ない会話を中心に録音してきたもの。何故かその会話が一部の人に好評だったらしく、WRO公認のグッズとして販売され密かな収入源の一つとなっている。本当に何が売れるか分からないものだ、とつくづく不思議なのだが。

それはさて置き、今ここでヴォイスレコーダを置く意味が分からず、首を傾げる。

「また何か録音するのですか、レギオン。ですが、今はゲストも呼んでいませんが?」
「いや、まあ漫才シリーズじゃなくって、ですね。聞いてほしいものがあるんです。ちょーっと、長いですけどね」

レギオンはヴォイスレコーダーのRECではなく、PLAYボタンを押す。
聞こえてきたのは、召喚してから終始憎まれ口を叩いていた低い声だった。

『おい、貴様何をしている?』
『いやだって、こっちとハンスの世界の文字が違うもんだから、ハンスの話をシェルク統括が打つんでしょ?万が一聞き逃したりとか聞きとれなかった場合に、ハンスがもっかい話すのも大変かなーと』
『レギオン。私が打ち損じるとでも?』

割り込んできたのは、少女の綺麗なソプラノだった。レギオンの台詞にもあったシェルクの声。

『いやーですから保険ですって、保険』
『・・・まあ、いいでしょう』
『んじゃ、ハンス・・・いんや、作家先生、よろしくお願いします!』
『・・・ふん。まあ、読者が存在しないことには童話作家とは名乗れまい。名刺代わりに一つ物語ってやろう。題目は・・・そうだな。「醜い家鴨の子」だ』

固唾を呑んで聞き逃すまいとする二人の沈黙。何だかんだ言って、レギオンもシェルクも期待していることが分かって微笑ましい。今隣にいるレギオンも、既に一度聞いただろうに真摯に耳を傾けている。これはもう過去の録音に過ぎないと分かっていても、リーブも彼らに倣って静かにハンスの次の言葉を待つ。

すう、と息を吸い込む音。

『ーそれは田舎の夏のいいお天気の日のことでした。』

そんな出だしから始まるそれは、主人公である醜い家鴨の子が、苦労を重ねて成長し、幸福を手に入れる物語だった。
主人公は他の子家鴨と異なる灰色の容貌のため苛められ、母親にも疎まれた彼は古巣から抜け出してしまう。

ハンスの声は抑揚に富み朗々と響く。聞いている者は次第に彼の創りだした世界に引き込まれていった。

主人公はその後も犬や狩猟に追われ猫や雌鶏に馬鹿にされ、冬の氷の湖で凍えそうになり、人間に火箸で叩かれそうになったりと散々な目に遭う。主人公が疲れ切り、近くの美しい白鳥たちを見て「自分が醜いがためにきっと殺されるだろうけれど、その方がいい」と悲愴な決意で白鳥たちに近づいた場面では、思わず手を握りしめてしまった。
そしてその直後、澄んでいる水の上に写る自分の美しい姿に気付いたときは、はっと胸を突かれるようだった。

諦めずに生き抜いた主人公は、いつしか憧れた美しい白鳥と同じ姿に成長し、物語は彼が喜びを噛み締める台詞で締め括られた。

『・・・と、いう話だ。どうだ?まあ貴様らの阿呆面を見る限り、反応があったようで何より』

余韻に浸っているだろうシェルク、そして今聞いているリーブ達がはっと我に返る。随分と長い間、主人公の世界にたゆたっていたようだった。
童話作家というのだから、さぞかし希望に満ちて全てが上手くいく夢のような話だと思っていた。けれどもこの一作品だけで分かる。彼の物語は美しい文章や人のように話す生き生きとした動物たちに彩られているけれども、その本質は童話という形を取った、現実の苦しい境遇をそれでも生き抜いた恐らく彼本人の実体験に基づいている。だからこそ既に純粋な子供時代を過ぎてしまった大人である自分にも胸に迫るものがあるのだろうと。

これは、本格的にハンスのための執筆環境を整えなければならない。
子供たちの夢のためでもあるけれど、これは大人も読むべきもの。

『・・・ハンス・クリスチャン・アンデルセン』

リーブが固く決意していると、同じように、いやリーブ以上に心を動かされ奪われたらしいソプラノが凛と響いた。
幼き頃に神羅に浚われ、日の差さない暗い地下帝国DGで10年以上虐げられ無式のシェルクと仲間内でも蔑まれ、漸く姉との再会を果たした彼女には殊の外この物語は響いたのかもしれない。・・・そう思うと胸が痛い。
そんなシェルクの過去など知らない作者が軽く呼び掛けに応じた。

