携帯食料

「いいか。それはもうゴミだ」
「そんなことはありません!」
「切り捨てろ」
「出来ません!まだ・・・!」
「現実をみろ。値から明らかだ」
「まだ、まだ役目を果たすことは出来るはずです・・・!!!」

WRO局長室。いつものように扉を開けた俺は、部屋の奥、デスクを挟んで言い合っているらしい最高責任者と科学部門統括にぽかんと立ち止まった。何やら意見が合わずに平行線を辿っているらしいことまでは分かったけれども。

「えーっと、お取り込み中すみません。何を揉めてるんですか、お二人」

取り敢えず声を掛けてみれば、科学部門統括がくるりと振り返る。

「いたのか、レギオン」
「いましたよー。一応局長の護衛隊長ですから」

俺の肩書を主張しただけだが、護衛対象がきょとんと首を傾げた。

「・・・そろそろ転職しませんか?」
「しませんから!ったく、あんたは何処までそのネタ引っ張る気ですか!」
「コメディアンとか司会者とか色々伝手があるんですけどねえ・・・」
「何の伝手ですか何の!!!・・・じゃなくって。だから、何を揉めてるんですかって聞いてるんですけど」

今一度聞けば、科学部門統括のシャルアがぽいっと何かを放ってきた。

「これだ」

難なくそれを右手で受け止めた俺は、それが何かを瞬時に理解した。兵士にとっては御馴染みの備品。掌サイズの直方体が個別包装されたもの。長期に渡る任務や、物資の調達が困難なミッションで必須のアイテム。即ち。

「・・・携帯食料?」
「そうだ。こいつが大量に携帯食料を入手した疑惑が濃厚でな」
「ええと、シャルア統括?別に悪いことじゃないと思いますけど・・・?」
「ああ。まあ持っているだけならまだいいんだが・・・」
「・・・う」
「・・・まさか、局長・・・」

じいっと疑わしそうな目を上司に向ける。科学部門統括がくいっと親指で局長を指した。

「こいつはこの一週間、昼食を全て携帯食料で済ましていたらしい」
「アウトーーーーーーー!!」

全力で突込みを入れれば、局長が多少たじろいだ。

ど、何処かのソルジャーみたいな反応しないでくださいよ!」
「俺だって元ソルジャーですから!!ってソルジャー関係ないですから!!!ったく、昼休み俺を追い出して何やってんですかあんたは!!!」
「い、いいじゃないですか別に!」
「良くないですから!非常時なら兎も角普段からそんなもの食べてどうするんですか!!!」
「WROは軍事組織ですから、いつ非常時になるか分からないじゃないですか!」
「そういう問題じゃねええええ!!!ってか、何でまた携帯食料を大量に入手したんですかあんたは!!!」

そうだ。こいつの不摂生は今に始まったことではないが、携帯食料を自分用に大量に購入したことはなかった筈だ。そんなことをすれば一発で幹部を含め俺たちにばれる。それが気付かれずに実行したとなると何かからくりがある筈。
指摘してやれば、局長が口籠った。

「そ、それは・・・」
「ああ。あたしがこいつと揉めていたのは正にそこだ」

ぎらりとシャルアの隻眼が光った。俺はびびりながらも先を促す。

「と、言いますと・・・?」
「・・・こいつは、賞味期限切れで廃棄処分予定だった携帯食料を引き取ったらしい」
「ダブルアウトーーーーーー!!!」

叫ぶしかなかった。
何と購入したわけではなく、廃棄処分を引き取ったとは。
余りにもこいつらしすぎる行動に俺は全力で駄目だしをした。

「だ、だって勿体ないじゃないですか!賞味期限は切れていても、まだ消費期限は切れてないでしょうし・・・」
「そういう問題じゃねええっていってるでしょうが!!!」
「大丈夫ですよ!未開封ですから!!!」
「未開封だろうが何だろうが賞味期限切れということはそれ以上の味は保証できないってことでしょうが!諦めて捨ててくださいよ!!!」
「嫌です!勿体ないです!これ一つ作るのにどれだけの手間がかかっているか!」
「いや、それ工業ロボとかで創ってません?」
「そのロボを創りだすのにどれだけの手間が・・・!!!」

