Heaven’s here2

天国は今ここにあるのかな
君がいなくても生きていくのかな
行き先の見えない明日が怖くて
ただ立ち尽くすばかり

「しかし。何故、局長は記憶喪失になったのだろうな」
「頭部にも脳にも異常はありませんでした」
「じゃあ、何かしらのショックで・・・?」
「それなんだが」
「何か?」
「精神的な強いショック。
忘れたいと願うほどの何かを目撃した、というのが通常だが・・・果たしてそれがあいつに当てはまるのか?」
「どういう・・・ことでしょうか」
「あたしらが想像すら出来ない闇さえ、ずっと直視してきた奴だ。そんなやつが、何を見たにしろ、忘れたいと願うのか?寧ろ凄惨な真実こそ、記憶しようとする奴じゃないのか?」
「・・・それは」
「だが、ケット・シーは負荷が大きすぎる、といっていたな・・・」
「え?」
「・・・もしかしたら、ケット・シーに関することなのか・・・?」

*   *

意図したわけではなかったが、早朝に目が覚めた。
隣のベッドで眠る子供たちとそして彼らの親たちに無言で礼を述べ、気付かれないように部屋を出る。
荷物は元より着替えくらいしかなかった。それもWROとやらから押し付けられたものだったが。

こっそりと身支度を整え、ゆっくりと階段を下りる。

しん、と静まり返った店内は明かりもなく、昨日の騒ぎが嘘のように寂しげに見えた。
記憶のない自分を仲間として受け入れてくれた場所。
けれど、やはり自分がここにいてはいけないと強く感じた。あんな幸せな家庭を危機にさらすようなことがあってはならない。

外への扉を開けようとして、上部に取り付けられたドアベルの存在を間一髪で思い出す。
危ない危ない。これでは危機に晒す前に彼らの安眠を妨害することになってしまう。

ベルを抑えながら、ゆっくりと扉を開く。
薄暗い夜明け前。
道路も向かいの家々も色彩がなく、現実味がなかった。ぼんやりとしていて掴めないような。
ここから出てしまえば、その曖昧さに溶かされ自分も消えることが出来るのではないかと、諦めに似た安堵に襲われた。

一歩、外に出ようと足を踏み出したときだった。

「・・・リーブさん?」

はっと振り返る。階段の前に少年が立っていた。
彼は自分を責めるわけでもなく、ただじいっと真っ直ぐな目で自分を見上げている。これでは、彼を無視して外に出ることは難しいだろう。さり気無く扉を閉め、なんとか挨拶を返す。

「デンゼル君・・・。おはようございます」
「おはようございます。・・・出ていかれるのですか?」
「・・・」

率直な物言いに、否定することも誤魔化すことも出来ず黙り込んでしまう。
すると少年、デンゼルが悲しいような、悔しいような表情で顔を歪ませた。

「・・・俺、そんなに頼りないですか?」
「え?いえ、違います。ですが、皆さんを巻き込むわけにはいきませんから」

デンゼルが何か言葉を探すように俯いて、ギュッとその手を握るのが分かった。

「・・・俺。昔、貴方のお母さんを死なせました」
「えっ・・・?」
「俺が両親を失って、一人彷徨っていたときに声をかけてくれたのが、貴方のお母さん・・・ルヴィさんでした。でもジェノバ戦役のときに俺を庇って、ルヴィさんは・・・」
「・・・そう、だったんですか・・・」

母、と言われても記憶のない自分には矢張り実感が湧かない。恥知らずな自分と違い、声を震わせる少年の方が母にとっては余程親孝行な子供だろう。
掛けるべき言葉も見つからず、ただデンゼルの告白を受け止める。

「息子さんがいることは聞いていました。でも、名前までは聞いていなくて、ルヴィさんが死んでしまって・・・。俺、死ぬほど後悔しました。一番にルヴィさんの事を伝えるべき相手だったのに。ちゃんと息子さんのことを教えてもらっておけばよかったって・・・でも。本当は怖かったんです」
「・・・怖い・・・?」

デンゼルという親孝行な少年は一度深呼吸をして、正直に答えてくれた。

「もし、ルヴィさんに息子さんのことをきいたら、俺、追い出されるんじゃないかって・・・。そしてルヴィさんが死んでしまった後は、息子さんに・・・恨まれるんじゃないかって・・・」
「・・・」

戦役中、孤独な少年にとって、たった一つの拠り所が母だったとしたら。
確かに実子の話は尋ねにくいだろうと納得する。実際はこんな親不孝者なのだから追い出されることはなかったのではないか・・・と他人事のように思う。

