涙が流れる
何かが終わっていく
何もかも全て洗い流したら
本当の自分に届く
行かなければならないと、思っていた。
そして、行ってはいけないとも思っていた。
だが、それは間違っていた。
私は、『行く』のではなく、『帰る』べきだったのだと。
* *
『ケット・シー・・・。ある場所を案内してください』
『何処や』
『・・・私が帰る筈だった、場所ですよ』
ティファ達に行き先を告げ、案内役のケット・シーとまたしてもついてきたレギオンやパイロットに指名されたシドにやれやれと思いつつ、もう一度立ち入り禁止区域に入っていた。
嘗ての居住区は、無事な箇所を見つける方が難しい。崩壊した壁、割れた窓ガラス、ぽっきりと折れた柱。その中の一つ、門だったものの前でケット・シーが立ち止まる。くるりと振り返る彼に確認する。
「・・・ここ、ですか」
「そうや。・・・入るんか?」
「・・・」
何故か躊躇われて、ふと視線を地面に落とす。瓦礫の下に、何かが挟まっていた。破れて、土色になった布切れ。僅かに覗く花柄模様の・・・
いつかの、少年の声が被る。
ー花だと思います。
ー家の中は花の模様でいっぱいだったし、造花も沢山ありました。
ーでも本当は本物の花が欲しかったんだと思います。
そっと屈んで拾う。
二つに畳み、胸ポケットにしまう。
深呼吸。
室内へと入っていった。
粉々になった白い陶器の破片が散らばっていた。
ひっくり返ったテーブル、半分以上削り取られたソファ。
階段らしき構造もあったが、2階は吹き飛んで雲一つない晴天が広がっていた。
最後に裏庭に出る。
この辺りでは珍しい土。
中央は盛られていて、何かを埋めたようだった。
その下に、眠っているのは。
・・・ああ、そうだったのか。
がくり、と膝をつき、両手で辛うじて体を支える。
「リーブはん・・・?」
「・・・遅く、なってすみません・・・」
深く、深く頭を下げる。
雫が一筋、頬を伝って土に吸い込まれていった。
「私は・・・いつも、間に合わなかった・・・」
「・・・思い出したんやな」
「・・・ええ。・・・全てを」
盛り土の周囲には緑もなく、余りにも殺風景な状態に苦笑する。
「・・・花くらい、用意すればよかったですね・・・」
「・・・墓・・・リーブはんのおかんか」
「・・・ええ」
私は跪いたままでそっと土を撫でる。
「・・・記憶を失って・・・取り戻すことだけを考えていましたが・・・。記憶喪失でなければ、ここへ帰ることは出来なかったでしょうね・・・」
ケット・シーが私の傍に立つ。
「・・・あんさんはいつも前をみとった。過去を振りかえらんように、前だけ見据えとった。やけどな、・・・いつか壊れるんちゃうかと、ボクはおもっとった」
「・・・壊れる?」
「過去をいくら振り返っても変えることは出来へん。やけどあんさんは、盲目的に進みすぎた。前に進むことは、確かにええことかもしれん。やけど、今のリーブはんがあるのは、過去があるからやろ。その過去を、全くみいへんってことは・・・リーブはん自身を、直視できへんくなってたんちゃうか?」
「・・・」
「・・・なあ、リーブはん。今回記憶喪失になったことで、あんさんはもう一度過去をなぞった。ええ思い出も、辛くてぶっ倒れる思い出も。これでやっと、あんさんの整理がついたんちゃうか?」
私は俯き、ぽつりと呟く。
「・・・ずっと、ここへ帰るのが怖かったんです」
「怖い?」
「必死に取り繕っていたものが・・・全て崩れてしまうのではないか、と」
「罪悪感であんさんが潰れるってことかいな」
「どうでしょう・・・」
ただ、・・・立ち止まるわけにはいかなかった。
神羅が崩壊し、成り行きとはいえWROを創設し、片付けても片付けても山積みになる問題の解決に明け暮れた。そんな中で、もしも張りつめていた糸が切れてしまったら。それが組織崩壊に繋がったとしたら。漸く治安が安定してきたばかりなのに下手をすれば世界を巻き込むかもしれない。・・・それがただ、恐ろしかった。