『何だ?』
『局長からの指令は、貴方の著作を一つ報告することでしたが・・・。この私、シェルク・ルーイが情報部門統括の権限を持って命じます。ハンス、全ての著作を物語りなさい』
『・・・は?』
『ちょ、ちょっとシェルク統括!?』
『待て!マスターだけでなく、貴様まで何を血迷っている!!俺に全ての著作を物語れだと!?正気の沙汰ではないぞ!一体どれだけの著作があると思っている!?』
『何作品ですか』
『童話だけでも156編だ!!!』
『それは楽しみです。それで、童話以外の著作は何があるのですか?』
『鬼か貴様は!!!』

録音はそこで停止していた。無言でレギオンを見上げると、お道化た様子で彼はヴォイスレコーダを仕舞った。

「・・・と、いうわけで、ハンス先生はシェルク統括にもばっちり気に入られましたー!!!」
「ええ。そうでしょうねえ・・・。英霊とは聞いていましたが、ここまでの作品とは・・・」

『醜い家鴨の子』。
純粋な子供が聞けば、恐らく願い続ければいつか美しく羽ばたけるハッピーエンドと聞こえただろう。
けれども、リーブ達のようにある程度年齢を重ねた者には、幸せは苦労した分だけ輝くもの、苦しい今も無意味ではなく、いつか報われる日が来ると、そう・・・激励の物語にも聞こえるだろう。

何という名作だろうか。
初めて聞いた童話にも関わらず、既にリーブの心の真ん中に居座ってしまった。

「俺もうっかりファンになりましたからね!いやーあのあとシェルク統括は本気で全部語らせようとしたもんだから、ハンス先生は全力で逃亡しましたけど、あっさり掴まってました。ただ、統括は次の仕事あるからって仕方なく戻っていきましたけど」
「では残り155編の童話はこれからの楽しみですね。童話以外の著作もあるみたいですし、新作も書いていただかなければいけませんから、益々今後の活躍が期待されますよね・・・!!!」

ほう、と熱の籠った息を吐き出す。
偶々起動した英霊召喚装置で、ハンスを呼び出せたことは本当に運が良かったとしか言いようがない。
またしても少々ぶっ飛んだリーブにレギオンが引き気味に笑う。

「・・・あー。これ、ハンス先生観念するしかないですよねー。俺も他の作品読みたいですし。・・・そういや、なんでシェルク統括にわざわざ報告させたんです?ハンスがこっちの文字分からないから、話をしてもらって誰かが文字に変える、くらいなら俺でもできますけど?」

おや、と目の前の部下、ハンスに「筋肉達磨」と言わしめた剣士をまじまじと見返す。

「・・・レギオンにしては、鋭い質問ですね」
「俺にしては・・・って、どういう意味ですかーーー!!!」
「そのままの意味ですよ」
「くうっ!!!」

レギオンはダメージを受けたように執務机に突っ伏してしまった。やはりレギオンをからかうのは面白い。本当はこの反応の良さや面倒見の良さを生かして、TVの娯楽番組の司会者にでも転職してほしいのだが、本人は一向に聞き入れてくれない。つくづく勿体ない。・・・危険極まりない護衛よりよっぽど安全だろうに。

「理由は主に2つですね。1つは、シェルクさんは情報部門統括ですから、いずれハンスの作品を電子書籍化するときに助力してもらうため、先に作品を知ってもらいたかったんです。2つ目は・・・彼女なら童話を気に入っていただけるのではと思ったからです。よもやこれほどとは思いませんでしたが」

シェルクがハンスの名を呼んだとき、彼女の声は少し揺れていた。余りにも過酷な過去から、彼女は己の感情を表に出すことは殆どなかった。WROに来てからは姉シャルアの存在もあり、少しずつ改善はされていたけれど、ハンスの童話であそこまで感動させることができたのなら予想以上だ。奪われてしまった彼女の少女時代を取り戻すことはできなくても、その時代に経験すべきだった感情を童話を通して得ることができるのなら。

