返却期限

お鍋に大量の水と塩を入れて、火にかける。
カウンター越しに久しぶりに揃った家族を視界に入れ、自然と笑みがこぼれた。

何せ、うちの家族は皆飛び抜けて優秀で人望も厚い。

シャルア、シェルクの両女性陣はそれぞれ科学部門、情報部門のトップとしてWROきっての天才ぶりとその人柄で多くの部下に慕われている。
ハンスは異世界で知らぬ者はいない名著を紡ぎ続けた童話作家で、こちらの世界でも彼の著作は電子書籍や朗読会で名が広まり、新刊の予告をしようものならあっという間に予約が殺到。一時ネットワークの流れが滞るくらいだ。
ケット・シーはまあロボットではあるが、世界を救った英雄として名を馳せているし、仲間だけではなく各地の人々との独自のネットワークを構築している。

沸騰した鍋の中に、パラリと人数分のパスタを投入する。

賑やかにリビングに集う彼らをみていると、ずっとこの光景を守っていたいと強く願う。変わらずこの5人が家族で、同じテーブルを囲んでいられたら、と。彼らのうち、ケット・シーは一応私の分身で、ハンスは使い魔としての契約を保てればずっといてくれるだろう。

ベーコンと法蓮草、大蒜を刻んでフライパンで炒めつつ、はたと気付いた。

でも・・・シェルクさんに想い人ができれば、仕方ないですよね・・・。

塩胡椒と醤油で味を調えつつ、バターを加えて序でにふう、とため息が漏れた。

シェルクは美しく、その立ち振る舞いから淑女として知られている。WRO内外で多くの異性を魅了しているけれども、そんな彼女もいつか素敵な誰かに心を奪われることがあるだろう。
そして、この家を出ていってしまうことも。

・・・シェルクさんの結婚式・・・ああ、駄目ですね、想像しただけで涙腺が・・・。

式当日には屹度暴走する姉シャルアを止める役目を担うだろう、とふと笑う。シェルクの未来の伴侶が生き残れるように、私が助力するしかない。

溶かした出汁を少々加えて、具に絡めたところでフライパンの火を止める。丁度、パスタも茹で上がる頃だから、キャベツを切ってトマトを添えたミニサラダを作ったところでふと手が止まった。

・・・もし。

・・もしも、シャルアさんが去っていってしまったら?

リビングで仲のいい彼らが急にとても遠く感じた。
仮に、シャルアが何らかの理由で・・・そう、例えば、相応しい相手を見つけてしまったら。彼女は自分に嘘はつけない正直な人、屹度全てを私に告げて心のまま相応しい場所に行ってしまうだろう。
それを止めることは出来ない。けれど。

・・・ちょっと・・・私が権力を持っている状態は拙いですよね。

彼女の未来の伴侶を、私が全ての手段を用いて潰しかねない。嫉妬、なんて言葉に収まる自信がさっぱりない。ずっと拒み続けて諦めていたはずが手に入れてしまった最愛の女性。それを奪っていく相手に容赦などできる筈がなかった。

・・・うん。そのときは潔く辞任しましょう。

単なる一般人に戻るだけではまだ危険だという自覚がある。外見上を取り繕うことは辛うじてできるけれど、内心は完全に発狂していそうだから。そう、自分を世間から隔離する必要がある。

・・・世捨て人になるにはどうすればいいんでしょうか。
ああそうだ。異世界から来たハンスなら、何か知っているかもしれませんね・・・。

「リーブ」

「・・・へ?」

いつの間にか、目の前にシャルアが立っていた。

「何を百面相している。さっさと飯を寄越せ」
「あ、はい。今出来たところですよ」

パスタとサラダをテーブルに並べていく。ケット・シーがフォークなど並べる傍ら、残りのメンバーがおとなしく待機しているのが可愛らしい。できるならば、ずっとこうして一緒にいられたなら。

全て並び終えて、全員でいただきます、と声を合わせて食べ始めたけれど。

「・・・シャルアさん?」

いつもならいの一番に食べてくれる相手が、フォークに手もつけずにじっとこちらを睨んでいる。

「リーブ」
「は、はい?」

シャルアのただならぬ様子に、シェルク達も顔を上げてこちらを伺う。
シャルアは端的に告げた。

「あたしはもう我慢ならない」
「・・・えっ・・・!?」

碧の隻眼が激情を孕んでぎらりと光った。
私はぽかん、と見返すしかない。
心当たりがまるでなくて、けれども彼女が怒っているのは確かで。
焦りながら原因を探ろうとしたけれどやっぱり思い当たる節はなく、只管焦りながら、先程の仮定が嫌な予感と共に重くのしかかる。我慢ならない、というくらいなのだから、余程のことがあったに違いはなくて。

・・・何を、してしまったのでしょうか・・・。

訳を聞いて、彼女に謝罪して許してもらわなければ。対処できる範囲であればまだいい。けれど、もう何をしても手遅れだったとしたら?

