草餅

WROの局長室。
とある袋をぽんとデスクに置き、リーブは取り敢えず腕を組んでみた。

「うーん。どうしましょうか・・・」
「悩むとこかいな」

呆れたように突っ込みを入れ、ケット・シーは机の上で袋をつまみ上げてみる。

「用途が広すぎるんですよ。最適な使用を検討しなければいけません。
それに、量も限られていますし・・・」
「どうでもええやんか」
「よくありません。流石の貴方も、これは分からないでしょう?」
「何いっとるんや。ボクは世界中のデータと通信できるんやで?」
「データはあっても、実感はできないでしょう?」

にっこりと笑う本体は、いつも以上に曲者だった。
分身は袋を置き、本体のように腕を組む。

「・・・リーブはん、やけに絡むやないか」
「当たり前です。私が反撃できる数少ない機会を逃すとでも?」

リーブは上機嫌だった。
いつも分身のくせにやり込められているが、今回はここぞとばかりに攻撃できるからである。
分身は、本体譲りの食えない笑みで応じた。

「ほな、次回ボクが反撃できるときは手加減なしでええってことやな」
「うっ」

あっさりとリーブの笑みが崩れる。

「慣れんことは、せえへんほうがええと思うけど?」

こてんと首を傾げるケット・シーは愛らしい。
愛らしいが、その口から出る言葉は、やはり本体譲りの毒舌だった。
リーブはがっくりと肩を落とし、ため息をついた。

「・・・私、貴方のマスターの筈なんですけどね・・・」
「そやな」
「・・・」

   *   *

その翌朝。

シャルアは最上階の部屋を訪れ、ぽい、と持ってきた書類の束をデスクに投げた。
正確には、そこに座る責任者へと。

「さっさと署名しろ」
「投げないでくださいよ、シャルアさん」

困ったようなリーブの非難も、シャルアは軽くスルーする。
さくっと帰ろうと反転させた。

「シャルアさん」

背後から呼び止める声に、シャルアは上半身だけ振り返る。

「なんだ」
「・・・これを」

座ったままの上司が、何処からともなく小さなタッパウエハの容器を取り出し、書類の隣に置く。
よくよくみると、中に緑色で丸いものが二つ入っている。
シャルアは思い切り不審そうにそれを睨んだ。

「・・・なんだこれは」

シャルアの表情が可笑しかったのか、リーブはくすりと笑う。

「・・・草餅ですよ」
「それがどうした」

じいっと草餅を見ながら、それでも一切手に取ろうとしないシャルア。
そんな反応も想定内なのか、リーブはいつものように笑みを浮かべたままだった。

「休憩の時にでも、是非食べてみてください」

   *   *

ピークを過ぎた食堂は、席も疎らにしか埋まっていない。
トレイに本日のA定食を乗せたシャルアは、片隅のテーブル席にて待つ妹に声をかけた。

「すまん、待たせた」
「ううん、私も今来たところだから、気にしないで」
「そうか」

妹、シェルクの向かいに座り、そしてシェルクの前に置かれたメニューに呆れる。
白いトレイの中央にポツンと一皿のみ。
シャルアは小さくため息。

「・・・シェルク、いくら何でもサラダだけって保たないだろう?」
「サラダだけじゃないよ」
「ん?」

シェルクはユニフォームのポケットから小さな携帯食料を取り出して見せた。
それは治安部隊が主に持ち歩いているもので、栄養バランスは問題ないが、好んで食べるような味ではなかった。

「・・・シェルク。それはここで食べるもんじゃない」
「でも」
「全く・・・。なんだ、嫌いなものでも入っていたのか」
「・・・」

シェルクがふい、と視線を反らす。
本日のA定食は、焼き魚がメインだった。
分かりやすい妹の反応に、シャルアは笑う。

「昔から、シェルクは魚が嫌いだったな」
「・・・いいの。魚を食べなくても生きていけるから」
「そういう問題じゃない。あたしが料理でもできればいいんだけどな・・・」

偏食家のシェルクでも食べられる食事を用意できれば一番いいのだが、とシャルアは思ったが。

「無理だよ」
「無理だな」

二人は即座に頷く。
それは時間的に難しい、ということもあるのだが。
シャルアも、そしてシェルクも料理はさっぱりと駄目だった。

「・・・まあ、言い合ってても仕方ないな、食うか」
「うん」
「「いただきます」」

シャルアが定食を、シェルクがサラダと携帯食料を平らげた後。
ああ、そうだとシャルアが半透明の容器を取り出した。
シェルクがきょとんと中を覗く。

「・・・お姉ちゃん、これは?」
「局長から貰った。草餅らしいぞ」
「へえ・・・」
「どうせまた大量に貰ったものだから周りに配っているんだろう」
「いつものことだね」
「そうだな」

