夢を見た。
夕闇の迫る廃墟を駆けていくケット・シーの夢。
彼は立ち入り禁止区域にあっさりと侵入し、最早動くことのない車両の隙間を迷うことなく走り抜けていく。どうやら彼はこの一帯の地理に詳しいらしい。大きな塔を抜ければ、上階が吹き飛ばされたような大きな高層ビルが建っていた。
・・・そう、このビルの最上階は、昔、とてつもない星の守護者からの攻撃で吹き飛んだ。その光景だけが切り取った写真のように浮かび上がった。海に立つ守護者から放たれていた白い光線。消滅する正面衝突したビルの一部。
怪獣映画のような現実味のない記憶。私は一体何をしていたのだろうか。
ケット・シーが高層ビルの中に入る。正面に大きな文字が書かれていた。「神」と「羅」。・・・ああ、そうか。レギオンやクラウドが教えてくれた組織。嘗て私が属していたという会社はここだったのか。ケット・シーは奥の穴から下の階へ、そしてどんどん地下深くに進んでいく。闇が深くなる。飲み込まれ、二度と戻れないのではないかと思わせるほどの不気味な場所。
不意に襲った悪寒を何と表現していいのか分からないが、唐突に悟った。
神羅の地下に創られていたこの忌まわしい場所こそが、ロッソが言っていたDGだったのだと。
それでもケット・シーは先を目指す。駆けて駆けて、漸く彼が足を止めたのは巨大な穴の前だった。以前はただの穴ではなく、エメラルドグリーンの液体のような何かで満たされていた・・・様な気がする。
ケット・シーが穴を覗き込む。薄暗い地下では穴は深すぎて、底が見えなかった。
『ここで、いいんやな?』
不意に彼が口を開く。これまで黙ったきりだった彼は、こちらに向けて何か確認したいようだった。
『ええ。お願いします』
嘗ての私が答える。ケット・シーが小さな肩を竦めたようだった。そうして彼は懐から何かを取り出す。小さな手が開いたとき見えたそれに、私ははっと息を呑んだ。
銀の指輪。
ケット・シーがぶん、とそれを投げた。鈍く光るリングは穴に吸い込まれるように落ちていって。
暫く耳を澄ませたけれども、底に当たるような音は何一つ聞こえなかった。まるで、指輪の存在自体が消滅してしまったかのように。
『・・・ありがとうございます』
ぽつんと届いた声は、カラカラに乾いていた。
* *
「本当に、行くの?」
「はい。でなければ、記憶が戻りませんし・・・」
「でも・・・。やっぱり私も行った方が、」
「いえ、一応立ち入り禁止区域らしいので、ティファさんはセブンスヘブンで待っていてください」
「リーブ・・・」
「大丈夫です。ケット・シーも、レギオンさんもいますから」
「だー!!!局長、『さん付け』はやめてくださいーーー!!!」
「あ。忘れていました」
「忘れないでくださいーー!!!」
神羅ビルへ行く。
そう、ティファに伝えたところ、随分と心配されてしまった。危険な場所ということは立ち入り禁止区域だということからも分かっていた。けれども行くしかない。一般人には入れない場所でも流石は組織の力というべきか、WRO権限で入る許可を貰っていた。条件は、ケット・シーとレギオンを連れていくこと。もっと護衛を寄越されそうだったので慌てて止めたのだが、何をそんなに懸念されているのだろう。そしてここにもう一人。
「んじゃ俺様がついて行くか!」
「結構です」
「即答かよ!ったくてめえ、だんだん元の性格に戻ってんじゃねえのか!?」
「元の性格なんて知りませんよ」
「あー!!!もう、ああ言えばこう言う!!!」
「艦長、無駄ですよ。この局長、記憶なくても超!頑固なんですから」
「面倒だなおい!」
がしがしと頭を掻きむしるパイロットがいた。神羅ビルへ行くのに地上からでは危険な区域が多すぎるため、一気にヘリで移動することになったからだ。そして、WROが指定したパイロットが彼だったわけで。
「シドさんもお忙しいでしょうに・・・」
「おめえ関係の移動は最優先案件なんだよ!万が一にも何かあったら困るってな!」
「・・・どうしてこう、皆さん過保護なんでしょう・・・」
「そりゃ、世話好きでお人好しな組織を創ったおめえが悪い」
「・・・はい?」
* *
廃墟と化した都市の中心に、そのビルは建っていた。