今度は俺と局長で平行線になりそうだったのを、シャルア統括が割って入った。

「それはさて置きおき、だ。あんた、一体どれだけの携帯食料を引き取ったんだ?」
「い、一応賞味期限一週間前に希望者に無料配布とかしてましたから、残りはその、少しですよ・・・?」

言い訳めいた局長の言葉は、矢張り彼女には通じない。統括はずいっと局長へと顔を近づけた。

「いいから白状しろ。・・・何個だ?」

ドスの効いた声はまるで取調室の刑事と容疑者のようで・・・局長が上司の筈なのに、これは勝てるわけがない。
局長が小さな声で答えた。

「・・・に、・・・」
「に?」
「238個です・・・」

「「・・・」」

暫しの沈黙。そして俺と統括は同時に口を開いた。

「・・・局長」
「リーブ」

「「それは少しじゃない(じゃねえええ)!!!!」

統括と俺の台詞が完全にはもった。詰め寄られた局長が慌てたように弁解を始める。

「べ、別に1,000とか2,000とかの数じゃないですよ?たったの238個じゃないですか!」
「いやいやそりゃあWROの軍事規模から見たらすっげえ少量かもしれませんけど!」
「お前、まさか全て一人で消費するつもりだったのか!?賞味期限どころか消費期限も過ぎるだろう!!」
「だ、大丈夫ですよ、私好き嫌いのない方ですし、結構丈夫ですし・・・」
あんたこの間自律神経なんちゃら性でぶっ倒れたばっかじゃないですか!!!」
「自律神経失調症だ。ったくまともな食事をしても倒れる奴が携帯食料に手を出す方がおかしいだろう!」
「あ、あれはちょっと寝つきが悪かっただけといいますか・・・」
「いいから寄越せ。あたしが責任を持って廃棄してやる」

統括が更に局長に迫れば、局長は椅子ごと引いた。というか逃げてません?

「わ、渡しません!」
「あんたが持ってたらまた食うだろうが!」
「食べるために生み出されたものですから当然です!!!」
「だーかーらー、食べないでくださいよ!!!」

言い争っている3人の間隙を縫ってピピッと電子音が響く。
はっと腕時計に目をやった局長がすっと立ち上がった。

「会議がありますので、この件は一旦棚上げです」
「そうか。ならばその携帯食料、全てレギオンに渡せ」
「え?」
「俺ですか?」

思わぬシャルア統括の提案に、局長と俺の動きが止まった。

「ああ。あんたが持ってるままだとあんたはそれを消費しようとするだろう。あたしが持っていたら即処分。どちらも困るなら、一旦レギオンが預かるというのでどうだ?」
「・・・捨てない、ということですね?」

局長が腕を組んで念押しにかかる。統括が深く頷いた。

「ああ。一週間後にもう一度検討してやる。解決案がなければ・・・また、その時に考えるさ。どうせ238個もあるんだ、一週間では食べきれんだろう?」
「う・・・。わ、分かりました・・・」
「了解しました!」

局長が納得するのを確認した俺は、両名へと簡略した礼を返した。

*   *

3日後。

局長室で書類と睨めっこしつつ、空いた手で引き出しを開ける。手探りで目的のものが見つからないことに気付いて苦笑した。そうだった。隠し持っていた携帯食料さえレギオンに取り上げられたのだ。彼はあの日、段ボールに件の携帯食料を全て収めて、『んじゃ、これは俺が厳重に管理しますから!』と何処かに仕舞ったらしい。

ふう、とため息をついて引き出しを閉める。

・・・結構便利ですのに。

朝食と夕食が一家の団欒になることが多いため、昼食に集中的に消費していたのだが・・・まさか早々にばれてしまうとは思わなかった。廃棄処分の携帯食料があると聞いて引き取ったのは、勿論勿体ないというのが第一の理由だが、仕事に追われる立場故、食堂に行くのも面倒だったという・・・うっかりばれると更に大目玉を喰らいそうな理由もあったりする。そして、今。