二人して草餅を手に取り、ぱくりと一口。

「・・・うまいな」
「美味しい・・・」

蓬のほろ苦さと粒餡の控えめな甘さが程良く、何より自然な味が優しかった。
シャルアはあっと言う間に食べてしまい、小さな口で一心に食べるシェルクを微笑ましく見守る。

「・・・お前も気に入るなんて珍しいな」
「うん」

   *   *

更に次の日。
シャルアは朝一番に局長室に乗り込んだ。

「おい、局長」

デスクにいつものように座っていたリーブは
唐突に現れた彼女に驚くこともなく、デスクトップからのんびりと顔を上げた。

「おや、シャルアさん。どうしました?」

シャルアはデスクから身を乗り出した。

「何処だ?」
「はい?」

不思議そうに首を傾げるリーブへと、シャルアは畳みかける。

「昨日の草餅は何処で買える?」

ぱちぱちと目を瞬かせ、そして穏やかに笑った。

「ああ、そのことですか。残念ながら、暫くは手に入らないと思います」
「・・・なんだと?」

聞き返すシャルアへと、リーブは楽しそうに訊ねる。

「それで、お味は如何でしたか?」

返事をしようとして、はたとシャルアは気づいた。

にこにこにこ。
男はただ笑っている。

「・・・」

シャルアは眉を寄せる。
この男の癖のありすぎる笑顔は、過去の経験だとろくなことがなかった。
となると、今回も、ただの草餅ではない。

「・・・まさか、何か入れていたのか?」
「・・・なんだと思います?」

低音で凄んでみたが、相手にさらりと返される。
シャルアは眉間にしわを作り、腕を組んだ。

食料に意図的に混入されたもの。
敵であれば、相手を殺すための遅効性の毒物か。
情報を引き出すための自白剤か、身動きを封じる神経系か。

しかし。

一応、目の前の男は敵ではない。
こいつにとってあたしは組織の部下であるから、陥れるような薬物を入れる必要はない。

但し、かといって何もないとは言い切れない。
何しろこの男は、他人をはめるのを楽しんでいる節がある。まあ、後々まで引きずるものはないのだが・・・。
例えば、草餅に見せかけて実は材料が(害はないだろうが)とんでもないものだったとか。
シャルアだけが食べたのならまあ構わないが、今回はシェルクも口にしているのだ。
真相を聞き出すためなら、実力行使も辞さない。

シャルアは護身用の銃を突きつけた。

「・・・とっとと吐け」

リーブはきょとんと見返す。

「・・・何故脅されてるんでしょうか」
「お前が企んでいるからだろう。それで何を入れた?」
「うーん、何でしょう?」

がちゃり。

「あの、冗談ですよ・・・」

リーブは両手を挙げて、降参の意を示す。
シャルアは銃を構えたまま、低く尋ねる。

「何を入れた?」

リーブは手を下ろし、ひとつ頷く。

「ええ。実は・・・」

シャルアにつられたのか、リーブも低い声を更に低くし、真剣な表情で口を開く。
深刻な事態を白日に晒すような、物々しい雰囲気に変わる。
シャルアはずいっと詰め寄った。

「・・・実は?」

リーブは漆黒の瞳をシャルアに据え、重々しく告げた。

「・・・幻の、小豆ですよ」

聞こえてきた言語を理解するまで、シャルアは固まっていた。
そして、盛大にため息序でに叫んだ。

「・・・はああああ?」

シャルアはうっかり銃を構えていた手を下ろしていたことも気づいていない。
そのくらい、拍子抜けしたらしい。
そんなシャルアの反応に満足したのか、真面目な表情を一転し、楽しそうな笑顔でリーブは続ける。

「二年ほど前、アイシクル地方で氷付けにされた太古の種子が発見されたでしょう?
そのあとWROでも解析しました。貴女が一番よくご存じでしょう?」
「・・・そういえば」

そんなこともあったか、とシャルアは回想する。
確か今では全滅した種だなんだと話題になり、解析ののち無害だからと繁殖させる手筈になっていた。

「その後、民間企業に依託された種子ですが、順調に育っているそうです。
まだ十分な量は収穫できないそうですが、WROにお裾分けとして送ってくださったんですよ」
「・・・他は?」
「ありませんよ。それで」

