頑固

・・・困りましたね・・・。

はあ、とため息をついても、状況は変わらない。
デスクから転がり落ちたペンを拾うつもりが、掴み損ねて床を更に転がっていく。

・・・やれやれ。

ため息をもう一つ。
仮眠を取るつもりが薬を飲んでも頭痛が収まらず、結局一睡も出来ずに諦めてデスクに戻ったけれど。書類整理をしているつもりが一向に進まない。

もうすぐ夜が明ける。

一つ首を振るうと、滑稽なくらいに視界が回る。

・・・今日はコスモキャニオンで講演があるというのに。

久しぶりに会えるだろう赤い獣姿の仲間を思いだして、少しだけ心に余裕が戻る。
だから。
もう一度、そして慎重にペンを掴む。
ゆっくりと手元に寄せれば、今度は何とかデスクへと戻すことができた。

安堵にため息が漏れる。

さて、と心で仕切り直し、途中まで処理していた書類を手にした。

*   *

「局長ー。おはよーごさいます」

響いた快活な声に、ゆっくりと顔を上げる。どうやら勤務時間になっていたらしい。
護衛隊長という酔狂な役目についている部下がいつの間にか目の前に立っていた。相変わらず飄々とした彼は、けれど思い切り顔を顰めている。
私は取り敢えず挨拶を返すことにした。

「・・・おはよう、ございます。・・・どう・・・しました?」
「どうしました、じゃないですよ。俺言いましたよね?さっさと寝てくださいって」
「・・・え・・・、ええ・・・」

呆れ顔の部下の声が、存外頭に響く。
・・・まるで・・・二日酔いのようですね。
ぼんやりと思う。彼は今日も健康そうで、思わず微笑む。

「・・・何笑ってるんですか。全っ然寝てないでしょ」
「ええ・・・え?・・・いえ、そんなことは・・・」
「無理してるのがばればれです。シャルア統括呼びますからね」
「え・・・ええ!?いえ、大丈夫ですよ・・・」

はっきりしない頭が、やっと彼の言葉の意味を把握する。
今彼女を呼ばれれば、強制的に休養を取らされるに決まっている。そうなると今日の予定が、久し振りの仲間との邂逅が・・・!

「何処がですか!!!」
「ちょっと・・・寝すぎただけですよ。ですから、問題ありませんよ・・・」
「嘘付け。じゃ、呼びますから」

さくっと断言した部下は端末を取り出した。

「ちょ、ちょっと待っ・・・!?」

慌てて、立ち上がって。手を伸ばしたつもりだったけれど。両の足に力が入らなかった。

・・・あれ・・・?

「っ局長!!!」

どうやらうっかりバランスを崩していたらしい。
デスクにダイブする前に、護衛の端末を持っていない反対側の腕が体を支えてくれていた。

「・・・すみません・・・」
「その体調の何処が大丈夫なんですか!!!」

間近で彼の怒号が響く。ガンガンと割れるような頭痛で何とか言葉を返した。

「・・・ちょっと・・・立ちくらみした・・・だけ、じゃないですか・・・」
「普通立ちくらみなんてしません。いい加減に大人しく休んでくださいよ!!!」
「・・・大丈夫、ですから・・・」

兎に角彼を止めないと。
そう、思っていたら扉の開く音が聞こえた。

「シャルア統括。ドクターストップ御願いします」
「当たり前だ」
「・・・え・・・?」

護衛に支えられた状態でゆっくりと顔を上げると、白衣の女性が端末を耳に当てて立っていた。
彼女は端末を仕舞い、こちらを睨みつける。

「覚悟はいいな?局長」
「・・・見逃してくださいよ・・・。今日は、・・・講演、が・・・」
「却下だ」
「駄目に決まってるじゃないですか!」

片や護衛、片や科学部門統括。
全く役割は違うはずなのに、間髪入れずに返ってくる返事が似通っていて。ちょっと視界がぼやけて分からないけれど、彼らは似たような表情をしているのだろう。

・・・実は兄妹だったら・・・面白いですね。いえ、彼らだと姉弟かもしれませんね・・・。

思考がすっ飛んでいるのが分かったのか。
かつかつ、とヒールを響かせて彼女が歩み寄ってきた。

「医務室に連行だ。分かったな?」
「・・・いえ・・・。レギオン、・・・腕を、離してください・・・」
「今離したら、あんた机に激突しますけど」
「・・・しませんよ・・・」