「局長!お昼ですよーーーー!」

絶妙なタイミングで扉が開き、そのレギオンが帰って来た。私は思い切り顔を顰める。

「えーーー。一人で行ってくださいよ、レギオン」
「駄目ですって!あんたを食堂に連れ出せって、俺、シャルア統括から直々に頼まれてるんですから!」
「子供じゃないんですから・・・。後で行きますよ」
「んなこといってあんた絶対に忘れるでしょ!!!」
「次に忘れる時までは確かに覚えてますよ」
「それ忘れてるっていうんですけど!!!」
「途中までは覚えてるじゃないですか」
「ええい!もうさっさと行きますよ!食堂の職員に後10分で連れてきますから!って宣言してきたんですからね!」
「・・・ええーー。そんなことしたら、彼女たち力入っちゃうじゃないですか・・・」
「そうです、それであんたが来なかったらがっかりしますよ、がっかり!!!」
「うっ・・・」

いつも歓迎してくれる食堂のスタッフたちを思い浮かべ、お世話になっている手前行けませんとは言いづらかった。因みにレギオンには世話になっているとは思いたくはない。護衛なんてさっさとなくしたいというのに一向に無くならない。

「さっさと行かないと、今度は配膳が復活しますよー?」

にやりと笑ったその護衛が止めを刺す。

「い、いけません!人件費も食費もかかりすぎです!!!」

一時期配膳というか、何故か食堂のメニューにもない特別仕様の食事が毎食局長室に届けられていたのだが・・・如何せん会議やら出張やら急な用事で食べられず無駄になってしまったことが少なくなかった。それが申し訳なく勿体ないために局長命令で配膳を全面的に禁止したのだが・・・。
顔色の変えた私に満足したのか、部下は大層ご機嫌に言い放った。

「んじゃその書類を置いて、行きますよー!」
「・・・分かりましたよ・・・」

諦めて書類を置いて立ち上がり、ふと出張中の彼女に思いを馳せる。

・・・彼女は今、何を食べているんでしょうね・・・?

*   *

ミディール。

世界地図の南東諸島にあたるこの街は温泉が至る所から湧き出ており、ライフストリームが浅めのところを流れる珍しい地域でもある。そのため星の研究やライフストリーム関連の学会はしばしばここで開催されるのだが、辺境過ぎて飛空艇でもなければ訪れられない。年中温暖な気候だが観光客は少なく、賑やかというよりも何処かほのぼのとした空気が流れている。

そして何より。

「えらい遠いとこからきはったんやねえ」
「なーんもあらへんけど、沢山食べてってな」
「そうそう、海の幸は豊富なとこやし、お野菜もほれ、こうして温泉の蒸気で蒸したらあまーくなるんやでー」

学会のプログラムが全て終わり、隣室に山盛りにされた郷土料理が長テーブルに並べられていく。ミディールはウータイやコスタのような観光地としての発展はしていないため、食事処も少ない。そのため学会中は食事を近場の定食屋さんに注文したのだが、あたしらは独特の訛で話す店員達に囲まれてしまった。送迎の関係で同じくミディールへ来ることになったシエラ号艦長がぽかんとした。

「なんでい。あいつが山ほどいるみてえだな」
「ああ。ここに来ると、あいつの故郷という感じがするな」

シドの言葉にあたしは苦笑する。WRO本部やら寮やらに出没する食えない白黒猫。奴がデフォルメの糸目で笑っているのが容易に脳裏に浮かんだ。そんな会話が聞こえたらしく、店員のひとりがにこやかに話しかけてきた。

「おんやまあ。お客さんたち、ミディール出身の知り合いがいてはるんですか?」
「ああ」
「おうよ。いっつも軽快に訛ってやがるぜ」
「珍しいことですわあ。この地方やと自然やけど、外に出ていった人は大抵口調を改めはるし。リー坊もTVでずうっと標準語で喋っとるから、うちらからしたらえらい違和感あるしなあ」

ケット・シーの御蔭で少々慣れているとはいえ、流れるような訛に内容を少しばかり遅れて理解する。そして聞き逃しそうになってやはり聞き覚えのない名称に眉を寄せる。

「・・・『リー坊』?」
「誰のことでい?」
「え?お客さんらのトップやっとるんちゃうんですか?」

当然のように返された答えに、あたしとシドは一瞬顔を見合わせ。

「だっはははは!リーブのことか!」
「あいつ・・・リー坊なんて呼ばれてたのか・・・」

シドは爆笑し、あたしは何となしに脱力した。

「リー坊のことよう知ってはるみたいやねえ」
「俺様もそうだが、こっちの姉ちゃんはもっと知ってるんじゃねえか?」

シドがにやりと意味ありげにあたしを肘でつつく。世間的には隠しているが、シドもあたしがあいつと籍を入れていることは知っているからだろう。店員が何か察したのか目元を和ませた。