楽しそうに男は笑った。

「お味は如何でしたか?」

全貌を聞き終え、シャルアはがっくりと両手をデスクについていた。
何やら独り深刻に構えていたのが馬鹿らしい。

・・・そういえば、こいつは、ふざけた方向で人を嵌めるのが好きなやつだった。

デスクに転がった無意味な銃を見遣り、ため息をつく。

「・・・。とても、美味かった」
「それはよかったです」

悪戯が成功したように、リーブはただ楽しそうに笑った。
そんな相手を見ていると、シャルアはひとつくらい文句を言いたい気分になった。

「・・・何も入れてないなら、最初からそう言え」

文句を言われた相手はやっぱり楽しそうだった。

「ですから稀少な小豆が入っているんですよ」
「お前は含みを持たせすぎるぞ」
「ですが最重要事項ですし」
「・・・分かった分かった」

シャルアは諦めてギブアップした。
どうもリーブはこの件に関して引く気がないらしい。

「先方には、うちの科学部門統括が絶賛していました、とお伝えしますね」

穏やかに笑う男に、他意はなさそうだった。

「・・・ふん」

シャルアは取り敢えず踵を返そうとして・・・
ふと気づいた。

「・・・局長」
「何でしょう?」
「届いたのは、小豆だったんだな?」
「ええ、そうですよ」
「原材料のまま、だな?」
「仰るとおりですが、何か?」

僅かに首を傾げるリーブへ、シャルアは言い放った。

「・・・何故草餅に加工されている?」

視線の先で、上司はさも当然のように返した。

「そのままでは食べられないでしょう?」
「あたしが聞きたいのはそこじゃない」
「では何でしょう?」

いつまで経っても首を傾げるだけの男に、シャルアはずばっと切り出した。

「とぼけるな。草餅に加工したのは誰だ?」
「ああ、そのことでしたか」

軽く頷く相手へと、シャルアはまたデスクに詰め寄る。

「で、誰だ。賄いの奴らか」
「いえ、違いますよ」

含みのある笑み。
シャルアは更に詰め寄る。

「・・・では誰だ?」
「私です」

あっさり告げられた言葉に、シャルアは思わず問い返す。

「・・・。何だって?」

ほら、とリーブは奥の部屋を指してみせた。
そこには綺麗に片付けられた菓子作り道具一式があり、シャルアは暫し、呆気にとられた。

「・・・何をしてるんだ、あんたは」
「以前、貴女が仕事の息抜きをしろと仰ったでしょう?」
「・・・」

シャルアは本日二度目の脱力感に襲われた。
確かに、偶には息抜きくらいしろとは言った。
・・・こいつはうちのトップの筈だが。しかも軍隊だった気がする。

・・・軍隊のトップが菓子作り・・・。

シャルアは、深くため息をついた。
考えても無駄だと悟ったためである。

「・・・美味かった。もしまた送られてきたら、作ってくれ」
「ええ、喜んで」

そして彼は「今回は量が限られていたので、あまり皆さんには配れなかったんですよ」と残念そうに続けた。

「・・・いつか皆さんに配れるくらい、大地に育つといいですね・・・」

うっすらと微笑んだ。
世界の中心にいる筈の男は、こうして今日も誰かに何かを与えているらしい。
シャルアはふっとつられるように微笑んだ。

「・・・そうだな」

   *   *

おまけ。

シャルアが草餅を受け取る、数時間前のWRO局長室にて。

「おはよーございます」
「おはようございます、レギオン」

レギオンはいつものように今日の局長の予定を確認する。
出張の予定、逆に来客の数等を確認して、さくっと彼は踵を返した。

「んじゃ、夜勤のやつと交代してきます」

そんな彼に、リーブはやはり呼び止める。

「ああ、待ってくださいレギオン」
「ん?何ですか?」
「ちょっとそこに座ってください」
「そこ?」

リーブはにっこりと笑って、客用の革張りのソファを掌でさして見せた。

「へいへい」

レギオンはおとなしく座ってみた。
すると、湯呑み茶碗とこれまた陶器の皿に乗せられた緑色の丸い和菓子が出てきた。

「・・・これ、草餅っすか」
「ええ」
「で、これを食えってことですか」
「ええ。毒味よろしくお願いします」

レギオンは思わず吹き出した。

「おいおい、毒味ですか」
「と、いうより実験台第一号ですかね」

レギオンはがっくりと肩を落とす。上司が「正確に言うと第二号ですけど」、と続ける声も何処か遠くに聞こえた。

「・・・実験台っすか」
「ええ、そうです」

レギオンは怪しい笑顔を浮かべたリーブに観念する。
今日もうちの局長は絶好調らしい。
そもそも、これがうちの上司なのだから逆らいようがない。と、一応彼は悟っているらしい。