だから、ここに帰ることが出来なかった。
「で?今はどや」
「・・・寧ろ・・・。やっと、私は恐れずに立ち上がることが出来たのかもしれません」
顔を上げ、盛り土をじっと見つめる。
「ここから、もう一度。なくした物を取り戻すことはできなくても、せめて、もう二度と忘れないように。
そして、今生きている人たちを守るために。・・・私の、全てを賭けて」
ふう、と息を吐き出す。
「・・・帰りましょうか。WROへ」
私の居るべき場所へ。
よいしょとかけ声と共に立ち上がった、つもりだったのだが。
視界が不自然に回った。
「・・・あ、れ・・・?」
「「リーブ!!!」」「局長!!!」
* *
リビングでテーブルを挟んだ向かいに年老いた女性が座っている。だが。
「何やってんのや」
「あんた、また女の子悲しませたやろ」
「何が記憶喪失や、働きすぎやて何度いったら分かるんや」
「出ていったところであんた独りで何ができるっていうんや」
「迷惑かけてる思うんやったら、もっとあの人らを喜ばせることをせんとあかんやろ」
「う、うう・・・」
独特の訛で、私は怒涛のように只管叱られていた。既に亡くなっている筈の母が話す内容は、何故か私の今の現状で不思議で仕方ない。けれども叱責されていることは全て正論で、私はただ縮こまるしかなかった。
「その・・・すみません・・・」
「さっさとあんたの場所に戻らんかい。あんたのこと、ずうっと待ってくれている人もおるんやろ?」
「・・・はい・・・」
私は項垂れるしかない。そこへ、ふと柔らかい声音が降ってきた。
「・・・まあ、おもてたより元気そうで、安心したわ」
「え?」
驚いて顔を上げると、向かいにいた筈の女性は消えていた。
「・・・母さん?」
* *
君の愛を頼るには未熟者だから
僕の闇と向き合っていこう
ちょっとくらい辛くても
それが僕の声なら
「・・・おや・・・?」
「またやったのか、あんたは」
多少呆れたような碧い瞳。
横たわる私の側、白衣の女性が左手を腰に当てて私を見下ろしている。
私は一つ瞬きをして、その名を呼ぶ。
「・・・シャルアさん」
ぼんやりと周囲を見渡す。何度お世話になったか分からない白い天井、白い部屋。またしてもWROの医務室に寝かされているようだった。取り敢えずよいしょ、とベッドから起きあがる。
傍らのシャルアがため息をついた。
「全く。いちいちぶっ倒れるなら最初から寝転がっておけ」
シャルアらしい暴言に思わず笑った。
「はは。それもそうですね」
本当に、彼女は変わらない。
記憶を失う前も、失っていた間も、そして今も。
率直な物言いで決して誤魔化さないその態度に、私はどれだけ救われただろう。
くすくすと笑っていると。
「・・・ん?」
シャルアが怪訝そうに眉を顰めた。そして、僅かに目を瞠る。
「・・・記憶が戻った、のか」
「ええ。お陰様で」
「・・・そうか」
彼女の返事は素っ気ない。だが、目つきがふと優しくなっていた。あっさりと私の変化に気付くところが、流石、真理を見抜く彼女らしいと感心する。シャルアが向かいの椅子にどかりと腰かけた。
「それで、どうするつもりだ?」
「はい?」
「WROに戻るのか、それとも・・・セブンスヘブンに戻りたいか?」
「・・・え?」
思いもしない後者の選択肢。反応のない私に業を煮やしたのか、彼女はさくっと告げた。
「今なら、あんたの記憶が戻ったことに気付いたのは少数だ。あんたは今、どうしたい?」
「シャルアさん・・・」
睨みつけるような隻眼に、それでも別の選択肢をあげる彼女の気遣いが嬉しかった。
「戻りますよ、WROに」
「・・・そうか」
ほっと、彼女が安堵の息をついたように見えたのは・・・気のせいだろうか。そうしてWROに戻る、と口に出してから、私ははたと気付いた。
「・・・そういえば、私は何になるんです?」
「は?」