「俺、一度WROに入りたくて、貴方の面談を受けたことがあったんです」
「・・・面談・・・?」
「すっごく忙しいって聞いていたから、まさか貴方がきてくれるなんて思わなくて・・・。そして俺の話を聞いてくれました。そのときに知ったんです。貴方がそのルヴィさんの息子さんだったって」
「・・・」
「WRO入りは断られましたけど、俺、息子さんが誰か分かって嬉しかったんです。
きっと俺のことは恨むだろうけど、でも、ルヴィさんが最期まで一番心配していた貴方を守ることはできるって」

昨日と同じくきっぱりと言い切ったデンゼルが眩しく見えた。

「・・・今の自分は、何も覚えていません。ですが・・・貴方を恨んだことはない、と思いますよ」
「・・・どうして」
「そのときの自分ができなかったことを、デンゼル君がやってくれた・・・母の最期を看取ってくれたのでしょう?感謝することはあっても、恨むことはありませんよ」
「・・・リーブさん」

強く優しい少年。きっと母は全身全霊で彼を守ったのだろう。だから。

「母は貴方のことが好きだったんですね・・・。でしたら、やはりここにはいられません」
「どうして、そうなるんですか!」
「母が大事にしていた少年を、巻き込むわけには行きません」
「俺は、貴方を行かせるわけにはいきません!」
「デンゼル君、」
「俺は将来必ずWROに入るんです!大勢の人を守る人になりたいんです!
今貴方を守れなくて、どうして他のみんなを守れますか!」

必死に引き留めようとしてくれるデンゼルの言葉は有難かったけれど。
自分に彼の心遣いに見合う価値があるとはどうしても思えなかった。すっと視線を外す。

「・・・私を守る意味なんてないですよ」
「それはどうかしら?」

割り込んできた声は、艶やかな女性のもの。そして。

「・・・リーブ。早朝から何の騒ぎだ」

淡々と降ってくる青年の声。女店主と金髪の青年がゆっくりと階段を下りてくるところだった。どうやらデンゼルの言葉に集中しすぎて、彼の声量を抑えるように注意するのをすっかり忘れていたらしい。完全に自分のミスだと内心ため息をつく。

「ティファさん、クラウドさん・・・。すみません、起こしてしまいましたね・・・」
「デンゼル。よくやったわ」
「え?」
「リーブを引き留めてくれてたんでしょ?」

笑顔で息子を見るティファは、母親の慈愛に満ちていて。

「・・・うん」

息子が素直に頷く。血が繋がっていなくてもこれが家族なのだろうと。
自分がいると壊れてしまう気がして、知らず後ずさる。

「リーブ」

その足を止めさせたのは、金髪の青年、クラウドの視線だった。睨まれているわけでもないのに、ひたと自分を見据える目に動けなくなる。

「あんたは何を恐れている?失うことを、か?」
「・・・」

自分の中の感情が上手く言葉にならず黙り込む。
彼の言う通りなのだろうか。ただ、ここに自分は居てはいけないと強く感じるだけで。この暖かさに自分は相応しくない、それだけだ。ただ、それをどう伝えていいものか躊躇ってしまう。
自分の葛藤も御見通しなのか、それとも頓着しないのか。
クラウドはさくっと言い切った。

「そんなに気になるなら、いつでも俺たちに言ってくれ」
「は・・・?」
「レギオン、聞いてるんだろう?」
「え・・・」

カランカラン、と涼やかなドアベルの音と共に、黒髪の青年が入ってきた。明らかに戦士と分かるその体格に背中には大剣を背負っている。彼がレギオンらしい。彼はクラウド達へ、にかっと笑った。

「どうも、英雄さん方」
「英雄・・・?」

首を傾げる自分を放ってクラウドはさっさと要件と告げた。

「リーブはどうも敵が気になって仕方ないらしい。が、あんたらは先制攻撃できないんだろ?本拠地さえ言ってくれれば、俺たちが攻撃してやってもいい」
「そりゃあ助かりますって言いたいとこですが。後で怒られるの、俺たちなんで」
「全く。面倒なくらいお人好しだな」
「だからここまでの組織になったんじゃないの?」
「仕方ない。で。WROとしては、リーブがここにいるのは賛成だったな?」
「勿論ですよー。俺たちだって、護衛しやすいですし」