見上げると上階はなく、夢の中の構造と一致する。ここが、神羅ビル。そして・・・崩壊前のビルも確かに知っていた。・・・地下組織の構造までは設計していなかったが。
ともあれ、見上げているだけでは何も始まらない。
ガラスの破片を避けながら、ビルの内部へ入る。広いロビーの壁はひび割れ、左右に配置された大きな階段は片方が途中で崩れている。それらを横目に奥へと進む。
フロアの奥に、破壊されて出来た大きな穴が空いていた。あの夢と同じ。ここから下のフロアに降りていけば、DGに繋がる筈。
意を決して一歩進めようとして・・・肩を掴まれた。
「ちょい待ち!!!」
「・・・レギオンさん」
驚いて振り返れば、護衛を担う剣士ががっくりと脱力していた。
「頼むから、『さん』、はやめてくださいって・・・」
そう言いながら、彼は私の肩を掴んだままだった。これでは、下へ降りることが出来ない。
「・・・ではレギオン、離してくれませんか?」
「却下!!!!」
全力で却下されてしまい、呆気にとられる。
今ここに来たのは、私の記憶を取り戻すため。取り戻すためには、過去の光景と同じ場所に行くなどして今の経験にしなければならない。このことはWRO関係者の彼も知っているだろうに。
「・・・どうして、ですか?」
「ボクも却下、やな」
「ケット・シー・・・?」
記憶を取り戻す術を教えてくれた筈の分身にまで反対されてしまった。困惑する私にレギオンが深くため息をつく。
「この先は危険すぎるんですよ。幾らでもモンスターが襲ってくるし、俺だけじゃああんたを護り切れません」
「・・・そんなに、危険なんですか」
「それはもう、この星で一二を争うやばさです」
「その通りや。・・・ここは一回行ったらもうええやろ」
「・・・行ったことはあるんですね」
少なくともケット・シーは行ったことがある筈だった。だが、ケット・シーの口ぶりだとどうやら私自身も行ったことがあったらしい。
「このビル自体はまだええんやけどなあ・・・」
「え?」
「ここは戦役の中心部になったことがあるんですよ。それだけでも大変なのに、あんたときたら・・・」
「その後勝手に忍び込んだことがあってなあ・・・」
「俺はまたしても蛙で助けにいけないし」
「リーブはんは勝手に奥へ行くし、危険すぎて普通の隊員は助けにいけへんし」
「確かヴィンセントさんが呼び出されて・・・」
「そや、唯一最奥まで行けた人やさかい。んでヴィンセントはんと奥へ行ったら、あんさん勝手に血塗れになって倒れとるし」
「俺、意識戻ってどんだけびびったか分かります?」
立て板に水のごとく、見事なコンビネーションで訴えた二人に、私は苦笑する。
「・・・よく分かりませんけど、迷惑かけたようですね・・・」
「ええ」
「思いっきり」
「・・・」
全力で肯定された上、じいっと真剣な目で(ケット・シーは糸目のままだが)訴えてくる彼らに、私は折れるしかなかった。この先を知っておきたいという気持ちはあるが、私を心配してくれる彼らを裏切るわけにもいかない。
「・・・分かりました。この先は諦めます」
「そーしてください」
「そやそや」
私は仕方なく踵を返し、外へ出た。そこで、ぴたりと足を止めた。
「・・・リーブはん?」
「局長?」
私はただ目の前を凝視していた。そこに、映り込んだ何かを逃さないように。視点は動かさないないまま、傍らにいる分身を呼ぶ。
「・・・ケット・シー」
「なんや?」
「・・・あの、先の階段の前に立って貰えませんか?後ろを向いて」
「後ろ?」
「・・・リーブはん、まさか」
ケット・シーは言われたとおり、噴水跡を横切り、嘗て駅へと続いていた階段の前で立ち止まる。
私からみて、後ろ姿になるように。
「・・・で、何が見えるんや?」
「人影が・・・」
浮かび上がるのは、嘗ての都市。
ビルは破壊されたが、まだ都市は健在だった頃。
しかし、空には赤い、赤い巨大な隕石が浮かび、都市を不吉な色に染めていた。
ビルより去っていったのは8つの影。
大剣を背負った金髪の青年。
長い黒髪の女性。
体躯の恵まれた褐色肌の大男。
煙草をくわえた男。
聖なる炎を灯す尾をもつ獣。
ショートカットの少女。
赤いマントの青年。
そして。
最後の一つは、デブモーグリに乗ったケット・シーだった。
私は目を細める。
最終決戦に挑んでいく頼もしい背中を、確かにここで見送った。
