英霊召喚4

「・・・え?」

思わぬ報告に息が止まる。ぎゅっと心臓を掴まれたような、恐ろしい予感。
シャルアの医師としての所見が続く。

「普段は悟らせまいとしているのだろう。だがあれほどの大作を語ったからか知らんが、一部おかしな音が混じっていた。解析したところ、炎症などで気管が狭窄し、そこを息が通る際発生する異常音だとわかった」

ぐっと端末を持つ手に力が入る。気管の炎症。つまり。

「・・・まさか、ハンスが喉を痛めている、ということですか・・・!?」
「恐らく、な」
「・・・命に、別状は・・・?」
「呼吸音を聞く限りでは、そこまで危険な代物じゃない。だが、話す度に激痛は走るだろうな」
「そんな・・・!・・・私は、ハンスに酷いことを・・・」

生命に関わるほどでないにしても、語るという行為自体が苦痛になっていたという事実にがくりと項垂れる。
ハンスが童話作家だと知って浮かれていた。異世界の作家ならばその作品を知りたいと思い、シェルクに命じて作品を語らせたのは自分だ。そうして録音データにもなった「醜い家鴨の子」はかなりの長編だった。最後まで語った彼にはどれほどの負担となっただろう。
自責の念にかられているリーブの心境を読んだのか、シャルアが淡々と指摘する。

「まあ待て。あいつは最初からマシンガントークだったじゃないか。案外慣れているのかもしれん。いいこととは思えんが」
「・・・」
「あたしがハンスを呼び出したところで警戒されるのが落ちだ。それができるのは、マスターであるあんただけだろう?」

シャルアの事務的な口調は変わらないが、その内容と込められた気遣いの心に、リーブはうっすらと微笑む。

「・・・そう、ですね。シャルアさん、ありがとうございます」

過去を悔やんで立ち止まっても何も解決しない。そう、嘗てヴィンセントにも叱責されたのだ。
知らずにハンスに無理をさせていたのならば、状態を把握し今度こそハンスのためになるようにするしかない。傷を負っているのならば早急に治療が必要なのだ。リーブはシャルアと相談し、手筈を整えたうえでハンスの帰りを待つことにした。

*   *

「ほう?疑問とや等を聞いてやろう」

ケット・シーと共に帰ってきたハンスを早速捕まえた。
夜も遅い上喉を痛めている可能性がある相手から聞き出すのは気が引けたが、リーブはまだ彼の世界の文字を知らないし、ハンスもこちらの文字を知らないだろう。筆談という手段は残念ながら使えなかった。そして治療が必要ならば一刻も早く対処しなければならない。

ハンスのプライベートに触れるため、WRO局長室は緊急事態でない限り誰も寄り付かないように厳命した上で、テーブルを挟んで向かい合っている。ハンスの性格上逃げるという選択肢は取らないだろうけれども、リーブが真剣であることは伝わるだろう。まずは軽い質問から様子を伺うことにした。

「まず、ハンスは何故その姿なんですか?英霊、とは全盛期の姿で召喚されるのでしょう?でしたら、作家として大成した成人の姿では?」
「ふん。間違っちゃいないぞ?単にこの俺の全盛期が、感受性の強いお子様のときだったというだけだ!!!」
「確か、召喚直後のときには、月とか前任のマスターがどうとか・・・言ってませんでしたか?」
「おい、恐ろしいことを思い出させるな!俺も未だに真実を知る勇気はない!!!」
「は、はあ・・・。分かりました」

特に分かったわけではないけれど、触れられたくない箇所らしい。ともあれこれが本題でないことはハンスも屹度気付いている。リーブは覚悟を決めて切り込むことにした。

「・・・その喉も・・・ですか?」

躊躇いながら口にすれば、彼の表情が一変した。

「・・・ほう?」

嘲笑を浮かべていた表情が真摯なものへと変わり、やんわりと細められた目が彼の中に深く沈んだ絶望を映し出す。
リーブはただ蒼い眼差しを受け止める。

「・・・喉に何かしら障害があるのでしょう?」
「よく解ったな。ああ・・・あの録音データか。これだから優秀すぎる奴らは厄介なんだ。それを敢えて指摘する残酷さが解っていての人払い、実に滑稽だな!いっぱしの紳士風情か?やめておけ、お前が気にかける相手は現実世界だろうに。俺如き亡霊など放っておけ!」
「そうはいきません。貴方は大切な友人ですから」