「いえ、だって局長が長期間責務を放棄していたんですから、既に誰かが局長になっているでしょう?私は事務からですか。それとも入隊試験からですか?」
私としては当然のことを尋ねたつもりだったが、シャルアは頭痛でもするように頭を抱えた。
「・・・。阿呆」
「え?」
「局長に戻るに決まっているだろう!」
「ええ!?誰も下剋上しなかったんですか?やりたい放題のチャンスだったでしょうに」
「やりたい放題できるのはあんたくらいだ。それに」
「それに?」
シャルアが真剣な目で私を射貫く。
「・・・昔、植物状態だったあたしを2年間、統括の座を解かずに待っていたのはあんたじゃないのか。あたしの目覚める可能性はほぼ皆無だったろうに」
私は視線を受けとめて微笑む。
「いえ、貴女は目覚めると分かっていましたから」
「は?」
「シェルクさんが待っているのに、貴女が目覚めないなんてありえませんから」
脳裏に浮かぶのは、魔晄ポッドに横たわるシャルアと、その前で立ち尽くすシェルクの姿。
魔晄ポッドの前で、シェルクはたった一人の姉へ献身的に呼びかけ続けた。戸惑うように、けれども真剣に呼びかける声。私は必ず届くと、知っていたから。
シャルアがやれやれと首を振るう。
「それを断言できるなら、これも分かるはずだ」
「はい?」
「あんたが戻ると分かっていたから、あんたを待っていたに決まっているだろう」
真摯な表情、余りにも真っ直ぐな言葉に、今度は私が頭を抱える番だった。
「・・・シャルアさん・・・それ、狡いですよ・・・」
顔は赤くなっていないだろうか。彼女の言葉が示す意味は、私が局長として戻るのを待っていた、ということだろうに。うっかり私個人を待っていた、と取れてしまうことが恐ろしい。
顔を上げられないまま呻く。
「誑しはどっちですか・・・」
「あたしはあんた限定だ」
「余計に悪いじゃないですか・・・」
断ち切るように、一瞬目を閉じる。
この先を、きちんと彼女に伝えられるように。
「・・・どうした」
「・・・シャルアさん、これを返却しておきます」
肌身離さず持っていた彼女のリングを置く。
彼女はふん、と鼻を鳴らす。
「片割れを見せろ、とあたしは言ったはずだが?」
「ええ。・・・これも、お返しします」
ことん、と名刺入れの奥より取り出した銀の輪をそっと隣に並べる。
並んだ二つのリング。・・・もう見ることはないから。
「・・・どちらも返す気か」
シャルアの言葉を肯定できるよう、うっすらと微笑む。今なら、言える言葉。
記憶を失う前も、そして失っていた間にも・・・彼女には沢山の心を貰った。それだけで、もう十分だから。
シャルアとこうした言葉を交わすのも、これで最後にしようと決めた。
「・・・シャルアさん。貴女なら、相応しい相手が見つかりますよ」
「相応しいかどうかはあたしが決めることで、あんたが思いこむことじゃない」
ぴしゃりと言い切る彼女を最後まで拒めるように、そっと目を閉じる。
「・・・思い出そうとしたんですよ」
「・・・?」
「忘れてはならない人たちの最期を。その膨大な数と想いに、私は勘違いをしていたことに気が付きました」
「勘違い、だと?」
そっと目を開ける。
「・・・私は、彼らを一部分しかしらない。知ることが出来ないうちに、多くを失ったことを。だから、ケット・シーの記憶を通じて、少しでも補おうとしたんですが・・・」
「あんたが抱えきれずに記憶自体をなくした、ということか」
先を続けた彼女に、一つ頷く。
記憶を失う直前、大規模なテロが発生していた。
富裕層が集まるコスタ・デル・ソルの海岸が、突如として爆破される恐ろしい事件。犯人グループはWROの末端の家族ばかりを狙って人質を取り、WRO構成員から警備の情報を流させていた。だがWROの情報部門を中心に捜査は進み、追い詰められた犯人たちはWRO隊員や人質諸共巻き込み・・・自爆した。彼らの家族だったWRO隊員の中には、悲しみのあまりWROを辞める者もいた。
WROを狙った犯行は尽きない。