「・・・いずれにせよ、ハンスの御蔭ですね。明日からも楽しみです。あ、さっきの録音、ダビングさせてくださいね?」

*   *

翌日。

WRO局長室には呼び出したハンスと彼を連れてきたケット・シー、リーブの護衛であるレギオンと何故かシャルアまで揃っていた。
取り敢えず人数が増えたので、ソファに座らせる。レギオンにもソファを勧めたのだが、彼は頑として固辞し、リーブの斜め後ろに控えていた。

リーブはケットを除く人数分の飲み物を淹れた。ハンスには紅茶、残りは全員コーヒーを配り終えたリーブはシャルアの隣に座る。向かいにハンス、その隣にはケット・シーが小柄な体をソファに預けていた。二人とも床に届かないので足をぶらぶらさせている。とても可愛いらしい光景だが、指摘すれば青い髪の少年に毒舌の銃弾を浴びせかけられそうなので黙っておく。

「それにしても・・・何故、シャルアさんまでいらっしゃったのですか?」
「シェルクが絶賛した童話とやらを聞きに来た」

即答したシャルアに向かいに座っていたハンスが心底嫌そうに口元を歪ませる。

「・・・おい。俺にまた朗読会をさせる気か?昨日あの女が書き取っただろう、それを読め。俺は二度も話す気はない!」
「あたしは書類を読むのも書くのも嫌いだ」
「ほう?貴様の眼はガラス玉か?文字を映すことはできても読み取ることが出来ん紛い物か?全く、読者としての素質はないと見える!」
「面倒なものは面倒だ」

嘲笑するハンスに、ばっさりと切り捨てるシャルア。二人とも大人のためか感情的な口論になることはなさそうだが、何処までも平行線を辿りそうな二人。リーブは一応双方を宥めにかかる。

「あの、ハンス抑えてください。それからシャルアさん、その発言は統括としてどうかと・・・」
「なんだ局長。科学者は研究ができればいいじゃないか」
「いえ、後世に伝える報告書がなければ、貴女の成果も残せませんよ?」
「煩い!」
「ええ!?」

いきなり怒鳴られてしまった。あまりの大人げない返しに、流石のリーブも返す言葉が見つからない。シャルアの報告書嫌いは知ってはいるけれども、ここまでとは。呆気にとられていると、マイペースに紅茶を飲んでいたハンスにぎろりと睨まれてしまった。

「・・・マスター。それでもこの女の上司か?」
「その・・・筈なんですけど・・・」

ハンスの指摘に苦笑する。WROの組織構成は、レギオンやシェルクから聞き出したのだろう。一応リーブがここのトップであることも知ったのだろう・・・が。確かに今の遣り取りではシャルアの上司らしい振舞いとは言えない。

「リーブはん、負けすぎや」
「いつものことですけどねー」
「レギオン?」
「す、すすすすみませんでした!!!」

調子に乗った部下を取り敢えず諫め、話を続ける。

「レギオンは放置するとして、シャルアさん。昨日のハンスの名朗読ならば、録音データがありますから後で確認してください」
「それを先に言え」
「・・・そういえば録音されていたか。ふむ。これでも俺は自分の言葉に魂をかけ、それで食いつないできた三流作家だ。俺の話に価値を見出したというならば、それなりの対価、代金を置いていってもらおうか!」
「そうそう、その話をしたかったのですよ、ハンス」

にこりと笑って見せれば、ハンスがあからさまに顔を引き攣らせた。そこまで警戒しなくてもいいのに、と思う。

「・・・何の話だ、マスター。貴様がそんな笑みを浮かべる時は全く以ってろくでもない!!!」
「いえ、貴方にとっていい話ですよ?つまり、貴方は文字を綴ることを職業にしている作家。ですから、貴方の作品がこの世界で商売品として成り立つように仕組みを整えようと思いまして」

そう前置きして、シェルクを中心にハンスの作品を電子書籍化する計画を説明する。元々ネットワーク自体はこの星に大体普及しており、皆端末を持っている時代。昔ながらの紙による出版も考えたが、普及率を考えるといつでも誰でも手に入る電子書籍の方がいいと判断した。何より紙という資源が必要なくなる。データさえあれば無限に複製できる電子書籍であれば、売れきれなんていう事態もなく、名作が求められる時に求められるだけ供給できるのだ。データ管理くらいしか売る側の負担もないため、作者の取り分を8割にしても十分利益が期待できる。