きっぱりと否定する。ここで引いてはいけない。
何かにつけてハンスは自虐的だと短い付き合いでも分かってきたが、リーブにとっては譲れない一線だ。案の定、ハンスは踏み込もうとするリーブを制する様に一気に畳みかける。

「友人だと!?はっ!実に茶番だな!いつからそんな低俗な関係になった?俺はただの三流サーヴァント、貴様は俺のマスター。それ以外の関係があるものか、勝手な思いこみを押しつけるのはやめてもらおう!」
「ええ、解っていますよ。貴方が私をどう捉えようと、私にとっては変わりませんから」

リーブは静かな笑みを湛えてハンスの罵倒を受け止める。
人と人とのつながりとは、どんなに大切な相手でも最初は一方通行から始まる。想い想われる関係は奇跡といってもいい。だから、ハンスが幾らリーブを嫌おうが鬱陶しがろうが、リーブにとってハンスが大切であることに変わりはない。
頑ななリーブの態度が崩れないと分かったのか、ハンスが軽く舌打ちをする。

「ちっ。・・・これだから為政者かつ英雄なんぞろくでもない。偽善も甚だしいな!かつ貴様の願いが世界平和なんぞクソほどつまらんものときた!いいか、人なんぞ須く馬鹿そのものだ。貴様が描く平和ですら馬鹿どもにとっては単なるお節介に過ぎない。そんなものに命を懸けて何になる?しかも貴様、己の最期すら駄作極まりない展開だと解っていて抜け出す気もないとはな!!」

リーブはくすりと笑う。ハンスは本当に人を見ている。
罵詈雑言の集中豪雨も、慣れてしまえばちょっとばかり厳しいお説教と同じ。いや、酷く分かりにくいしどうやら本人さえ分かっていない節があるが、よくよく聞けば相手に対する忠告だ。相手を真に理解するハンスだからこそ出来る、本人さえ無自覚の優しさだろう。
ハンスが不機嫌そうに口を歪めた。

「・・・何を笑っている?」
「いえ・・・。私は為政者でも英雄でもありませんよ。ただ、ここに生きているのは確かですから、私は私の願いを貫くだけです」
「つまらん。ああ実にくだらん王道だな!とっとと諦めろ!」

相変わらず口の悪い童話作家様は、こうして生前もリーブよりも前に召喚されたときも、酷く屈折しながら周りの面倒をみてきたのだろう。そんな彼だからこそ、役に立ちたいと思う。

「私のことは兎も角、貴方の傷を治療しなければいけません。シャルアさんは事情をご存じですから、今からケット・シーと共に医務室に行ってください。手配しておりますので」
「いや・・・。そいつは無理な相談だな」

ハンスの視線が初めて少し逸らされた。小憎たらしいくらい覇気に溢れた声が、急に枯れたように乾いた音に変わる。

「何故・・・?」
「・・・これは読者どもの呪いだ。こんな物語を綴る作者など血も涙もない男だという思いこみ、所謂風評被害というやつだ!故に治るものでもない、さっさと忘れるんだな!」
「・・・え・・・?」

余りにも理解できない、出来る筈のない内容に、脳が拒否反応を起こしてフリーズする。

呪い?
ハンスへの?
人の心に染み入る名作を生み出す童話作家に対して?