もしWROがなかったとしても起こったかもしれない事件だが、このようなことがあるたびに思う。
・・・治安維持のためにWROがあるのか。WROがあるために事件が起こるのか。
堂々巡りになりそうな思考を諦め、せめて失った者の生前の記憶だけでも取り戻したかった。だが、私では許容範囲を軽く超えてしまったらしい。
その結果が、皮肉なことに自身の記憶喪失だった。
「・・・無念のまま死んでいく者は、これからも増えるでしょう。理想はもう一人たりとも失いたくはない・・・。ですが、この組織の理念から、戦いを避けることはできない」
「ああ」
「だから、少しでもその可能性を減らしたいのです」
きっぱりと宣言する。
私なりのけじめだった。WRO関係者というだけでも危険だが、これ以上巻き込みたくはなかった。
シャルアは深いため息をつく。
「・・・記憶が戻った途端、またその話か。なら、これも覚えているはずだ。
『・・・覚悟しておけ』、そして」
ふっと笑みを浮かべた彼女が、私の肩をとん、と軽く背後へ押す。
「・・・え?」
予想外の行動に、私は呆気なくベッドに背中から倒れ込んだ。
「・・・あの・・・?」
シャルアは右手をつき、横たわる私の真上で魅惑的に微笑む。
「『・・・もっと重荷になってやる』、とな」
綺麗な顔が近づいてきて、うっかり見惚れていたら。
一瞬の口づけ。
「っつ!?シャ、シャルアさんっ・・・!?」
混乱する私を横目に、シャルアはあっさりと身を起こしていた。
「勝手に思い出そうとして記憶をぶっ飛ばし、散々周りに心配かけた挙げ句がまたその話か?全く・・・。他に考えることがあるだろう、あんたは」
「いえ、ですから・・・!」
「あんたがあたしを振るのは勝手だが、あたしの心は変わらん」
「・・・」
「だから、いい加減その話はやめろ」
「お断りします」
よいしょ、ともう一度リーブは半身を起こす。ぎろり、と隻眼に睨まれた。
「頑固もここまでくると病気だな」
「何とでもいいなさい。私は、」
「あたしを心配してるんだろう?」
「・・・」
咄嗟に言い返せなかった。そんな私の反応をじっと観察していたシャルアが、深く考え込むように両腕を組む。
「しかし、そこまで拒否されるとあたしにも考えがある」
「・・・あ、あの?」
「今日は引いてやる。だがな。あたしとWRO全てを敵に回しても勝てるつもりか?」
ふっと笑う彼女はいつもの勝気な笑顔で、こちらが惚れ惚れするくらい格好良かった。のだが。
内容が内容だけに、私は顔が引き攣るのを自覚する。
「・・・どういう、意味ですか?」
「すぐにわかるさ」
「・・・」
「ああ、分かっているだろうが、今日はおとなしく寝ていろ」
「・・・え?」
「え?じゃない。いいな?」
「・・・」
それ以上は怖くて問いつめることができなかった。
* *
シャルアが病室を去った後。
私はよいしょと立ち上がり、さくっと扉を開けようとしたが。
「・・・おや?」
取っ手を持ってスライドしようとしても、ドアがびくとも動かない。病室にロックがかかるとは思えないのだが。
と、考えた途端、あっさりと開いた。外側からの力によって。
と、いうことは。
顔を上げると、そこには見慣れた護衛隊長がじいっとこちらを凝視していた。
「・・・おや、レギオン」
「おや、じゃないですよ、局長。何勝手に部屋抜け出そうとしてるんですか」
「抜け出そうとしてるんじゃありませんよ」
「じゃあ何ですか」
「仕事に戻ろうとしているだけです」
「はい、却下ー」
「ちょっとレギオン、退いてくださいよ」
「却下ー」
頑なな態度の部下に、私は一言感想を述べた。
「えー?」
「えー?じゃありません、局長。諦めてください」
「記憶が戻ったのですから、仕事させてくださいよ」
「えー科学部門統括含め幹部全員より『局長を逃がすな』という命令がでています」
「・・・げ」
「てことで、いい加減、大人しくベッドに戻ってください」