・・・と、作家にとってもメリットしかないと思いきや、ハンスの顔が青ざめていた。

「・・・何だと?貴様、WRO局長とは仮の姿、真の姿は編集長だったのか!?これはまずい、俺の立場が不利すぎる。やめろ、今すぐ座に帰らせてもらおう!」
「座がよくわかりませんが、帰らせませんよ?ええ、ハンスには全ての著作を紹介いただいた上で、新作を生み出していただきますから。そうそう、その理屈で言いますと編集長は私ではなくシェルクさんです」
「断る!!!俺は働く気はない!!!そもそも俺の著作を全て語る何ぞ、俺の体力が尽きる方が先に決まっている!貴様、俺を過労死させる気か!?」
「絶対に過労死なんてさせませんよ。ええ、これも相談ですが・・・こちらの文字を学ぶ気はありませんか?」
「・・・何?」

ぴたり、とハンスの動きが止まった。そこに畳みかける。餌も勿論付けて。

「貴方なら、すぐに習得できると思いますが。教師役として、そこにいるケットを貸し出しますよ」
「ボクはレンタル品かいな」
「いいじゃないですか。貴方もハンスのことは気に入っているのでしょう?」
「そりゃあボクはリーブはんの分身やさかい」

あっさりとケット・シーが頷く。それを確認してハンスに視線を戻す。
ハンスはじいっと隣のケット・シーをみて考え込んでいる。ネタとして気になっているケット・シーがついてくることで、眉間の皺が少し浅くなっているようだった。反応は上々。

「貴方はケットから文字を学び、原稿を書いていただく。もしよろしければ、執筆用の端末もお貸ししますよ。それをシェルクさんが電子書籍化し、全世界に販売を展開していく。電子書籍化の手間がありますから、若干はWROに入れていただきますが、残りは全てハンスの手元にいくようにしますよ。・・・如何ですか?」

「くっ・・・仕方ない。文字は覚えてやる。ああ、俺も書いたものを一々語るのは面倒だ!!!」
「それはよかった。それから貴方用の執筆部屋を用意しましたから、後でケット・シーに案内してもらってくださいね」

大型の商談が成立したかのような充実感にほっと息をつく。そんなリーブの隣と背後では、呆れ顔の部下たちがいた。

「うわあ・・・」
「局長。相変わらずこういうことは早いな」
「ええ、これがしたくて局長になったようなものですし」

上機嫌で答えれば、向かいからため息交じりの声が遮った。

「それは本音だろうが・・・それだけではあるまい?」
「はい?」

改めてハンスを見れば、先程までの喧騒が嘘のように真摯な目が見返していた。

「お前がWRO局長を務める本当の理由は、そんなお気楽なものではあるまい」

はっと、誰かが息を呑む音がした。

それはリーブ自身だったかもしれないし、この場にいる部下や分身だったかもしれない。
ただ一つ言えることは、ハンスの言葉がその場の雰囲気をがらりと変えてしまったということ。

誰一人身動き一つしない。ただ、ハンスとリーブの遣り取りを固唾を呑んで見守るだけ。

ハンスの言葉を受けたリーブは、珍しくどう対処していいものか迷っていた。
彼を召喚してまだ2日と経っていない筈なのに、リーブの内面など全て悟ったかのようなハンスの物言い。これが他の誰かの言葉ならばリーブも茶化して返せばよかった。けれどもこれまでの言動、童話から得た彼の性格から鑑みて、誤魔化す頃を許さなかった。ハンスは彼の言った通り「魂をかけて」リーブに真実を突きつけようとしているのだと。

聞き返してはいけない、そう分かっているのに逃げるという選択肢が残されていない。
リーブはカラカラに乾いた声で何とか問い返す。

「・・・どういう・・・ことですか?」

リーブが身構えるのに気を良くしたのか、それとも望む『問い』が得られたためか。
全員の注目を集めた異界の童話作家は、緊迫感が増した場でただ一人水を得た魚のように語りだす。

「・・・いいだろう。聞かれたからには貴様の性根、全て語ってやる」