やっと。やっと、彼らの姿を思い出すことが出来た。
「・・・確かに仲間、だったんですね・・・」
「仲間って・・・まさか、英雄たち・・・!?」
「そう・・・ですね」
ふっと目を伏せる。
あの日、金髪の青年、クラウドが言ってくれた言葉。
「『ここは任せる』、と言われた筈だったんですが・・・」
目を開けて、周囲を見渡す。
嘗て夜でもネオンサインが眩く活気に溢れ、大勢の人が行き交い、車両は途絶えることなく続き、駅には列車を待つ人たちが列になっていた大都市は。
今は、ガラスは割れ、建物は傾いたまま。人気のない荒廃した廃墟が広がるばかり。
「・・・私は、守れなかったんですね・・・」
「・・・」
じっと瓦礫の街を凝視していたら、ぽんと肩を叩かれた。
振り返るとにかっと笑った護衛がいた。
「けど、あんたは立ち上がったんだろ?」
「レギオン?」
「WRO・・・。ジェノバ戦役で傷ついた星を再生するために、あんたは組織を創った。俺の知る限り、WROがなければその後のオメガ戦役は乗り越えられなかった」
「・・・オメガ・・・?」
「そやな。あんさんはあれからずっと護り続けてきたんや」
「・・・」
* *
「只今、戻りました」
カランカラン、と涼やかな鐘を鳴らしてセブンスヘブンに帰ってくると。
「リーブ!!大丈夫?怪我はない!?体調は!?」
「ええっと、はい、大丈夫です」
「ならいいけど・・・」
「リーブさんお帰りなさい!」
「お帰りなさい!」
今度は行く前にティファに行き先をちゃんと告げて、何事もなく戻った筈なのにやはりティファと子供たちに囲まれていた。ティファにとっては、まだまだ私は心配な子ども扱いらしい。・・・まあ前回WROで体調を崩した前科があるので反論は出来ないのだけれど。
いつも暖かく迎えてくれるここは、まるで本当の家のようだった。
「・・・皆さん、ありがとうございます」
カウンターにかけて、ティファが淹れてくれたコーヒーを味わう。子供たちは楽しそうに今日の出来事を教えてくれた。こうして優しい彼らの中に入れてもらっていると忘れがちだが、確信していることがある。
恐らく、私には帰る家も血縁もない。
記憶喪失など、病気ではないが長期治療が必要な状態になったなら、普通は迎えがくるか家族のいる自宅休養を言い渡される筈。なのに身内を名乗る人物は現れず、待機すべき家の指定もなかった。となれば、そもそも自宅がなく、家族か親戚がいても迎えにこれないか、そもそもいないか、なのだろう。
今回はティファ達にお世話になりっぱなしだが、次回は(あっては勿論困るのだが)そうはいかない。今の私ならば記憶は兎も角生活は何とかなりそうだから、そろそろ出ていくべき時期が来たのかもしれない。ならば、何処かに自宅だけでも確保しておこうか。金銭的な問題はケット・シーに調べてもらうとして、緊急時の避難場所なのだからいっそ倉庫化していてもいいだろう。
一人暮らしの借家くらいあっても・・・。
「・・・ブ、リーブったら!!!」
「っ!?」
いつの間にか目の前にティファがいた。カウンター越しに覗き込まれる。
「もう、どうしたの?ぼうっとして」
「え・・・いえ、別に」
「何を考えていたの?」
「え?」
「いいから白状しなさい」
「はは・・・」
じと、と見据える目が怖い。私は軽く肩を竦めた。
「その・・・家を借りようかな、と思いまして・・・」
「え!?リーブ、ここを出て行っちゃうの!?」
「ええ、そのまあ・・・」
「どうして?セブンスヘブンでは騒がしすぎるの?」
「いえ、その・・・もう有る程度独りで暮らせますし、余りご迷惑かけるわけにも・・・」
言い終える前に、ぱちんと両頬に衝撃がきた。
「え?」
見上げると、私の両頬を叩いたティファが、きっと目を吊り上げていた。
「迷惑じゃないって、何度言ったら分かるのかしら?」
「ですが・・・」
「それに、今のリーブは絶対に独り暮らしさせられないわ!」
「え?」
「ねえ、どうして急に家なんて借りようと思ったの?」
「・・・」
畳みかけられた言葉に答えるべきか、と戸惑う。正直に話したところで、彼女にとってプラスになることは何もない。かといって、彼らとの暮らしが嫌になったわけでは決してない。何かいい口実はないかと頭を巡らす。
「・・・その、」
「誤魔化さないで」