多少物騒なクラウドの提案をさらりと躱すレギオン。そこからティファの加わり、3人がのんびりと話しているのを流していたのだが、レギオンの気になる発言につい口を挟む。

「護衛って・・・まさか、ずっと、いたんですか?」
「当たり前です。大体、貴方を一人で放置してたらろくでもないですからね」
「ろくでもない・・・?」
「今までどんだけ無謀なことしてきたか知ってますから。ここなら、英雄のあなた方もいるし、何より馬鹿な連中は近づけないんです」
「何故、ですか?」

自分の疑問に、レギオンは自信満々、といった表情で教えてくれた。

「ここ、セブンスヘブンは強盗も逃げ出す最強の店ですから。WROとつながっているのも知られてますからね」
「そ、そんなに強いんですか、皆さん・・・」
「戦闘なら、護衛の俺たちより上です」
「・・・」

どきっぱりと断言されてしまった。
明らかに身体を鍛えていると分かるレギオンよりも、戦闘能力が上。
レギオンと同じく剣士らしいクラウドは兎も角、ティファまで強いということらしいが・・・。思わず黒髪の女店主をまじまじと見直してしまった。こんな綺麗な女性が、本当に?
自分の視線に気付いたのか、女性がにっこり笑って力こぶを見せてくれた。・・・中々に立派なものだった。

ふう、とクラウドが息をつく。

「一つ言っておくが。俺が敵に回したくないのは、あんただ、リーブ」
「・・・え?どうしてですか。どう考えても私では戦えませんし・・・」

圧倒的に強い筈のクラウドからそんなことを言われ、首を傾げる。
ティファが魅惑的に微笑んだ。

「ふふ。リーブを敵に回して、最後まで敵でいられるものは少ないってこと」
「・・・」

それは一体どういうことだろうかと考え込む。
敵でいられない・・・まさか相手を殲滅とかしていたのだろうか、嘗ての自分は。
WROは軍事組織。寧ろそれが日常茶飯事だったとしたら。

「ああ、勘違いしないで。貴方は相手を殺したりしないわ。
気付いたら、敵だった人がWROに入ってたりするのよね」
「・・・捕虜、ですか・・・」

何処までも思考が暗い方へと走る自分に、レギオンが軽く笑った。

「そうじゃありませんって。なんか気付いたらWROでやりたいことを見つけたり、あんたに天職紹介されたりしてるからですよ」
「・・・は?」
「・・・ま、兎も角。局長のこと、頼みますよー。ここが一番安全でしょうから」
「任せて!」
「どうせあんたらもいるんだろう?」
「その通りです。俺らは適当にいるんで、気にしないでください」
「・・・勝手に決めないでください・・・」

勝手に話を進める彼らに、呆れたように口を開く。今度こそ彼らを説得しなければ。
そう決意したときだった。

「リーブさんは、ここから出ていったりしないよ?」
「!?マリンちゃん!?」

階段から降りてくる、セブンスヘブンの最後の住人。
おかっぱ頭の少女は、利発そうな表情でにっこりと笑っていた。

「おはよう、マリン」
「おはよう!」
「おはよう」
「よ、マリンちゃん、おはよう!」
「おはよう!ティファ、クラウド、デンゼル、レギオンさん、そしてリーブさん」
「あの・・・」

先程からこの家族もレギオンも自分の話をあっさりと流してしまう。マリンは立ち尽くす自分の前にやってきて、悪戯っぽく笑った。

「ね?だって私、まだリーブさんにお返事貰ってないよ?」
「返事・・・?」
「お手紙書いてたんだよ、リーブさんに。ちゃんとお返事書いてくれるまで、ここにいなきゃ駄目だからね!」
「・・・」

母親譲りなのか父親譲りなのか。押しの強い少女の可愛らしい命令に、何も言えなくなってしまった。
手紙さえ書ければここを離れられるが、残念ながらマリンに貰った手紙が何処にあるかも知らず、分かったところで今の自分に返せる言葉は何もない。つまり。
・・・ここに居続けるしかない。

がっくりと項垂れた自分に、クラウドが止めを刺した。

「今度こそ、全員一致だな」
「・・・はあ」

*   *

夜明けが遠くて
闇に飲み込まれていく
笑い声のない部屋に一人きり
朝を待ち続けている

セブンスヘブンという名の店は、本日も大勢の客で賑わっていた。店はそう広くはない筈だが評判の店らしく、毎日引っ切り無しに客がやってくるようだった。下の喧騒を聞く限りだが。
その2階に、自分は明かりも点けずに一人籠もっていた。幾らティファやクラウドたちが強いと聞いていても、
それでも自分がここにいること、そして記憶喪失だとばれるのはよくない、と判断したためだった。
勿論、そんなこと気にしないで、とティファには散々言われたが、これだけは譲らなかった。

無関係な人間をこれ以上巻き込むわけにはいかない。

ふう、とため息を一つ。

これから、ずっとここに引きこもっているわけにもいかない。
けれど、クラウドの言うとおり、自分には行く宛もなかった。
どんなに思い出そうとしても、真っ白な空間が際限なく広がっているように、嘗てあったはずの記憶は、全ての感情を引き連れて消えてしまっていた。

・・・消えた?
それとも、思い出せないだけか・・・?