焦れるような動きで右腕を上げ、何とか彼の肩を掴む。そのまま少しずつ体を起こして一人で立っていることを確認。ゆっくりと息を吐き出す。

・・・大丈夫、まだ。

少しデスクに凭れているのは許容範囲のはず。

「・・・大丈夫、ですから・・・」
「何言ってるんですか!」
「いい加減にしろ!」

繰り返すと、またほぼ同時に怒られてしまった。頭の中にシンバルがあるように音が反響する。

「・・・いつもの、ことですから・・・」

そう。いつものこと。
ここで彼らを止められれば、後で常備薬を飲めばいい。
それで今日は乗り切れる。

「・・・シャルアさん、職場に、戻ってください。・・・いい、ですね?」
「嫌だ」

彼女はデスクを回ってこちら側にやってくる。それを阻止しようとして。

「・・・問題・・・ない、ですか、ら・・・っ!?」

咄嗟に右手を口元に当てた。
苦いものがせり上がってくる感覚に伏せた顔が歪む。

「リーブ!?」
「局長!!!」

・・・どうして。よりよって、このタイミングで。
唐突の吐き気は、昨晩収まった、筈だった、のに。

口を右手で覆いながら、左手でデスクに縋った、けれど。
力が入らない。
ずるずると床に座り込む。

「おい!しっかりしろ!!」
「局長!!!」

前屈みに崩れそうだった体は彼女に支えられ、彼が急いで駆け寄ってくる気配がした。彼らに大丈夫だから、と返したくても今口を開くことは非常にまずくて。
空っぽの筈の胃がひっくり返りそうだった。

「レギオン、担架を!」
「はい!!!」

抵抗する力もなくて、そのまま医務室に運ばれてしまった。

*   *

「ど阿呆」
「・・・」

強制的に医務室のベッドに押し込められ、検査の結果は自律神経失調症。
原因は過労だな、と吐き捨てるように言った彼女は更に睨んできた。

「頭痛、目眩、吐き気。これが一週間続いてただと?いい加減にしろ!
あんた、自分の体を軽んじすぎやしないか?」
「・・・いつもの、ことでしたし・・・」
「いつものことにするな!!」
「・・・すみ、ません・・・」

ベッドに横たわったまま彼女をただぼんやりと眺めているけれど、彼女の背中に怒気のオーラが燃え盛っているようだった。
・・・何だか・・・エンドレスで怒られている気がしますねえ・・・。

「で?昨日も寝てないんだな?」
「・・・」

下手に口を開けば、また怒鳴られるに決まっているので、取り敢えず黙秘してみることにした。
彼女はちっと舌打ちしたらしい。やっぱり・・・怖い。

「不眠症も追加だな」
「・・・あの・・・」
「何だ」
「・・・原因も・・・わかったこと・・・ですし、そろそろ、戻りたいんですが・・・」
「・・・は?」

彼女から表情が消えた。
いや、消えたというよりも・・・理解不能、といった反応でしょうかね・・・。

「・・・午後から・・・コスモ、キャニオンで・・・講演、なんですよ・・・」
「キャンセルに決まっているだろうが!!」
「・・・大丈夫、ですから・・・」

重ねて主張すれば、彼女は深い深いため息と共に頭を抱えた。

「リーブ。あんたが頑固なのはわかったが。却下だ」
「・・・ですが・・・」
「そこまで言うなら、吐き気が収まっていることくらい証明してみせろ。そうだな・・・この水を最後まで飲み干せたなら、許可してやる」
「・・・」

彼女は水の入ったガラスのコップを軽く振ってみせた。中の透明な液体が揺れている。
どうやらこれを飲み干す以外に、彼女を説得する手段はないらしい。
よいしょ、と上半身を起こすのを、思いの外力強い腕が助けてくれた。

「・・・ありがとう、ごさいます」
「飲め」
「・・・」

手渡されたコップを両手で持つ。
透明な液体。水面が揺れるのをぼんやりと眺めて、ゆっくりと飲み干した。
・・・つもりが。

・・・あ・・・れ・・・?

ここ数日、全く訪れなかった強烈な眠気に意識が呆気なく飛んだ。

*   *

ゆっくりと意識が浮上する。
ぼんやりと映る白い天井はいつもの仮眠室ではなかった。
耳元に届く小さな機械音に視線を巡らせると点滴のパックが繋がっている。

「・・・ええと・・・?」

つまり、ここは医務室らしい。でも検査を受けに来た記憶はなくて、けれど。
・・・ああ・・・そういえば。ひっくり返ったまま搬送されたんでしたっけ。
情けない自分の状態に苦笑するしかない。

・・・って。

がばっと起きあがろうとして、眩暈にまたベッドに戻る羽目になった。

「っ・・・!」

目をきつく閉じて、回想するのは午後の予定。
コスモキャニオンでナナキに会う、そして長老たちとの会議が。

「起きたか」

ガチャリとドアの開く音。同時に響く鋭いアルトの声。
目を開けると、やはり彼女がじっと側でこちらを睨んでいた。

「・・・あの・・・今、何時・・・ですか?」
「五時半だが」
「えっ!!!!?」
「馬鹿野郎」

また起きあがろうとしたが、体が動かせなかった。
冷静に肩を押さえ込んでいるのは、彼女の右手だったから。

「・・・あの、離して、ください」
「何処へ行く気だ?」
「今からでも、会議くらいは・・・」
「あんたの今日の予定はすべてキャンセルだ。代役も立てた。今更あんたの出る幕はない」
「・・・!?ちょ、ちょっとキャンセルって・・!!」
「大人しく寝ろ」
「もう大丈夫ですよ!!」
「眩暈にひっくり返っておいて何をいう」
「っ!?」
「麻酔と睡眠薬。どっちが好みだ?」
「どっちもお断りです!!!」
「そうか。なら気絶か」