「あの子と仲良うやってくれてはるんやろか?」
「まあ、な」

彼女からあたしはちょっと視線を反らし、うっかり色々喋ってしまいそうな自分を抑えた。いや、本心を言えばあたしは大々的に宣言したいくらいだ。あいつを手に入れたのはあたしなんだと。だが、世間に知られればあたしの命が狙われると心配性のあいつの心労が増えるらしいので我慢している。
さっさと恋敵に向けて勝利宣言したいが、中々難しいものだ。

「あの子は、元気にやっとるんやろか?」
「まあ・・・。ちょっと、いや、かなり頑固で参っているが・・・」

そうして携帯食料のことで大いに揉めていたことを思い出す。気まずくなることはないが、一週間後までに代案でもださなければ、あいつはまた携帯食料に手を出しそうだった。話題として経緯をばらせば、シドも店員もそれそれは楽しそうに笑った。

「ったくあいつらしいぜ」
「そやなあ。頑固で融通が効かないところは変わらんみたいやねえ。 あの子は昔から優しくて自分をよう後回しにしとったしなあ。そうそう、楽しいことが好きなのはミディール人の気質やから付き合ってあげたって。 あの子をよろしくお願いしますわ。 ・・・ってうちは親やないんやけどね。アハハハハ!」
「・・・ああ、分かっている」

山盛りの蒸し料理から芋とゆで卵を取り、口に運ぶ。思いの外広がる自然な甘さに唸る。隣ではシドがビールジョッキを豪快に煽っていた。

「・・・美味いな」
「かー!こいつはつまみに持って来いだな!」
「おおきに。まだまだあるさかい、仰山食べたってな」
「こっちも出来あがったでー!」

食欲をそそる香りを漂わせて大皿が追加されていく。豪快に揚げたられた魚やエビ類や、ごま油が香ばしいつけ麺、野菜たっぷりの煮物など。途端にテーブルへ群がる人々の合間を縫って、あたしは見慣れない料理を一つ見つけた。

「ん?これは、菓子か?」
「いんやこれも列記としたおかずやで?ちょいと食べてみてやー」

切り分けられたそれを口の中に放り込む。さくさくとふんわりが同時に口の中で広がって、あたしはあっという間に一切れを食べきった。そして、問答無用で店員を捕まえた。

「レシピをくれ」

*   *

一週間後。

諸々の準備を終えたあたしは携帯食料の件にけりをつけるべく、眠い目を擦りながら色々と引き連れてきた。一週間前に予約した時間に局長室に乗り込めば、執務机につく部屋の主がきょとんとあたしらを見返した。

「ええと・・・携帯食料の件・・・でしたよね?」
「そうだが?」
「・・・何故・・・このメンバーになったのでしょう・・・?」
「気になるか?」
「そりゃあ気になりますって!」

さくっと割り込んだのは、リーブの後ろで護衛についているレギオンだった。リーブがあたしの後からついてきた者たちを見遣る。あたしを筆頭に、シェルクとWRO隊員サラの女性ばかりが3人並んでいた。

「シェルクさんは兎も角、何故サラさんまで・・・?」
「きゃ!局長!」
「ああ。彼女も協力者で、今日は報酬を渡すためでもあるんだ」
「協力?」
「報酬・・・?」

デスクを挟んで男どもが揃って首を傾げる。

「ま、それは後の話だ。まずは・・・」

デスクの上に、あたしはどん、と風呂敷に包まれたものを置いた。

「開けろ」
「ええと・・・は、はい」

あたしと風呂敷の間を目線で一往復したリーブが素直に包みを解いていく。中には大きめの一重弁当箱があり、それを開ければ料理が一種類だけ入っている。タルト生地で出来た器の中に、卵とクリーム、そしてベーコンやアスパラなどの具を加えてオーブンで焼かれた郷土料理。
リーブが軽く目を見開く。