しっしっと扉から追い払われ、私は特大のため息をついた。
「・・・仕方ありませんね・・・」
すごすごとベッドに戻り、腰掛ける。ベッドに入れ!と空かさず突っ込まれ、のろのろと足だけいれる。上半身を起こした状態で、尚諦めきれず、ベッド脇までやってきた護衛隊長を見上げた。
「・・・パソコンを持ってくるとかは・・・」
「はい却下ー」
「・・・酷いじゃないですか・・・」
がっくりと項垂れる。
「・・・レギオン」
「却下ー」
「・・・ありがとうございます」
「・・・へ?」
「局長ではない私も、護衛してくれたでしょう?」
「当然じゃないですか」
さらりと返され、私は柔らかく微笑む。
「やっと思い出しましたよ、レギオンのことも」
「局長・・・」
レギオンがうっかり感動した次の瞬間、
「・・・蛙がお好きなことも」
「っつ!?いや、それは違いますって!!!」
余計な一言を付け加えることも忘れなかったが。予想通り、レギオンは叫ぶ羽目に陥った。そんな彼の反応が楽しくて、わざとらしく首を傾げる。
「二度も蛙になったのに今更何を言ってるんですか」
「二度も蛙にしたのは、あんたでしょう!?」
「我儘ですねえ。じゃあ鶏で」
「ちっがーう!!!!」
「・・・ありふれた動物ではレギオンは満足してくれないってことですよね。・・・うーん困りましたね」
「そこ、困るとこじゃないだろ!?」
撃てば響く様な返しに満足し、私はぽん、と手を打った。
「・・・そうそう。レギオン、ケット・シーにモデルがいることはご存知ですか?」
「へ?」
強引に話を変えられ、レギオンが間抜け顔で止まった。
「・・文献によると、昔、魔法を習得するための特別な魔力をもつ石があったそうです」
「マテリア、じゃあないんですよね?」
「ええ。彼らはそれを魔石、と名付けたそうです。魔力を持つ召喚獣が石化したものだと。ですから、魔石を装備すれば魔法を習得するだけでなく、召喚獣を呼ぶこともできたそうです。そのうちの一つに、『ケット・シー』というものもあったとか」
「へえー。じゃああいつ、召喚獣がモデルってことですか」
「ええ。その召喚獣が二足歩行の長靴を履いた黒猫だったものですから」
「あれのデザインもあんたですか」
「ええ。可愛かったので参考にしましたよ」
余談だが、赤いマントと王冠はリーブの趣味である。可愛ければいいじゃないか。
「へえー」
素直に感心する相手に、さりげなく続けた。
「その『ケット・シー』で習得できる魔法が、レビテト、コンフェ、・・・そして、カッパー」
「カッパー?なんです、それ」
聞いたことのない魔法に、レギオンは気軽に訊く。
私は即答した。
「対象者を河童、という伝説上の動物に変えてしまう魔法ですよ」
「へえー。・・・ん?」
全く関係のない話と油断していたレギオンが不吉な予感にぴたりと停止する。
ぎぎぎ、とぎこちなくこちらを振り返るので、私はふうっと憂い顔で呟く。
「・・・何処かにないですかねえ、『ケット・シー』・・・」
「待て待て待て!!!ちょっと待てーーー!!!!魔石は、もう、ないん、です、よね!?」
予想通りスイッチの入った部下に、やっぱりレギオンはからかうと面白いですねえ、と感心する。ご要望通り、私はにっこりと食えない笑みで返した。
「・・・分かりませんよ?シエラ号みたいにまだまだ未知の技術が発見されるくらいですから」
「いやいやいや、ないですから!!!」
焦りまくるレギオンを見ながら、わざとらしくぽん、と手を叩く。
「・・・あ、そういえば」
「何ですか!?」
「その昔には、生まれながらにして魔法を使える一族もいたとか。まだ何処かにいるかもしれませんよね」
「何を期待してるんですか!!」
じっと部下の蒼い目を見据える。思案顔で重々しく。
「・・・教えてもらったら、使えるようになりませんかね・・・?」
「あんたなら本気で習得できそうなんでやめてください!!!」
レギオンは本気で懇願した。