にやりと笑った彼女だが、その目は、全く笑っていなかった。

「えっ!?」

*   *

目を開けると、またしても白い天井が見えた。
医務室のベッドに寝かされている状態で、何故こうなったかというと。

・・・ええと・・・『気絶』って言ってましたよね・・・。

物理的に頭が痛い気がする。内側からだけでなく、外側からも。
強制的に眠らされる選択肢を二つほど断った筈が、彼女は最も短絡的な手段に出たらしい。流石、というべきか、ちょっとそれはどうなんでしょう、と上司として忠告するべきか。

ぼやぼやと考えていたら、静かに佇む気配に漸く気づいた。

「・・・ハンス・・・?」
「漸く気付いたか馬鹿め」

ベッド横の椅子に腰かけ静かにタブレットをいじっている彼は、一度こちらへ皮肉気に笑ってまた視線を手元に戻した。
ケット・シーは任務で本部を離れているし、シャルアは仕事に戻ったと考えると、彼は多分監視役なのだろう。何処ぞにレギオンくらいいそうだが。

そうしてこれまた気付いた。他のメンバーではなく、彼だからこそ出来ることがあるのではないか、と。

「・・・ハンス」
「だが断る」
「えっ・・・!?」

瞬殺だった。
こちらを見もせずに少年はばっさりと斬って捨てた。

「あ、あの・・・ハンス?私、まだ何も言ってないんですが・・・?」
俺の宝具を使って体力を回復させろ、大方そんなところだろう」
「うっ・・・」

完全に図星だった。
ハンスの宝具は少しずつだが傷を癒し、体力を回復させるという非常に優秀な効果を秘めている。前にも一度断られたが、そのときは戦場だったから対象になるべき隊員たちを優先したのだろう。
でもここは戦場ではない。まあ軍事組織の本部だからいつ攻め込まれてもおかしくないといえばそうなのだが。

「そんな・・・いいじゃないですか・・・」
「ふん。己の不摂生を省みん仕事の亡者に使う宝具などあるわけなかろう!万が一にも使用した暁には、貴様は俺の宝具に依存した挙句、過労死するのが目に見えている!だが、残念だったなリーブ。俺の宝具は、俺が対象者の物語を紡がねば発動せん。つまり俺の筆が乗らん限り、貴様は永遠に俺の宝具の対象者にならんわけだ!且つ俺は仕事など大嫌いだ。ぶっ倒れようが仕事に戻ろうとする貴様の思考なんぞ理解したくもない。よって仕事馬鹿に語るべき言葉は一文字たりとも存在せず、貴様のための物語は白紙のままというわけだ!精々合わんサーヴァントを引いた己の不運を嘆いて、大人しく布団でも被っていろ」
「・・・うわあ・・・」

人形のように整った容姿の少年に怒涛のように罵られ、ため息と感心と諦めの混じった声が漏れた。久し振りというべきか、この子(中身は成熟した大人だけれど、つい)の本質を垣間見た気がする。

「それに、今回は依頼を受けていてな」
「えっ・・・。・・・えええっ!?」
「驚きすぎだ馬鹿め。俺とて興が乗れば掌編くらいは紡ぐさ」
「ええと・・・誰から、何の依頼ですか・・・?」
「貴様の伴侶から、もし貴様が無理矢理でも仕事に戻ろうものなら、貴様が昏倒した経緯を全館放送で物語れ、とな」
「なっ・・・!?」

思考が止まった。

ハンスは私のサーヴァント、使い魔で、姿を消していることもあるけれどほぼ離れることなく共にいる。
つまり・・・自分がうっかり倒れるまでの全てを見ていた筈だった。
それを本部全員に知られてしまう・・・!?

「ほう。顔色が変わったな、流石シャルアだ。貴様の弱点を的確についてくるとはな。さあ選ぶがいいマスター!全力でコメディ路線がご希望か?それとも涙なしには語れない悲劇仕様に仕立ててやってもいい!何せ読者は本部全職員、反応は即座に返ってくるとなれば、少しばかり誇張してやってもいいぞ!」
「ちょっ・・・!?」

口を開いて反論しようとして・・・結局は言葉にならずに大きなため息に変わった。
そして、・・・観念した。

「・・・いえ・・・。その前に、物語らないでください・・・」
「ならば大人しくそこで寝てるんだな」

さくっと言い捨てて、ハンスはまたタブレットに戻る。本でも読んでいるのか、それとも何か書きつけているのか。
これ以上ハンスを見ていても進展しない、と諦めたとき、彼はふと顔を上げて、私と視線を合わせた。

「ハンス?」

小憎たらしいほどの見事な笑みで、ハンスは止めを刺した。

「一ついいことを教えてやろう。この依頼は何も今回だけではない!次回以降、またしても貴様が過労でベッドの住人になろうものなら、その度に物語れとのお達しだ!喜ぶがいい、マスター。貴様を主人公にした宝具はだせんが、お涙頂戴の物語くらいは量産できそうだ!」
「何ですって!?」

fin.