「・・・キッシュ、ですか?」
「そうだ。あんたの好物なのだろう?」
「え、ええ・・・そう、ですが・・・。・・・まさか」
「食え」

何かに気付いたあいつへ風呂敷内に一緒に包んでいたフォークを押し付ければ、リーブは笑顔でフォークを受け取った。そして嬉しそうに一切れを口にした。あたしはそれをじいっと凝視する。やがてリーブがふわりと笑った。

「・・・とても、美味しいです」
「本当か!?」
「ええ。本当ですよ」
「そ、そうか・・・よかった・・・」
「しゃ、シャルアさん!?」

あたしは安堵のあまりずるずるとその場に座り込んだ。何せこの数日、このためだけに費やしてきたようなものだったからだ。リーブが慌てて立ち上がろうとするのをかるく手を振って止める。シェルクがあたしに手を伸ばして立ち上がるのを手伝ってくれた。

「ありがとう、シェルク」
「お姉ちゃん、よかったね」
「ああ」
「シャルアさんの・・・手作り、ですか」
「そうだ。だがこれ以外は出来る気がしない。正直、これほどの労力がかかるとは思わなかったからな・・・」
「ありがとう、ございます・・・!それで、キッシュのタルト生地ですが、もしや・・・」
「ああ、あんたの推測通り、携帯食料を潰してアレンジしたものだ」

にやりと笑って、あたしは種明かしをする。
賞味期限はきれているが、携帯食料は元々水分が少ない。タルト生地に加工すれば再度オーブンで加熱するから、品質に問題はない。それに生地の上に野菜など山盛りのせたキッシュにすれば栄養面にもクリアする。

「だが、流石に238個全て作る気はない。残りは食堂にレシピとともに預ければ確実に消費出来るはずだが・・・どうだ、リーブ。あたしの案は?」

腰に手を当てて問いかければ、リーブは満足そうに答えてくれた。

「ええ、ええ。これ以上ない、最上の提案ですよ・・・!」
「そうか、よかった」

*   *

「美味いっすねー!」
「はい!シャルア統括、素晴らしい出来ですよ!」
「うん。お姉ちゃん、美味しいよ」
「ええ、本当に」
「ありがとう、みんな」

テーブルを囲んで手作りのキッシュを皆で試食する。独り占めしたい気持ちはちょっと、いや、とてもとてもあったけれど、折角だからこの美味しさを分かち合いたいと思った。手作りの料理に、気の置けない大切な部下たちに囲まれる幸せを噛みしめつつ、全員にお茶を配る。シャルアの隣に座って、そういえばと切り出した。

「・・・どうして、私の好物だとわかったのですか?」

食べ物の好き嫌いがあまりないため、これが好きだということも特には言ったこともなかったはず。首を傾げていたら、お茶を啜っていたシャルアの隻眼がきらりと光った。かたん、と湯呑を置く。

「ああ、そうだったな。・・・サラ。報酬だ」
「はい!」

顔を上げたサラ隊員が、シャルアをみて、そして・・・。

「・・・何故・・・私を見るんです?」

キラキラと期待の籠った眼差しを向けられてしまった。
携帯食料の件に協力したため、局長である自分から何か報酬を与えてくれ、ということなのだろうか?しかし、何か感じが違う気がする。どちらかというと、私から何かをもらうというよりも、これからの私の反応に期待している、ような・・・?

目をぱちくりさせていると、シャルアが一言、答えた。

「『リー坊』」

「・・・へっ?」

余りの不意打ちに思考が停止した。そして止まった私とは対照的に、向かいに座っていたサラががばっと立ち上がる。興奮しているのか、両手を握りしめていた。

「きゃあ!可愛らしい愛称ですね、局長!これはCSCとして全面的にミディールへ取材に行くべきですよね!シャルア統括!是非例の定食屋さんを教えてください!」
「えっ・・・?あ、あの・・・?」
「ああ。構わない。記事が纏まったらあたしにも報告してくれ」
「勿論です!」
「へえー。局長ってリー坊なんて呼ばれてたんですかー」
「『リー坊』、ですね。わかりました登録しておきます」
「と、登録・・・?」