「・・・はいはい、食べますよー」

レギオンはいっただきまーすっと一言断り、ひょい、と摘んで一口で食べた。もぐもぐもぐ。

「・・・旨いっすね」
「本当ですか?」

リーブはデスクに戻り、声をかけた。

「うん。旨い」

レギオンはぺろっと平らげて、ずずずっとお茶を飲み干す。そしてほう、と湯呑を置いた。
ぱんっと両手を併せて、御馳走様と頭を下げた。

「いやーなんか、お袋の味って感じでしたね」
「お袋の味?」
「んーなんつーか、余計なものが入ってないと言うか素朴で、ああそうか、手作り感がしたっていうか・・・」

言っておいて、レギオンははたと気付いた。
デスクにいる上司はにこにこと笑っている。

「・・・まさか、あんたが作ったんですか?」

聞かれた相手は、おや、と軽く目を瞠る。

「・・・レギオンって鈍そうなのに時々鋭いですね」
「あんた何気に失礼だな」
「いつものことじゃないですか」
「そうですけど。ってあんた何やってんですか・・・」

レギオンはソファで脱力した。

「あるところから、珍しい小豆をいただきましてね。
それからシャルアさんに、息抜きをしろと言われていましたから」

さらりと答える上司に、レギオンはますます呆れた。

「・・・それで、夜中に草餅作る軍隊のトップが何処にいるんですか」

レギオンの言葉に、リーブは書類を捌いていた手を止めた。

「おや。何故夜中だと分かったんです?」
「俺は一応あんたの護衛なんですけど」

レギオンははああ、と大袈裟にため息をついた。
これでも一応、護衛対象の動きを把握している。
事細かくわかってるわけではないが、日中その暇がなかったたことくらいは、わかる。
偶に護衛の目を盗んで動こうとするくらい油断ならない上司だからこそ。
そんな彼の上司は感心したように一つ頷く。

「・・・レギオンって何気に優秀ですね」
「どういう意味ですか」
「一応誉めてますよ?」

そういいつつ、リーブの視線はまた書類に戻っていた。

「そーですか。ん?てことは、実験台第一号ってあんたのことですか」
「ええ、そうです。何せ草餅なんて久しぶりに作りましたからね」

レギオンはむむむ、と考え込む。
つまり、この上司は自分で作ったものをまず味見していたってことで。
そして夜中にそんなことを仕出かすということは。

「・・・あんた、もしかして料理全般いける口か・・?」
「全般ではありませんが、まあ家庭料理くらいでしたら」

ひらり、とまた一枚処理済みの山を作りつつ、リーブはさらりと答える。

「・・・相変わらず無駄に器用ですね、あんたは」

レギオンはよいしょっと立ち上がる。

「じゃ、ごちそうさまでした。旨かったです」
「それは何より。あと、これを」
「ん?」

リーブはデスクの下から紙袋を取り出した。
小さなタッパが複数入れられた紙袋。タッパの中身は勿論草餅である。

「護衛の皆さんに配ってください」

にっこりと笑う上司へ、部下は再びがっくりと力が抜けた。

「・・・あんた、どれだけ作ったんだ・・・?」
「流石に本部の全員とはいきませんけど」

暫し紙袋の中身を覗きこんでいたレギオンは、ぽりぽりと頭を掻く。

「・・・なんか、里帰りして、母親に田舎土産渡される息子の気分ですね」
「そうですか?では、息子は今日もしっかり働いてくださいね?」

相変わらず機嫌のよい上司へと、部下は片手に紙袋を持ち、もう片方でひらひらと手を振った。

「へいへい。確かに預かりましたよー」
「ええ、お願いしますね」

   *   *

自動扉が背後で閉まり、局長室を出たレギオンはもう一度頭を掻く。

「・・・たく、夜中に仕事しながら何やってんだか」

でも、まあ。
とレギオンは苦笑した。

「あいつらしいよな・・・」

手にした紙袋をもう一度覗き込む。
・・・どうせ沢山作って、自分は味見の一つくらいしか食べてないんだろう。

思わず忍び笑い。

あいつが野心の塊なら、世界の支配くらい簡単だろうに。
あいつの昨晩の野望は、草餅の配布だったらしい。
・・・何とまあ、ちっさい野望だこと。

ちっさいけれど、何処かふわふわと温かい野望。

・・・おっと。さっさとあいつらに配ってやるか。

レギオンは速足で部下たちの元へと向かった。

fin.