それさえ、自分には分からない。
俯いてじっと床を見つめていると、不意に頭の中から声がした。

『無駄に暗うなってんちゃうやろな?』
「えっ!?」
『まあ、驚くなってほうが無茶やろけど。ボクが誰かはシャルアはんから聞いている筈や』
「・・・ケット・シー、ですか」

映し出されるもう一つの視界、その視界の持ち主と同じ声だった。
WROを出る前にシャルアに紹介された猫型のロボット。そういえば、ティファが『無機物に命を吹き込む能力』といっていた、ような・・・?どういうことだろうか。
ケット・シーとは一体何なのだろうか?
自分の思考を読んだようなタイミングで彼が答えた。

『ああ、正体とか聞くのは勘弁な。なんたって、ボクですら分からんし』
「・・・はあ・・・」

本人にそういわれてしまえば、もうどうしようもない。返事にならない返事を返せば、ケット・シーがあっさりとこちらを見破った。

『今リーブはんが途方に暮れとるくらいは分かるで』
「・・・」
『ええか。リーブはんがいくら全ての人間との接触を断ったところで、ボクとの繋がりだけは決して断てへんで』
「・・・どういう、意味ですか?」
『ボクはリーブはんの分身で、如何なることが起きようが、リーブはんの味方やから』
「分身?・・・味方・・・?」
『そや。ボクはずっとリーブはんと一緒や。他の人に言えんことでも聞けるし、誰にも託せへんことでも代わりにできる。やからな』

視界を共有しているため、ロボットの顔は見えないけれど。何故か、じっとこちらを凝視しているように感じた。

『ボクに出来ることは、何でも言いや?』

真摯な声に、小さく返す。

「・・・では、ケット・シー。貴方、PCは扱えますか?」
『当たり前や』

真っ先に知るべきで、けれどもどうしても知るのが怖かったことを尋ねる。
軍隊組織の長だった筈の自分は過去に何をしてきたのか。

「・・・『リーブ・トゥエスティ』に関するデータを全て、調べてもらえませんか?」
『成程な。けど』
「・・・けど?」
『もうちょい、落ち着いてからやな』
「何が、ですか」
『今は、まずいんや』
「どういうことですか!?」

分身と称したロボットからの思わぬ反応に激昂する。彼は、ずっと自分に事実を隠してばかりなのではないかと。

『・・・ええか、リーブはん。あんさんが記憶を失ったのは、ちゃんと理由がある』
「理由があるなら教えてください!」
『焦るのは分かるけどな。今それは逆効果や』
「どうしてですか!?」

目の前に彼がいれば、きっと詰めよって胸ぐらを掴んでいただろう。湧き上がる激しい怒りの感情のまま問い詰める。けれども、ケット・シーと名乗ったロボットの口調は冷静なままだった。

『ボクがシャルアはんに言ったこと、覚えてるか?』
「・・・。確か、『十中八九、壊れてまう』・・・」
『そういうことや』
「・・・私に関する情報を手に入れることが、その『処置』なんですね?」
『当たらずとも遠からずってとこやな。ええかリーブ。今あんさんに必要なのは、精神的な安定なんや』
「・・・」
『今無理に情報を入れるとあんさんは壊れてまう。それ以外なら、出来るんやけど・・・。他にないやろか?』

これ以上彼に問いただしたところで、何も情報は得られない。結局は記憶が戻らないまま、自分は途方に暮れるしかないのだと、諦めるしかなかった。

「・・・もう、いいですよ」
『リーブはん・・・』

*   *

毎日がもっと楽しくならないかな
明日になれば何か変わるかな
自由に描ける未来が怖くて
夢に溺れてるばかり

『リーブの様子はどうでい』
「・・・あんまりよくないわ・・・。ずっと部屋に籠もってるの・・・」
『・・・まあ、突然記憶がぶっ飛んで、平気なやつなんていねえだろうな。けど、このままってのもよくねえ』
「そうなの。でも、幾ら言っても聞いてくれなくて・・・」
『無駄に頑固なところは健在ってことか。よし、俺様がいっちょ連れ出すか』
「シド・・・!お願いね」
『おうよ!!』