完全に会話に置いてかれた。どうしていいものか、何処から遡って聞き出せばいいか途方に暮れていたら、何処からともなく青い髪の少年が現れた。彼は腕を組みほほう、と皮肉気に笑った。

「ふん、間抜けそうな愛称だなマスター。貴様のことだ、ミディールとやらでも随分と愛想を振りまいてきたのだろう。ならばこの愛称を俺も積極的に用いてやろうか?それとも全局員に知らせるべきか?」

挑発的な物言いに、私は瞬時に起動した。

「却下です、今すぐ記憶から消去してください、ハンス!」
「ふん、こんな面白いネタ忘れるわけがなかろう。さて何処で言いふらしてやるものか・・・」
「止めてくださいよ!?」
「ハンス先生ですか!?私大ファンなんです・・・!は、初めまして、サラといいます!ええと、サインできそうな・・・このハンカチにお願いします!!!」

絶好調のハンスを止める前に、一人マイペースなサラ隊員があたふたとしながらもしっかりと白いハンカチと黒マッキーを取り出す。頭を下げつつハンスに差し出す動作は素早かった。そして差し出されたハンスは。

「俺か?所詮俺はリーブのおまけだろう?サインなぞいらんだろうに」
「いいえ!あの、『醜い家鴨の子』、感動しました!サインください!!」
「・・・物好きなやつめ」

愚痴りつつも、きちんとサインをしてサラに手渡す。なんだかんだ言って、ハンスは読者に優しい。きゃあ!とテンションの高い彼女がぴょんぴょん跳ねて、心底嬉しそうな笑顔でソファに戻った。そんな私に関係ない一連のやりとりで時間稼ぎができたのか、ようやっと状況の整理が出来てきた。

何故、昔ミディールにいたころの愛称が今頃ばれたのか。
どうやらシャルアがミディール出張した際、定食屋のおかみに出会ってしまったらしい。懐かしいけれど随分お喋りな人だったので、何かの拍子に話題に上がってしまったのだろう。そして序に私の好物の話も出たのだろう。ただ・・・これらを全面的に公表されるのはちょっと。
こほん、と咳払いを一つ。

「えっと・・・サラさん。まず、その、私の愛称のことはくれぐれも内密にしてください・・・」
「ええっ!?『リー坊』ってとっても愛らしいのに駄目ですか!?」
「・・・はい・・・。流石に、ちょっと・・・。次の日どんな顔をして部下に会えばいいのかわからなくなりますので・・・」
「もう会ってるが」
「シャルアさん!!」
「いいじゃないですかー局長ー」
「レギオン、強制的に異動させますよ!?」
「ギャー横暴だー!!!」
「ほほう、職権乱用とはいつになく余裕がないな『リー坊』!!」
「ハンスはいちいち止めを刺さないで下さいよ!?」
「公表すると何か問題があるのですか?」
「シェルクさん・・・。いえ、深くは考えないでください・・・」

家族+護衛から怒涛のように突込みを入れられ、その返しだけでいっぱいいっぱいだったのだが。サラはうっとりと呟いた。

「ああっ・・・!この皆さんの流れるようなやり取り・・・!録音しておきたかった・・・!!!」
「さ、サラさん!?ミディールへの取材も禁止ですからね!」
「そ、そんなあ・・・!で、電話取材だけでも・・・!」
「駄目です!彼女は幾らでも喋る人ですからね!?」

なかなか諦めてくれないサラ隊員をやっと抑え込んだと思いきや、ここに爆弾がいた。

「ならば俺が取材して『貴方のための物語』でも紡いでやろうか!貴様の幼少期暴露本になるがな!」

「ハ、ハンス!?な、なななな、何を言ってるんですか!?」

動揺を隠しきれない私を放って、残りのメンバーが次々に手を挙げた。

「私、その本予約します!!!」
「じゃあ俺もー」
「あたしには初版の一番最初に作られた本を寄越せ」
「では私には、編集者権限で電子版を真っ先に配信してください」

「っーーー!!!ああもう!!!事態をややこしくしないでくださいよ皆さん!!!」

ばん、とテーブルを叩いて取り敢えず全員を黙らせる。いつもならこんなことをする必要がないのだが、何故か今回はヒートアップするばかりで暴走が止まらなかったのだ。全員を強い眼光で制する。

