逆位置

「ジョージ・グレイ。貴女の息子さんですね」
「・・・」
「遺品をお返しいたします」

闇色のスーツに着替え、鏡の中のモノトーンの自分にため息を一つ。
我ながら違和感がない。
目も髪も漆黒だから当然かもしれないが。
内面も染まっていたのか、それとも、最初から・・・?

   *   *

エッジの最北端には、余り裕福でない人達が集まり小さな集落を作っていた。
集落の外れ、傾きかけた家に住むのは、たった一人の遺族である年老いた母親。

隊員の最期の状況を淡々と伝え、テーブル越しに遺品を手渡す。
真白い無地の布で包まれたそれを老婆が震える手で開いた。
血でどす黒く変色した布切れ。
辛うじて残るWROの腕章。

手を尽くしたが、遺体は見つからなかった。
いや、正確に言えば・・・原型を留めていなかった。
テロから住民を守ろうとして、爆撃に巻き込まれたのだから。
ぐうう、と唸るように遺品に頭を押しつける老婆をただ見守る。

やがて、老婆は顔を上げた。
涙を流し、赤く腫れた目が、憎悪に歪んでいた。

その目を、ただ見返す。
時が凍りついた様だった。

先に目を反らしたのは老婆だった。

「・・・申し訳ありません」

謝罪など、意味がないと分かっている。
相手の感情を逆撫でするかもしれない。
それでも、・・・言わずにはいられない。

老婆は視線を遺品にのみ注いでいる。
既に他の物など存在しないかの様に、拒絶していた。

静かに一礼し、立ち上がる。
老婆に背を向け、扉へと向かう。
きい、と蝶番が乾いた音を立てたとき。

背後からの殺気が膨れ上がった。
立ち止まる。
だが、振り返る前に、その殺気は後数糎のところで止まっていた。
いや、止められていた。

「離せええええ!!!」
「・・・あんたの憎しみは分かる。だが、俺たちには、こいつが必要なんだ。
だから、殺らせない」

振り返ると、果物ナイフを奪われても尚襲いかかる老婆を、一人の隊員が片手で抑えていた。
そう言えば、彼は何度断っても自分の背後に付き従っていた。

「・・・レギオン」
「返せ・・・!!!!息子を返せええええ!!!!」

老婆は滅茶苦茶に腕を振り回し、叫び続けていた。

「・・・申し訳ありません」

外に出れば、昼間だというのに薄暗い雲が覆っていた。
次の目的地はニブルヘイム。
ヘリならばなんとか間に合うだろう。
時間を確認し歩き出す背に、静かな声がかけられた。

「・・・あんた、まだ続ける気か?」
「・・・」

答えずに、足早にヘリへと向かう。

けれど脳裏に浮かぶのは、一気に衰えたような老婆の姿。
暴れ続ける老婆をやむなくレギオンが気絶させ、ベッドへと運んでいた。
意識がないためか、先程の殺気よりも我が子を亡くした悲しみが浮かび上がっていた。

けれども、今回が初めてではなく。

「もう何百回、遺族に殺されかけたと思っているんだ?」

大袈裟ですね、と内心思いながら淡々と答える。

「・・・当然でしょう。大切な人を、私のせいで喪ったのですから」
「局長、」
「今日はあと一人くらいしか時間が取れないでしょうね・・・」

   *   *

豪奢ではないが、温かそうな一軒家。
通された応接間で、同じように真白いの布に包んだ遺品を手渡す。

「マルク・ウェスナー。貴女の息子さんですね」
「・・・まさ・・・か」
「・・・遺品をお返しします」

ひび割れた文字盤の腕時計と、
ニット帽、腕章。こちらも血で染まっていた。

「・・・う、ううう・・・!!!!」

母親は膝をつき、泣き崩れた。
ぎゅうと抱きしめた遺品たちは
それでも持ち主の代わりにはなれないから。

ただ彼女を見守る。

不意に、母親は顔を上げた。
そして、深く深く頭を下げた。

「・・・え?」
「・・・ありがとう、ございました・・・」
「・・・あ、あの・・・?」

罵りではなく、何故礼を言われたのか。
どう言葉をかけていいのか分からない。

母親は泣き腫らした目で、それでも仄かに微笑んだ。

「リーブ・トゥエスティ局長、ですね」
「え、ええ・・・」

何とか言葉を返すが、何故彼女が穏やかに接するのか分からず、ただ戸惑う。
母親は遺品を抱いたままそっと立ち上がりソファに浅く座った。
そして、ひび割れた文字盤をそっと撫でる。

「・・・息子は昔から無鉄砲で・・・
誰かを助けるために戦うんだと、私の反対を押し切ってWROに入りました」
「・・・」
「いつか・・・こうなると、思っていました・・・」
「・・・申し訳・・・ありません」

口に出せたのは、先程と同じ陳腐な謝罪の言葉だけ。
何の意味もなさないと分かっているのに。
母親はそっと首を振るった。

「・・・あの子が選んだ結果です。貴方のせいではありません」
「しかし・・・」

言いかけて、ぎり、と言葉に出せない思いを奥歯に噛み締める。
ここで「全て自分の責」と言ったところで、亡くした命を取り戻すことなどできないのだから。

「それに、きっとWROがなければ、私もこうして生きてはいなかった・・・」
「・・・え?」

知らず落ちていた視線を母親に戻す。
泣き崩れていた筈の瞳が、凛とした光を灯していた。

「DGはすべての人類を殺戮することが目的だったんですよね」
「え、ええ・・・そう、ですが・・・」
「あの子は、それを防ぐために戦った。きっと誰かを助けたんだと思います」
「・・・間違いありません」