*   *

WROの一室がもう一つの視界に映っていた。暗い室内で、視界の持ち主は僅かに俯いたままじっと動かない。無駄なエネルギーの消費を抑えているのか、それとも・・・。
不意にインターフォンが鳴る。彼は酷くゆっくりとした動作で扉を開いた。

「ここにいたか」

扉の向こうが逆光になって訪問者の顔が良く見えない。けれども誰なのかは今の自分でもわかる。あの日、自分を記憶喪失だと診断した女医の声だった。

「・・・シャルアはん」

対する彼は、ロボットらしからぬ俊敏さに欠けた反応で彼女を見上げる。そして、まるで人間のようにため息をついた。

「・・・なんや?わかっとると思うけど、リーブはんは不在やで?」

気だるそうなケット・シーの問いかけに、シャルアと呼ばれた彼女がヒールを鳴らしてロボットの前で膝をついた。わざわざ視線を合わせてくるのだが、隻眼に込められた目力が強い。今の自分では直視できないほどだったが、生憎彼は反らすことがなく、自分もその眼差しを享受するしかない。

「ケット・シー。あんたに聞きたいことがある」
「・・・なんや?」
「『心が崩壊する』、と言ったな」
「・・・」
「それほどまでに、あいつが精神的に追いつめられたのは・・・記憶が飛んだ後だけか?」
「・・・」

ケット・シーは応えない。
シャルアは目を細めた。隠された何かを掴むように。

「それとも、・・・飛ぶ前、か?」

彼女は確信を持って猫ロボットを睨みつける。動きを止めたロボットは、やがて泣きそうな声で笑った。

「・・・おおきに、シャルアはん」
「・・・なんだ?」
「そないなこと気いついたんは、シャルアはんだけや」

今の自分には何を指しているのか分からない。けれど、シャルアには分かったらしい。
僅かに痛ましそうに顔を顰めていた。

「矢張りか・・・。あのテロか」
「・・・そや」
「時期的に考えて、全ての後始末が終わった頃だ。あいつが、・・・犠牲者を悼む時間ができたとしてもおかしくない」

テロ。
物騒な単語だが、WROが軍事組織であるならば、珍しいことでもないのだろう。
ただ、ケット・シーが肩を竦めるのが物悲しく感じた。

「・・・何でもお見通しやなあ。こりゃ、かなうわけあらへんなあ・・・」
「今も、あんたの経験は局長に伝わっているんだな?」
「そや。この会話も筒抜けや」
「・・・そうか。なら、好都合だ」
「「・・・へ?」」

シャルアは真正面から猫ロボットを抱き締めた。

「ちょ、しゃ、シャルアはん・・・!?」

これにはケット・シーも驚いたのか、手足をばらばらに動かしてもがいている。が、シャルアには全く効かない様だった。そして、視界を共有している自分も序でに焦りまくっていた。ただでさえ自分がどうしていいのか分からないのに、当事者であるケット・シーの大混乱まで頭の中に流れ込んでくる。今の自分は記憶があるなしなど関係ないくらいに動揺していた。

「ロボットのくせに、あんたもあったかいな」
「しゃ、シャルアはん!」

分身は尚じたばたと暴れていたが。

「・・・リーブ。聞こえてるんだろう?」

シャルアが落ち着き払った声で呼びかけると、ケット・シーはぴたりと動きを止めた。まさかこちら側に呼びかけがくると思わなかったため、驚愕して自分の心もぴたりと鎮まった。まあまだ体勢としては、その、問題があるのだけれど。

「・・・」

何を言われるのだろうかと身構える。
言葉を飾らない性格だということは、最初の診断の時に分かっている。彼女は嘘など言わない人。
じっと待っていると、シャルアはそっと耳元で囁いた。

「『あんたは、あんたのままでいろ』」
「・・・え・・・?」

ケット・シーを通じて聞こえる声は、淡々としながら何処か暖かかった。

「・・・『あたしはずっとここにいてやる』。2年でも、3年でも10年でも、あんたが帰る場所くらい守ってみせる。・・・あんたが、そうしてくれたように」
「・・・」
「だから、余計なことは気にするな。気の済むまで、休んでおけ」