「・・・いいですか。この話は、何が何でもこの場限り。他言無用ですからね!」

局長権限できっぱりと言い放つ。その本気度が伝わったのか、サラががっくりと肩を落とした。

「ううっ・・・。残念です・・・。ああでも、CSCの中でも私だけが知っているっていうのは優越感があっていいかも・・・!はっ!だ、だったらせめて、シャルア統括のキッシュ論文だけでも載せていいですか?」
「・・・は?・・・論文?」

*   *

サラの指す論文のことは書いたあたしが一番よく分かっている。

「構わないが・・・普通に料理ができる奴なら、サラみたいにあのレシピで十分だろう?」
「いいえ!シャルア統括がこの日のために認められたキッシュ論文です!掲載する価値は十分ありますよ!!」
「まあ・・・料理音痴の科学者が他にいれば参考になるかもしれんが・・・」

例の論文を回想していると、両側から問いかける声が割り込んできた。

「ほほう、面白そうだな」
「あの、説明していただけますか?」

ネタの予感がしたのか一向に姿を消そうとしないハンスと、少し困ったようなリーブ。シェルクは事情を知っているため何も言わず、レギオンは単に静観しているようだ。あたしはお茶を飲み干して、説明を始めた。

「要するにだ。レシピではあたしは料理が出来ない。そこで、シェルクに相談したんだ」
「うん。でもお姉ちゃんは科学者だから、実験であれば他人の成果でも論文があれば再現が可能です。つまり・・・」
「レシピを論文にしたらどうか、という結論に至った」

簡潔に答えれば、リーブは少し納得したようだったが、ハンスは顔を歪めた。

「な、成程・・・」
「一理あるのかないのかわからん結論だな」

ハンスの言葉はスルーして、あたしは大きくため息をつく。

「だが、問題が一つあった」
「論文化するにはデータが足りなかったのです」

シェルクが後を引き継いでくれた。

「「「・・・は?」」」

が、男どもにはいまいちぴんと来なかったらしい。それを忌々しく思いながら、説明を加えてやる。

「レシピで作れるやつにはわかるのだろうが、あたしには『べたべたしなくなったら』とか『型よりはみ出るくらいの大きさ』の程度がさっぱり分からん!だから、この全てを数値化する必要があったんだが・・・」
「私もお姉ちゃんも料理ができないから当然詳細は不明です。よって、身近にいるWRO隊員で、かつ局長のために協力を惜しまず、レシピを解読できうる人といったら・・・」
「私にお声がかかったわけです!」

はいっ!と嬉しそうにサラが手を挙げる。そう、局長のファンを公言して憚らないCSCメンバーとしてあたしらと面識がある人物。シェルクもあたしも真っ先に思い浮かんだのが彼女だったわけだ。男ども、成程。と全員が頷いている。あたしもシェルクも料理は壊滅的に苦手だが、こうも簡単に納得されるとそれはそれで癪だった。あたしは少々眉を寄せる中、サラがうきうきと続ける。

「それで、私がレシピをみながらキッシュを作るのを、お二人が共同でたっくさん測定されたんですよー!」
「ああ。塩胡椒の『少々』は投入前にその量を薬包紙に包んで電子天秤で測量した」
「サラさんの料理過程は私がデジカメで録画し、各工程の動きを解析、トレースできるようにしました」
「『べたべたしなくなったら』、は粘度に置き換えて、生地を捏ねる前と後の材料を粘度計で測定してPa・s表示に変えた」
「ベーコンやアスパラガスの長さは当然定規でmm単位まできっちり記録しました」

シェルクと交互に補足をしつつ、あたしは寮での試作風景を思い起こす。料理をするサラの動きにいちいち待ったをかけて測定を続けた。完成後は何度も動画を再生し、何分何秒で捏ねたのかなども数値化した。・・・我ながらあたしらはよくやったものだ。