・・・もう、私とは一緒にいてもらえないのでしょうか・・・。

・・・去って、しまう。

これが、最後の晩餐になるのかもしれない。

「・・・な、何が・・・ですか・・・?」

やっとのことで返した声は、我ながらみっともないほど揺れていて。
心臓が凍り付きそうな心地で、彼女の沙汰を待つ。
シャルアは鋭い眼光のまま、宣告した。

「10日だ」
「・・・10・・・日・・・?」

彼女の言うその数字が何を指すのか。
何かの約束だろうか?けれども、10日前に遡ってみても、そんな約束をした覚えもなく。
記念日だろうか、と考えたところで結婚したのは数か月前で、他に記念日になるようなことは他になく。
それとも、と別の可能性に思い当たり、息を呑む。

・・・カウントダウン。

彼女がここを去るまでの、残された日数だとしたら。

「・・・何の・・・こと、ですか・・・?」

彼女の答えが死刑判決になるかもしれないけれど、問わずにはいられなかった。
既に彼女の一挙一動に命を握られているようで。
シャルアは静かに答えた。

「あんたがここに帰ってきたのが10日ぶりだ。・・・分かるか?」
「・・・。・・・えっ?」

・・・私がここへ帰ってきたのが10日ぶり・・・?

頭の中で彼女の台詞を反芻してみる。けれどもよくわからない。
それがどうして彼女の怒りに繋がるのか。
反応の鈍い私に彼女はだん、と拳をテーブルに叩きつけた。

「まだ分からないのか、あんたは!!!10日ぶりだぞ、10日!!!ヴァレンタインデーとかいう浮気候補の列挙から相手を潰して回る作業がやっとのことで終わったはずなのに、あんたときたら今度は仕事、仕事、仕事!!!あんたを仕事にばかり取られて、あたしはもう我慢の限界だ!!いいか、リーブ。局長のあんたは仕方ない、皆に貸してやってもいい。だが、あんたの全てはあたしのものなんだぞ!!!貸してやったにしても、返ってくるまでが長すぎる!!!今後、返却期限は1日未満だ!!それができないのなら、あたしをあんたの護衛に異動させろ!!!」

「・・・。・・・は、はい?」

ハンスもかくやといわんばかりの怒濤の追撃に、身構えていた筈が意味を取りかねた。
シャルアは激怒している。私を射殺さんばかりに凝視してくる視線の強さも本気そのものなのに・・・

・・・何か・・・ずれて・・・ますよね?

愛想を尽かされた筈だったのに、何か根本的に前提が間違っていたらしい。
そして・・・やはり理解不可能だったので、大人しく聞き返すことにした。

「・・・あ、あの・・・。今、何とおっしゃいましたか・・・?」
「あんたの返却期限は1日未満。それが出来ないなら、あたしをあんたの護衛にしろ」

間髪入れずに、きっぱりと断言された。けれど。

「・・・すみません、どういう意味か、さっぱり分からないのですが・・・」
「当然の帰結だろうが」
「いえ、ですから、一体何がどうなって・・・」

混乱する頭を振るってみたけれど、やっぱり駄目だった。
彼女は極めて真剣で、私の質問にもきちんと答えてくれている。・・・のに。

返却期限?
護衛?

先程まで生きた心地がしなかったというのに、拍子抜けしてしまったせいか頭が上手く回らない。
彼女の訴えを理解しなければその怒りを鎮めることもできない筈なのに。

・・・ああ、そうだ。護衛といえば、レギオンは久しぶりに有休を取らせたんでしたっけ・・。

頭が飽和して思考がすっとんだ私を放って、口達者なサーヴァントが皮肉げに笑った。

「ほほう、マスター。貴様、遂に物扱いか!これは滑稽だ、レンタル品としては些か予約の予定が埋まりすぎて甚だ使いづらかろうがな。シャルア、これを貸し出すならば、当日返却は諦めろ。何せこの男は他人からの依頼にノーとは言えん立場と性格だからな!仕事は常に雪だるま式に増加、さらに当の本人がイベントだの企画して時間を食いつぶす達人だ!」
「なら、護衛になるまでだ。そうだな、レギオンあたりに弟子入りすればいいいのか?」
「お姉ちゃんが護衛になるなら私も」
「そうだな、ケット・シーもハンスも付いてくるなら完璧だ」
「そやなあー。そしたらリーブはんが何処にいてても、みーんなそろとる状態になるんやなあ。名案や」
「ふん、飯は常に貴様が用意せねばならんだろうよ、マスター」
「リーブの手料理は最高です」
「ああ、あたしの自慢の夫だからな」

「・・・は、はい?」

会話に置いて行かれている間に、何か色々と間違っている方向に流れている気がする。思考停止した自分を放って、彼らはのんびりと食事を再開している。このまま流してはいけない。それは分かるのだが、一体何処から修正をかければいいのやら。

「・・・ええと?」

ぽかんともう一度最愛の妻を見返す。
いつも通り美味しそうにパスタを食べていた妻は、フォークを握ったまま一つ頷いた。

「リーブ。異動の日付は明日にしろ」
「私もです、リーブ」
「ふん、職権乱用とはこのことだな、リーブ」
「リーブはん、食材はボクが調達しとくでー」

すっとんだままの彼らに、私はとりあえず叫んだ。

「い、異動なんてさせませんから!!!!」
「なら、もう貸し出しは禁止だ」
「はいいい!???」

fin.