そして、僅かに首を傾げてシャルアは笑った。

「・・・もし、もうWROなんてごめんだというなら、そのまま気楽に生きればいい。あたしはあんたについて行くが、部下たちがWROを守っていくからな」
「・・・え、ええと・・・?」

とんでもないことをさらりと言われた気がする。
彼女の言葉を全て理解できてわけではないけれど、これだけは分かった。

「・・・貴女は・・・」
「なんだ?」
「・・・お人好しなんですね」

彼女は長いため息をついた。

「あんたに言われたくないな」

*   *

暗い部屋の中で呆然と顔を上げる。隻眼の女性の声が、真っ直ぐに心に響いた。

そっと、胸に手を当ててみる。

彼女が抱きしめていたのは、無機物のロボット。映像も音声も届くが、流石にその感覚までは伝わらない筈、なのに。ぽっかりと空いている心の穴を埋めるわけではなく、その穴ごと全てくるりと包まれたような。
闇へと落下していた心をふわりとくるんで、そっと上昇させてくれるような。

・・・暖かい。

「確かに・・・かなわない・・・ですね」

僅かに苦笑する。

彼女の言葉は、頑なに全てを拒絶していた自分の心へとするりと入ってきた。
自分自身への恐怖、記憶を取り戻さなければならないという義務感と焦燥感。それらは過去を失ってから絶えずのしかかっていた重圧で、周囲の知り合いだという人たちの気遣いも何処か他人事で厚い壁のように遮っていたものだった。

けれども、彼女はそれらをあっさりとすり抜けて、未だ不安定で何者でもない自分をあっさりと受け入れてくれた。相変わらず何も思い出せない、何も前に進んでいない、何の解決にも至っていない、のに。

何故か、安心してしまっていた。

そのとき、閉じられた部屋の扉が唐突に開いた。

光に眩み、咄嗟に目の前に手を翳す。眩しい光を背負っていたのは、あの日シエラ号とやらの艦長だと名乗った男だった。陰鬱な部屋の雰囲気を吹き飛ばすように、彼は陽気に笑う。

「ってことで、おめえを連れ出しにきた」
「・・・シドさん」

ぽかん、とその光と人物を見る。彼のことも思い出せないが、屹度太陽が似合う男なのだろう。
反応の鈍い自分に、シドは単刀直入に切り出した。

「おめえがここを出たがらない理由は聞いた。けど、この二三日ここに籠もったところで進展はねえんだろ?」
「・・・」

痛いところを突かれ、ただ沈黙する。

「なら、いっちょ気分転換しろ!このまま腐っても仕方ねえだろ?ほら、とっとと来い!」

座っていた自分の腕をぐいと引っ張られ、為すがまま取り敢えず立ち上がる。しかし、行く、といったところでクラウドに指摘されたとおり行くあてなど何処にもない。意志の強そうな男の目に問いかける。

「・・・何処へ・・・?」
「おめえ、外の世界を忘れてるだろ?何かみれば、思い出すかもしれねえだろが!」
「・・・それは・・・」
「よし、行くぜ!」

太陽の光を反射する海面すれすれに進んでいたと思いきや、不意に現れた陸地から一気に崖に沿って荒野が広がる。だがそれも永遠に続く赤茶けた大地ではなく、悠々を流れる川を挟んで視界が瑞々しい木々の緑に埋め尽くされる。山を下れば人家が集まる街を見下ろし、ロープウェイから煌めく巨大な娯楽施設へ。

自分は目まぐるしく変わる眼下の風景をただ呆然とみていた。
言葉も出ない自分の反応に気を良くしたのか、操縦者は機嫌よく各地の説明を続けている。

「で、あっちにある村はよ。一時壊滅状態に陥ったことがあったんだけどよ、ここまで立ち直ったんだと。
そっちはミッドガルっつー嘗ての巨大都市だ。瓦礫ばかりで、もう廃墟だったんだけどな。今はエッジと呼ばれる地域を中心に復興しつつある。あー、カームもDGSとかいう敵が攻めてきたときは混戦状態で、あちこち火に包まれてたんだが、今は元の活気のある街になってやがる」

数えきれない街や都市の上空を、自由自在に飛ぶ飛空艇。その主は不意に言葉を切った。

「・・・なんでか分かるか?」
「・・・いえ・・・」

緩く首を振るう。何の記憶さえ残っていない自分には、予想することさえ出来ないのだから。
だが、シエラ号艦長は力強い笑顔で言い切った。

「俺様の知る限り、全ての復興にWROが力を注いでいるからだ。リーブ。おめえがそれを成し遂げた」
「・・・え?」

思いもかけない内容に、顔を上げた。
復興?WROが?それは軍事組織ではなかったのか?