何しろこの男は、無駄に器用なのだ。
加えて英雄たちの中でも特に魔力が強い。
だからこそ、レギオンは彼の魔法にかかりやすいわけでもあるが・・・。
尚悪いことに、異能者、となれば別系統の魔法でも何でも習得しかねない。
というか、間違いなく習得しそうだ。
青ざめるレギオンへ、勢いづいた私はうきうきと続けた。
「ああ、そうそう。カッパーは伝説の防具、アーマーガッパや皿、甲羅の盾からも習得できるとか」
「やーーーめーーーてーーー!!!探さないでください!!!」
最早レギオンは涙目になっていた。
他の人間なら、伝説だからあり得ないと一蹴できるが
残念ながらこの男は世界の情報を握っている組織のトップ。
・・・うっかり見つけかねなかった。
崩壊寸前の護衛に、私はひょいと眉を上げてお得情報をプラスした。
「何を言ってるんですか。河童状態でこれらの防具と武器、沙悟浄の槍を装備すると最強の攻撃力、防御力を手にすると伝説では、」
「おっぎゃあああああああーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
最早時間の問題ともいいかねない状態にレギオンは絶叫する。
件の金魚草も吃驚するだろう、それはそれは見事な叫び声だった。
「・・・楽しみですねえ」
私はうっとりと想像上の姿に陶酔した。
もし本当にカッパーを使えるようになったら、このオーバーリアクションな部下で試そうと心に誓う。その時には是非とも伝説の装備を揃えておきたいものだ。
一方のレギオンは。
いっちゃっている護衛対象にごっそりとHPを抜き取られ、がらがらと崩れるように床に膝をついていた。戦闘でもここまで消耗することは滅多にない。
「・・・おや?どうしました、レギオン」
のんびりと聞いてくる上司に、レギオンは更に脱力する。
・・・こいつ、MPまで奪ってるんじゃないだろうな?
何処かの世界で「話術士」というジョブがあれば
この上司は間違いなく全てのアビリティをマスターしているだろう、とレギオンは降参した。
「勧誘」とか「説得」とか「説法」とか。
ジョブコマンドは勿論、「話術」。
「あー・・・。なんかもう、疑いようもなくあんたですよね・・・」
「疑っていたんですか?」
「いんや、まあ記憶なくてもあんたはあんたですけど。・・・うう。なんか前よりパワーアップしてません?」
疑いの目を向けるレギオンに、私はちょっと考えて、ふん、と腰に手を当ててみた。
「じゃあパワーアップしたということで、さっさとパソコン渡してくださいよ」
「誰が渡すかああああああ!!!!」
* *
レギオンに逃げられた後。
私はベッドに上半身を起こしたまま、くすりと笑う。
今なら分かる。姿が見えなくとも、ずっと側にいてくれていた存在。
「・・・ハンス」
呼びかければ、いつも以上に不機嫌そうな彼が現れた。
「俺を呼び出すな、巻き込むなと言ったろう?」
白衣を纏った蒼い髪、眼鏡ごしの蒼い大きな目の少年。
整った顔立ちはまるで絵画に描かれた天使のような美しさ。
その声は老成した男性のようによく響くテノール。
そしてリーブのイメージによりその頭には常に黄金の王冠があった。
異なる世界から召喚に応じてくれた、偉大なる小さな童話作家。
ハンス・クリスチャン・アンデルセン。
「・・・ふふ。やっと貴方のことも思い出せましたよ?これからはマスター権限で呼び出し放題、巻き込み放題ですからね?」
高らかに宣言すると、ハンスの眉間の皺が更に濃くなった。
「・・・思い出した直後からこれか。全く先が思いやられる!いいか?貴様が勝手に不幸を背負い込もうが記憶をすっ飛ばそうが俺は知らん!だが俺に仕事を押しつけるな!」
「ハンスの童話、まだすべてを電子書籍化できていませんからね。私が記憶喪失で遅れていた分、ちゃんと取り戻さなければいけません」
「知るか!」
* *
The earth is filled with light!