深く、頷く。
自分は何もできなかったけれど、
これまで闘ってくれたすべての隊員は、多くの人を守ってくれた。
それは、事実だったから。

「遺品を届けてくださって・・・ありがとうございました」
「・・・いえ・・・」

礼を言われることではなかった。
寧ろ、ここまで遅くなってしまったことも含めて批難されて当然だろうに。

母親は、真っ直ぐに自分を見据えた。

「・・・一つだけ、お願いがあります」
「・・・何でしょうか」

視線を受け止め、静かに尋ねる。

「命を、粗末にしないでください」

母親の目に、強い光が点っていた。
誤魔化しを許さない眼差しに、重々しく頷く。

「はい。ただ・・・『死神』がいっても説得力ありませんね・・・」

自嘲気味に笑う。
軍隊を率いて多くの命を散らす『死神』。
世間で自分がそう呼ばれていることはよく分かっている。
そして、紛れもなく事実だったから。

母親は、ゆっくりと首を振るった。

「いえ、そうではなく・・・局長ご自身の命を、大切になさってください」
「・・・え?」

思わぬ答えに、反応が遅れた。
何故、この母親は自分の命を気遣うのだろう?
大切な者を守れなかった自分の命を?

母親は尚も畳みかける。

「息子は・・・直接的ではないにしろ
きっと貴方も守っていたはずです。だから」

彼女は、祈るように両手を組む。

「息子が守った命を、決して無駄にしないでください」

母親の声が、厳粛な空間に響く。
目を反らすこともできず、ただ遺族の祈りがゆっくりと染み込むようだった。

彼女の大切な息子を返すことはできない。
それでも、自分が生き続けることが、僅かでも彼女の息子が生きた証となるのなら。

一瞬だけ、目を閉じる。
喪った者たちの面影を、強く脳裏に刻みつける。

「・・・分かりました」

母親はふっと力を抜いたようだった。
強い眼差しが瞬きの後、ふと優しいものに変わっている。
そうして、彼女は暫く自分の様子を見守るようだった。

母親の変化が分からず、首を傾げる。

「・・・あの・・・?」
「・・・貴方は・・・」

母親は酷く時間をかけて、一旦言葉を切った。
相応しい言葉を選びあげるように。

「・・・貴方は『逆位置の死神』だと、私は思います」
「・・・。・・・えっ?」

最初は意味を取り損ね、
そして、母親の指す意味を悟り、目を見開く。

「ご自分を大切になさってください。私は、WROを信じています」
「・・・。ありがとう、ございます」

扉を静かに閉じれば、
厚い雲は何処かに流れ去ったのか、石畳に明るい日が差していた。
腕時計で時間を確かめ、また歩き出す。
次の目的地はウータイ。
ゴドーとの会談には間に合いそうだった。

「局長」

相変わらずひっそりと後ろに控えていた護衛が声をかけた。
振り返らずに、返事だけ返す。

「なんですか、レギオン」
「『逆位置の死神』って何です?」

背後にいる護衛の表情は分からない。
だが先程とは違い、単純に知らないから尋ねたらしい。
沈黙する理由もなく、簡潔に答える。

「・・・タロットカードですよ」
「タロットカード?って確か占いの道具ですよね?で、何?」
「タロットカードには一枚一枚絵柄が描かれています。その絵柄の一つが」
「『死神』、ですか」
「そうです。ただ、カードの上下があるんです。
絵柄の正しい位置が、正位置。逆さが逆位置といいます。
正位置と逆位置では、カードの意味も変わってくるんですよ」

へえ、と感心したような彼は、確かに占いなどするタイプではないだろう。
気軽に切り込んできた。

「んじゃ、正位置の『死神』は?」

気付かれないように、僅かに目を伏せる。
タロットカードの「死神」の絵柄が思い浮かんだ。
常闇のローブを纏い、その手には大きな鎌を握りしめる。
掌るのは、死。

「停止、病気や事故、破壊、絶望・・・といったところでしょうか」

確かに自分に相応しい呼称だろうと思う。
沢山の遺品や、遺品さえ遺せなかった者たちの名前が教えてくれる。

背後にいる護衛の、げんなりした気配が伝わってきた。

「うげえ。んじゃ、・・・逆位置は?」

死、終りを示すカードの、逆位置は。

「・・・。軌道修正、立ち直る、復活、再生・・・ですかね」

小さく答えると、ぱっと背後の気配が切り替わる。
生気を取り戻したかのように。

「・・・再生、ですか。まさにWROのリーダーに相応しい言葉じゃないですか」

何故か嬉しそうな声に釘を刺す。

「実行できなければ正位置でしょうけど」
「おいおい。でも、あの人いってたじゃないですか」
「何を、ですか?」

歩きながら尋ねたが、背後から返事はなかった。
それどころか、彼は立ち止ったらしい。
訝しみ、立ち止まって振り返ると、
何処か自分を眩しそうに見つめる護衛の姿があった。

「・・・WROを信じているって。それから、自分を大切にしろってな」
「まあ・・・簡単に死ぬわけにはいきませんからね」

苦笑すれば、存外真摯な言葉が返ってくる。

「・・・死なねーよ、あんたは」
「・・・レギオン?」
「死なせないさ。
俺たちも、シャルア統括も、他の隊員たちもあんたの英雄仲間もいるんですから」

きっぱりと言い切られてしまい、一つ首を振るう。
WROの部下たちや仲間たちの実力を知らないわけではない、けれど。

「・・・随分と、買いかぶられてますね・・・」
「そう思ってるのは、あんただけだろ」
「・・・?」

首を傾げると、護衛はにっと楽しそうに笑った。

「んじゃ、さっさと行きましょうか、ウータイですよね?」
「え、ええ」

fin.