「俺様は、この星の住民はみんな何かしら、おめえに借りがあると思っている」
「・・・」
「だからおめえがゆっくりしたところで、誰もおめえを責めやしねえ」

彼は柔らかく笑った。それを何故だか珍しいことだと思った。
慰めなのか分からないが、彼は屹度『リーブ』を信頼してくれていたのだろう。
だからこそ、ここはきちんと言わなければならない。
自分は、彼らのいう『リーブ』とは違うものだと。

「・・・ですが」
「なんでい」
「・・・今の、私は・・・」

きゅっと唇を噛む。
シドを含め、仲間だと言ってくれた彼らの期待に応えられる『リーブ』ではないのだから。

「今も昔もねえよ」
「・・・え?」

自分の台詞は、あっさりと却下された。

「おめえ、ティファにセブンスヘブンに留まれ、って言われたとき、真っ先にティファの身を案じただろ」
「・・・敵が多いのならば、当然でしょう・・・」
「当然じゃねえよ」

にかっと飛空艇乗りが笑う。

「・・・?」
「突然記憶喪失になって、見知らぬ奴らに囲まれた中で、どうして他人の心配ができるんだ?普通、てめえのことで精一杯だろうよ」
「・・・何が、いいたいんですか・・?」

ケット・シーのようにはぐらかされているように感じ、苛立ちを込めて睨んだがシドの笑みは変わらなかった。

「おめえが、馬鹿みたいにお人好しってことだ」
「・・・は?」

お人好し?自分が?
それは自分より目の前の人物のことだろう。何もできない役立たずを心配して、特別な景色を見せてくれているのだから。
シドは気にせず断言する。

「それは、おめえの記憶があったときから変わらねえ」
「・・・」
「そんなおめえだからこそ、WROの局長なんざ重てえ肩書きを背負えたんだと、俺様たちはよおっく知っている」
「・・・あの・・・?」
「だから、おめえの記憶があろうがなかろうが、おめえが俺たちの大切な仲間なのは変わらねえ」
「・・・シドさん・・・」

漸く彼の言いたいことが分かった気がする。
彼、いや屹度彼らは、自分には分からない過去の『リーブ』も現在の『自分』も受け入れてくれているのだと。

「・・・だからよ。ちったあ肩の力を抜け。俺様はおめえを裏切ることは絶対にねえし、あいつらもおめえを支える。それが仲間ってもんだ」

軽く目を見開く。
そして、小さく微笑む。

「・・・ありがとう、ございます・・・」

*   *

「ふふ、お帰りリーブ」
「只今戻りました、ティファさん」

シドと別れてセブンスヘブンに戻ってくると、女主人が笑顔で迎えてくれた。外出後は手洗いとうがいね!と命じられ、子供たちを優しく見守る母親の姿に心が和む。
・・・あれ?この場合、自分も子供でしょうかね?
首を傾げつつも戻ってみれば、彼女に勧められるままカウンター席に着く。ディナータイムの準備で忙しい筈の彼女は、悪戯っぽく笑った。

「ちょっと試食してもらえないかしら?」
「・・・私でいいのでしょうか?」
「ブランデーが入っているから子供達には聞けないし。クラウドったらまた長期配達でいないし!・・・だから、ね?リーブにお願いしたいの」
「・・・そういうことでしたら、喜んで」
「よかった!じゃあ食べて食べて!」

楽しそうにティファが出してくれたのは、紅茶とパウンドケーキだった。薄くスライスされたアーモンドと胡桃が入ってふっくらと焼きあがり、辺りにはバターとブランデーの上品な香りがふんわりと漂う。

「・・・食べずとも美味しいことが分かってしまいますね」
「もう、リーブったら!食べてくれないと感想聞けないじゃない!」

ぷうっと頬を膨らませて怒って見せた彼女はとても可愛らしい。一応怒られているので、言われるがまま一切れを口に運ぶ。

「・・・美味しい」
「本当!?」
「ええ、勿論です」

思わず笑みが零れていた。
口の中にブランデーの香りとしっとりとした食感が広がる。その中にアーモンドと胡桃の歯ごたえがアクセントになって、気が付いたらあっという間に2切れのケーキは空になっていた。
甘いケーキの後の、ストレートティーが程よく。