The earth is filled with love!
強制休養の後。
私は、シエラ号に乗り込んでお世話になった仲間達のところへ赴くことにした。まずは、シエラ号の艦長。
「ありがとうございました、シド」
「いいってことよ。んでおめえよう、記憶がぶっ飛んだときのことは覚えてんのか?」
「ええ、全て覚えてますよ」
「器用な奴だな。普通そこは忘れてんじゃねえのか」
「・・・そうですね」
高速で世界を巡る飛空艇。懐かしい景色が眼下に広がっている。
空を泳ぐように自在に飛ぶ艦長の姿が眩しく、目を細めた。
「それにしても・・・貴方に飛空艇をお渡ししたことに後悔はありませんが、鬼に金棒とはこのことをいうんでしょうね」
「だれが鬼だっての!!!まあ、それだけ口が回ればいつものおめえだな」
「ええ、またご協力お願いしますね、シド」
「おう、任しておけ!」
シエラ号は最速で各地を巡る。
コレルのバレットには「気にすんな、ガハハ!!!」と何度も背中を叩かれ、コスモキャニオンのナナキには「良かったね」と優しく微笑まれ、ウータイのユフィには「一つ貸しだからね!あ、お礼はマスターマテリアで!!」と念を押され、神羅屋敷に籠もっていたヴィンセントには「・・・私を巻き込むな」と一言でさっと逃げられた。
最後に、泊めて貰っていたセブンスヘブンの住民達に頭を下げた。
「本当に・・・ご心配とご迷惑をおかけしました」
「いいのよリーブ。仲間だもの、ね?」
女主人はパチンとウインクを決めた。
本当にティファには情けない姿を見せてしまって、心配ばかりかけてしまった。今度改めてお礼をしようと心から思う。
偶々早く帰ってきたクラウドは、私を見るなり「戻ったのか」、とあっさり見破った。
「・・・分かります?」
「あんたの顔を見れば分かる」
「そうですか・・・。お世話になりました、クラウドさん」
「俺は特に世話してないから気にするな」
「いいえ、ありがとうございました」
それから、とリーブはティファの隣で嬉しそうな子供達へ目の高さを合わせるように膝をつく。
まずは茶色の髪の少年と視線を合わせる。
「・・・私を引き留めてくれてありがとうございます、デンゼル君。それから、私は君を恨んだことはないですよ」
「リーブさん・・・」
「守ると言ってくれてありがとう。本当に嬉しかったんですよ。でも、これからは大切な人にいってあげてくださいね」
母が最期まで護り抜いた心優しい少年。将来頼もしい大人に成長するのだろうと思うと楽しみだった。
デンゼルは真っ直ぐに私を見上げて、頷く。
「・・・分かりました。でも、俺にとってはリーブさんも大切な人です」
「・・・デンゼル君・・・」
うっかり泣きそうになるのを堪える。
「・・・ありがとう」
そうして、隣で待っていた少女に向き直る。スーツの内側から白い封筒を取り出した。
「マリンちゃんには、これを」
「お手紙だ!!」
「マリンちゃんには本当に適いませんでしたね」
「ふふふ。当たり前だよ、リーブさん」
「そうですね」
二人は笑う。
出ていこうとしたリーブを引き留めたのはデンゼルで、最終的に留まらせたのはこのマリンだった。
諸事情により、かねてからセブンスヘブンの子供たちには勝てないと思っていたが、記憶がない状態でも完敗だった。
マリンはえへん、と胸を反らした。
「リーブさんはきっと無茶なことをしたから記憶がなくなったんだと思います。これからはそんな無茶したら駄目ですからね!」
彼女はあっさりと真実を言い当てていた。
私は観念するしかなかった。
「・・・肝に銘じておきますよ」
その後シエラ号でWROに戻り、私はその日のうちに会議室に集めた幹部たちへ謝罪した。記憶喪失になった理由も説明した上で。幹部たちから散々怒られたが、最後に幹部の一人から「お帰りなさい、局長」と言ってもらえた。そこで漸く実感した。私はWROに帰ってこれたのだと。