「・・・はい・・・」
鋭い指摘に完敗した。どう言い繕っても、彼女は嘘を見抜いてしまうだろう。
「・・・恐らく、ですが・・・。私は自宅を持っていなかったのではないかと」
「・・・え?」
「血縁も恐らくいません。ですからこうしてティファさんのところにご厄介になっているのだと、漸く気付いたので・・・」
「リーブ・・・」
途端に彼女の表情が曇るのをみて、気にしないでください、と軽く笑う。何でもないことだと。
「今度何かあったときに、またお邪魔するわけにもいきませんし、家でも借りておこうかと・・・」
「・・・リーブ。それは多分、『家』じゃないわ」
静かにけれどもきっぱりと断言される。
「え?」
「貴方が記憶喪失になって、もし家を持っていたとしても、絶対にうちに来ていたわね」
「ど、どうして・・・」
狼狽える私に、彼女は力強い笑顔を浮かべた。
「だって貴方を迎える人がいて初めて『家』だと思うの」
「え?」
「誰もいない家に、記憶喪失のリーブ独り置いておける訳ないじゃない!ここなら私も子供達もクラウドも貴方を迎えることができる」
「・・・」
「血縁がいないっていうなら、私たちが貴方の家族になるわ。そうね、デンゼルのお兄ちゃんってどうかしら?」
向けられた悪戯っぽい笑みに、私は思わず苦笑する。
「ティファさん・・・。私、ティファさんたちよりも年上ですよ?」
「そんな細かいことは気にしないの!ね?だから、リーブはここにいること!いいわね?」
「え、ええと・・・」
「いいわね?」
「・・・はい」
初めてセブンスヘブンに来た時のように彼女に押し切られながら、私はふと思う。
遠い昔。迎えてくれていた人を、私は大切に出来ていたのだろうか。
* *
眩しい日差しの下、ティファが真っ白なシーツを庭先に干している。
近くで子供たちも洗濯物を運んだり、洗濯バサミに小物を干したりと手伝っていて、私は穏やかな風景を2階の窓から何となしに眺めていた。やがて干し終わったのか、親子は部屋の中に戻っていく。物干し竿に行儀よく並んだ洗濯物が風に吹かれ、気持ちよさそうに揺れている。
平和ですねえ、とのんびりと見ていたら、パタパタと階段を駆け上がる音。待ち構えていると、ぱたん、と私の居る部屋の扉が勢いよく開いた。
「リーブさん!」
「・・・デンゼル君、どうしました?」
「ティファがお茶にしようって!1階に来て!」
「はい」
デンゼルと共に階段を下りればマリンがテーブルにクッキーの入った小皿を並べていた。クラウドはまた長期配達なの、と彼女が頬を膨らませて教えてくれた。ティファがコーヒーと紅茶、子供達にはオレンジジュースをいれて、私を含めた4人がテーブルを囲った。
「いいお天気ですね」
「そうね。洗濯日和よ。すぐ乾きそうだから、もう一回くらい洗濯機回せるかもしれないわ」
「あ、だったらこれも洗っていい?」
「ハンカチね。いいわ、後で洗濯機に入れておいてくれる?」
「うん、わかった」
私はデンゼルが出したハンカチをじっと眺めていた。男の子が持つには些か違和感のある花柄模様。デンゼルがとても大切そうに畳むのを吸い寄せられるように目で追う。私の視線に気付いたのか、デンゼルがあ、と手を止めた。
「もしかして、・・・見覚え、ありますか?」
「そう・・・みたい、ですね・・・」
感じるのは懐かしさと、ほんの少しの寂しさだった。何故ハンカチにそんな感情を抱くのか、と不思議に思っているとデンゼルが教えてくれた。
「これ・・・。ルヴィさんに貰ったんです。それに、リーブさんも」
「私も・・・持っていたんですね」
「じゃあ、リーブのお母さんの・・・」
はっとティファが口を噤む。
「ご、ごめんなさい・・・」
「いえ、・・・形見、だったのでしょうね・・・」
ティファが言わなかった先を紡ぐ。身に着けている服の中にもそれらしいものはなかったが、恐らく何処かにあるのだろう。WROにでも置いて行っていたのだろうか。しんみりした空気の中、マリンがきょとんと首を傾げた。
「デンゼル。ルヴィさんって、どんな人だったの?」
「マリン、それは・・・」
「いえ・・・私も聞きたいですね」
「リーブ・・・」
デンゼルが語ってくれた母は、花が好きで掃除に厳しい人だったらしい。相槌を入れながら、私は浮かぶ情景に目を伏せて聞いていた。