「・・・御馳走様でした」

思わず手を合わせていると、ティファがカウンター越しにひょいとこちらを覗き込んでいた。

「あの、ティファさん?」
「よかった。リーブ、ちょっと元気出た?」
「・・・あ・・・」

そういえば、と振り返る。
途方に暮れて全てを拒絶していたときと比べると、随分気が楽になったように思う。

「・・・御心配おかけして申し訳ありません」
「もう!そうじゃなくって。ちょっと笑えるようになったなら、よかった」

安堵したように笑う女性に、苦笑する。シャルアにシド、ティファ。そして彼らだけでなくこの店にきたときに集まってくれてた人達、WROとやらの関係者を含めて。自分は、・・・私は、彼らに支えられていたということをやっと自覚した。

「そう・・・ですね。皆さんの御蔭です」
「ずうっとここにいてもいいんだからね?」
「え、いえ、流石にそれは・・・」
「なあに?この名店、セブンスヘブンのデザートでは満足できないの?」
「違いますよ!ええと、その・・・」
「そんなに焦らなくっていいの。分かってる。貴方のことだもの、迷惑かけられないって思ってるんでしょ?」
「・・・」
「店主の私が許可だしているんだから、誰にも文句は言わせないわ!リーブ、貴方にもね?」

ぱちんとウインクを決められてしまい、降参するしかない。
両手を挙げる。

「・・・了解しました、ティファさん」
「それにね、私ちょっと嬉しいの」
「え?」
「だって、リーブってば忙しすぎて滅多にうちに来てくれなかったし、こうやってお喋りできることも稀だったのよ?偶に来た、と思ったらクラウド連れて仕事の話でしょ?つまらないじゃない」
「はは・・・」

店主から暴露される過去の自分の所業に笑って誤魔化すしかない。

「だから、こうやって試食に付き合ってくれて、話せるのが嬉しいの」

見事な笑みに、私は何だかくすぐったいような感情に思わず彼の名を出す。

「・・・クラウドさんに怒られそうですが」
「?どうしてそこでクラウドが出てくるのかしら?」
「こんな良妻賢母な奥さんを私が独り占めしていますからね?」
「えっ!!!」

途端にティファがかっと顔を赤く染めて顔を両手で覆ってしまった。

「ちょ、ちょっとリーブ!私は、その、奥さんなんかじゃ・・・!」
「え?違うのですか?」

きょとんと質問で返してしまった。
子供たちはどちらも血が繋がっていないらしい、というところまでは話に聞いていた。
けれどもクラウドとティファの互いに気遣い支え合う姿はどう見ても夫婦で、てっきり籍を入れていると思っていたのだが。

「い、一緒に住んではいるけど、その、ただの幼馴染だし・・・」

まだ顔の赤いティファだが、嫌がっているのではなく照れているだけのようで。
私はそうか、と納得した。

「事実婚という奴ですね」
「もう、リーブったら!!!」

*   *

明日へと続く扉を開いて

その日の夜。隣のベッドで健やかに眠る子供たちを目を細めて見守る。
助けてくれた優しい家族たちに、今の私に出来ることは何だろう。過去自分が行ったことは未だに何も思い出せないけれど、どうやら日常生活に関わる活動には支障はない。ということは。
すっと目を閉じる。もう一つの視界の持ち主に心で話しかける。

『・・・ケット・シー』
『リーブはん』

間髪入れず相手の声が頭に届く。無事に繋がったことに安堵しつつも、一体どうなっているのやら。不思議に思う気持ちを取り敢えず横に置いて、協力してくれる筈の彼に相談を持ち掛ける。

『・・・その、手に入れてほしいものがあるんですが』

細々としたことを彼に伝える。相手は一つ返事で引き受けてくれた。

『よっしゃ、任しとき!!!』

頼もしい返事にほっとする。そして少し躊躇いつつ、でも今言わなかったら後悔すると覚悟を決める。

『それから・・・その、すみませんでした』
『な、なんやいきなり』
『味方だと言ってくれたのに、勝手に責めてしまって・・・』

私を心配してくれた相手に八つ当たりして、一方的に怒鳴ったことが恥ずかしい。彼は自分を気遣って今は言えないと判断してくれていたのに。相手はからりとした口調で答えた。

『なんやなんや。そないなこと気にせんでええ。
不安になるのは当然や。まして、殆どほしい情報が得られんなら、ボクを責めるのが当たり前やろ』
『・・・』
『・・・なあ、リーブはん』
『なんですか?』

ケット・シーがにっこりと笑う。

『仲間ってええな』

暖かい声に、私は記憶を失ってから出会った沢山の人を思い起こした。
深く頷く。

『・・・ええ』