とても信じられなかった。リーブだけでなく、シェルクやレギオン、シャルアまでその価値を認めた素晴らしい作品を生み出す作者を呪うなんて、意味が分からない。

「・・・何故、ですか・・・?」

余程悲愴な顔をしていたのだろうか。ハンスが馬鹿にしたように笑った。

「ハッ。何だ貴様。クライマックスで『実は自分は死んでいた!』と判明する悲劇の主人公のような顔をしているぞ?貴様がどう思っているかは知らんが、そう珍しいことでもあるまい!!俺は何かを失うことでしか得たものを語れない捻くれ者、初期の作品はほぼ主人公が死に絶えるからな!何を期待したか知らんが読者が勝手に物語に失望し、勝手に作者を非道な人間だと思い込んだところで不思議でもなんでもなかろう。無論、俺にとっては迷惑極まりないがな!!」
「・・・そんな・・・。呪いを解く、方法は・・・?」
「あるわけがなかろう!そうだな、異界を含め俺の読者が全て死に絶えれば解けるかもしれんが、読者のいない作家何ぞその時点で終わっている!!!ああそんな状態で作家のみ存在しても意味などない!!!故に解く方法は皆無だ。いい加減貴様も諦めろ、この話は打ち切りエンドだ。・・・いいな?」

最初はうっすらと嘲るように口角を上げていたハンスが、最後は斬りつけるような鋭い眼差しで睨んだ。底なしの昏い闇を覗き込んだろうな絶望。ああ、これがハンスの宿す影の一部なのだろう。だったら。
リーブは怯むことなく真正面から青い目を捉える。

「・・・では、治癒はできなくても、痛みを和らげることはできる筈ですよね」
「・・・は?貴様、諦めろと言った俺の話を聞いていなかったのか?ああ、聞いていなかったのだな!それならば納得だ、天下のジェノバ戦役の英雄、WROの局長様は三流サーヴァントの話なんぞスルーするということだな!!」
「ではこれを」
「貴様、本気で無視したな。これだから下手に弁に長けた者は面倒なんだ」

なんだかんだと文句を付けながら小さなカップをハンスは受け取った。
湯気の立つそれはほんのりと甘い香りを漂わせる。
訝しげにカップをのぞき込む姿が、やはり幼い外見と相まって可愛らしく、とてもその身を呪いに蝕まれているとは思えないほどで。

「・・・おい、勝手に俺を悲劇の作者様に仕立て上げるのも大概にしろ。不愉快だ」
「・・・すみません。ですが、きっと貴方の役に立ちますよ?」
「全く面倒なマスターだ」

ぶつくさ悪態をつきながら、こくりと一口飲む姿を微笑ましく思う。

「・・・!」
「ハニー入りの生姜湯ですよ。喉の炎症に効きますから、・・・あまり喉を酷使しないでくださいね?」
「断る。物書きが語るべきときに語れなくなったら、それは作家の死を意味するからな。例え喉が涸れようが殺されようが、俺は走り出した悪筆を止める気はない!」
「・・・流石ですねえ・・・」

どきっぱりと断言されて苦笑するしかない。
けれども彼のその何者にも縛られず命がけで言葉を綴る姿が潔く、まるで戦場で最前線を突き進む歴戦の勇士のようで好ましく思う。だからこそ、リーブの分かる範囲でハンスに踏み込み、理解したい。そっと口を開く。

「・・・他にも、何処かしら傷があるのでしょう?」
「・・・何だと?」
「貴方は『こんな物語を綴る作者など血も涙もない男だという思いこみから』の呪いだとおっしゃいましたね?作家に対する呪いであれば、まず作品を生み出す手か腕に症状が出る筈です。ですが喉に現れている・・・。貴方の書いた物語は童話だけでも156編。それが喉だけに集中しているとは思えないんですよ」

ハンスが動きを止めたのは僅かな間だけだった。彼はソファの上で足を組み、答えを返す。

「・・・これだから面倒なんだ貴様のようなタイプは。解っているなら口にするな、ああご想像通り他にも呪いはある、かつ治癒の術などない、いちいち意識化させるな鬼め!!!」
「すみません。ですが、知っておきたいのです。貴方のマスターとして」

全く引く気のないリーブにまたしても呆れたのか。ハンスは少々面倒くさそうにリーブをぬめつけた。

「・・・。俺の傷がそんなに見たいのか変態め」
「いえ、そうではなくて、ですね・・・」
「腕はこのとおりだ」

無造作にハンスがその右腕を捲る。長袖の下に隠されていた素肌は、無事なところが分からないほどの傷で覆われていた。焼け爛れた箇所もあれば、黒ずみ水疱になっている箇所もある。どうみても重傷であり、日ごろ袖に触れるだけで顔を顰めるほどの痛みを生み出すだろう。