「うわあ・・・何か、力入りまくってますねえー」

ぽかーんと感心したんだか呆れたんだかの感想を挟んだレギオンに、あたしはやれやれと首を振る。

「そうでもしないと、あたしに料理は無理なんだ。いや、料理ではなく、材料の加工・合成という実験に置き換えたんだ」
「そうです。ですから論文も題名が『携帯食料を用いたキッシュ合成法』です」
「正に実験ですねえ・・・。まあ料理も化学反応といえばそうですが・・・」
「だから、あたしはこれの再現しかできん。というか正直疲れた。あとはレシピで作れるやつで消費してくれ」

はあ、ともう一度ため息をつく。そのあたしの手にリーブの大きな手が重なった。

「リーブ?」
「シャルアさん・・・ありがとうございます。そこまでしてくださってたなんて・・・!」

リーブの実直そのものの黒い瞳が少し潤んでいた。感動しました、と言いたげな表情にあたしはふいっとそっぽを向く。役に立ったのは嬉しいが、こうも真正面から感謝されると照れくさくて何だかこそばゆい。そんなあたしらに当てられたのか、サラがきゃあ!と楽しそうな悲鳴を上げた。

「ラブラブですね!悔しいですけどお似合いです!あ、ご夫婦ですから当然ですよね!ああでもシャルア統括、うちの自慢の局長を万が一にでも不幸にしたら、CSC全メンバーで局長を奪いに行きますから覚悟してくださいね!」
「・・・えっ!?あ、あの!?」

はっと自分のしたことに気付いたのかリーブは真っ赤になってすぐ手を引っ込めてしまった。それを惜しいと思いつつ、あたしは改めて宣戦布告をする。

「勿論だ。こいつを不幸にさせんし、もしあんたらが奪いに来ても速攻で返り討ちにしてやる」

*   *

一騒動の後。

携帯食料はレシピと共に食堂に預け、タルト生地として新メニューの貢献をすることになった。携帯食料から生まれ変わったキッシュは早くも定番メニューになりそうな勢いだ。そしてシャルアの論文はCSCの特集記事に全文載せられることになった。これが思いの外好評で、シャルアは第二弾をリクエストされて頭を抱えているらしい。

「何だか・・・WROに不可能はない気がしてきました・・・」
「何を今更」

局長室で件の論文を一読しながら呟けば、その著者がさも当然のように返す。顔を上げればいつも通り勝気な彼女がいて、思わず笑ってしまった。

「何を笑っている」
「いえ・・・。貴女達がいるならば、確かに不可能はないですね」
「ああ。あんたとあたしらが揃っているなら当然だ」

きっぱりと断定した彼女は相変わらず強い。うっかり局長を譲った方がいい気にもなってくる。そんな私の後ろから今日も飄々とした護衛が調子に乗った。

「よっ!最強夫婦!」
「レギオン、ちょっと10年くらいTV局に弟子入りしてみませんか?」
「やーめーてーーー!!!」
「丁度ご当地グルメのキャスターが退職したらしいですけど」
「ご当地グルメは美味しそうですけど、俺の仕事はあんたの護衛ですから!」
「即刻廃止しますし」
「するな!!!」
「廃止はできんな」
「ちょっとシャルアさん!?」

一通りいつものやり取りを繰り返してから、ふと思う。

「あのレシピ、タルト生地ができればいいのですから、キッシュだけでなくタルト生地を使ったデザートに応用してもいいですよね。レアチーズケーキのタルトとか、洋ナシのタルトとか・・・」
「くうう!想像するだけで涎が・・・!」
「美味そうだな。よし、作ってくれ」
「ふふ、今度試してみましょう。そして、来年度にもっと携帯食料が余るようになれば、今度はタルト生地パーティーとか開きたいですよね。レシピを広く募集して、みんなで試食して最優秀者には何か景品とか・・・」
「何故あんたが関わるとすぐイベントになるんだ」
「そりゃあ局長だからでしょう!」
「ああ、全く持ってその通りだな・・・」

くすりと3人で笑い合って。

「次こそ、携帯食料のいらない平和な年度にしたいですねえ・・・」

はっと二人が振り返る。そして二人とも同時に破顔した。

「・・・ああ、してみせるさ」
「お任せください、局長!」

WRO屈指の優秀な局員たちに私は笑みを溢す。

「・・・ええ、頼りにしてますよ二人とも」

fin.