「・・・酷い・・・。火傷、凍傷・・・ですか。これほどの傷、どうして最初に言ってくれなかったのですか?」
「おい。治るものではない、と俺が言ったのをスルーするな。放っておけ」
「嫌です」

間髪入れずに却下する。

「・・・は?」

ハンスの大きな目がまん丸に見開かれた。どうやら想定外の反応だったらしい。リーブは執務室の引き出しから救急セットを取り出し、テーブルの上によいしょっと置いた。

「治らなくてもその痛みを和らげる術はあります。ほら、薬を塗りますから、腕を貸してください」
「よせ!無駄なことをするな!どうせ治る傷でもない!貴様の時間を無駄にするだけだ!」

逃げ出そうとする少年の右手首を捕まえる。

「嫌です。簡単な治療なら私でもできますからね。本当は治癒魔法がいいのですが、あれは治る傷でなければ効かないでしょうし・・・」

言いながらハンスの腕にある傷をひとつひとつ診ながら、火傷にはアロエの葉から抽出した湿布を、凍傷には痛みを和らげる傷薬を手当していく。

「ほら、左腕も出してください。・・・もしかして足もですか!?ちょっと何故黙っていたんですか!!!」
「・・・」

両腕の処置を終え、もはやハンスが無反応になっているのを取り敢えず横に置いて足も捲る。

「え?」

しゃがんでいたリーブは思わず手を止めてまじまじと見てしまった。ハンスの足はおよそ人体にはあり得ない構造が表面を覆っていた。淡く水色に反射する、小さな板状のものが重なったもの。魚ならば納得するけれども。

「これは・・・鱗・・・?」
「ああそうだ。これも呪いの一部、所詮俺は怪物だ。だから放っておけと言ったろう」

ハンスがぽつりと呟く。それが何か大切なものを諦めてしまったように聞こえて、リーブは首を振るう。

「怪物なんていませんよ。ハンスがハンスであることに変わりないですからね。・・・でも鱗の治療はどうするんでしょう?湿度を上げるとかですかね・・・?取り敢えずジェル湿布を貼ってみましょうか。どうです、痛くないですか?」
「・・・。いや」
「それはよかったです。他にはありませんか?」

しゃがみこんでハンスを見上げれば、彼は無言でため息をついた。
深く深く、地面を突き抜けて星に穴をあけてしまうんじゃないかというほどの重いため息。

「ハンス?」
「・・・。貴様は母親か」
「え?女性になったことは一度もありませんが?」
「馬鹿め!!!」
「あ、一応シャルアに喉も含めて診てもらった方がいいですよね?」

傷が余りに酷かったのでついつい治療を始めてしまったが、結局のところは専門家に診てもらうのが一番だろう。そう思って提案したところ。

「っ・・・!結構だ!これ以上の御節介は御免被る!」
「ハンス!?」

蒼い髪の少年は速攻で断った上に、瞬時に霊体化してリーブの視界から消えてしまった。ちょっと顔が赤かったように見えたのは気のせいだろうか?

「・・・逃げられちゃいましたね」

暫くハンスのいた場所を眺め、小さく呟く。
彼の躰はどうみても軽いとは言い難い傷に覆われている。治るものでないとのことだったが、痛みを抑えることはどうやらできそうだ。明日以降、シャルアに相談して更なる効果的な治療法を考えなければ。それに、あの傷は本当に治らないのか、つまり呪いとやらが本当に解くことが出来ないのか、も検討が必要だ。

リーブはふむ、と考え込む。

WROは星に害をなすあらゆるものと戦う組織。リーブ一人では手に負えなくても、ここには頼りになる沢山の部下もいるし、心強い仲間たちもいてくれる。そうやって色んな人の力を借りて、今までどんな困難な相手でも戦い乗り越えてきた。ならば『呪い』とやらも、皆の力をもってすれば解決する可能性はある筈だ。

この場合の敗北は諦めたときのみ。治せる前提で対処する限り、決して治らないとは言わせない。

「・・・これは、本腰入れて取り組まないといけませんね」